2025年9月29日月曜日

満天の星

先週土曜日、私と娘が応援している横浜ベイスターズが、デーゲームで巨人に絶望的な負け方をした。(その翌日、三浦監督は辞意を表明&球団は受入。監督の仕事は大変だなぁとつくずく思う、お疲れさまでした) 選手はベストを尽くしているのは分かるものの、私たちはちょっとショックだった。それで、私は夜の9時頃、「気晴らしに、夜のドライブにでも行くか」と娘に提案。私はすでに酒を飲んでいたので、「ドライブ=彼女の運転」だったが、有り難くも、「じゃあ、人家の灯りや街灯のない奥多摩へ行って満天の星を見よう」となり、我が家のある東京・昭島から夜10時に出発して、奥多摩湖へドライブとあいなった。片道約1時間半の道のりだ。

出発前、昭島の夜空を見上げると、7-8割方晴れていたので、迷わず出発。満天の星を目指して、すいてる道をどんどん走り、灯りのない真っ暗な奥多摩湖畔に着いた。気温は18℃。肌寒い。さてさてと夜空を見上げると、何と星がほとんどない。雨雲レーダーを見ても奥多摩湖はもちろん、雨雲は日本国中ほとんどなかったが、無論、雲は雨雲だけではない。「えー、せっかくここまで来たのに・・・・」と私たちは、立ちすくんだ。そのとき、私のiPhone12miniで取った画像が冒頭。何とか数個の星が見え隠れしていた。

こうなると、「その白い雲が晴れるのをどのくらい待つか」が問題になる。彼女は、「衛星画像で、リアルタイムの雲が見れないかな?」と検索し始め、「Windy」というアプリを見つけてダウンロード。おっさんは、今どきはスゴイことになってるなと驚くことしきりだったが、残念なことに、1時間待っても夜空に広がっている雲は晴れそうにないことが分かった。

すると、駐車していた広めの駐車場の他の車のヘッドライトが私たちの足下を照らした。私は、「眩しいな」とヘッドライトから目をそらし、地面に視線を移した。するとそこには満天の星のような画が広がっていて、ビックリ。思わずシャッターを押したのが、下の画像。デコボコしたアスファルトが妙な反射をしていた。私は苦し紛れに、「空に星は見えないけど、地面にあったってことで・・・・」。彼女は苦笑い。
プロ野球の試合もそうだけど、普段の生活の中でも、物事なかなか思うようにいかないときが必ずある。そんなときは、無理に現実を曲げないで、そこにある現実に従いつつ、ほんの小さな幸せでもあれば、めっけもの。なけりゃないでも仕方ない。真っ暗な奥多摩湖畔で、私はそんなことを彼女に呟いたが、彼女はどう思っただろうか。

「じゃあ、ラーメンでも食べに行こう」

私たちはガラガラの下り坂を滑るように下りていった。
今度、こういうときは、出発前にその「Windy」というアプリでチェックしてから出発しなきゃね。
 

2025年9月10日水曜日

思い違いの「美しさ」

映画「国宝」、坂東玉三郎がモデルと聞いて、興味が湧いて観に行った。

序盤で、長崎で幅を利かすヤクザの親分が登場し、玉三郎はその息子。背中いっぱいに大きなフクロウだかミミズクの入れ墨を十代半ばぐらいに入れてて、その入れ墨が、その後もシンボリックに描かれている。

「へー、玉三郎って長崎出身で、ヤクザの息子で、背中にでっかい入れ墨入れてんだ」

と、観ててちょっと驚いたが、後から調べてみると、それらは全てフィクションとのこと。だから、「坂東玉三郎がモデル」は私の早とちりで、他の部分も含めて、玉三郎の半生を描いたというものではなく、「玉三郎を連想させる」ぐらいの原作の小説があっての映画みたいだ。夜8時からの3時間の上映だったので、眠くなるのが心配だったが、全くの杞憂。見応え十分のエンタメでした。

さて、40年ぐらい前、銀座の歌舞伎座で、玉三郎一人の舞(まい)の幕(無論下座音楽はアリ)を観たことがある。一幕見で、長い階段を上った三階席の奥から観てたのだけど、30分ぐらいのその幕で、連続したその動き・所作・表情はもちろん、指先・足先まで行き届いたその舞を観て、「こんな美しさがあるのか」と驚いた。ジェンダー的に、性別を言うのも変だけど、当時二十歳そこそこの私にとって、それは「女性に感じたことのない、女性の美しさ」だった。それが今でも忘れられない。

そして不思議なことに、私の中の、その舞の記憶は、舞台に向かって花道の左側の客席から、花道で舞っている黒っぽい着物を纏った玉三郎を見上げるように観ていたものとして残っている。歌舞伎を一幕見でしか観たことがない人間が、花道脇から観た記憶がある訳がない。後から、寝てる間に見た夢の記憶と入れ違ってしまったのだろうか。

でも、でもです。まぁ、これはこれでいいかと思ってる。一番遠い一幕見の席から、その舞に吸い込まれるように観ていた私は、まるで花道脇から観ていたかのような錯覚に囚われ、その錯覚が現実にまさって、あたかも花道脇から観ていたように記憶されたのかも知れない。そうだとすると、それはそれでいいんじゃないかと思えるのだ。いずれにせよ、私の中で、その40年前の、その舞の「美しさ」は変わらない。

調べてみると、今や玉三郎さんご自身は公演をされておらず、若手へ役を継承しているとのこと。もう生(なま)で観るのは難しそうだ。「国宝」は映画として楽しめたが、それがキッカケで、(玉三郎でなくても)歌舞伎に興味を持った方には、「生は全然違いますよ」と言いたい。たとえ一幕見でも。