2010年2月22日月曜日

スルメに魚醤


スルメを食べるとき、どんな味付けで食べますか?

醤油に七味唐辛子、それにマヨネーズなんてのもありますね。私は必ずと言っていいほど、魚醤に一味か七味。ときどき気分でプラス、レモン汁。写真のスルメにはヌクマム(ベトナムの魚醤)がかかってて、日本の黒七味(唐辛子が少し焙煎されている)をチョンチョンして食べるところだ。この場合の魚醤は、魚系がいい。イカの魚醤もあるが、イカにイカよりも、イカに魚の方が味に立体感を感じる。それにピリリと程よい唐辛子の刺激、たまにレモン汁でよりサッパリとする。

ベトナムにもスルメがある。事実この写真のスルメもベトナム土産の剣先イカのスルメだ。日本ではスルメと言えば主にスルメイカ。それにちょっと高級な剣先イカ、地方によっては他にもあるかも知れない。ベトナムでのスルメは数種類のイカは当たり前だ。市場なんかに行くと、5〜6種類あったりする。大きさも大中小いろいろ。

ところで、10年以上前のこと。サイゴンの道ばたで、スルメ屋の屋台でスルメを食べたことがある。屋台と行ってもリヤカーではなく、天秤棒の屋台だ。七輪を天秤棒の片側に、スルメになったイカや小さな腰掛けなどをもう片側にのせて、お店を開く場所まで運んでくる。折りたたみの板状のネットを開いて、そこに商品のスルメ各種をディスプレイし、低い腰掛けに座って目の前の七輪でスルメを炙ってくれる。

私はそこいらへんでビールを買ってきて、スルメを注文し、邪魔にならないようにスルメ屋の横に座る。炙りたてのスルメをくちゃくちゃ食べながら、道行く人たちをながめたり・・・・。とそのとき、突然、若いおにいさんが血相変えて走ってきて、そのスルメ屋さんのおばちゃんに何か一言言い捨て、隣の屋台へ走っていった。その一言を聞いた瞬間、そのおばちゃんは、お店はそのままに、身一つで逃げるように人混みに走っていった。「あれ、あれれっ」っと片手にビール、片手にスルメを持った私は、ひとり取り残された。と、その1〜2分後、隣の、やはり店主がいない屋台の商品が公安警察の制服を着た男に蹴飛ばされていた。このスルメ屋に次に来ることは明白だった。慌ててその場から少し離れて、様子を見ていた。スルメのディスプレイはもちろん、火のついた七輪も蹴飛ばされ、白煙が上がった。

日本で言えば、道路交通法違反、なのだろう。それにしても蹴飛ばさなくても・・・・という気持ちにはなったが、ある意味、屋台の人たちはたくましく商売をしている。この日は「運が悪かった」のだろう。それにしてもベトナムの公安警察の庶民に対する力は絶対だ。ひとつのベトナムの陰を見た思いだった。ちなみに、その1年後ぐらいに再びその現場を訪れた。違う店主だったが、スルメ屋があり、少しホッとした。

話を戻そう。

そのスルメ屋のおばちゃんは、私が指さしたスルメを軽く炙って裂き、青唐辛子のスライスが浸けてあるヌクマムをかけてくれた。それが私にとって初めてスルメを魚醤で食べた日であり、それがとてもおいしかった。それからというもの、病みつきになって、日本ではヌクマムに七味で食べている。このあいだ、上の写真のスルメを食べながら、あの日の出来事を思い出した。七輪の白煙が脳裏に焼き付いている。今もあのスルメ屋はあるのだろうか。少しだけ寂しい気分になった。

2010年2月15日月曜日

静かな焚き火


私が子供の頃は、近所のあちこちで焚き火をしていた。東京の下町での、もう40年ぐらい前の話だが。それはもちろん大人がやっていた。私は焚き火を見つけると大人に混じってその火にあたった。暖をとる目的もあったが、大人と同じ火にあたりながら、同じ火を見つめて話しなんかしていると、自分がちょっと大人になったような気分になった。それがやけに嬉しかった。でも、手伝うつもりで火をいじると「余計なことするな」と怒られたりもした。今思うと、とてもいい思い出だ。

東京の下町というのは、言葉を換えれば都会。建坪率100%の家々が立ち並ぶ町の一角で焚き火なんて、今じゃ通報とかされるんだろうか。まぁ夏場に庭でバーベキューなんてのも一種の焚き火と考えれば大丈夫なのかな。場所は限られるだろうけど・・・・。

それにしても、焚き火って楽しいと思いませんか? 風や薪の燃え具合で、つまり温度によって炎の色や形大きさが変わる。炎は常に動き、決して元の形にはならず、しかも規則正しい。世界最古の宗教は拝火教、と聞いたことがあるが、それも頷ける。火は自然で間違えないのだ。私は大人になってしまったが、今では炎を見つめているだけで不思議と心が落ち着く。そして何とも言えぬ静寂感に包まれる。・・・・と言っても、決して放火魔ではないので、誤解しないでくださいね。

だから、住まいを決めるとき、私にとって「焚き火が出来るか否か」というのはとても重要だ。写真の焚き火は今の家の庭。おき火もたまり、この後芋を焼いた。ここは借家なので、いつまでここにいられるか分からないが、将来も「焚き火の出来る家」に住みたい。昔、古いアパートに住んでいたときも、焚き火の出来るアパートだった。この借家もそうだが、昔の家は狭かったが、建物の周りには「余計な」土地があったのだ。そこで焚き火が出来た。マンションの類を含め、今の建物には「余計な土地」がない。だから町からどんどん焚き火がなくなっていく。「垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ、焚き火だ落ち葉焚き・・・・」は、今の東京では夢のような世界に映る。

寒空の下でも室内にはない暖かさがあり、見ていて心が落ち着く。さらに芋類を焼いたりも出来る。意外とおいしい里芋。塩で頂く。またみかんやマシュマロは子供たちの大好物だ。バーベキューという程ではない、この素朴さ静かさがたまらない。

東京はもう梅が咲き始めた。でもまだまだ寒いから、ついついこもりがち。そんなときでも、ちょっと庭先に出て焚き火。今では、子供たちが火をいじると、「余計なことするな」とか言ったりしている。