2013年4月12日金曜日

アシナガバチの巣


二十歳頃読んだ本で、こんな話があった。

その日本人著者は、インドで汽車にのっていた。インドの汽車はヨーロッパにあるようなコンパートメントタイプだ。同じコンパートメントの乗客とは同部屋感覚になる。

その窓から蜂が1匹入って来た。その著者は当惑した。が、さらに驚いたことに目の前に座っている初老のインド人男性は、そっと自分の手をその蜂に差しのべた。すると、蜂はその手にとまり、初老の男はその手をそおっと窓の外に出した。蜂は何事もなかったかのように、飛び去った。それを見ていて驚いていた著者に、初老の男は、微笑みながら、こう語る。「蜂は人を刺したりはしない。ただ自分(たち)が危険を感じたときにだけ刺すのだよ」。

私は、この下りを読んで、ちょっと感動した。そして、その数年後、私はインドにいた。そこはヨガで有名なリシケシという町の、ヴェドニケタンというアシュラム(ヨガの修行場)だった。そこの回廊式の宿舎には広い中庭があり、その真ん中に共同の水場(水道の蛇口)があった。自炊してもいたし、暑いしで水場は頻繁に使う。だた、日中、明るいうちは、その水場付近には必ず数匹の大きな蜂(日本のアシナガバチより少し大きかった)が、水を求めてブンブン飛んでいた。

そのとき、私は先の本の初老のインド人男性のことを思い出していた。「蜂が危険を感じなければ大丈夫なのだ」と自分に言い聞かせた。そして、そのために私は気持ちを落ち着かせ、集中し、自分の中に恐怖感がなくなったことを確認した後、蛇口に手をのばし、ひねった。すると本当に蜂は刺さなかった。そして一週間ぐらいたつと、私は特に集中しなくても蛇口をひねられるようになっていた。ときどき、他の人から水汲みを頼まれもした。ヨガの修行はたいしてしなかったが、この蜂たちのことは今でも忘れられない。

そしてその5年後、私は東京で塗装屋(ペンキ屋)で働いていた。ペンキ屋というのはペンキを塗るのが仕事と思っている人も多いだろうが、実際は、ペンキを塗るまでの準備が半分だ。場合によっては準備が半分以上だ。

ある日私は、一般の一軒家の外壁の塗装の仕事をしていた。ちょうど今の時期、春爛漫の気持ちのいい日よりの中、足場を組んで、水をジェット噴射しながらまずは外壁の汚れを落としていた。水が激しく壁にあたる音とコンプレッサーの騒音の中、はたと気が付くと、足場に乗っていた私の顔の真ん前、距離にして20センチぐらいのところに蜂の巣があった。10匹ほどのアシナガバチがブンブン飛んでる。「あっ」と思った瞬間、目の前の1匹のアシナガバチが私に向かってまっすぐに飛んできて、眉間を刺した。

どういう訳か、私はそのアシナガバチの動きをスローモーションで記憶している。例えようもなく痛かった。両手で柄の長いジェット噴射器を持ったまま私は足場の上で一瞬呆然となったが、我に返り、仕事を続けた。そして巣から5〜6メートルほど離れて、水をジェット噴射し、巣を落とした。他の方法は考えつかなかった。親方は、腫れ上がった私の額を見て笑った。

さてさて、話を今に戻そう。

春たけなわのこの頃、アシナガバチが、我が家の軒下に必ず巣を作る。その軒下は、居間から庭に出てすぐのところなので、私たちがとても頻繁に通るところだ。冒頭の写真は、3日前に発見したのもの。まだ作り始めて2〜3日目ぐらいのものだろう。数年前、数匹のアシナガバチがブンブン飛んでいるのにやっと気が付いたときは、この巣より数倍大きかった。巣の場所は全く同じ軒下だった。そうなると、巣を落とすのに数倍の緊張感を要する。

アシナガバチは何も悪くない。
全くこちらの都合だ。
私は、築51年のこの借家に滞りなくちゃんと家賃を払ってはいるが、それは人間の都合だ。このアシナガバチからすれば、この軒下に巣を作る自由は十分にある。

小さい子供が2人いるし、頻繁に通るところだし・・・・。初老のインド人男性のように、「大丈夫だよ、刺さないから」と私は家族に言うわけにはいかない。そこで、私は巣の駆除にあたる。夜、懐中電灯をかざしながら、長い棒で素早く落とし、さっと部屋に入って引き戸を閉める。

翌朝、下に落ちている巣を確認すると、たった8個の巣穴の全てに、小さな白い卵が一つずつ入っていた。

8個の巣穴に8個の卵
そして、その日の夜、帰宅後もう一度軒下に懐中電灯を当ててみた。何と全く同じ場所に巣穴が4つぐらいの巣をアシナガバチが抱きかかえるようにじっとしていた。私は、前の晩と同じことをし、翌朝下に落ちた巣を確認した。4つの巣穴に小さな白い卵がやはり一つずつ入っていた。今度は木酢液をその軒下にスプレーした。

4つの巣穴に4個の卵
もちろん、きょうも帰宅して軒下を覗く。何度でもする。私に罪悪感がないワケではない。しかし、蜂が他の場所を見つけるための時間を少しでも長く稼いでもらうために、私は出来るだけ早く、出来るだけ巣が小さいうちに落とすことが、私にとってせめてもの出来ることなのだから。

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