1週間ほど前、子どもの保育園のイベントがあったので、東京・立川市にある、国営昭和記念公園に行った。我が家から自転車で10分のところ。ここは元の米軍立川基地の跡地。その前は日本軍の飛行場。ゼロ戦もこの地から飛んだ・・・・と語り始めるといろいろあるが、今回はそういうことを書きたいのではない。まっ、何しろ広大な敷地で、現在は国営の公園になっている。
それで、その公園のトイレに入ったら、上の写真の張り紙がしてあった。下記に書き起こします。
●トイレの洗浄水について●
トイレの洗浄水には、公園内の再処理水を利用しています。洗浄水に若干の色がついていますが、使用上は問題ありません。国営昭和記念公園では、地球にやさしい資源の有効利用に取り組んでいます。
いいことだと思う。
でも、同時に、「あ〜、日本では、飲み水をトイレでバンバン使ってんだなー」と思った。それは日本では当たり前のことで、もちろん我が家だって、私の仕事場も、飲み水をトイレや庭の撒き水に使っている。
でもどうだろう。飲める水をそうした雑事にも使っている地域は、世界中だと、1割にも満たないのではないだろうか。トイレの水に再処理水を使うのはいいことだと思うけど、それがわざわざ張り紙になっているというのは、何とも贅沢な主張と思ってしまう。
それだけ日本は水が豊かですばらしいとも言えるけど、キッチンに蛇口が2つあって、コッチが飲み水でコッチが皿洗い用の水ってところも、世界ではよくあること。そう考えると、この張り紙を見て、「そんなに偉そうなこと言うなよ」という皮肉のひとつも言いたくなる。カネのことを言えば、飲めるほどにする水の浄化にだってコストがかかってるハズ。言ってみれば、トイレで使う水まで飲める程に浄化しなくてもいいんじゃないの? と思ってしまうのだ。
もう一歩突っ込むと、人間はあまりに普通または日常的になってることに価値を感じなくなってしまうことがしばしばある。水や空気はその代表例。広くは身の回りの自然も当たり前のことになりがちだ。この張り紙を見て、「地球にやさしい資源の有効利用に取り組んでいる」ことより、普段トイレに飲める水を使っていることの方が気になった。こんな些細なことをぼやくのは、それだけ私が歳取っただけのことなのかも知れないけど。
震災後の3月、東京の水道水も基準値以上の放射性物質が検出され、ペットボトル入りのミネラルウォーターが店から消えた。買い占めは、当たり前のことに麻痺していたからこそ起こるように思える。
こうした張り紙をせずに、さりげなーく再処理水を使う世の中にならないものか。それこそ贅沢というものか。
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