もうすっかり春になった東京。この3年ぐらい、毎年この時期に、仲間とともに醤油の仕込みをしている。去年まで、麹(大豆+小麦)は、麹屋さんに頼んでいたのだけど、事情があって、今年から自分たちで(醤油仕込みだけでなく)麹作りも試みた。上の写真は、早朝に完成した、醤油麹。北向きの窓からの柔らかな光に包まれていた。
この日本独特の調味料の作り方を知っている人は少ないと思うので、ざっと以下に。
0.小麦と大豆を栽培・収穫し、丸大豆と麦粒の状態にする。
1.小麦を煎る。
2.煎った小麦を粗く砕く。
3.浸水後、大豆を蒸す。
4.2の小麦と3の人肌に冷めた大豆に、種麹を振って、醤油麹を作る。
-------------------------------------------------------
5.醤油麹と塩水を合わせ、浸ける。(初期のモロミ完成)
6.(一般的には冷暗所だが)私たちは、陽当たりのよいところの温室に置く。
7.適宜、攪拌する。
8.夏を越えて熟成した(発酵した)モロミに適量のお湯を加え緩くして搾る。
9.搾った醤油を加熱して(火入れ)、発酵を止める。(完全には止まらないが)
10.静置して、澱が沈むのを待って、ビンなどに詰める。
下記のエントリで、「手造り醤油は簡単」と書いた。
●手造り醤油(2014年4月25日)
それは、上記の工程で、5番以降のことだ。0番の大豆と麦は別グループの仲間から分けて頂き、1番から4番以前の麹作りは、麹屋さんに頼んでいた。そして、8番の搾りは、搾り師の方に頼んでいた。その場合、麹と塩水を混ぜた後の残りは、7番の攪拌ということになる。その攪拌も、モロミをあえて陽に当てる方法では、従来ほど大変ではないのは、その上記エントリでも書いた。その「手造り醤油」は、確かに、思っていたより簡単だった。
しかし、神様はいろんな変化を起こしてくれる。
これでも十分に「手造り醤油」だと思うのだが、去年は偶然にも、醤油仕込み仲間のリーダーが、近隣の蔵の整理を手伝っていたら、何と醤油の搾り器(通称「船」)を見つけてもらってきた。もー、ビックリ。若干修理する箇所はあったものの、ジャッキとネットで酒用の搾り袋を見つけて、自前で搾れるようになった。それが去年のこのエントリ。
●自前の船で、醤油搾り(2016年5月9日)
そして、ついに今年。1番から4番工程の麹作りも試みることとなり、一週間ほど前に完成し、モロミを仕込んだ。これにも、そうなった(またはそうせざるを得なかった)理由があった。それは、醤油用麹の入手だった。
味噌を自宅で仕込む人は多いので、冬場になると、麹屋さんが米麹を販売している。たとえ近所に麹屋さんがなくても、通販で乾燥麹・塩切り麹もあるし、何とかなる。しかし、自宅で醤油を仕込む人は少ないので、醤油用の麹(大豆+小麦)は、米麹のように一般人向けの少量では売られていない。つまり、醤油の場合、麹の選択肢は、2つということになる。大量に麹屋さんから買うか(200kg以上など、詳細は不確か)、自分で作るかだ。じゃあ、自分で作ればいいかと言うと、そう簡単ではない。
味噌用の麹の多くは米麹だから、種菌を入手して自前で米麹を作っている人は少なからずいる。しかし、醤油麹の場合は、大豆と小麦になるが、その小麦は焙煎して砕いた小麦だ。大豆は蒸すだけだから、概ね米麹の米と似ているが、小麦の焙煎と粉砕は、数キロ以下など少量ならなんとかなるが、何十キロ以上となると、ホウロクまたは中華鍋で煎って、すり鉢で砕くという訳にはいかない。
冒頭に「事情があって」今年は麹作りも試みた、と書いた。それは、去年までは麹屋さんから一緒に買っていた別グループの仲間が、今年から自分たちで麹を仕込むようになったことだ。それにより、自分たちの分量だけでは大量ではなくなってしまい、買えなくなってしまった。従って、自分たちで麹を仕込まなくてはならなくなった。その別グループの仲間は、私たちの麹作りに大いに協力してくれた。私たちはまるで、その別グループの仲間に引っ張られるように、麹作りに踏み込んだ。
その別グループの仲間とは、松田のマヨネーズの松田さん。松田さんの自給自足ぶりは、語り出すとキリがない。冒頭の工程0番の、固定種の大豆・小麦は松田さんの畑で栽培されたもの。味噌は当たり前で、醤油もということで、年々、自給自足度は増して、昨年からは、標高千メートルの広大な元牧場地に畑の準備が始まっており、動力も賄えるオフグリッドのソーラーシステムと薪ボイラーなどのエネルギーで暮らし始めている。馬まで飼っているし・・・・、ということで、キリがない。
さて、こうした成り行きがあって、今年の醤油仕込みは麹も作ることになったのだが、ここまで来ると、安易に「手造り醤油は簡単」とは言えない領域に入った。次のエントリでは、松田師匠の協力を得ながら行ったその麹作りを、1番の小麦の焙煎から紹介しようと思う。いや、「松田師匠の協力を得ながら」ではなかった。松田師匠の手伝いがてらに参加した模様を紹介するということだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿