10月23日のこと。このブログでも書いた、神亀の故小川原良征専務の偲ぶ会会場へ向かう道すがら、冒頭の看板が目に留まった。「分別の徹底」。
この写真の右後ろに見える茶色の建物が、偲ぶ会会場のリーガロイヤルホテル東京(早稲田)。だから、ほとんどその隣にある都バスの営業所のような広いところがあって、その片隅にゴミ収集所があった。そこの看板である。だからこれは「ふんべつ」ではなく、「ぶんべつ」だ。
偲ぶ会の会場に向かっていたので、私は故専務のことを思いながら歩いていたのだけど、その最中にこの看板が目に留まったものだから、まるで故専務に「分別(ふんべつ)の徹底」と言われているような気がした。つまり、私の「分別が徹底」がされていないと。
ネットの「goo国語辞書」で「分別(ふんべつ)」を見ると、
1.道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。
2.仏語。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。
とある。
「物事の善悪」はいいとして、「損得などをよく考えること」も分別なのか。目先の損得ではなく、「道理をよくわきまる」ことによって結局の「損得など」をよく考えること、と思いたいものだ。
それにしても、専務、厳しいなー。
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