2010年9月21日火曜日
どぜう鍋
まだまだ猛暑の最中、1ヶ月ほど前の8月末、浅草へ行った。上の写真は、そのとき浅草寺の境内から撮った東京スカイツリー。あんまりデカイんでビックリした。デカイって言ったって、近くまで行った訳じゃない。浅草寺からだから、隅田川を越えてしばらく行った先。結構ある。結構あるにもかかわらず、正面中央に建ってるビルのすぐ向こう側に建ってるように見えた。いや〜、何しろデカイ。こんなデカイのが本当に必要なのかと疑りたくなるぐらいデカイです。
さて、観音様をお参りした後、知人との昼食に向かった。「駒形どぜう」。ふたりで「マル(鍋)」を2皿頼んで、ささがきゴボウも2皿、おしんこにつくね団子。実はこの注文から始まってるが、このお相手の方には、確固たるどぜう鍋の作法または流儀があった。
最初にネギをたっぷり、マル(骨つき)のどぜうが並んだ浅ーい鍋に無理矢理のせて、山盛りになったネギを箸の腹でギューギュー。ネギに火が通ったところでネギを食い、ネギがなくなったらまたネギをのせる。その間、割り下の追加は怠らない。こうしてひたすらネギを食い続けた後、「仕方ない」ぐらいの感じで遂にはどぜうを食べる。鍋にどぜうがなくなったところで、今度はささがきゴボウを山盛りのせる。そこへ2皿目のマルを仲居さんにのせてもらう。ゴボウがしんなりしてきて、鍋が平らになったら再びネギを投入。ネギに火が通ったらネギ、どぜう、ごぼうと食べる。
あらたまっての説明は要らないかも知れないが、どぜうの鉄鍋は浅い。深さ1センチぐらいのものか。そして小さい。直径15センチぐらいのものか。だから、ネギを山盛りにするには無理がある。その無理を、ネギをのせる丁寧さ几帳面さで乗り越える。このへんが何となく東京っぽい。そしてそれがこの作法・流儀の要点だ。大変勉強になりました。
このときのお相手の方から次の日、下記のようなメールをもらった。
>>「どぜう」または「どじゃう」は「ねぎ」と「ごぼう」を食うもんで、泥鰌は出汁取りの添え物にすぎない。特に夏はそれが顕著な食いもんだ。
その通りでございます。
夏に旨い鍋、ここにあり。
どぜうは夏、汗かきながら食べるのがうまい。
東京には「駒形」の他にも何軒かどぜう屋がある。どこも江戸の雰囲気を感じられてとても楽しい。「どぜうなんて、泥臭そうでイヤだ」という方、そんなことありません。ネギやゴボウをたんまり入れるのは、泥臭いからじゃなく、それが合うからなのです。・・・・口の奥に唾液がたまってくる。
どぜう鍋から1ヶ月過ぎた昨日。東京スカイツリーのすぐ下を通った。下の写真は、200メートルぐらいからのもの。浅草寺からの方が大きく見えたのはなぜだろう? 昨日は大粒のにわか雨がときどき降る不安定な天気。秋が足早にやってきそうだ。
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