2016年3月4日金曜日

香典なしの葬式とご祝儀なしの結婚式

先のエントリで少し触れたが、1月24日に親父が息をひきとった。私は塩を作っているので、その葬儀の際の「お清め塩」は、その塩にしたいと思い、そうした。上の画像は、そのラベル。

さて生前、親父はかねてから、「葬式は家族葬(知人・友人はもちろん、親戚筋も呼ばない)」、「香典なし」という希望があった。それを聞いて私は、「親戚も呼ばないのはあまりに難しいそう」と思ったので、話し合った末、何とか「親族葬(友人・知人には葬儀後通知)」、「香典なし」ということになった。

しかし、親族に「香典なし」は、親父の出身地・長野の多くの親戚の強烈な反感をかった。容易に予想される事態だったが、これも供養と思い、葬儀の連絡(電話)の際は、どの親戚に対しても最初は一律に「(故人の強い希望なので)香典なしで」と伝えた。「バカ野郎! そんなわけに行く訳ないだろ」と罵声を浴びまくって、正直辛かったが、粛々と次の親戚次の親戚と同様に伝え続けた。その後自分なりに考えてみると、だいたい、親父は生前、親戚の葬儀には必ず香典を持って行っているので、その罵声は当然と言えば当然とも言えた。死んだ親父が「ええかっこいしい」にも思えたし、習慣が変わるときの先駆者とはこういうものなのかなとも思えた。しかし、現実的に「香典なし」を全ての親戚に強要するまでは出来なかったので、怒られた後、結局のところ「問題のない方のみご遠慮ください」ということになった。

そして、葬儀後は、十数人の友人・知人への連絡などに追われた。親父の遺志は「(落ち着いた時点で)葉書で通知」だったが、これも「そうもいかないよな」と思って、葬儀が終わってすぐに電話連絡をあちこちした。でも、それなりに親父の希望は叶えたと思っている。やれるだけのことはやった。私自身も、「(香典含め)葬儀なし」という考えはあるので、親父の気持ちも分からなくもない。ただ、それにはそれなりのプロセスというか段取りがあった方が、親戚含め残された側は楽なのは確かだ。

親父の逝去から葬儀まで、一連の事々があったが、忙しくてなかなか感傷に浸る暇がなかった。医師の「ご臨終です」の後、家族は1〜2時間ぐらいしっとりしたが、その後、葬儀屋さんへ電話をしたぐらいから、次から次へと決めなければならないこと、しなければならないことが矢継ぎ早にあり、気持ちはほとんど仕事モードになった。以前誰かが「遺族が悲しみにくれないように、そうして忙しようになっているものなのだ」と言ってたのを思い出した。それだけに、感傷的にならずに常にクールな気持ちが続いた中、妙なことも感じた。

親父は、病院で息をひきとったが、それはどこか子供の誕生にも似てると感じた。誕生と死は対照的だが、(専門は異なるものの)病院という場所は一緒。そして誕生の際も死亡の際も、少しの時間の後、病院を出ないとならない。どっちの場合も、露骨には言われないものの、言葉の端々に、「出来るだけ早く出てってくださいね」という病院の意向を感じた。次から次へと生まれてくる子供がいて、次から次へと死んでいく人がいるからだ。そして、病院を出た後は、どちらもその後が大変になり、それまでさんざんお世話になった医師や助産婦、看護師の方々とはプッツリと関係なくなる。ちなみに、私には、二人の子供がいて、一人目は病院での出産、二人目は自宅出産だった。もしも親父が自宅で息をひきとったとしたら、どうなっていたのだろう、と想像してみる。言うまでもなく、病院と自宅では雰囲気の違いが大きいが、自宅で死んだり、出産したりした方が、せわしなさがグッと少ないことは確かだと思う。

そして、葬儀とその後のお清めの会食。これはどこか結婚式と披露宴に似ていた。葬儀の際は、親父とお袋の両家の親戚が集う。普段は接点のない両家親戚が、ひとつの葬儀に参列し、ひとつの部屋で会食をするのだ。葬儀は儀式的な型があるので葬儀屋さんの指示に従うだけだったが、会食は自分たちで仕切らねばならない。例えば、食事の手配から席決めなど。なるべく各人の席の近くに話しがしやすそうな人を配置するということだ。私は結婚式・披露宴はしていないのだが、その席をあれやこれやと考えていたら、「披露宴の席決めもこんなもんなんだろうな」と思った。また、先述の、葬儀を「香典なし」するときの風当たりも、結婚式の「ご祝儀なし」と似たようなものなんじゃないか、とふと考えた。

最近は、結婚式・披露宴のスタイルも変わりつつあると聞く。結婚式・披露宴にカネをかけるより、旅行にカネをかけたいと考える若い人が多いらしい。また、結婚式はひとつの「ケジメ」であり「覚悟」だと考える人もいる。ただ、どうであれ、離婚する夫婦は離婚するし、結婚生活も続きさえすればいいというものでもない。私は(集合住宅の集会場での)葬儀の準備をしていて、こういうスタイルの葬儀はどのくらい前から行われるようになったのだろうか? そして、今後どう変わっていくのだろうか? と思った。

そして、もうひとつ、後からつくづく思ったこと。

私の親父の場合、ガンで死ぬ3ヶ月ぐらい前から見る見るうちに容体が悪くなった。元気な頃、親父の方から「葬儀は家族葬」と言われたので、「親戚を呼ばないのはちょっと‥‥」ぐらいまでは話し合ったが、元気な人に向かってそれ以上、「死んだら・・・」の話は突っ込めなかった。私自身、具体的なことまではよく分かっていなかったし、調べようともしなかった。そして、容体が悪くなってからは、葬儀の話しなんか出来やしない。つまり、葬儀などでヒーヒー言いたくなかったら、たとえ抵抗があっても元気なうちにしか話せませんよ、ということなのだが・・・・。そもそもこういうことは、ヒーヒー言うのもなのかも知れないと、同時に思えもする。

そして、当然のことながら、自分の葬儀について考える。まぁ、こうして何やかんやで、少しずつ世の中の習慣というものは変わっていくのだろう。次は四十九日の法要と納骨だ。

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