2010年11月26日金曜日

丁寧に少しずつのイタリア

まーず、イタリアは古い建物が多い。国を挙げて古い建物を残している。添乗員の方の話だと、古い建物を残すのは、代わりに新しい建物を建てるのと比べ、およそ3倍の費用がかかるとのこと。

ただ、そうした町でも、もちろん全てが古い訳じゃ〜ない。上の写真は、バジリカータ州にあるカステルメッザーノという町のバール(Bar)の店内。バールとは、カフェ兼タバコ屋さんのような店。プラスチック樹脂のグリーンのレジがかわいかった。こんなキラキラした店内だけど、建物自体は数百年前のものだ。

そして、この店を一歩出ると、右の写真のような町並み。分かるかな〜、どの家の屋根にも煙突があるの。軒下には、樫や楢みたいないい薪がたっぷり積んであった。これからの季節、ここは雪景色になる。

2つ前のエントリ、「南イタリアのゴミ箱と中空都市」で、イタリアの古い町はみんな山や丘の上にあることを書いた。このカステルメッザーノも山の上。だから、伏流水が集まるような水源はない。しかし、右下の写真のように昔っから使われている雰囲気の水場がある。

何年か前のこと。NHKのテレビ番組で、イタリアの古い町の水道設備のことが取材されていた。それはイタリア中部の古い町だった気がするが、その山の上の町に水を引くため、数十キロだか何百キロも離れた、その町より少し標高が高いところにある山の水源から延々と地下に石造りの水路を作って、山の上の町に水を引いていた。「南イタリアのゴミ箱と中空都市」でも書いたが、山の上に町を作る理由は、防御とペストなどからの感染予防という。そのためとは言え、山の上に町を作りたがったのは、「執念」以外の何ものでもない。このカステルメッザーノの水道がどういうシステムになっているかは不明だけど、今でも使われているそうした古い水場がイタリアには少なくない。

もちろんイタリアの建物はみな石造りだから耐用年数が長い。それにしても、薪の生活なども含め、このカステルメッザーノでは古い慣習を残しながら、新しいものを少しずつ加えていってる雰囲気がある。そしてその少しずつさは、小ぎれいに商品が陳列されたバールのように、「丁寧さ」を伴っているように映る。そこには決して無闇に新しいものに変えない、凝縮された時間さえ感じる。


そして、上の写真。何の変哲もない扉のドアノブ。これは、トリヴィーニョのアグリツーリズモ、La Foresteria di San Leoのもの。全館古ーい石造りの中、ちゃんと周りの雰囲気に馴染んでいて、カッコいい。こういう場合、得てして、石造りと同系の色や材質を使いそうだが、機能的にしてかつきれいな赤色が使われている。この材質・色を「浮いている」とは感じず、「潔く」感じるのは、それが丁寧にデザインされたものだからだと思う。

イタリアの景気は決してよくないと言われる。そんな中、こうして少しずつ変えていくことは、雇用の創出やGDPをグッと引き上げることにはならないだろう。でも、逆に昔からの生活を「少しずつ」しか変えないことは、急に不景気のどん底にも陥らないような気がする。そしてそれを知っていてそうしているようにも感じる。

こういうことを、例えばエネルギーにあふれた若い人なんかはどう思っているのだろう。とか、新しいものより3倍かかる古い建物を残す費用は、修繕の技術を高めるだろうがそれは社会的な雇用に繋がるものなのだろうか。とか、新興住宅地に住む人たちはどう思っているのだろう。いろいろ考えてしまう。

日本は最近、「ダウンサイズな暮らし」がしばしば提唱される。私も同感だ。しかし、イタリアの田舎では、暮らしのサイズを少しずつしか変えないことで、大事なものを守っているように思える。

景気が悪い日本では、「消費を増やさないといけない」と盛んに言われる。それは「丁寧に」「少しずつ」ということとは反駁しているようにも思える。長く使えるものを、「丁寧に」「少しずつ」消費していくことは暮らしを悪くするのだろうか? 昔から「モノは大事に使いなさい」と教わってきたことは今の世の中に合わないことなのだろうか? もちろんそんなことはないはずだ。今の日本こそ、大事なものの転換期なような気がしてならない。

最後に、お許しを得て撮らせてもらった、カステルメッザーノのおばあちゃんの写真で、今回のイタリア旅行編をおしまいにします。


2010年11月25日木曜日

南イタリア、田舎の車事情

1983年の夏、私はユーレイルパスを使って2ヶ月、ヨーロッパを旅した。そのときビックリしたのは、どの大きな町にもペコペコの古い車が頑張って、それもたくさん走っていたこと。「いや〜、物持ちいいな〜」とも思ったし、何よりその風景がカッコよかった。古い話とは言え、その延長線上に今があると思うと、南イタリアの田舎なんぞに行ったらまだまだフィアットの古いのがいっぱい走ってるんだろうなー、と楽しみにしていた。

ということで、先のエントリ「ゴミ箱」に続き、今回は車です。

・・・・なんですが、その前に、ちょっとだけ椅子。写真は、日本からの直行便で着いたローマの空港の、国内線の搭乗口の椅子。この搭乗口でダラダラ待つ時間がいつも退屈ですね。そのとき撮ったもの。何と革張りなんです。もちろん、この椅子ひとつではなく、みんなです。設置して何年経ってるかは不明だけど、当然のことながら、一番こすれる箇所がすり切れてます。こんなこと設置する前から分かっちゃいるだろうに。でも、これが革製品を誇る国の意地なのか。ただただ革製品の寿命の感覚が違うだけなのか。私はイタリアの靴が好きなんだけど、長持ちしないのがやや気になっている。そのイメージが重なった。今どきの日本だったら「税金の無駄遣い」とやり玉に挙げられそうだ。でも長距離フライトで疲れた身体に、この座り心地はよかったぜ。


話の寄り道ついでに公衆電話。これは10年以上前からあると思う。この曲線が何となく、ルイジ・コラーニ風。コラーニはイタリア人じゃなかったかな。

さてさて余談はこのぐらいにして、今回、成田からローマに着いてすぐ、国内便で南部の町バーリへ飛んだ。夜11時頃、ヘトヘトで着いたホテルのロビーの真ん中に、1970年頃のベスパが展示してあった。たしかに塗装もピカピカで状態がよく展示するに値するものだったんだろうが、写真を撮る気にならない。

それ見て「あれ、やばいなー」と思った。「こいつはもう町では走ってないんだ」という、不安な気持ちの方が大きかったから。イヤな予感を引きずりながら、翌日から町を歩き出すと、案の定、古い車が全然走ってなーい。日本でもよく見る新しいフィアットやアルファロメオ、スマートなんかがいっぱい走ってる。「あれ〜、おかしいな〜」と完全に肩透かし。

ある知人の話だと、ヨーロッパはユーロ導入の頃、各国は古い車を一掃整理したという。日本で言えば、排ガス規制やエコカー減税といったところだろうか。

まぁ、それでも何とか少しは見つけたので、ルノーを含め載せます。ただ、これらの古い車は、以前のように普通に走っているのではなく、マニアの車といった感じです。古いといっても、それほど古くもないけど。



しかーし、今回新しい発見もあった。それはこのオート三輪(Monopoliという町の市場で)。新車っぽいのも走ってた。ベスパのメーカー、Piaggioが作ってるAPEというやつらしい。こいつはいっぱい走ってて嬉しくなった。イタリアの旧市街は石畳で狭く曲がりくねった道が多い。おそらく、この道を作った頃は馬車(またはロバ車)が闊歩してたんでしょうね。だからそれとちょうど同じような幅のこいつはどこの旧市街でも大活躍。もちろん小回りも効くしで、必需品の様子を呈していた。

もひとつ別のオート三輪の写真も載せちゃいましょう(オストゥーニ旧市街にて)。もーこんな道で走ってるんですから、いくらフィアットが小さい車たくさん作ってたって、こいつじゃないとダメな道がたくさんあるんです。タイのトゥクトゥク、インドのオートリクシャーなど、アジアではオート三輪は主にタクシーだけど、このイタリアのAPEは運搬車。今回乗ることは出来なかったけど、こういう車が走ってる町の風景は実にいい。無理して残しているんじゃないんです。必要だからあるのです。そこがいいでしょ。

イタリアは国を挙げて、旧市街を残してます。ということは、こいつはずぅーと必需品で、町の風景の脇役を担ってくれるようにも思えます。最後に、バジリカータ州カステルメッザーノでの写真。信号機がありますね。その道、オート三輪でさえすれ違えず、見通しが悪いからです。頑張れ、オート三輪!

2010年11月24日水曜日

南イタリアのゴミ箱と中空都市

前のエントリまでで、今回の南イタリア・ツアー旅行の本題だった「食」について主に書いてきた。で、こっからは「食」以外で、私個人的に気になったことを書いてみたい。

ということで、まずはゴミ箱。

私の幼少時代(1960年代)、日本の町のあちこちにゴミ箱があった。たしかモスグリーン色してたようなおぼろげな記憶があるが、最近はめっきり見かけなくなった。現在、公園のゴミ箱はほとんど撤去され、残されているのはコンビニの軒先ぐらいか。

でも、今回行った南イタリアには町のあちこちにゴミ箱があった。最初は懐かしさも手伝って写真を撮ったが、場所を移動していくと、いろいろなタイプがあることに気がついた。そう思ってからは気になって仕方なくなって、新しい町に着くとゴミ箱を探した。ご覧のとおり、どのゴミ箱もおおまかなサイズ・形は一緒だが、素材やデザインがそれぞれ違う。
もっと他のもあったんだけど、何せ今回はグループのツアー旅行だ。バスの車窓を眺めてて、「あー、あのゴミ箱ぉ!」とバスを停めることはできない。そんな状況の下、一週間足らずの間にこれだけあったのだから、イタリア全土では相当の数あることが想像できる。

さて、お気づきと思うが、全て宙に浮いている。昔、日本にあったのもそうでした。宙に浮いてる分だけ、場所を取る割には容量が小さいんだけど、その浮いたところがそれなりの「清潔感」を醸し出しているような気がしてならない。

そこで私が連想するのは、イタリアの古い町だ。イタリアは昔、都市国家だったから、防御も基本的には自分たちの町で行った。そのため、イタリアの古い町はほとんど山や丘の上に作られている。石造りだから石を運ぶ手間、また水のことを考えると決して簡単なことではない。日本風に言えば、山城タイプか。日本では京都など防御のためわざわざ盆地に作られた町も多いが、イタリアの古い町は逆の発想で、山や丘の上、中空に作られている。今回訪れた有名どころの町ではオストゥーニも丘の上。そして右の写真は、トリヴィーニョのアグリツーリズモ、La Foresteria di San Leoから見えた山の上の町。手前は畑で、遠くの山の上に町があるのが分かるかな? そこには行ってないけど、調べてみると、カンポマッジョーレ(Campomaggiore)という町。おそらく数百人ぐらいの町だ。大小に関わらず、こういうのがイタリア全土に点在する。

それで、です。この山の上に町を作る慣習は防御のためだけではないらしいのだ。ペストが流行した際、感染を恐れたこともその理由にあるとのこと。当時は、医学的な原因は分かってなかっただろうから、「感覚的に」山の上に住んだ方が感染しないだろうと考えたんだと思う。山の上だと孤立している感があり、何となく分かる気がする。蟻返しのついたテーブルのようと言ったらいいのかな。

話をゴミ箱に戻そう。

宙に浮いてるゴミ箱と山の上に作られた町。この両者、私には長らくここに暮らす人たちの共通した「清潔感」によるもののように感じるのだ。オリーブがよく育つ湿度の低い気候の下で、風が流れ、ゴミ箱と町が清潔に保たれている。今回唯一歩いた大きな町はナポリだけだったが、そこ以外で訪れた町、村は、どこもとてもこざっぱりしていて、とても清潔に感じた。

2010年11月22日月曜日

南イタリアの美味

今回の旅行で、おいしかったものは数あれど、その中から珍しく感じたものをいくつか紹介します。逐一「おいしい」という言葉は特に使いません。

右の写真は、プーリア州の海辺の町、Polignano a Mareのレストラン、L'Osteria de Chichibioにて。この二枚貝、生です。小さな牡蠣ものってるけど、まー新鮮そのもの。朝獲れたものをランチで頂く。これが前菜のトップバッターで、このあと生イカや茹でタコまで出てきた。イカは小ぶりの丸いものだが、生のワタが特にうまし。どれも添えてあったでっかいレモンをたっぷり絞って食べる。生の二枚貝やタコなんてのも食うんだー、なんて思った。また、この次のレストランでもそうだけど、プーリア州のこのへんは、前菜に小皿料理がズラズラとサーブされるのが特徴とのこと。

右の写真は、オストゥーニのレストラン、Osteria Del Tempo Perso(「忘れ去られた時間」という意味の名前らしい)にて。モッツァレラなんだけど巾着になっていて、ナイフで切ると中に閉じ込められたミルクがタラーリと出てくる。「モッツァレラ」とは別の名前だったけど忘れた。鮮度抜群で最上級のうまさ。この後、ポルチーニがゴロゴロ入ってるパスタも食べたが、このミルク入りモッツァレラの方が記憶に残っている。ちりばめられた赤いのは、ザクロ。

さてお次は、トリヴィーニョ村郊外のアグリツーリズモ、La Foresteria di San Leoで。これはキッチンにあった、ペッペローニと呼ばれる、ピーマンの一種を乾物にしたもの。大きさ形は、万願寺とうがらしのようにやや細く長いが、全く辛くない。生では食べてないけど、この乾いたのは旨みが強い。このバジリカータ州ではこれがよく使われるらしい。で、どー使われているかというと、この次の写真。

オリーブオイルが入った小さめのフライパンを弱火で熱し、ドライのペッペローニを入れる。低温で3分ほど熱し、ペッペローニの旨みをオイルに抽出する。そのオイルを使ってパスタを料理する。揚がってパリパリになったペッペローニは右の写真のように、パスタの上にのせたりして、パリパリ食べるんだけど、これがまたオツ。

最後は、ナポリのピザ。店の名はCiroとかだったと思う。何しろナポリでも由緒あるピザのレストラン。ナポリピザ協会認定の第一号店という、添乗員の方の説明があった。トッピングもよかったが、私個人的には生地の方が記憶に残っている。最近は日本にも、「ナポリピザ」が看板の店が増えたが、そういう店では、生地がやたらと薄く、縁だけ厚くなっているのが多い。でも、ここのは、写真にもあるとおり、やや縁が厚いぐらいでやたらと薄い部分はない。また、写真のではないけど、トッピングの生のルッコラは白い花のものではなく、味の濃い黄色い花のルッコラが使われていた。

このピザの店、雰囲気もよかったので最後に店内の様子。
ごちそーさまでした。

2010年11月19日金曜日

子供の時差

今回、3歳と6歳の子供を連れてイタリアなんぞに行ってきたのですが、子供がいると町ですれ違う人も笑顔になったりでいいですねぇ〜。でも思いもかけなかったことがありました。それは、子供って時差があんまり関係ないこと。

夏時間でないイタリアと日本の時差は8時間。つまり、日本からイタリアに着いて、時間が8時間遅くなる。だから、最初は夕方になると眠くなる。1〜2日で私は慣れてくるんだけど、子供は午後2〜3時頃になると寝てしまう。眠くなると、(ところかまわず)寝ます。今回は、グループのツアー旅行だから、午後2〜3時に必ずベッドのあるところにいるとは限らない。そーなると、例えばバスの中で子供だけ寝かせてる訳にはいかないから、オンブなり抱っこなりで連れて行く訳です。ご存じですね。寝入った子供の重いこと。写真は、夕方ホテルに着いて、「ヨッコラショ」とベッドに降ろしたところです。午後は毎日これの繰り返しです。

この旅行はあくまで親が行きたくて来ているのだから、そりゃあこのぐらいしなきゃあなりません。まぁ、元気に過ごしてくれたことが何よりでしたが。今回、グループツアーでよかったのは、「ここは私がおぶるわ」と背負ってくれた方がいらっしゃったこと。感謝に堪えません。

それでー、午後2〜3時に寝入りますね。で、寝た子は当然起きる訳です。その起きる時間はというと、深夜3時とかなんですねー、これが。それで起きると、これも当然ながら腹が減ってる。真夜中なので、カミさんは日本から持参したレトルトのお粥とか食べさせてました。大変です。私はというと、寝てました。子供たちは、だいたいエンタテイメント系(遊ぶ)は私父親で、食べたり寝たりの基本事は母親に頼る傾向があるんです。だから順序としてカミさんが先になります。

こういう繰り返しが何日か続いたので、よくよく考えてみたんですが、それは日本時間なんです。時差8時間だから、つまりは日本の夜10〜11時に寝て、朝10〜11時に起きてる。だいたい2人の子供は、日本にいるとき、9〜10時に寝るんだけど、ちょっと頑張って10〜11時に寝るってこと。そして不慣れな環境でやや疲れ気味、それを全く起こさずに寝かしておくと、朝10〜11時に起きるってことです。たっぷり寝てるので、深夜〜早朝とは言え、食べた後はパワー全開状態になります。

明るいとか暗いとかは、大人が気にすることであって、子供にとっては自分の体内時計が全てみたいです。子供をみててスゴいなーと思うことはしばしばあるけど、これもスゴいよなー、と思いましたね。

おかげで日本に帰ってからも、二人に時差ボケはなく、帰国翌日、元気に保育園へ行き、1週間前と同じように遊んでたとさ。

2010年11月18日木曜日

プーリア州のオリーブ収穫


前回のエントリ冒頭に、オリーブの木が延々と続くプーリア州の風景写真があるが、左の写真は、その風景の続きである、オストゥーニ郊外にあるアグリツーリズモ、Masseria Salinolaのオリーブの木。この木は、畑ではなく宿泊施設などがある塀で囲まれた敷地内の庭にあったもの。つまり庭木なんだけど、入り口の門を入って母屋への途中に、不動明王のように鎮座されている。これが樹齢1000年という。「どーやって1000年というのが分かるの?」という疑問はさて置き、存在感は圧巻だ。下の部分が割れてるが、数百年以上になると、スッーと一本になってる木はほとんどなかった。そして、このMasseria Salinolaの敷地から畑に移動し、「オリーブの収穫体験」をさせてもらった。

収穫体験させてもらったオリーブの実が右の写真。最初に収穫する木の下にネットを敷いて、たわわになっている実の黒くなっているものだけを落とす。高いところの実は、熊手のようなもので掻き落とす。こんなに間近に木になってる本場のオリーブの実なんて初めてだったから、黒い実を口に入れてみた。農場の人は、「マズいよ−」と苦い顔して注意してくれたけど、こんな経験そうは出来ない。思ったより水分が多かったのが印象的。皮がブドウのように口の中でプチッとはじけた。今度は手で実の皮を破いてみたら、そのジュースがピュッと飛んでシャツに飛び散ったぐらいだ。味は、もちろんオイリーな感じはあったけど、渋く、苦く、エグく、酸味もあり、後味で舌がしびれる感じ。アドバイスどおり、ペッとはき出す。

そしてこれが収穫した実。少しは緑色のもあるけど、だいたい黒いのが多いでしょ。私たちはお遊びの収穫なので手詰みとなるが、ほとんどは、機械で幹を揺すったり、自然に落ちたりしたものが収穫される。手詰みの方が、ちょうど熟れ時の実が多くなるから、ワンランク上のオイルになるらしい。まぁ、どんな方法にせよ、収穫した実は、近くの圧搾工場に運ばれて絞られる。私は、水分が多いことが気になったので、その点を質問したら、「絞った汁を2週間置いとくと、オイルと汁に分離する」とのこと。そのオイル部分が、オリーブオイルとなるらしい。だから、私たちの収穫した実がオイルになるのは2週間以上先の話になる。

そんでもって、今度はこの農園で作られたオリーブオイルを試食した。ん〜、実よりもずいぶんやさしく旨みがあるが、後味の刺激感は同じようなものがあった。私が東京で買うイタリア産のオリーブオイルにはこういう刺激感は少ない。何が違うのだろうか。よくオリーブオイルの宣伝文句に、「酸度が低い」というのがある。ここのオリーブオイルも、添乗員の方が「酸度が低いオリーブオイルです」と説明していた。この後味の刺激感は酸度とは関係ないのか。それともフレッシュさから由来するものであろうか。これがトスカーナでなくプーリアの特徴なのだろうか。未だに分からない。

でもって、こちらが樹齢800年様。1000年様より200年ぐらい小さい(ふざけてゴメンナサイ)。今度は人が入った写真だから大きさが分かるでしょ。ここの息子さんがうちの子(3歳)を抱き上げようとしてくれている。この800年様も真ん中が割れているが、1本のオリーブです。大人でもその割れ目に入れるぐらい。うちの子は、その割れ目に入って遊んでたんですね。そこを出たところの風景です。

で、収穫体験の後は、畑の脇でここのお母さんの料理のプチ前菜パーティーです。何でプチ前菜かというと、このあと母屋のレストランで改めてランチだったから。まー何食べてもおいしい。左に赤く見えるのはブルスケッタのトマトで、もちろんワイン、右は熟成タイプのチーズなんですが、そのチーズに刺さってるツマヨウジ、分かりますか? よくある紙製のカバーに入ったツマヨウジなんだけど、紙からツマヨウジを完全に出さないで、半分だけむく感じで、紙の部分がよりになってる。その部分がツマヨウジのグリップになってるんですね。それをお見せしたくて、この写真載せました。オッシャレェ〜。是非、真似してください。

まだまだ続く、イタリア旅行のブログです。

2010年11月17日水曜日

南イタリアのアグリツーリズモ


先週一週間、イタリア南部、プーリア州とバジリカータ州に行ってきた。ブーツの形のイタリアの、カカトからクルブシの辺りだ。海沿いのプーリア州は延々とオリーブの畑が続き、内陸のバジリカータ州は、緩やかな稜線に畑と森が続く。上の写真は、プーリア州オストゥーニの町から撮ったもの。遠目に見える海はアドリア海。そこまで延々と続く木々はすべてオリーブだ。

今回の旅行は、「カンホアの塩」のサイトにもレシピを提供してもらっているカノウユミコさんが主役。「カノウユミコ先生と行くイタリアの食卓」というタイトルの総勢十数名のグループツアー旅行だった。このツアーを企画した旅行会社の方の添乗もあった。

私は、カミさんと子供2人とともに家族での参加。子連れ旅行という面はさて置き、私にとって、生まれて初めてのグループツアー旅行。通常のツアー旅行としては、ゆったりした日程だったらしいが、私にとっては駆け足だった。しかし、チャーターされたバスに乗るだけで次々といろんな場所に行け、レストランでも何も悩まずともいろんなおいしいものが食べられた。これはツアーならではです。ただその分、仲良くなるのは、ツアーグループのメンバーだけで、現地の人で仲良くなった人はひとりもいなかった。行く前から分かっちゃいたが、その点はちょっと消化不良。初めてだったからそう思うだけで、ツアー旅行とはそういうものですね。

さて、この旅行、言わずもがな「食」がテーマ。そして訪れた先には、アグリツーリズモと呼ばれるちょっと特別なところ2箇所が含まれた。アグリツーリズモという言葉は、アグリ(農)とツーリズモ(観光)が合わさった造語。農家に宿泊施設などが併設していて、農家に泊まる民宿と言ったらいいだろうか。ただ民宿とは言え、立ち寄った2箇所のアグリツーリズモはどちらもプールまであるとても立派な施設だった。このアグリツーリズモは基本的には農家だから、通常交通の便は悪く、イタリア人でもなかなか行き着けないことがあるらしい。その点、このツアー旅行では、バスに乗ってるだけで着くのだから、超楽チン。これは言っておかねばなるまい。

とりあえず、以下がその2つのアグリツーリズモ。

Masseria Salinola(プーリア州オストゥーニ郊外)

La Foresteria di San Leo(バジリカータ州トリヴィーニョ村の郊外)

アグリツーリズモはイタリアが発祥とされていて、もう100年とかの歴史がある。それがイタリアには1万を超える数があると言うから驚く。「1万って何かの間違えだろ?」と思って、帰国後ネットで調べてみたら、「シエナ県だけで4百軒近い数がある」という記述があった。シエナ県とは、トスカーナ州の10ある県のひとつに過ぎない。そしてイタリアには20の州があるから、全土で1万というのも、計算が合う。改めて驚く。

また、イタリア政府公認のアグリツーリズモには国の後押しがあるらしい。おそらく助成金が出るのだろう。ただし、政府のお墨付きになるには、「観光の収入は、農業の収入を上回ってはいけない」という決まりがあると言う。(上回るとただのリゾートホテルになっちゃうからね) 詳しいことは分からないが言えるのは、少なくともイタリア政府はこうして昔から農業振興のための政策を図っている。それは農業政策というだけでなく、文化的にもスゴイことだと思う。農業は黙々と農作物を作るイメージだけど、観光はまるっきりサービス業。それこそ畑が違う。でも、この異質な2つものの組み合わせが、大げさに言えば、新しい文化なんだと思う。

左の写真は、プーリア州オストゥーニ郊外にある、Masseria Salinolaというアグリツーリズモの主人であるお父さんとその息子。とても愛想のいい息子さんは、私たちの到着後すぐに英語で親しげに話しかけてくれた。そして、オリーブ畑への道すがら車の中で5分ぐらい話ができた。「このイタリア旅行は1週間の日程であちこちまわる。ここの後は、トリヴィーニョに行くんだ。慌ただしくて悪いね。君は1ヶ月とか休暇をとるんでしょ?」ときいたら、「何言ってんだ。オレは一年中休暇なんてないよ。今はオリーブの収穫に忙しいし、来月からは・・・、1〜2月は・・・」と一年間のスケジュールを説明し、1週間の休暇も取れずに働いているんだと真顔で言う。なんかヨーロッパの人って長いバカンスってイメージあるけど、もちろんみんながバカンスできる訳じゃない。当たり前だけどね。車を降りると、「そのへんあちこち勝手に歩いててよ」と言い残し、来客のピストン移動に忙しい。

一方、お父さんはテーブルのセッティングなど、私たちのオリーブ手詰み体験の準備をしてくれる。英語を話さないということもあろうが、終始黙々と作業をしている。この二人のコントラストが、なんかまばゆかったなー。この写真からも何となくその二人の雰囲気が伝わるように思う。そしてこの二人を見守るやさしそうなお母さんは、このとき、食事の準備の真っ最中だ。農業だけをやっている農家ではこういうことはなかろう。アグリツーリズモは、ときに家族の風通しのよさにも寄与しているように感じた。「頑張れ息子!」って感じです。

さてさて、このツアー旅行は「食」がテーマでした。
おいしいものいっぱい食べ過ぎて、何を書いていいやら・・・・・
それはこの次トライしまーす。

2010年11月4日木曜日

白抜きタンメン 【その2】

前回のエントリ、「白抜きタンメン 【その1】」の続きです。

まぁ、そういうことで、「白抜きタンメン 【その1】」にある写真の「白抜きタンメン」に至るまでには私なりの「道のり」がありました。初訪の際は、普通に「タンメン」と注文するだけ。でも、ポーズで新聞なんか読みながらも、五感を研ぎ澄ませ、タンメンの味はもちろん、店の様子や店の人の雰囲気なんかをよーくうかがうのです。(←ここんとこがとっても大事) そして「この店はもし説明の段になっても聞いてくれるかも知れない」と感じたので、その後もお客さんの少なそうな時間を狙って足を運びました。そのうち、だんだんお店の人とも親しくなっていき、ついに「お客は私ひとり」状態のときがやってきた!

「あの〜、白抜きって分かりますか?」
「ん〜、何それ? 知らねぇーなー」
「昔の隠語なんですけど、・・・・・・ということなんです」

そしたら、「本当に大丈夫なんですか?」と最初は言ってたけど、結局は「今度から、そう言ってくれればそうしますよ」と言ってもらえた。・・・・と、その話がついた瞬間に、新しいお客さんが入ってきたことを今でも覚えています。そんな末に、写真の白抜きタンメンは存在するのです。ハァー。

当初は、お店の人からも、「そんなのおいしいの?」と疑われたけど、最近は、「これはこれで結構いけるよね」とまで言ってもらえるようになりました。私は、他のラーメン屋さんなんかでも何度か「白抜き」での注文を試みたことがあります。通りすがりの店では決してしません。もっぱら仕事場や自宅の近所です。こんな冷や汗かきながらのことを、一度しか行かない店で試みるのはバカらしいですから。それでその反応はというと、お店によって様々です。もちろんイヤな顔をする人もいます。「この店で出してるラーメンがイヤなら来るな」とは言わないまでも、その意見は筋が通ってるので、反論の余地もありませんから。

まぁ、これは食い物に対する私の異常なまでの執念かとも思えるので、あまり安易に人には勧められませんが、他のお客さんにバレないように、この言葉が広く浸透することを心から祈るばかりです。

そしてもう一つ。「白抜きタンメン」の注意点として言っておきたいことがあります。

通常の白入りタンメンと比べ、白抜きタンメンは加える塩の量が少なくなります。つまり、化学調味料というヤツは、塩気を抑える働きがあるんです。私の感覚では、化学調味料の強烈なうまみが、舌の味覚をやや麻痺させつつ舌を覆う感じがあるのです。だから、ある一定量以上の化学調味料の入ったラーメンなど食べた後は、食べ終わってしばらくたっても必ず舌の上にその味が残ります。まぁ、その感覚が好きじゃないので、私は「白抜き」ってお願いするんです。

それでー、塩の量が少なくなるってことはです。普段白入りタンメンを作るのに慣れてる料理人さんは、白抜きにするとついつい多めの塩になりがちなのです。だから、快くわがままな「白抜き」を受け入れてくれた際は、「薄塩で」と軽く言葉を添えると、ちょうどいい塩加減のタンメンにありつけることが多いです。ご参考まで。

それから、やや手前味噌ですが、「カンホアの塩」のサイトで紹介している「カノウユミコ・塩料理レシピ集」では、「白菜の精進塩ラーメン」という、ベジのタンメンのレシピもあります。ガラスープなど動物性の食材を全く使ってないタンメンだけど、先入観なしに食べてみると、やっぱりタンメンは野菜から染み出た味がおいしいんだと再認識できます。是非お試しを。

最後に、1冊、本の紹介です。
関東地方限定ではありますが、「無化調ラーメンMAP(幹書房)」という本も出版されてます。(2008年8月の発行)「化学調味料はちょっと入っている方がおいしい」という人もいます。でも、無化調ラーメン、とっても応援したい私です。

2010年11月2日火曜日

白抜きタンメン 【その1】


「白(シロ)抜き」・・・・分かりますか?

ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、30年以上前には通じたの中華料理屋さん及びラーメン屋さんでの隠語です。私は東京育ちなので、もしかすると東京地方限定だったかも知れません。「白」は化学調味料を意味します。その色が真っ白なので、そのまま「白(シロ)」。だから「白抜き」で「化学調味料抜き」となります。

上の写真のタンメンは「白抜き」で注文したもの(写真で分かる訳ねぇ〜よ〜)。まぁ最近は、「無化調(化学調味料ナシ)」という言葉がだいぶ一般化してきてるけど、昔は、「白抜き」って言うとだいたい通じたものなんです。「無化調」という言葉が生まれるずっと前にも、化学調味料が苦手な人が少なからずいた、とも言えます。

それで「白抜きタンメン」ですが、「白抜き」が「タンメン」というところにも実は意味があります。例えば、醤油味のラーメンに「白抜き」は御法度です。通常、醤油味のラーメンのスープは、あらかじめ仕込んである醤油味の濃いタレを、注文を受けてから熱いガラスープなどで割ります。そのタレはあらかじめ化学調味料も加えて仕込んであるため、「白抜き」は無理なのです。味噌ラーメンも同様なことが多いです。

しかし、通常タンメンは、注文があってから、野菜を軽く炒め、ガラスープなどを加えた後、少し煮ながら、(化学調味料も含めた)塩味の味つけをします。その味つけの工程で化学調味料を加えなければいいのですから、タンメンは通常、「白抜き」可能な場合が多いのです。もちろん、タンメンのスープのタレもあらかじめ仕込んでいるような店ではダメだけど、そもそもタンメンのおいしさは、その少し煮ている間にスープに染み渡る野菜の味。野菜のシャキシャキ感を残しつつ野菜の味をスープに染み渡らせる。そしてその味を活かすため、味つけはシンプルに塩。このへんがタンメンの妙なので、タンメンのスープのタレは前もって仕込まれないのが普通です。

とは言え、現実的に、初めて入る店で、「白抜き」とはなかなか言えないもの。また言っても最近は通じないことが多いし。「白抜き」と言葉を発して通じなかった場合、店の人に説明しなくてはいけません。それが礼儀でしょう。ただ特に他のお客さんの聞こえるところでその説明はしにくい。最近はかなり少なくなってきたと思うけど、ほとんどの中華料理屋、ラーメン屋さんでは化学調味料が使われていることを知らない人がいるからです。もしそういう人が聞こえるところでその説明をするということは、「この店では化学調味料を使っているんですよ」と、知らない人にわざわざ説明することになるからね。それはお店にとって愉快なことではないだろうと思う。

ちょっと話が長くなってきそうなので、きょうはここまで。写真の白抜きタンメンは、当初この店の人は「白抜き」を知らなかったけど、なんとかお願いできるようになってのものです。次のエントリでは、そのへん詳しくレポートしまーす。