2019年10月29日火曜日

映画「ジョーカー」を、15歳の娘と観に行った

1〜2週間前に、新聞のコラムで、この映画のことが書かれていたのを読んで、観てみたいなと思った。そしたら、先週末の朝、中3の娘が、「私、ジョーカーって映画、観てみたい〜」と言い出したので、ちょっと驚いた。

「重い内容の映画で、暴力シーンも結構あると思うよ。決して楽しい映画じゃないけど、それでも観てみたい?」

「だって、今、話題の映画なんだもん。観てみたーい」

「今話題の映画だから」という理由は、理由になるのだろうかと思いつつも、その日の午後、二人で観に行った。ちなみにR15指定。彼女はちょうど15歳。

で、映画を見終わって、彼女に感想をきいてみた。

「こういうことって、世の中にあるんだなーって思った。日本は平和だね」

この映画をまだ観てない人に、ここで私がとやかく言うのは野暮ながら、私の感想は、あまり肯定的ではない。主人公アーサー自身が殺人を犯すようになっていく描写はされてるものの、多数の暴徒になった人たちの「暴徒になった」理由の描写がほとんどない。何となく金持ち層に対しての不満を持っているぐらいか。

今の時代背景として、ポピュリズム、アラブの春のようなことがある中なので、大衆の力・多数の暴徒の描写は特に描かなくても、何となく「今の時代、こういうことってあるでしょ」と、制作側が観る側に前提として委ねているような気がして、そこが乱暴というか無責任に感じた。どんな暴動にも、個々の理由が必ずあると私は思っているから、そこを描かないで、直接「暴徒と化した大衆」に繋げるのには抵抗を感じてしまう。それは特別な理由はなくても「暴動はアリ」と、暗に表現しているようにも思えてしまうのは、私の偏見か。

私の感想は別にして、全体的にこの映画では、「大衆が(特に若者が)不満を募らせると、暴動が起こりうるものだ」というメッセージはある。そして、主役の男優(テニスのロジャー・フェデラーにそっくり)の演技はよかった。

そして、この映画は、映画「バットマン」の敵役のジョーカーが生まれた経緯を示すものらしいので、主人公アーサーは、最後は「ジョーカー」と呼ばれるようになり、生き延びる。ラストシーンは、その生き延びる様子を、少しコミカルに描いてもいる。

さて、話を日本の中学生に戻す。

どうも、この映画、うちの娘という狭い話ではなく、「観てみたい」という、日本の中学生(たぶん高校生も)が少なくないらしい。その理由は、おそらくうちの娘のように「今話題の映画だから」という、内容とは関係ないところなんだと思うのだが。(それにしても、この映画を見終わった今でも、十代の人たちの間で、なぜ「今話題の映画」なのか、私には分からない)

逆に、内容として、「観てみたい」となったとすると、ちょっと怖い。私を含む多くの大人がそうだったように、若い頃、特に十代は、エネルギーが満ち満ちていても、そのやり場がないということがよくあるものだ。少ない人数でも、そのエネルギーのやり場として、「ジョーカー」の「暴動はアリ」と繋がったら・・・・。これもオッサンの私の考え過ぎと思いたい。