何ヶ月か前、新聞のコラムで、「創」という漢字の意味に触れていた。「創」は、(創造など)「つくる」という意味と同時に、「きず(傷)」という意味があるという。そして、詩人・吉野弘さんの著書『詩のすすめ』からの下記のように引用していた。
「創造らしい創造をする精神は、そのいとなみに先立って、何等かのきずを負っているのではないか。きずを自らの手で癒そうとすることが創造につながるのではないか」
その好例が、傷口から初々しい根が生えてくる挿し木であり、きずが創造につながることを示す姿ではないかと、吉野さんは書いている。
「創造」なんていうと、「何もないところから何かをつくり出す」ようで、何となくカッコイイ。でも、「何もないところから何かをつくり出す」なんてことがあるのだろうか。きっとそれは、その「きず」に気づいていないだけなんじゃなかろうか、と私は思うようになった。(いちいちそれに気づく必要もないのだろうが)
私たちがしばしばお世話になる「絆創膏」。その意味は、以下の3つの文字の意味が重なって出来たという。
絆・・・きずな(つなぐ)
創・・・きず(傷)
膏・・・油、薬など
つまり、「傷をつなぐ薬」。
詩人・吉野弘さんは、その著書の中で、「創」について、冷静にやんわりと書いているが、私はそれを読んで、その続きを想ってしまった。
「創」は、その「きず」を癒すという必要があって創られるもの。
きっと、「きず」のないところに「創」はないのではないか、と。
身体の傷も心の傷も、負った傷が深ければ深いほど、つなぐのが難しくなる。そのためにつくることも大変になる。「創」という文字のふたつの意味を知って、「つくる」ことに人間の悲哀のようなものを感じるようになった。そして私が負っている心の傷も癒されるような気がした。
「創」というひとつの文字にふたつの意味を持たせてつくった中国の先人に敬意を表したい。その人は、一体どんな「きず」を負って、「創」という文字をつくったのだろうか。
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