2008年5月20日火曜日

海ぶどうの思い出 〜 その4(最終編)

飛び飛びになってしまったが、「海ぶどうの思い出 〜 その3」に続く「その4(最終編)」。「その2」で、下記のように書いた・・・・

そう、この家には5〜6人の子供たちも暮らしている。おばあちゃんに尋ねると、家が(学校から)遠い子供たちが、いわば下宿しているとのこと。この子たちは、この家の掃除・洗濯から炊事など全ての家事をやりながら、ここから学校へ通っている。そんな子供たちにおばあちゃんは、結構厳しい。「あそこが汚い。すぐに掃除しなさい」「この洗濯物、ちゃんと汚れが落ちてないじゃないか」。私にも、「この子ら、全く働きが悪い」などとぼやく。しかし私には「まぁまぁ、お手柔らかに」などと無責任なことは言えない。

・・・・豪傑なおばあちゃん、旧日本軍の言葉を話す校長先生、そして若い先生たちとの夕餉。会話が弾む。ただ、そのテーブルに並んだごちそうは、ここに下宿する子供たちが料理したものだ。そして私たちが食事している間は、その子供たちの姿はない。食事が終わると、子供たちはジャストのタイミングで登場し、皿を片付け始める。大人たちは、これから自由時間になる。だいたい自分の部屋に入る。田舎だから、外は街灯などなく、外に出かけるような感じもない。私も自分にあてがわれた部屋に入って、ベッドの上で本なんかをパラパラ始める。その部屋の窓は、食事をした中庭に面していて、白いレースのカーテンが掛けられている。カーテン越しに後片付けが終わったような雰囲気を感じると、電気が消え始め、暗めの裸電球が一つだけ残った。すると、子供たちの楽しそうな声が静かに響き始めた。その声は「抑えられた」楽しい声で、ひそひそ話に近い。タガログ語だから、何を話しているのか分からないが、「抑えられた」楽しいそうなひそひそ話というのは、非常に気になる。でも、ここで私が部屋を出て、その裸電球の下に行くのはさすがにはばかられる。カーテンをそっとずらして見てみるが、子供たちの影が動いていることしか分からない。たぶんそのときで9時か10時ぐらい。どうも気になって私は眠ることができず、11時過ぎぐらいだろうか、裸電球が消え、子供たちの声がしなくなってから眠りに入った。

しかし、次の夜。好奇心にあおられた私は、意を決して、部屋を出、裸電球の下に歩み寄った。子供たちは、思いの外、あっさりしていて、「あら〜、日本人のお客さん」といった表情でニコニコしている。この子たちの笑顔を初めて見て、嬉しくなった。そして、私は裸電球の下に視線を移すと、そこにあったのは、教科書。ガリ版刷りだ。みんなの朝食の支度を終えて、学校へ行き、午後に帰ってからは掃除や洗濯、買い物など。そして夕食の支度に片付けと忙しい時間を過ごし、最後の寝る前の1時間ほどがこの子たちの自由時間なのだ。おそらく電気は最小限に使うよう言われていると思う。その薄明かりの下で5〜6人の子供たちは勉強する。でも、仲間が一緒だから、教科書を開いていてもついついふざけあってしまう。大きな声ではしゃぐと怒られるだろう。そこで、その声は「抑えられた」ひそひそ話風になる、というわけだ。

私は、「がんばってね」という気持ちを持って片言の英語でつまらない話をすることしかできない。「がんばってね」を直接言葉にすると、とても陳腐に思えるから。「good night」と言葉を残して、私は部屋に戻った。子供たちの声は続いているが、この夜は心地いいBGMに感じながら、眠りに入った。

「海ぶどうの思い出」終わり

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