2017年8月21日月曜日

梅酢ドリンク

毎日、雨、雨、そして雨の東京。もう3週間ぐらいになるだろうか。おかげで、洗濯物はスッキリ乾かないし、ちょっとした晴れ間に半日干した梅干しも、ザルの上ですっかり湿気てしまった。

先のエントリでも「きょうしかない、梅干し土用干し」というタイトルで鼻息荒く書いたものの、その日の午後には降りだし、結果的にちっとも「きょうしかない」ではなかった。まー、私の個人的な梅干しの都合は別として、このまま夏が終わってしまってはどうも寂しい。物足りない。次の季節の訪れの前に、もう一度、カンカンの陽差しを浴びてみたいと思う。暑いけど、夏は夏らしい経験をしたい。

さてさて、とは言うものの、7月には37℃のうだるような暑い日もあった。そんな日はもちろん、3週間も湿気ムンムンの日が続いて、うんざりとしたきょうみたいな日にも、オススメしたい飲み物。それが、この「梅酢ドリンク」だ。

梅干しを作る人には、すんなり分かる話だが、梅干しを作るとその副産物として梅酢が出来る。その梅酢の使い途は、私が作る「カンホアの塩」のサイトでも、「梅酢ご飯」、「紅生姜」を紹介している。だがしかし、ここ数年、私の梅酢の用途でダントツなのが、この「梅酢ドリンク」なのだ。(早いとこ「梅酢ドリンク」も紹介しないと・・・・)

何のことはない。梅酢を水で割るだけ。たまには、炭酸水で割るのもいいだろう。冒頭の写真のように氷を入れて冷やしてもおいしいが、「冷たいのはお腹にゴロゴロ」の方は、お湯で割ってもいいだろう。もちろん味は、ほぼ梅干し。それを水で割って薄くして、ほんのり酸っぱ塩っぱい、涼を呼ぶ飲み物になる。酸っぱいのは、梅のクエン酸、そして塩っぱいのは、梅干しに使った塩、きれいなピンク色は、赤ジソの色素だ。酸っぱ塩っぱい梅干しは一粒でも刺激的だが、水で割る「梅酢ドリンク」は、いくらでも自分で濃い薄いを調整出来る。

最近は、「経口補水液」という、スポーツドリンクに塩を足したような味の飲み物が、熱中症対策として流行りだが、概ね、そんなような役割にもなる。たぶん大きな違いは、「経口補水液」には糖分が含まれているが「梅酢ドリンク」には含まれていないこと。そして、「梅酢ドリンク」にはクエン酸が多く含まれているが「経口補水液」にはそれほど含まれていないこと。単純に味として、「経口補水液」は甘さを感じるが、「梅酢ドリンク」は感じない。また、「梅酢ドリンク」は酸っぱいが、「経口補水液」は、酸っぱくはない。

スポーツドリンクや「経口補水液」は、私には、甘すぎる。飲んだ後、水を欲しくなっちゃうのだ。でも、糖分のない「梅酢ドリンク」の飲んだ後は、スッキリそのもの。夏場の外出時、私は水筒に氷、少しの梅酢、水を注いで持ち歩く。

それに、どうもスポーツドリンクや「経口補水液」は、化学的に作られている印象が強い。化学的が悪いとは思わないが、梅、それも無農薬栽培の梅(サムライ菊の助さんちの梅)、そして、NaClだけでなく、海を感じられるような塩で出来た「梅酢ドリンク」の方が、私にはおいしい。それも、飲んだ後のスッキリ感に繋がっているように思う。

梅酢を水で割るだけ。

至って簡単だが、あとは、どんな割合で割るかだ。最初は薄めでお試しあれ。ちなみに、とある「経口補水液」の塩分濃度を調べたら、0.3%弱だった。お吸い物は約0.9%なので、それのだいたい3分の1にあたる。塩分も濃すぎると喉が渇くので、カジュアルに(ちょっと喉が渇いたからぐらいで)飲むにはもっと薄い方がいいように思う。また、焼酎の梅干し割みたいのが居酒屋さんのメニューにあるが、梅干しの代わりにこの梅酢をちょっと加えても、同じようなものになる。

梅干しを作らない大多数の人にとって梅酢は、ちょっと遠い存在かも知れないが(市販されている梅酢もある)、梅干しを作ってて、梅酢が余っているような人にとっては、もー、必ず試してもらいたい、夏の必須アイテムです。

2017年8月9日水曜日

きょうしかない、梅干し土用干し

台風一過のきょう、私の会社のある東京・福生の予想最高気温は、35℃。たぶんきょうが一年中で一番暑い。「きょうしかない」と、朝、梅干しを干した。冒頭の写真は、私の仕事場の駐車場。車の屋根に新聞紙を敷いて、木っ端のゲタを履かせた上に、梅干しのザルがのっている。風通しがいいところに、カンカンな陽差しが照りつけるのがいい。

気温35℃の猛暑は、プールや海で遊ぶ子供の他は、一般的には辛いものだろうが、待ちに待った梅を干す日なので、決して辛くは感じない。「やっと干せる〜」という感覚は、むしろその猛暑に涼を呼ぶようなものでもあ、スッキリとした快感だ。もしかしたら、長らく梅干しを仕込んでいるのは、自分で作る梅干しを好きなのが半分あるとして、残り半分は、その涼のような快感のためかも知れないと、ときどき思ったりもする。

ところで、もう20年ぐらい毎年梅干しの土用干しをしているので、この時季の天気は印象に残る。ここ何年かの東京は、7月初旬にピーカンの暑い日が何日か続くのだが、7月初旬だと、土用干しにはちょっと早すぎる(本漬け日数がちょっと足りない)。そして、ちょうどいい7月下旬から8月にかけては、曇りや雨の日が多く、なかなか三日続けてのピーカンがない。数年前には、ずるずると8月末になってしまったこともあった。異常気象、天候不順と騒がれる昨今だが、現在55歳の私にとって、経験上の記憶はほんの40〜50年ぐらいだ。それで「昔は、○○だった」と、今が正常か異常かをはかっていいのだろうかと、ときどき疑わしく思う。

まぁ、何しろ梅干しの土用干しは、三日間やりたいので、きょうみたいな日が三日間続くのが理想だ。だから、7月半ばを過ぎた頃、そのタイミングを1〜2週間先の天気予報で探す。実は、昨日一昨日の予報では、きょうからちょうど三日間、暑いピーカン続きだったのだが、今朝発表の予報をみると、明日の午後は「弱雨」になっちゃってた。ただ、その後は仕事は5日間のお盆休み入るので、その休み中の1〜2日間、自宅で足りない土用干しを補えばいいということで、やはりきょうから土用干しをスタートすることとした。梅の土用干しは、初日には梅を並べ、一日一度梅を裏返すこと、3日目最終日の取り込みが主な作業だが、他はただ干しているだけで、お日様が仕事をしてくれる。だからといって、気を抜いてはいけない。この時季は、つい一時間前はピーカンだったのに、急に豪雨なんてことも少なくない。干している間は突然の雨をいつも心の隅に置いておくというのは、意外と重要なポイントだ。

以下、実況中継モード。(当日)
「突然の雨をいつも心の隅に置いておく」と書いてるそばから、本当に雨が降り始めた。今、14時半ぐらい。本当に1時間前はピーカンだった。あわてて梅を仕舞った。「きょうしかない、梅干し土用干し」というのは、結果的に、そうではなかった。まー、思い込み(または自分に都合のいい考え)とはいい加減なものだ。

そして後日談(8月14日)、結局、お盆休み中は毎日どんよりした曇り空、ときどき雨。一日たりとも土用干しできなかった。むしろ、せっかく半日干したが、その後の湿気が梅干し余計に湿気らせた。こんなときは仕方ないので、「9月になってもいいや」ぐらいの覚悟を持って、8月後半に期待する。やはり、ここんところの夏はなかなかピーカンが続かない。梅干し土用干しにはやっかいだ。

それにしても、今朝、真っ赤に染まった梅たちをザルに並べ終わると、写真を撮りたくなった。今年の梅は、サムライ菊の助さんの「完熟手もぎ梅」。ぷくぷくに完熟した果肉が柔らかな梅。皮は程よく薄めでちょうどいい。あんまり薄過ぎると扱う際に破けやすい。その皮に包まれたネットリした果肉が、お日様のエネルギーを浴びながらその粘度を増す。そう、お日様のエネルギー。科学的には分からないが、粘度を増す(=水分蒸発)だけでなく、そのエネルギーを梅干しに染み込ませることが、この土用干しの意味のような気がしてならない。そして、その後数ヶ月かけて、この真っ赤な色が落ち着いていきながら、塩慣れが進み、一年後には・・・・。あー、ツバが溜まってきた。

2017年8月7日月曜日

華やかなガーデニングの裏側

冒頭の写真は、今年の春頃撮った我が家の庭。5月の連休あたりか。こんな写真にも裏側はあるものだ。それはちょっと怖いぐらいの話。季節柄としては、いいかも知れない。

さて、一年と3ヶ月ぐらい前に、現在の借家に越してきた。その引っ越し前、この物件の見学で訪れたときのこと。

家屋の南側に、「駐車2台可」のスペースがあり、いわゆる再生ガラと呼ばれる2〜3センチ大のコンクリートやアスファルトの破片が混じったのが一面平らに敷かれていた。その再生ガラを試しに5〜10センチほど手で掘ってみると、黒い防草シートが敷かれていた。さらにそれを剥がしてみると、土が見えた。我が家の車は1台なので、もう1台分を庭として花壇や小さな畑にしようと思った。オーナーさんに「ここ、このガラをどかして庭にしてもいいですか?」ときいたら、「現状復帰を条件に、オーケー」とのこと。元々、カミさんとともに庭いじりが好きで、小さな家庭菜園や季節の植物を楽しめる庭のある家が引っ越しの必須条件だったので、「それなら」と入居の契約をした。

当時私が抱いたイメージは、表面の再生ガラを土嚢袋に入れてどかし、防草シートを剥がして土を少し入れれば庭になる、といったものだった。どかした土嚢袋は家の裏にでも積んでおいて、退去時に、それを戻せばいいと思った。

契約後、5〜10センチ厚みの再生ガラを本格的にどけて、防草シートを剥がしてみた。当初、土に見えていたその層は、実際は土というより、10センチ大ぐらいの砕石(自然石)が土にからまっている層で、つまりはほとんど砕石で、厚みが10〜20センチぐらいもあった。「えー、これじゃぁ、何も植えられない」。弱った私は、少し考えた後、決意し、再生ガラと砕石を別々に土嚢袋に入れて、家の裏に別々に積み始めた。ホームセンターで買った一輪車は意外と安かったのがたったひとつの光で、それはそれは終わりを感じられないほど大変な手作業だった。再生ガラの方の量は想像出来たが、その下に埋まった砕石はどのくらいの量なのか想像しにくかったので、「掘っても掘っても出てくる」という気分で作業が続いた。また当然、砕石をどかした分だけ土は減ったので、さらに土を調達せねばならなかった。その土木工事を、引っ越し前の早朝や夕方、休日に一ヶ月かけて行った。へとへとに疲れた。繰り返すが、この家は自分の持ち物ではない。いずれ出て行く借家なのだ。

そうして、再生ガラと予想外に出た砕石が家の裏にうず高く積まれた。これらは退去時には戻す予定のものだが、思いの外、山が高く、特に重い砕石の方はこのままでは危なく感じた。子どもたちには、「危ないから近寄るな」と言った。しかし、この砕石を処分してしまうと現状復帰時にはどうするかという問題が残った。前の家ではピザ窯に使っていた煉瓦が余ってたので、それを処分せずに、庭のスペースの半分に敷き詰め、ちょっと洋風な地面になった。退去時には砕石の代わりに、この煉瓦を敷き、防草シートを敷いて、最後に再生ガラを表面に敷こうと予定を変更した。引っ越し前に何とかそこまで出来たが、疲れ果てた私は砕石の処分までには至らず、一年が過ぎた。

そして今から1ヶ月ほど前のある日。「ドスン!」と鈍い嫌な音が家の近くで聞こえた。そのときは分からなかったが、その音から一週間後ぐらいに、たまたま家の裏を見たら、積んでいた砕石入りの土嚢袋が崩れていた。「あ、これだったのかー」と思ったと同時に、このままじゃまいずいと危機感を持った。

いざ調べてみると、大量の砕石を処分するのはなかなか難しい。やっとこさ片道30分の処理業者を見つけ、つい先週末、処分した。2トンダンプを頼んで持って行ってもらう量だったが、結構高くつきそうだったので、自家用車でピストンして運ぶことにした。当初は、だいたい1トンぐらいかなと高をくくっていたが、処分した際、計ってもらったら、実際は3.26トンもあった。

結果的に3回に分けて、1500ccの2ボックスカーの自家用車で運んだ。通常、トラックやダンプは、最大積載量という数字が荷台に貼ってあるものだが、乗用車にはそれがない。車検証を見ても、乗れる人数は載ってても、最大積載量の数字は見あたらない。言うまでもなく、一度にたくさん積む方が運ぶ回数が減る。最初の1回目は、「まー、だいたいこのぐらいなら大丈夫かな」と勘を頼りに積んだら、サスペンションが“キー”と3回ぐらい鳴った。用心してゆっくり運転。無事、30分の道のりを走れた。それが、0.97トン。2回目は少し増やして、1.13トン。最後の3回目は、1.16トン。それで合計、3.26トン。処理代は、トン単価2,500円で、8,802円。計算が合わないが、細かいことは分からない。

かなり無理した感は否めない。いい歳こいて。3回だと、その日に終わらすことが出来たというのが、3回に分けた理由だった。まー、結果オーライという言葉があるが、決して人様にはすすめられない。

今にして思えば、入居を決める前、再生ガラのほんの一部だけを掘ってみて、その下が土だと楽観的に、または自分に都合がいいように思い込んだのがこの悲劇の始まりだった。
そして今でも、もうひとつの山、再生ガラが家の裏に積まれている(上の写真)。ご覧のとおり、一年経って、新たな問題が発生している。入れていた土嚢袋が劣化して破れ、中身がこぼれ始めているのだ。1トンはあるだろう。土嚢袋でおよそ40〜50。このままだと、この山の崩壊は時間の問題だ。この再生ガラを入れた土嚢袋は、正確には2種類。ひとつはベージュ色で「ガラ袋」という名で売られていたもの。もうひとつは、よくある白色の「土嚢袋」。2種類が混じって積まれているが、ベージュの方が破れが著しい。「ガラ袋」、「土嚢袋」の破けた穴から、中身がまるで砂時計のように、日々こぼれている。

指をくわえて見ているわけにはいかない。

同じ袋に入れ替えて積み上げたところで、一年経てば、同じことになる。そこで、ネットで検索してみると、ちょっと高いが黒色のUVカットタイプの土嚢袋を見つけた。一枚あたり100円ちょっと。
今度のお盆休みにでも、一度新しい白色の土嚢袋に入れ替えて、それをさらに黒色UVカットタイプの土嚢袋に入れ、つまり二重にして、積み直ししようと思う。一枚100円ちょっともする土嚢袋を40〜50枚も使うのは贅沢とも言えるが、それで1年でも長く持つのなら、その価値は十分だ。

最近流行りのガーデニング。以前、そんなブームに警告するように、京都のベニシアさんがNHKの番組で、「ガーデニングは、ほとんど土木作業ですよ」と言ってたのを思い出す。土は重い。さらに、煉瓦も重い。そして、石はもっと重い。

2017年7月25日火曜日

厄介者の不自由さ

上の写真は、昨日朝の我が家の庭。アブラゼミだろうか。半透明の羽に葉脈のような黄色の筋。その生々しさに眠気が覚めた。

そして下の写真は、一週間ぐらい前に撮った、塀の上で羽を休めるツマグロヒョウモン。初めてこの蝶を知ったのは、10年ぐらい前。その頃は、南方系の外来種ということで珍しい印象だったが、今や、東京・昭島にあるうちの庭に飛んでくる蝶は、モンシロチョウ、アゲハの類を凌いでこのツマグロヒョウモンが圧倒的に多い。
鳥では、春には、ウグイスを凌いでガビチョウがよくさえずる。この鳥も外来種だが、さっきwikiってみると、

外来生物法で特定外来生物に指定されており、日本の侵略的外来種ワースト100選定種にもなっている。

とある。「侵略的外来種ワースト100選定種」というずいぶんネガティブなレッテルが貼られているが、高らかなさえずりのガビチョウはそれを知りもしない。植物の世界でも同じようなことがあるだろう。

かく言う私たち人間の世界でも、日本には、外国人が年々増えている。情報はネットでどんどん広がる。こうして、浸透圧の実験のように、刻々と変化していく。

そう考えてみると、「外来種」と人間に呼ばれない海の生き物は自由だなと一瞬思ってしまうが、それこそ人間だけのことで、海の生き物たちはそんなこと意にも介していない。

「外来種」の場合、在来種保護の観点から、規制は必要ながら、浸透圧は進んで行く。

先日の新聞記事で、「梅雨明けしたとみられると発表があった」というの。わざわざ「・・・とみられる」と言い足さなければならないところに、何とも不自由な感じがあるのだが、それは気象庁の梅雨明け宣言後、クレームを訴えた人が少なからずいて、それに気象庁が反応したということだろうか。クレームを訴える自由と、「・・・とみられる」と聞いたときの不自由さ。なんて、人間は厄介な生き物なんだろう。

2017年7月12日水曜日

新技・トマトの支柱〜経過と対策

前のエントリの続きで、「トライアングル・ピラミッド型スパイラル方式」(TPS方式)、日本語だと「三角錐型螺旋方式」。プロレスの新技・・・・じゃなくてトマトの支柱の立て方と茎の伸ばし方。狭ーい畑にオススメの方法かも知れない。

前のエントリ冒頭の写真は、発案当時、一ヶ月前のもので、このページ冒頭の写真は、つい昨日の朝のもの。ここまで来ると、スパイラルなのがよく分かると思う。2本の茎自体は、地面から長さ2メートル近くになってるが、高さは50センチに満たない。これは発案の目的どおり。これは功を奏しているように見える。

しかし、いいことばかりではない。上の写真をご覧になれば分かると思うが、葉っぱが混みすぎちゃーいないかい? いかにも風通しが悪そう。トマトの実はすでに出来始めているが、チラッと見える赤いトマトは葉っぱに埋もれているも同然だ。こんなんでいいのだろうか?と、素人ながら気になってしまう。そもそもこの発想は、「狭い場所を出来るだけ有効に使う」ところから来ている。それは、狭い場所にたくさん詰め込むとこういうことでもあるのだ。ちなみに、この三角錐の内部には、トマトのパートナープランツであるバジルを育てている。ポットで育った苗を移植したのだが、最初はよかったものの、トマトが育ってくると、茂った葉っぱが込み入ってきてバジルに日が当たらなくなって、育たなくなっちゃった。スパイラルだから、その内側のトマトの葉っぱは何層にも重なってくる。この三角錐からはずれた場所のバジルやシソはしっかり育っているのだが、それにしてもやはり狭いんだな。窮屈だぁ。

狭いながらも楽しい我が家。

東京下町生まれ育ちの私は、どうも昔から、狭っ苦しい環境下でいかに少しでもうまく暮らしていけるかを考えるのがクセになっている。

でもまぁ、これから夏本番を迎えるこのトマトさんは、バジルやシソより背が高くなって、少なくとも上部の風通しは、今よりはよくなるだろう。しばらくはいっぱい収穫出来そうな気がする。

とは言いながら、来年は少し変えてみようかとすでに考え始めた。何事もそうだが、あまり欲張ってはいけないのだ。物事には程度というものがあって、狭さ故の限界というものもあるハズなのだから、来年はその点に注意を払ってやってみたい。

来年もこの「TPS方式」をやってみようと思っているが、次は茎を1本にして(ツインでなく、シングル・スパイラル)、最初に出来始めるトマトの房2〜3本は、花が咲く前に切り取ってしまい、ある程度の高さから実をつけるようにし、葉っぱに埋もれないようにしてみるのはどうか。こうすることで、この混み混み状態の改善を図る。トマトの収穫数は減るかも知れないが、その方がトマトが健康的なような気がする。バジルは三角錐を囲むように周りに植える。そんなことを想像しながら、まずは今年、お盆の頃まで様子を見てみようと思う。

とまぁ、猫の額の家庭菜園主でも、1本のトマトの苗で、いろいろ考える訳だが、農家の人たちは、もっともっと毎年いろんなことを考えながらやっているんだろうなーと思いを馳せるのであった。

2017年7月11日火曜日

新技・トマトの支柱〜その発想

毎年、庭でトマトを育てている。在来種でもなく、園芸屋さんから(F1種であろう)苗を買ってきて植えてるだけだが、10年以上もやってると、毎年いろいろ考えもする。以前、「自家製トマトジュース」(2012年8月8日)というエントリを書いたが、それもそのひとつ。

何せ我が家の庭は狭いから、1本か2本の苗を育てるだけだ。しかし、そんな環境・条件の中で、出来るだけおいしく、出来るだけ収量を増やせないものか。さらに、庭なので、ある程度の見栄えを気にしながら・・・・。

トマトは、ノビノビ野放しに育てると、たとえ1本の苗木でも広い場所が必要になるので、芽かきしながら、支柱を立てて、茎を1本ないしは2本にして立体的に育てる。どこでもよくある手法だ。ただ、このときの問題点は、どんどん伸びて、あっという間に背丈より高くなって、とても支柱では支えきれなくなってしまうことだ。あまりに高くなったところは、仕方なく切ってしまう。

何とか、狭ーい家庭菜園で、茎を1〜2本にしたトマトを、コンパクトに支柱で支えながら長く収穫出来ないものか?

数年前、あるプロの有機農家のトマト畑を見学したとき、2本にしたトマトの茎を、小まめに麻紐で支柱に縛りながら、ジグザグに伸びるようにして育てていた。直線よりもジグザグの方が長さを稼げるという訳だ。いいアイデアと思い、翌年自分ちでもやってみたが、これがなかなか難しい。茎が細くて柔らかい最初のうちは、難なく出来るが、茎が太くて堅くなる7月頃になると、ちょっと曲げただけで茎がポキッと折れてしまうのだ。せっかく育った茎がポキッと折れると、心もポキッと折れてしまう感覚に囚われる。1〜2度ならまだしも、3度4度となると、たまったものじゃない。

そこで今年の春、考えた手法が、「三角錐型螺旋方式」だ。英語っぽくすると、「トライアングル・ピラミッド型スパイラル方式」。何でも横文字にすりゃあいいってもんじゃないが、長いので、略して「TPS方式」。

まずは支柱の立て方。通常、トマトの支柱は、屋根型に組まれるが、我が家の家庭菜園はそんなに広かぁない。苗も1本だけ。だからと言って、支柱をただ1本立てただけでは、倒れやすい。2本でも倒れるが、3本立てれば大丈夫。ということで、三角錐状に支柱を立てる。これが「トライアングル・ピラミッド型」。最少本数の支柱ということになるだろう。

支柱として倒れなければ、3本のうち1本だけ(残り2本は支柱の支えとして)使えばいいのだが、それじゃあ、先述のようにあっという間に背丈を超してしまう。そこで考えたのがこの「スパイラル方式」だ。三角錐型の支柱の外周に茎を巻きつけながら、螺旋(らせん)状に伸ばしていく。ジグザグではなく、螺旋状にすることで長さを稼ぐ。ジグザグより螺旋状の方が茎のカーブが緩やかなため、折れにくい。これを思いついたときは、「何で今まで思いつかなかったんだろう。狭いところには、コレだ」とワクワクした。

今年は1本の苗の茎を2本にして、育てている。だから、「トライアングル・ピラミッド型ツイン・スパイラル方式」ということになる。もう横文字はくどい。でも昔のプロレスの技名のようで面白くはないですか。「フィギュア・フォー・レッグ・ロック(四の字固め)」とか、「ダブル・アーム・スープレックス」みたいで。

さて、苗を植えたのが4月中旬。植えた苗を眺めながら、この「TPS方式」を思いついて5月に設置。冒頭の写真が6月中旬。ここまでは、それなりによかったのだが、7月になった最近、いいことばかりではない現実を学ぶことになる。

この続きは、また改めて。

2017年6月13日火曜日

ジョージアのオレンジワイン

ご存じのとおり、2015年、日本政府は「グルジア」改め「ジョージア」という呼び名にするという法律が成立した。私個人的には、「ジョージア」より「グルジア」という響きの方が、深遠かつ謎めいた雰囲気があって好きなのだが、調べてみると、グルジアは、「グルジア」と呼んで欲しくないと日本政府に要請していたらしい。

グルジアは旧ソ連から独立した国だが、その後、ロシアと武力衝突があった。「グルジア」という呼び名は、ロシア語由来で、現地語での呼び名は「サカルトベロ」というらしい。国際会議などでは、英語読みの「ジョージア」と呼ばれることが多いということで、日本政府としては、「ジョージア」にした、ということだ。この経緯を知ってからは、単に「響きが」とは思わなくなった。「サカルトベロ」が一番通な呼び名か。

さて、そのジョージアへ、今年の秋だか冬だかに、うちのカミさんがグループツアー旅行に行くらしい。「ジョージアと言えば、ワイン」との連想の元に、カミさんにきいてみると、当然のようにワイナリーにも行くらしい。ジョージアは、ワイン発祥の地と言われている。

私は、数年前にこのブログでも書いたが、ロシア料理レストラン(新宿・スンガリー)で、グルジアのワインをグラスで一杯だけ飲んだことがある。その遠い記憶での印象は、素朴な味わいだった。「素朴」。あまりにぼんやりした記憶だったので、今度はちゃんと一本入手して飲んでみようと思った。

早速、近所のワイン店(立川・おぎの)へ行って、きいてみた。「ジョージアのワインありますか?」。すると、店主はニヤッとして、「前のグルジアでしょ。ありますよ」。店主は、かなりのワイン通で、フランスやイタリアなどのワインは、等高線が細かく入った地図でブドウ畑の場所の説明からその年の天候の説明までしてくれるのだが、行ったことがないジョージアのワインについては、また別アングルの説明。

「まー、ジョージアはワイン発祥の地と言われていますけどね・・・・(得意分野ではないらしい)。ただ、作り方が昔ながらの手法が残っていて、それがおもしろい。今でも(ラベルにあるような)壺に入れて仕込んでます。そして、この通称オレンジワインと呼ばれる白ワイン。通常、白ワインは、(皮や種を除いた)果汁のみのジュースから作られるんだけど、これは、(赤ワインのように)皮・種ごと仕込んでます。だから、通常の白ワインにはない色(黄みがかった皮の色)と味(種のタンニンの味)があるんですよ。最近はイタリアあたりでも、こうしたオレンジワインを復活させてる作り手も現れてるんですよ」

「へぇ〜、さすがおぎのさん。これ飲んでみます」

と、白(オレンジ)を1本買った。そのラベルが冒頭の写真。壺のイラストがありますね。そして、下がコップに注いだオレンジワインとボトルの裏面の表示。オレンジというか、黄金色のようにも見える。
まずは一口、口に含むと、意外な感じ。おぎのさんの言うとおり、タンニンをしっかり感じるのだ。今まであんまり考えたことがなかったが、タンニンが効いた白ワインってのは飲んだことがなかった。皮の成分も手伝ってか、味全体にボリュームを感じる。洗練された感じはないものの、複雑さも感じる素朴な感じ。「へえー、へえー」とその珍しさを確かめるように次々飲んでたら、残りほんのちょっとのところでシャッターを切ったのが上の写真。

思えば、現代のほとんどの白ワインは、なぜ皮・種を除去して、赤ワインはしないのだろう? それに慣らされている私は、「そういうものだ」と勝手に思い込んでいた。それには必ず何か理由があるハズだ。その土地の食べ物との関係もありつつ、ジョージアでは当然のように引き継がれている製法の理由があるんじゃないかと思えてきた。半年先ながら、カミさんの土産話が楽しみだ。

2017年5月25日木曜日

「道」

この写真は、私が作る「カンホアの塩」の塩田へと向かう道。(ベトナム・カンホア)
この先の左に水色の平屋の家屋が2つあるのが分かるだろうか。右側のは倉庫、左側のは検品など作業屋舎。写真では見えないが、その周りに「カンホアの塩」の専用塩田がある。一週間前、ここにいた。

この道の左右には水が張ってあるように見えるが、これは現地の塩田。

この塩田地帯は広いので、移動はもっぱらオートバイだ。こうした道をオートバイで走っているとき、いつも考えていることがある。

「どこを通って行こうかな」

写真ではあまり分からないが、この辺りの土の道は結構起伏がある。トラックなど車も通るので、ところどころ轍(わだち)にもなっている。また、乾いた土・砂が吹きだまっているようなところもあるし、小さな橋、そしてときどき大きな石もある。

このときもそうだったが、オートバイの後ろに人を乗せているときは、特に気を使うことになる。ここに通い始めて20年近くなるが、一度、パンクしたこともあるし、何度か砂にはまって転びそうになったこともある。

どこを通れば一番すんなり通れるかは、そのときそのときの状況で違うから、「どこを通って行こうかな」と、少し先の道の状態を見ながら、進むコースのイメージを描きながら走る。

先週、そんなこと思いながら走っていたら、これは人が生きていくことのミニチュアのように思え、この道の写真を撮りたくなった。オートバイをいったん停めて、カメラのシャッターを押した。

きっと人の数だけ道もある。私の場合はこの道ということだ。どこを通ろうと自由だが、選択を誤ると、パンクしたり転んだりすることもある。ガソリンがちゃんと入ってないとオートバイを降りなきゃいけなくなる。目の前の道の状態だけに気を取られると、その先は悪路だったりすることもあるので、なるべく遠くを見ながら、目の前も視野に入れて走るのがいい。かといって、いつも失敗をせずに通れることはない。具体的な失敗の経験こそ、新たに進むときの糧になる。しかしながら、どこを通っても、結局は自分の進む道は目の前にある道しかない。

そんなこと思って写真の道を走っていたら、フェデリコ・フェリーニの「道」を思い出した。続けて、ジャック・ケルアックの「路上(オン・ザ・ロード)」。どちらの主人公も、運命的とも思える人生を歩んでいて、どこに辿り着くのかは不確かだが、その不確かな中を生き抜くことが現実なのだ。不確かだからと、つい確かにしたくなるのが人情だが、それこそが現実の歪曲(誤りまたは偽り)の始まりだと思う。

もう数百回は通った道を走っていて、初めて思ったことだった。

2017年4月28日金曜日

神亀 小川原良征氏 逝去

昨日、故小川原良征氏の告別式に行った。
一昨日の朝、会社にFAXが入って知った。
一年前から病気を患っていたという。知らなかった。
私は、専務の功績を語るようなタマじゃない。
ただ、ひとつだけ。

「お前は、塩を語るな。塩に語らせろ」について。

私が作る「カンホアの塩」の話をしに、初めて蔵へお邪魔したのは、私はまだこの仕事を始めて3年目ぐらいの頃だった。当時は、ひたすら塩について、自分が面白いと思ったことや、それなりに工夫した点などをしゃべり続けた。すると専務は、「おんなじだ、おんなじだよ」と言って、私のしゃべりを制した。

その後何年かたって、少し親しくさせてもらうようになった頃、専務は当時のことを振り返りながら、私に言った。

「お前は、塩のことを語り過ぎ。塩を語るな。塩に語らせろ」

当初は、塩の話に行って「塩について語らない」とは、どういうことか? と思ったが、今はしみじみ分かる。2〜3年前だったか、酒の席で私がつまらない話をすると、専務は私にデコピンした。それも楽しかった思い出です。

冒頭の写真は、昨日の告別式後の出棺を待つ蔵人さんたちと葬儀のお手伝いをされていた方々。この後、走り去っていく霊柩車の背中に向かって、ある女性が「専務、ありがとう!」と大きな声で叫んだ。私はただただ合掌するだけだったが、思いは同じだ。

ありがとうございました。
もう何もすることはありません。
ゆっくり休んでください。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

合掌

2017年4月26日水曜日

創造と絆創膏

何ヶ月か前、新聞のコラムで、「創」という漢字の意味に触れていた。「創」は、(創造など)「つくる」という意味と同時に、「きず(傷)」という意味があるという。そして、詩人・吉野弘さんの著書『詩のすすめ』からの下記のように引用していた。

「創造らしい創造をする精神は、そのいとなみに先立って、何等かのきずを負っているのではないか。きずを自らの手で癒そうとすることが創造につながるのではないか」

その好例が、傷口から初々しい根が生えてくる挿し木であり、きずが創造につながることを示す姿ではないかと、吉野さんは書いている。

「創造」なんていうと、「何もないところから何かをつくり出す」ようで、何となくカッコイイ。でも、「何もないところから何かをつくり出す」なんてことがあるのだろうか。きっとそれは、その「きず」に気づいていないだけなんじゃなかろうか、と私は思うようになった。(いちいちそれに気づく必要もないのだろうが)

私たちがしばしばお世話になる「絆創膏」。その意味は、以下の3つの文字の意味が重なって出来たという。

絆・・・きずな(つなぐ)
創・・・きず(傷)
膏・・・油、薬など

つまり、「傷をつなぐ薬」。

詩人・吉野弘さんは、その著書の中で、「創」について、冷静にやんわりと書いているが、私はそれを読んで、その続きを想ってしまった。

「創」は、その「きず」を癒すという必要があって創られるもの。
きっと、「きず」のないところに「創」はないのではないか、と。

身体の傷も心の傷も、負った傷が深ければ深いほど、つなぐのが難しくなる。そのためにつくることも大変になる。「創」という文字のふたつの意味を知って、「つくる」ことに人間の悲哀のようなものを感じるようになった。そして私が負っている心の傷も癒されるような気がした。

「創」というひとつの文字にふたつの意味を持たせてつくった中国の先人に敬意を表したい。その人は、一体どんな「きず」を負って、「創」という文字をつくったのだろうか。

2017年3月31日金曜日

醤油麹小麦の焙煎と粉砕

先のエントリの続き。

醤油の最初の工程である、「小麦の焙煎・粉砕」の模様だ。これは松田師匠のお家でのこと。師匠の発案で、設備などが設えられた。私たちのグループが使う小麦の栽培から焙煎・粉砕も一緒にお願いしていることもあって、今年の2月半ばに手伝いに参加した。私たちはもちろん、師匠にとっても初めての試みだった。こういう、「必要なものがないときは、作ればいい」という、師匠に引っ張られておこなった。

今回、焙煎・粉砕する小麦の量は、80キロぐらいだったか。数キロならば、焙烙やフライパンなどで煎ればいいのだが、80キロとなるとそうはいかない。冒頭の写真のとおり、小麦を入れたドラム缶の下で火を焚いて、ドラム缶を回した(一度に10キロぐらいずつ)。当初の予定では、回すのはモーターにやってもらうことになっていたのだが、いざモーターにチェーンをかけてみたら、チェーンと歯車のピッチが合わないというアクシデント発生。私を含め3人の男性が人力で回した。ということで、モーターがうまくいかない場合にも備えて、エルボーで継いだ水道管のハンドルの準備もされていたのは、流石師匠。しかし、交代とはいえ数時間続いたグルグルは、後半正直バテた。

黄金色に煎り終えた小麦は下。夕方にフラッシュ焚いたので、残念ながら、色はイマイチだけど、「黄金色」は分かると思う。
そして、この煎った小麦を砕く。師匠所有の石臼器が下。小麦が上から落ちて、縦になって回っている石臼を通って、挽かれた小麦がクラフト袋の中に落ちている。
挽くサイズは、平均でだいたい粒の半分ぐらいか。
丸一日かけて、ここまでやった、何とも言えない達成感。それはすばらしいことだったが、実際に行うとなると、簡単なことではない。

醤油作りの工程で、「大変なこと」の第一位と二位は、この小麦の焙煎と粉砕だと思う。焙煎は、コーヒーの焙煎器がいいように思うが、香りが命のコーヒー用の焙煎器で小麦を焙煎させてもらうのは、無理があるように思う。また粉砕は、こういった電動の石臼があればクリア出来るが、それがないと、少量ずつすり鉢で当たるか・・・・。そんなぁ〜。でも、少量なら・・・・。

まあ、こうして小麦の焙煎と粉砕が終わった。

そして、先のエントリの麹の仕込みとなった。麹の仕込みには、丸2日、足かけ3日を要した。初日に大豆を蒸して冷まして、小麦と麹の種菌を合わせたのだが、その日、私は参加していない。種菌を合わせてから24時間後ぐらいから発熱してくるので、次の24時間は、主に温度が上がりすぎないように、1時間から30分おきに、麹の温度チェックしながら面倒をみる。つまり徹夜だ。私はそのタイミングで参加。早めに寝かせてもらって、深夜に起きた。

まあ、こうして醤油麹が出来上がった。

先のエントリで書いた、醤油の工程をもう一度記す。

0.小麦と大豆を栽培・収穫し、丸大豆と麦粒の状態にする。
1.小麦を煎る。
2.煎った小麦を粗く砕く。
3.浸水後、大豆を蒸す。
4.2の小麦と3の人肌に冷めた大豆に、種麹を振って、醤油麹を作る。
-------------------------------------------------------
5.醤油麹と塩水を合わせ、浸ける。(初期のモロミ完成)
6.(一般的には冷暗所だが)私たちは、陽当たりのよいところの温室に置く。
7.適宜、攪拌する。
8.夏を越えて熟成した(発酵した)モロミに適量のお湯を加え緩くして搾る。
9.搾った醤油を加熱して(火入れ)、発酵を止める。(完全には止まらないが)
10.静置して、澱が沈むのを待って、ビンなどに詰める。

去年までは、5番から10番までを行って、「手造り醤油」の気分になっていたのだが、今年は、(最も大切なことながら)0番は別にして、1番から4番までも行った。それによって、醤油作りの全体像が見えたように思う。全体像というのは、どの工程がどのくらい大変かということだ。大変なことはしんどさもあるが、面白くもある。その全体の中で、自分たちは「どこからどこまで」を行うかを決めて、「手造り醤油」を作る。

何でも自分で作ることは面白いが、それはまず、「どこからどこまで」を決めることから始まるように思った。

2017年3月22日水曜日

今年は醤油麹を作る

もうすっかり春になった東京。この3年ぐらい、毎年この時期に、仲間とともに醤油の仕込みをしている。去年まで、麹(大豆+小麦)は、麹屋さんに頼んでいたのだけど、事情があって、今年から自分たちで(醤油仕込みだけでなく)麹作りも試みた。上の写真は、早朝に完成した、醤油麹。北向きの窓からの柔らかな光に包まれていた。

この日本独特の調味料の作り方を知っている人は少ないと思うので、ざっと以下に。

0.小麦と大豆を栽培・収穫し、丸大豆と麦粒の状態にする。
1.小麦を煎る。
2.煎った小麦を粗く砕く。
3.浸水後、大豆を蒸す。
4.2の小麦と3の人肌に冷めた大豆に、種麹を振って、醤油麹を作る。
-------------------------------------------------------
5.醤油麹と塩水を合わせ、浸ける。(初期のモロミ完成)
6.(一般的には冷暗所だが)私たちは、陽当たりのよいところの温室に置く。
7.適宜、攪拌する。
8.夏を越えて熟成した(発酵した)モロミに適量のお湯を加え緩くして搾る。
9.搾った醤油を加熱して(火入れ)、発酵を止める。(完全には止まらないが)
10.静置して、澱が沈むのを待って、ビンなどに詰める。

下記のエントリで、「手造り醤油は簡単」と書いた。

●手造り醤油(2014年4月25日)

それは、上記の工程で、5番以降のことだ。0番の大豆と麦は別グループの仲間から分けて頂き、1番から4番以前の麹作りは、麹屋さんに頼んでいた。そして、8番の搾りは、搾り師の方に頼んでいた。その場合、麹と塩水を混ぜた後の残りは、7番の攪拌ということになる。その攪拌も、モロミをあえて陽に当てる方法では、従来ほど大変ではないのは、その上記エントリでも書いた。その「手造り醤油」は、確かに、思っていたより簡単だった。

しかし、神様はいろんな変化を起こしてくれる。

これでも十分に「手造り醤油」だと思うのだが、去年は偶然にも、醤油仕込み仲間のリーダーが、近隣の蔵の整理を手伝っていたら、何と醤油の搾り器(通称「船」)を見つけてもらってきた。もー、ビックリ。若干修理する箇所はあったものの、ジャッキとネットで酒用の搾り袋を見つけて、自前で搾れるようになった。それが去年のこのエントリ。

●自前の船で、醤油搾り(2016年5月9日)

そして、ついに今年。1番から4番工程の麹作りも試みることとなり、一週間ほど前に完成し、モロミを仕込んだ。これにも、そうなった(またはそうせざるを得なかった)理由があった。それは、醤油用麹の入手だった。

味噌を自宅で仕込む人は多いので、冬場になると、麹屋さんが米麹を販売している。たとえ近所に麹屋さんがなくても、通販で乾燥麹・塩切り麹もあるし、何とかなる。しかし、自宅で醤油を仕込む人は少ないので、醤油用の麹(大豆+小麦)は、米麹のように一般人向けの少量では売られていない。つまり、醤油の場合、麹の選択肢は、2つということになる。大量に麹屋さんから買うか(200kg以上など、詳細は不確か)、自分で作るかだ。じゃあ、自分で作ればいいかと言うと、そう簡単ではない。

味噌用の麹の多くは米麹だから、種菌を入手して自前で米麹を作っている人は少なからずいる。しかし、醤油麹の場合は、大豆と小麦になるが、その小麦は焙煎して砕いた小麦だ。大豆は蒸すだけだから、概ね米麹の米と似ているが、小麦の焙煎と粉砕は、数キロ以下など少量ならなんとかなるが、何十キロ以上となると、ホウロクまたは中華鍋で煎って、すり鉢で砕くという訳にはいかない。

冒頭に「事情があって」今年は麹作りも試みた、と書いた。それは、去年までは麹屋さんから一緒に買っていた別グループの仲間が、今年から自分たちで麹を仕込むようになったことだ。それにより、自分たちの分量だけでは大量ではなくなってしまい、買えなくなってしまった。従って、自分たちで麹を仕込まなくてはならなくなった。その別グループの仲間は、私たちの麹作りに大いに協力してくれた。私たちはまるで、その別グループの仲間に引っ張られるように、麹作りに踏み込んだ。

その別グループの仲間とは、松田のマヨネーズの松田さん。松田さんの自給自足ぶりは、語り出すとキリがない。冒頭の工程0番の、固定種の大豆・小麦は松田さんの畑で栽培されたもの。味噌は当たり前で、醤油もということで、年々、自給自足度は増して、昨年からは、標高千メートルの広大な元牧場地に畑の準備が始まっており、動力も賄えるオフグリッドのソーラーシステムと薪ボイラーなどのエネルギーで暮らし始めている。馬まで飼っているし・・・・、ということで、キリがない。

さて、こうした成り行きがあって、今年の醤油仕込みは麹も作ることになったのだが、ここまで来ると、安易に「手造り醤油は簡単」とは言えない領域に入った。次のエントリでは、松田師匠の協力を得ながら行ったその麹作りを、1番の小麦の焙煎から紹介しようと思う。いや、「松田師匠の協力を得ながら」ではなかった。松田師匠の手伝いがてらに参加した模様を紹介するということだ。

2017年3月14日火曜日

チリ・ビールとポピュリズム

そろそろ梅の香りにも驚かなくなった先週末、風はやや冷たかったものの、暖かな陽差しの下、近所のスーパーへ買い物に行ったら、こんなのを見つけて、思わず買ってしまった。チリ・ビール(メキシコ産)。早速飲んでみると、青唐辛子の爽やかな香りと味。ラベルに「Very Hot」とあるように、ちゃんと辛い。ビール自体は、コロナビールのような、軽ーいソフトドリンク のような味。「うまいビール」という感じではないものの、強い陽差しの中、グビッと飲むとうまいのかも知れない。ベトナムもそうだけど、総じて暑い地域 は、こうした軽いビールが好まれるようだ。カミさんにすすめたら、一口飲んで「これ、うまくない」とやや不機嫌な様子。

驚いたことに、グラスに注ぐと、青唐辛子が一本、丸のまんま出てきた。ボトル裏のラベルを見ると。
原材料欄に、「唐辛子」とちゃんと載ってる。あと「コーンスターチ」、「スピリッツ(大麦)」ともある。春になって、ずいぶん緩んできたとはいえ、このビールをおいしく飲むには、まだまだ暑さが足りないようだ。所変われば品変わる。メキシコの風土の人たちはこういったビールがお好みなのだろう。

ところで、こないだ、車を運転してて、信号で停まったとき、前に停まっている車の後ろに、こんなステッカーが貼ってあるのにちょっと驚き、思わず写真を撮った。
「TRUMP MAKE AMERICA GREAT AGAIN!」。
「へぇー、日本人でも、こんなステッカー貼る人がいるんだー」と驚いたのだけど、後から考えてみると、それは私の思い込み(誤解)で、実はこの車の所有者は、米国人だったかもしれない。その上に貼られた「HONK FOR HOOTERS」も米国っぽいし、近くに横田基地もある。

去年の英国のEU離脱の国民投票と米国のトランプ氏当選について、「ポピュリズムの台頭」なんて言葉をよく耳にする。きっとこのメキシコのビールも、メキシコの人たちのポピュリズムによって支持されているからこそ、メキシコでは大量生産・大量消費されていて、その果てにこうして太平洋を渡って来たのだとも思う。

ビールの銘柄と一国の大統領を一緒にする訳にはいかないが、大衆に支持されているという共通点はある。その共通点は、「何がおいしい」とか「何が正しい」といった決まり事はない世界だ。しかし、グルメの人たちは「こういうのがおいしい」と決めたがるし、インテリの人たちは「こういうのが正しい」と決めたがる。そして、大衆は何かを支持する。それら全ては、自由だ。

世界中にネットが普及した昨今、言葉は瞬く間に地球上を駆け回る。言葉が伝わっていくのにもっともっと時間を要した昔は、その時間と空間(場所)の間に、言葉が淘汰され、生き残った言葉だけが伝わっていったように思う。誤解や間違えをしない人間はいないから、その滞空時間が言葉を洗練していたのだと思う。それもその頃のポピュリズムの表れだ。

ずいぶん前だけど、日本の真夏に海水浴へ行ったとき、海の家が今どきのカフェ風になっていて、そこでライムをビンに突っ込んで飲んだコロナ・ビールはうまかった記憶がある。そのとき店員さんに、「これがコロナビールの正しい飲み方です」と教わった記憶もあるんだけど。

2017年2月17日金曜日

わさび漬けのタルタルソース

きょうの東京は春一番が吹き荒れている。
お昼時になったら、カレーが食べたくなって、近所のインドカレー屋さんへ行って、マトンカレーにナンのランチセットを食べた。額にうっすら汗をかく程度の辛さが心地よかった。

さて、この間、我が家の晩ご飯のおかずがカキフライだったときのこと。カキフライに、私はタルタルソースが好きなのだが、カミさんに「タルタルソースあるの?」とたずねると、「ないから、あるもので好きなようにして食べて」と言われた。その「あるもの」の意味は、中濃ソースや醤油、マヨネーズ、ケチャップなどのことだった。

ちょっと残念な気持ちを持ったものの、そのときたまたま、同じテーブルにのっていた、わさび漬けが目に入った。「これだ」と思った。小さなボウルにマヨネーズを絞って、わさび漬けをたっぷり加え、レモン汁を足して、フォークでかき混ぜる。少し感じるわさびと酒粕の香りがやや和風な、即席タルタルソースになった。

私のイメージとしては、刻んだピクルスが入ってるタルタルソース。あれを、このわさび漬けに変えたバージョンでございます。今回の私の場合は、既に揚げたてのカキフライが目の前にあったので、ソースはすぐに出来ないといけなかったのだけど、おいしかったので、今度は、前もって、ゆで卵やパセリなんかを刻んだのも混ぜてみたいなとも思った。

でも、これってワサビマヨネーズの延長みたいなもんかな?

2017年2月10日金曜日

ふるさとの不思議

冒頭の写真は、東京は江東区、深川は森下町にある「みの家」さんの立派な店構え。桜鍋(馬肉)の老舗です。通称「けとばし(蹴飛ばし)」。東京の下町らしい遊び心のある言い回しだ。で、この店に、先日、何と45年ぶりぐらいに行って、昼食を頂いた。

私は、この界隈に2歳ぐらいから23歳ぐらいまで、その間、多少の出入りはあったものの、住んでいた。なので、この森下が私の「ふるさと」ということになる。「ふるさと」というと、私なんかは、つい唱歌の「ふるさと」(♪兎追ひし彼の山・・・・)を思い起こしてしまうのだが、無論森下には野生の兎も小鮒もいない。また、大学生の頃、初めて地方出身者の知り合いが多数出来たのだが、彼ら彼女らは、「正月はクニへ帰るわ」などと言って帰省した。帰省先に兎が生息していたかどうかは知らないが、私が育った場所よりは自然は豊かであったろうし、無理矢理に自分の帰省先を考えてみても、それは何の変哲もない普段寝起きしている自分の家なのだから、笑えもしなかった。つまり当時、「私にはふるさとはない」と思っていて、「ふるさと」がある人は私が持っていない宝物を持っているようで、羨ましかった。

その後、私はこの町を離れ、30年もの間、遠ざかっていた。そうしてすっかり疎遠になってからこの町を久しぶりに歩くと、他の町では感じることの出来ない特別な感覚が湧いてきた。「帰ってきた」感覚だった。「ここは私のふるさとなんだ」と知らしめられた。おそらく今この町にいる人は、昔から9割方は変わっているだろうし、9割以上の商店も変わっている。それでもこう感じたのだ。

写真の「みの家」さんは、そんな1割にも満たない、「変わっていない」希少なお店だ。実は、「みの家」さんは私が住んでいた昔の時点でも既に老舗ながら、地元の人はあまり行ってなかった。当時私の家族で行ったのも一度きり。「桜鍋」という特別な料理で、普段使いのお店ではないからだ。

実は45年前の、そのたった一度、桜鍋を食べに家族で行って帰宅した直後、私だけが激しく嘔吐した。その姿を見て親父は、幼かった私に「タケシはもう馬肉はやめといた方がいいな」と言ったのを憶えている。「みの家」さんの名誉のためにも、断っておきたい。嘔吐した原因は不明だ。ここを誤解してもらっては困る。ただそうしたことがあった故に、とてもよく憶えている。

そんな思い出のある「みの家」さん。先日、用事があって森下を訪れた際、もう一度食べねばと思い、入店した。老舗のどじょう鍋屋さんなんかと共通した、低めの長〜くのびた座卓。古い木造の建物も魅力だが、お店の方々が醸し出すこの軽やかな雰囲気にタイムトリップした。適度な丁寧さの接客、用があるときの小気味いい対応、そして放っておいてもくれる安心感。(当時の私にはそれが普通のことで、特別ではなかったのだが・・・・) 私の中で、この軽やかな雰囲気が、昭和40年から50年頃の東京の一番の思い出だ。懐かしくも感じるし、こういう居心地のよさの価値を改めて思った。そして、大人になった自分がここで桜鍋をつついている。それが何やら不思議に感じた。甘い味噌だれの甘さは懐かしかった。鍋の火を一番小さくして、ゆっくり箸をすすめ、小一時間をまったりと過ごした。ときどき聞こえてくる話し声からして、周りの客は、明らかに地元の人たちではない。そういう意味でも「変わっていない」。そして今や、私だって地元の人ではない。

「ふるさと」っていうのは、「生まれ育った場所の人間」ではなくなって初めて感じるものなんじゃなかろうか。「私にはふるさとはない」と思っていた学生の頃は、まだ生まれ育った場所に属していたというだけだったのだろう。そう思うと、その頃の自分に耳打ちしてあげたくなった。ずっと「生まれ育った場所の人間」である人たちに「ふるさと」はないのだよ。「ふるさと」が欲しけりゃ、そこから離れなさい、と。

さてさて、おいしく頂いた45年ぶりの「みの家」さんの桜鍋。次は森下界隈のどの店に行こうかと計画を練っている。まるで京都や外国のおいしいものを探すように。

2017年2月9日木曜日

砥石と包丁を研いで想う

我が家の包丁の切れ味は、私の心のバロメーターだ。
心に余裕がなくなると、なかなか研げない。そして切れなくなる。

包丁は、日々徐々に切れなくなっていくから、研ぐ必要は徐々にやってくる。そして、あるときを境に、「あっ、包丁が切れなくなってる」と気づく。それでその次の週末なんかに研げると一番いいのだが、それを忘れて何週間も過ぎてしまうこともある。包丁はほぼ毎日使うから、その度ごとに気づいてもよさそうなもんだが、余裕がないと意識がそこに向かないのだ。だからそれは「(忙しくて)研げない」と言うよりは、「研がなくなっている(状態)」とも思える。そして、あるとき「あっ、切れなくなってたんだっけ」と気がつくと同時に、「あー、最近余裕がないな〜」と心が沈む思いをする。この沈む思いをすると、不思議と忙しい心が落ち着いて、その次の週末なんかに研ぐこととなる。

研ぐには、バケツに水を張って、その水が砥石に染み込むまでしばらく待たねばならないし、「どうせなら」と数本ある我が家の包丁を全部研ぐことにしている。だから、なかなか片手間には出来ないのだが、時間にして一時間足らずのことだ。

しかし、今回は、さらなるハードルがあった。中砥石の表面が凹んでしまっているため、包丁を研ぐ前に砥石を研がなくてはならなかった。この半年ぐらい、その必要性に気づきつつも、先送りにしていて、「もー、限界」と思っていたところだった。だから、今回は「包丁を研ぐ」だけでなく、「砥石を研ぐ」心の余裕がないといけなかった。

先日、我が家に来たお袋は、リンゴの皮を剥きながら、その包丁が切れないことを指摘した。そして「今は、シャーシャーと簡単に研げるもの(いわゆるシャープナー)があるから、あれ使えばいいのよ」とアドバイス。でも、どうも私はあのシャープナーを好きになれない。砥石で研ぐのと刃の付き方が違うので、シャープナーを使い始めると砥石で研ぎにくくなってしまいそうだからだ。それに、砥石で研ぎ終わったときの達成感、開放感はたまらないから、その機会を失いたくもない。

有り難くもお袋の指摘で「そぉいやぁ、切れなくなってたわ」と例によって心が沈み、ついこの間、「砥石を研いで、包丁を研ぐ」に至った。冒頭の写真は、中砥石を大方平らにしたところ。まだ真ん中が少し凹んでいる。結構な凹みだったので、真っ平らにするのに、休み休みで1時間かかって大変だった。

最初に、「研ぐ必要は徐々にやってくる」と書いたが、本当はあんまり切れなくなる前に研げば、いつも切れることになるし、研ぐのも楽だ。二十歳ぐらいの頃、バイト先の板前さんが、その日の仕事の終わりに毎日必ず包丁を研いでいた姿を思い出す。もう少し早めに研ぐことが出来るようになれるかな。そんな理想の大人になれるかな。他方で、こういうのって、程々がいいようにもようにも思えてしまうのだけど。少しずつ前進しようと思う。それが性に合っている。

2017年1月26日木曜日

塩資源としての海水(3)海に戻る成分と岩塩・湖塩

先のエントリ「塩資源としての海水(2)」の続き。

海水を今後、500年間、現在のように使い続けると、地球上の全海水の0.001%を使う、そして50年間では、0.0001%使うことになる。

と、先のエントリでは試算した。ただし、これらの試算は、海水を一方的に使う場合のもので、雨や河川などで海に戻っていく成分は考慮されていない。また、現在地球上の人間が使う塩の4分の3を占める岩塩・湖塩のことも考慮していない。

それは、雨や河川で海に戻っていく成分を把握するのはなかなか難しいだろうし、岩塩・湖塩の埋蔵量や今後新たに出来る岩塩・湖塩を推量することも困難だからだ。

しかし、いろいろ思いを巡らせたり想像することは出来る。「想像」だからこれらについての試算はない。ただ、先のエントリで試算した数字の肉付けとして必要と思われるので、その「想像」を記してみたいと思う。

まずは、「雨や河川で海に戻っていく成分」について。

2つ前のエントリ、「塩資源としての海水(1)」でも書いたがことを、改めて下記に引用する。

「海水塩を作るために消費する海水」の成分。そして、「雨や河川から海に供給される水」の成分。理論的には、これらがイコールならば、確かに「海水の成分は変わらない」ということになる。しかし、イコールだろうか? いや、イコールではないハズだ。雨や河川の成分は、主に人間の生活スタイルの変化とともにどんどん変化しているハズだからだ。

海水から作った塩が、雨や河川によって海に戻っていっていれば、「海水を消費する」という一方通行ではなく、持続可能な循環になる。おそらく、人類が昔のように、塩を食用として使うだけならば、(糞尿などで)結局は海に戻っていくような気がする。しかし、現在の日本のような下水(+汚水)処理システム下だと、どうなんだろうか。楽観的にみれば、汚水は有機物をたくさん含むだろうから、その有機物が処理されてミネラルだけが残った処理後の水が海へ戻っていくような気もする。

しかし、先のエントリ「塩資源としての海水(2)」でも触れたとおり、例えば日本の塩の需要の75%はソーダ工業用だ。ソーダ工業用とは、例えば苛性ソーダ(NaOH)などを作るのに、塩は使われる。NaClが水に溶けると、Na+とCl+になることぐらいは分かるが、こうして、化学的にNaClが形を変えてしまうとどうなるのだろう? 昔のように「雨や河川から海に供給される水」の成分は海水と同じような成分になるとはどうも考えにくい。それに75%という割合からしても、食用塩よりも、こっちの工業用の塩についてのことの方が重要になる。

人類の歴史の中で、塩がこうして工業用に大量に使われ始めたのは、ここ100年ぐらいだろうか。とは言え、こうした塩の使われ方は、現在の私たちの生活に密着しているので、今後も長く続くように思われる。ただ、もしもソーダ工業用など化学的にNaClの形を変えて大量に使われ始めたことが、ターニングポイントになって、海水の成分が変わっていくとしたら、たとえそれが「圧倒的な水量」の海水からすれば僅かでも、不可逆で一方通行の変化がすでに始まっていることになる。百年後、塩の用途がどうなっているかは想像出来ないが、世界で一年間に生産されている約2.8億トンの塩がますます増える可能性だって十分にある。

そして、もうひとつ。岩塩・湖塩について。
現在地球上の人間が使う塩の4分の3を占める岩塩・湖塩について。

先のエントリ「塩資源としての海水(2)」でも触れたが、年間の塩の生産量、約2.8億トンの塩のうち、4分の3は、岩塩・湖塩だ。たった3.4%の塩分濃度の海水を濃縮して塩を作るよりも、立地条件のいい(運搬するのに過大なコストがかからない)岩塩・湖塩は比較的コストがかからないだろう。だから、4分の3ということになっているのだと思う。先のエントリ「塩資源としての海水(2)」で試算した、海水塩を作るために消費する海水量が、「遠い将来」に、もしも環境などに影響を与えるとすれば、時間軸としてはその前に、立地条件のいい岩塩・湖塩が枯渇することも、あるかも知れない。現在、埋蔵している岩塩が枯渇する可能性を考えている人はほとんどいないと思う。それだけ岩塩・湖塩も「圧倒的な量」があるのだが、同じ「圧倒的な量」でも、地球上の全海水と比べると、岩塩・湖塩は少ないだろうという意味だ。

したがって、もしも「遠い将来」が、陸地の移動などによって新たに岩塩・湖塩が作られる前だとすると、岩塩・湖塩から海水塩の生産へシフトしていくことも考えられる。岩塩・湖塩は全体の4分の3だから、これが全部海水塩にシフトするとなると、単純計算で、現在の海水塩の生産量が4倍になり、海水を消費するスピードも4倍になる。

閑話休題。

こんなことより、もっと目に見える、工場排水・生活排水などの海洋汚染問題の方が、はるかに現実的というのが一般的な見方だと思う。しかしながら、ハシクレとは言え、海水から塩を作ることを私が生業としている以上、考えておくことは必要だと思っている。

環境問題という言葉が一般的に使われ始めたのは、ここ30年ぐらいだろうか。海水に限らず、地球上の物質を化学的に変えたものがどんどん増えて行くと、物質的にいずれは地球自体が変わることになる。空気、水、海、土壌、・・・・(遺伝子なんかもこれに加わるのだろうか)、それらはいずれも「圧倒的な量」がゆえに、少々の変化では何も変わらないように見える。しかし、それらに顕著な変化が起こってしまった後では、今度はその「圧倒的な量」がゆえに、元に戻ることは現実的に不可能になる。

よく「資源は有限」なんて言われる。すでにカウントダウンされている原油などではピンとくるが、無尽蔵に感じるものは実感が湧きにくい。しかしそんなものほど、生命には欠かせないものなのだ。原油がなくても人類は存続出来るだろうが、空気の成分が変わったらどうなるんだろう? と、同じように、生態系に影響を及ぼすほど海水の成分が変化してしまったらどうなるんだろう? と思うと、ゾッとする。

さてさて、キッカケとなった質問をしてくれたお二人には、お礼とともに改めた回答を伝えなくては。「今は、心配するほどのことではないと思うが、遠い将来、人間の営み次第では、問題になる可能性はあります」と。

2017年1月25日水曜日

塩資源としての海水(2)海水塩で消費する海水量

上の写真は、「Newton」別冊(奇跡の惑星 地球の科学 誕生と歴史、構造と環境)の中の海水の量などにについて記載のあるページ。

先のエントリ「塩の資源(その1)」の続き。

「世界中で塩が大量に作られ続けていて、海は大丈夫なのか?」

という命題について、先のエントリでは、地球上の海水は「圧倒的な量」のため、近い将来は変わらなくても、遠い将来は変わるハズだ。と、結論した。

ただその結論はひとつの理屈なので、このエントリでは、人間が海水から作るのに毎年消費している海水量は、地球の全海水のどのくらいに当たるのかを試算してみようと思う。数字に苦手なため、結論的な数字だけではなく、その過程も披露させて頂きたい。

最初に、年間、世界中でどのくらいの塩が生産されているか?
日本語のweb上にあったものを2点、以下に記します。

1.約2億8千万トン

塩事業センターのサイト内にある「塩百科」(世界の塩の需給状況)によると、「世界の塩の生産量は、年間なんと約2億8千万トン」とある。
http://www.shiojigyo.com/siohyakka/number/sufficiency.html

また、下記ページの「統計/各種調査」のページ内、「世界の塩生産量」をクリックすると、「2014年塩生産量(国別)」(出典:British Geological Survey)という50カ国分の数字があり、それらの総計は、278,645千トンとなる。おそらく、上記「塩百科」の「約2億8千万トン」と関係していると思われる。
http://www.shiojigyo.com/a080data/

2.約1億8000万トン

たばこと塩の博物館のサイトでは、「現在、世界中で1年間に約1億8000万トンの塩が生産されています。海水からつくられる塩は、そのうちの約1/4で、残りは、岩塩や塩湖など海水以外の塩資源から採られます」とある。
https://www.jti.co.jp/Culture/museum/collection/salt/s4/index.html

ちなみに、私が作っている「カンホアの塩」のwebサイト内のに、「いろいろな「塩」の違いとは?」という章があり、そこでは、たばこと塩の博物館の「約1億8000万トン」と記載している。しかし、「約2億8千万トン」の方が新しいデータのような気がする。その理由は、近年、年ごとに塩の需要は増えているからだ。

地球の人口は増える一方だから、食用の塩の生産も増えているのだが、それよりずっと大きな要素がある。例えば日本で消費される塩の需要として、食用は10〜15%に過ぎない。最も多い塩の用途は、ソーダ工業用(苛性ソーダなどの生産)で、その割合はおよそ75%にものぼる。そして、現在進行形で世界中の国・地域では、年々工業化が進んでいる。

詳細はともかくとして、話しを進めるために、世界での、年間の塩の生産量は、

約2.8億トン

ということにする。

次に、世界で作られている塩の、3分の2(およそ67%)は岩塩で、およそ8%が湖塩、残りの4分の1(およそ25%)が海水塩だ。つまり、「約2.8億トン」のうち、海水を消費して作られている塩は、

約2.8億トン × 25% = 約0.7億トン

となる。

次に、この「約0.7億トン」の塩を作るのに、どのくらいの海水を必要とするか?

海水の塩分濃度は、およそ3.4%だが、その塩分(3.4%)の中でNaClは78%ほど。きっちり全78%を塩にすることは出来ないので、大ざっぱに75%とすると、

約0.7億トン ÷ 3.4% ÷ 75% = 約27.5億トン

「約27.5億トン」の海水が必要、となる。
ところで、先のエントリで書いたとおり、「Newton」別冊にある海水の量は、

1,348,850,000立方キロメートル

となっていて、重さではなく体積になってる。ややこしくなってきたが、ここで諦めずに、「約27.5億トン」の海水を体積にしてみようと思う。海水の比重はおよそ水の1.024倍として、「約27.5億トン」の海水を体積(立方キロメートル)に換算する。

約27.5億トンの海水 ÷ 1.024 = 約26.9億トン分の水の体積

ということになり、「約26.9億トン分の水の体積」を「立方キロメートル」に直す。「1トンの水=1立方メートル」として、「1立方キロメートル=1,000,000,000トン(=10億トン)」。したがって、「約26.9億トン分の水の体積」は、「約2.69立方キロメートル」となる。

で、やっとこさ、地球の全海水量の中で、一年間で海水塩を作るために消費する海水の割合が出る。

2.69立方キロメートル ÷ 1,348,850,000立方キロメートル = 0.000001994%

このパーセンテージを大ざっぱに「およそ0.000002%」とする。そして、仮にだが、このペースで海水から塩を作り続け、地球の海水の1%を使うまでの年数はと言うと、50万年という計算になるのだが、いったい地球の海水を何%使うと、海の生態系に影響を及ぼすことになるのだろう。私には皆目見当がつかないが、切りがいいからと「1%」で50万年という例はよくない。0.001%では、500年。0.0001%では50年。このぐらいだと、感覚的に現実味が出てきはしないか。

ただ、この「0.001%では、500年。0.0001%では50年」というのは、海水を一方的に使う場合だけの数字で、雨や河川で海に戻っていく成分は考慮していない。単なる目安だ。また海水塩と岩塩・湖塩の関係も考慮してない。この続きはまた改めて。

2017年1月24日火曜日

塩資源としての海水(1)塩の生産量と海水量

先週金曜日の大寒で、「ここが寒さのピーク。こっから少しずつ暖ったかくなるんだ」なんて思っていたが、私が住む東京・昭島の今朝の最低気温は、何とマイナス4℃。幸いにも暖房器具が部屋を暖かくしてくれているとはいえ、春が待ち遠しい。

さてさて、私は海水から塩を作るという生業なのだが、去年、塩に関して、初めての質問を受けた。それも二人の別々のお客さんから、同じような質問だったのでとても印象に残った。一人は春頃に東京のラーメン店店主から。もう一人は秋頃に愛知県のスーパーマーケットの社長から。その同じような初めての質問とは以下。

「毎年、スゴイ量の塩が世界中で作られてるって言うじゃないですか。そんなに作って、海は大丈夫なんですか?」

まず、この「スゴイ量」というのは、だいたい年間、2億トンから3億トンということだ。そして、「大丈夫?」というのは、海の生態系への影響などのこと。そのときの私からの回答は、二度とも、こうだった。

「大丈夫です。なぜなら、地球上の海水は圧倒的な量だから。それに比べれば、人間が塩を作るのに使う海水なんて微々たるものです」

こう答えたものの、二度ともに回答後、何となく自分の中にはスッキリしない違和感が残った。そしてその後、ときどきそれをそれを思い起こしては思いにふけった。こんなこと世間では話題にもならないだろうなと思いつつも、もや〜っとしたその違和感に光を当ててみたくなった。

実はこの回答をした際、思い出していた資料があった。それは「Newton」という科学誌の別冊の中にあったもので、その別冊のタイトルは以下。(冒頭の写真)。

●なぜ、「水と生命」に恵まれたのか? 「地球」 宇宙に浮かぶ奇跡の惑星
●奇跡の惑星 地球の科学 誕生と歴史、構造と環境

(蛇足ながら、2冊とも同じような内容なので、ご興味おありの方は、どちらか1冊持っていればいいと思います)

この2冊には共通して、「地球の海は圧倒的なまでの水量をもつ」という見出しの、地球の海水のについての章がある。そして、「地球の海水の量は、1,348,850,000立方キロメートル」で、「常に大量に蒸発し続けているが、同時に雨や河川から水が供給されているので、海面が下がることはない」とある。

この「圧倒的な水量」という言葉とイメージは、私の記憶に染みつき、先のような回答に繋がった。しかし、それではその質問に答え切れていない感覚が残ったのだった。

それは何だろう?

まずは「圧倒的な水量」の海水から、世界中の製塩所で塩が作られ続け、雨や河川から水分が海に供給される風景を想像した。

「海水塩を作るために消費する海水」の成分。そして、「雨や河川から海に供給される水」の成分。理論的には、これらがイコールならば、確かに「海水の成分は変わらない」ということになる。しかし、イコールだろうか? いや、イコールではないハズだ。雨や河川の成分は、主に人間の生活スタイルの変化とともにどんどん変化しているハズだからだ。(詳しくは次のエントリ以降に) 無論「圧倒的な水量」の海水は、人間の一生分ぐらいではほとんど変わらないだろう。しかし、これが何千年、何万年と続いたら、人間よりずっと敏感な(プランクトンはじめ)海の生物に影響が及ぶことはなかろうか。及ぶとすれば、それは生態系への影響となる。

先のNewton別冊の記述は、あくまで「水分量」についてで、「海水の水位は変わらない」ということであり、その水分に含まれた「成分」については一言も言及していない。確かに、「圧倒的な水量」の海水にとって、人間が塩の生産のために使う海水は微量かも知れない。しかし、これが循環ではなく、不可逆の一方通行の変化となれば、「塵も積もれば・・・・」である。

私は、海水から塩を作っている生産現場へ、年に1〜2度行く。目の前に大きく広がる海があり、その海から海水を引き入れて塩を作っている。そこは世界の中では、とても小規模な生産地ながら、感覚として、それで海水の成分が変わるなどとはとても想像出来ない。しかし、先述のとおり、遠い将来となると、変わり得るのではないか。先の回答をした後に私が感じた違和感は、それだったように思った。

次のエントリでは、もう少し踏み込んで書いてみようと思う。