2014年7月8日火曜日

景品表示法と「東京ブルース」

先週、「メニュー・料理等の食品表示に係る景品表示法上の考え方について」という冊子が、「事例でわかる! 景品表示法」というガイドブックとともに届いた。どちらも消費者庁の作成。言わずもがな、数ヶ月前に騒がれた、ホテルのレストランのメニュー偽装を受けてのことだろう。

この中のQ&Aには、下記の類のことが「これでもか」と丁寧に書かれている。

質問:飲食店でブラックタイガーを使用しているが、車エビを使用している旨をメニューに載せても景品表示法上問題ありませんか?

答え:問題となります。
「答え」の下にある「説明」の欄には、「ブラックタイガーと車エビは異なるから」の説明が詳しく書かれている。

ところで、50年ぐらい前の日本の流行歌で、「東京ブルース」というのがある。歌は西田佐知子、作詞は「アカシアの雨がやむとき」の水木かおる。(私は西田佐知子のベスト盤CDを持っている) それで、この「東京ブルース」の中に、下記のような歌詞がある。

「どうせ私をだますなら、死ぬまでだまして欲しかった」

何と色っぽい詞なんだろう・・・・心にしみる。

●youtube 「東京ブルース 西田佐知子」

そもそも「だます・だまされる」はいつの世にも、世界中どこにでもあることだ。無論「だます」ことは悪いことだけど、そんな小学生でも分かる善悪を越えた思いが西田佐知子のけだるい歌声にのり、私の心にジーンとしみ入る。景品表示法とは全くもって別世界だ。とは言え、私はふと思う。

「東京ブルース」の時代が豊かだったのか、それとも今が貧しいのか。

ここで少し、ブラックタイガーを車エビとメニューに載せることに決めた人のことを想像してみる。そのレストランは、だいたいは大手のホテルだ。上司や経営者に「もっと売上を伸ばせ」とか、「原価を下げろ」とか言われてたのかな。または、いいとこ見せようとつい出来心で「車エビ」と載せることにしたのかな。または、ただただ「分かりゃしねーよー」ということか。いずれにしても、客がなめられていることに変わりはない。

いっそのこと、「嘘・偽装はアリ(合法)」ということにしたらいいんじゃないかとさえ思ってしまう。なぜなら世の中、嘘・偽装だらけになれば、必然的に真実を見極めようとする意識が育まれるから。今の日本はその意識があまりに薄く、「何か別のもの」に頼っていることが多過ぎる。だから、嘘や偽装がはびこってしまうとも思えるのだ。(「だまされる方が悪い」という意味ではない、念のため)

私にとって、料理で一番大事なことは、「おいしい」こと以外にない。「身体にいいもの」はおいしいと思っているからだ。例えば年齢とともに食の好みが変わるのはそのせいだと思う。ただし、頭や舌先だけではこの「おいしい」にはたどり着けない。身体の「おいしい」のみたどり着ける。なぜなら、頭や舌先は身体の一部でしかないからだ。

「ブラックタイガーでも料理法によっては車エビよりおいしくなることだってある」。こういうことがあると決まってこういう主張が出てくるが、そーいうことじゃなくて、自分が「おいしい」と感じるものを食べようよ。そして、そのためにどうしたらその「おいしい」を食べられるかに思いを馳せてみようよ。人は皆、身体も違えば環境も違う。だからその答えは、自分自身の中にしかない。「何か別のもの」にはないのだ。

はっきり言って、景品表示法と「東京ブルース」を同じ土俵にのせるのは間違っている。それは「東京ブルース」に甚だ失礼だ。繰り返すが、「東京ブルース」は流行歌。市井の人々の間で流行った曲だ。今の日本で、「どうせ私をだますなら・・・・」なんて歌ったら逮捕されちゃうのだろうか。

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