2010年9月8日水曜日

在来種の蕎麦


カノウユミコさんのお米に関する記事が載ってるというので、「自遊人」の9月号を先日手に取った。「個性的な複数のお米を混ぜて、ブレンド米を楽しもう」という内容で、「なーるほど」なんて思っていたら、その号のメインの特集記事に目が留まった。タイトルは、

「絶滅寸前。在来種の蕎麦」

野菜が品種改良されているように蕎麦も改良されているという。日本の蕎麦は、昭和20年ぐらいを境に、「在来種」から「改良品種」へと変わっていったらしい。そうした改良の理由は、(味ではなく)栽培のしやすさや収穫量のため。それ以前は、日本各地に、その土地ごとに育てられてきた「在来種」があったという。伝統食文化研究家・片山虎之助氏の記事である。

蕎麦なんてものは、中央アジアの方から伝来したものだろう、と漠然と思っていた私は、そもそも日本の蕎麦にそんな数十も種類がある(またはあった)とは思っていなかった。でも、現存の「在来種」と呼ばれる蕎麦の品種が、この特集で紹介されているだけで、18種類もある。

(改良品種に比べ)栽培しにくく、収穫量も少ない「在来種」を丁寧に育て、そしてその実をきちんと製粉し、達人が打った蕎麦は「驚愕の味」とこの特集では謳っている。興味を持たれた方は、「自遊人」9月号を読んでくださーい。まだ書店にあるかな〜。

http://www.jiyujin.co.jp/magazine/jiyujin1009.php

いろいろな理屈はある。そしてそうした理屈を知っておくことは、後々融通も利くから大事だと思う。でも、何しろ食べてみなきゃ。「在来種」とやらを。・・・・ということで、この特集で紹介している「在来種」の蕎麦が食べられるお店のひとつに、早速行ってみた。場所は青梅市(東京都)、「榎戸」というお店だ。

まず最初に断りごとから。この特集で、「榎戸」は、「奈川在来」という在来種の蕎麦を使っているということで紹介されている。でも、「榎戸」の品書きを見ると、「そのときそのときのいい蕎麦を選んで使っている」というような意味のことが書いてある。だから、この日、私が食した蕎麦は本当に在来種の蕎麦かどうかは確認していない。その点、悪しからず。確実なのは、注文のときにでも、「この蕎麦は奈川在来なのですか?」などと質問することだろうが、初めて入った店で、その質問は甚だ図々しい気がした。

さて、蕎麦は二八と十割があったので、各1枚ずつ注文。まずは二八(下の写真)。カメラが古い携帯なので写りが悪い。ゴメンナサイ。


ん〜、旨い。やや太めで、しっかり目のコシ。鼻の奥で感じる香りと、舌の上に広がる甘み・旨みが「えっ」と意外なくらいに感じる。それは柔らかいながらも迫力がある。例えば芋焼酎のお湯割りで感じるような甘み・旨みにも似ている。が、何と言うか迫力が違う。特にその後味。何か「強いもの」を感じる。それがたまらない。この特集で片山氏が「驚愕」と称しているのはおそらくこのへんだ。

昔、蕎麦屋さんに貼ってあったポスターで「蕎麦は野菜です」というのがあった。例えば蕎麦は、いわゆる「五穀」には入らない。植物学的だったか、蕎麦は穀物でなく野菜の仲間らしいのだが、それを改めて思い起こす。例えば、米も甘く旨いが、その甘さ・旨みとは違う。

蕎麦のことばかりで、つゆのことを書いてない。この蕎麦自体の「強さ」がそのまま全体の強い個性となっていて、つゆに意識があまりいかなかった。だから、つゆをつけずに蕎麦をそのまま口に入れたときにドーンと広がった甘さの印象の方がつゆの印象よりずっと大きい。

次、十割が来る。二八の最後のひと箸を集めているところだった。このジャストのタイミングが結構嬉しい。箸を運ぶのに、リズム感・ノリが出てくる。


相変わらず写りの悪い写真だが、今度は明らかに二八を上回る甘みと旨み。それがちょうど2割増しぐらいに感じなくもない十割の一口目。そして、箸が進むほどに、その味が舌に根付いていくようだった。

店を後にした帰りの車の中で水もずいぶん飲んだし、その後コーヒーも飲んだ。が、食後2〜3時間経っても、その蕎麦の味の余韻が舌の上で残っているように感じる。つまりは、2〜3時間経ってもその蕎麦がまだ口の中にあるみたいで、不思議な感覚だった。西洋音楽の通奏低音、またはインド古典音楽のタンプーラの響きのように、コンサートが終わって2〜3時間経っても、リアルに自分の感覚に残っている。

8月というのは蕎麦が一番古い時期なハズだ。新蕎麦になったら、どうなっちゃうんだろう・・・・なんて思いもした。

「在来種の蕎麦」。一軒の蕎麦屋さんに行っただけだけど、何かが決定的に違う気がする。今までも、「旨い」と思った蕎麦はある。それは「在来種の蕎麦」だったのか、そうでなかったのか? それは「改良品種の蕎麦」とどのぐらい違うのか、または違わないのか? 時間と空間を超えての比較は難しい。そして当然のことながら、蕎麦(切り)の違いは品種だけではなく、製粉方法や打ち方、その他のディテールでも違うだろう。

私は蕎麦が好物だが、研究家ではないから、努力していろいろな蕎麦を食べてる訳じゃあない。でも、こうして機会あるたびに記憶に残る蕎麦がある。それは人との出会いのよう。この「榎戸」の蕎麦は、私の忘れられない人になった。

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