先週一週間、ベトナムへ出張に行ってた。目的地は、仕事場であるカンホアの塩田なのだが、成田から乗った飛行機は、まずはベトナムの玄関口、ホーチミン市のタンソンニャット空港に到着する。町の中心までおよそ1時間のところだ。私がベトナムに通い始めて16年ぐらいたったが、国内線を含め年に2〜6回この空港に降り立つ。
ベトナムは私が知るこの16年の間、実にいろんなことが変わった。その変わった中のひとつ。この空港のタクシーのことを書いてみようと思う。
1.平和なタクシー時代
初めてベトナムを訪れた際、このタンソンニャット空港から町中までの交通機関はタクシーだけだった。だから空港を出たら迷わずタクシー乗り場へ。2〜3年は普通にメーターで行ってくれた記憶がある。ちなみにこの頃のタンソンニャット国際空港は、現在国内線用として使われている空港だった。
2.ぼったくり全盛時代
その後、新しい国際空港が隣の敷地に建設された。その頃には「普通にメーターで」は、夢物語になった。何となく、タクシーに乗るときから雰囲気の違いは感じつつも、町中の目的地へ着いて料金を払うとき、通常価格(町中で普通に走るとき)の10〜20倍など法外な料金をふっかけられた。タクシーメーターのことを言っても、「これは壊れている」など、とりつく島もない。さすがに10〜20倍となると、こっちも「なめんなよー」と腹が立った。タクシーの運ちゃんと喧嘩腰の言い合いになり、何とか3〜5倍ぐらいで「仕方ないかー」と折り合いをつけ、それはそれは疲れ切った上に嫌〜な気分になったものだ。そしてそれがその後何度か続いた。
3.タクシー・チケット時代
「この空港のタクシーは、この国の鬼門だな」と思い始めた頃、タンソンニャット空港の出口直前に、タクシーチケットのブースが設けられた。それが今から10年ぐらい前か。そのブースでは、町中へのタクシーチケットなるものを販売していた。ただし料金は通常価格の2倍ほど。ブースのお姉さんは、「これを買いさえすれば、あとはチップも要りませんよ」と売る気満々。購入すると、「この人について行って」と別のお姉さんが登場し、人混みの中を抜けて、契約している一台のタクシーまで先導してくれた。
タクシーの運ちゃんと頑張って喧嘩して何とか3〜5倍の料金を払って憔悴するより、2倍の料金を払ってでも穏やかに目的地に着いた方が、私にとって断然よかった。だから、それから何年かは、そのタクシーチケットを買って、町中へ向かった。
ここでひとつ断っておくが、これは何も不慣れな外国人だけがカモにされてたという話ではない。地元サイゴン在住のベトナム人だって、20倍とは言わなくとも、5倍、10倍は当たり前のようにふっかけられていて、サイゴン市民の中でも悪評高かった。お迎えの車などがある場合以外、他に交通機関がない。経済学では、「需要と供給で価格が決まる」という古典的な考え方があるが、まさしくここのタクシーは、売り手寡占市場になっていた。しかし、時と共に、公共の路線バスが走り始めたのもこの頃だった。ただ、大きな荷物を持っての路線バスはちと厳しい。
4.適正価格時代の到来
それで、です。つい先週のこと。いつものように、空港出口でタクシーチケットを買おうと思ったら、そのブースが消えていた。近くにいたホテルのインフォメーションのお姉さんにそのことを尋ねると、「タクシー乗り場へ行きなさい。メーターで行ってくれるから」と言われた。私はあっけにとられたが、「タクシーチケットもないことだし、騙されたと思ってタクシー乗り場へ行ってみるかー」と行ってみて、乗ったタクシーの中で撮ったのが冒頭の写真なのだ。
そのタクシー乗り場には、5〜6社のタクシーが一台ずつ一列に並んでいた。そして、ある会社のタクシーが一台出発すると、同じ場所に同じ会社の次の一台がやってきた。空港出口から一番近い場所には、昔から悪名高い「Saigon Airport Taxi」などが並び、一番遠い場所には、私がいつも利用する“Mai Linh”や“Vinasun”の乗り場があった。当然、私は客引きをくぐりながら遠く(と言っても20メートルほど)の乗り場の“Mai Linh”タクシーに乗った。
“Mai Linh”の乗り場脇には、緑色の“Mai Linh”の制服を着たお姉さんがいて、「このタクシーにどうぞ」と促してくれつつ、乗り込むにあたって、そのタクシーの番号と日付などを走り書きしたカードを手渡してくれた。この写真のは、タクシー番号が1183で、日付が3月8日。このカードは、例えば、「運ちゃんの態度が悪い」ぐらいも含めた苦情一切をタクシー会社に言うとき、また忘れ物をした際にも使う。
以上、大きく変わったと思いませんか? たったと言えばたった16年の間に、タクシーひとつがこうも変わった。これは人々の生活スタイルの急変、そして経済の急成長がもたらしてきたベトナムの変化のひとかけらだ。ぼったくりなどの金銭主義、常識や理性の感覚、交通インフラの整備など公の政策など諸々がもたらした現実そのものだったと思う。
タンソンニャットからタクシーに乗るのが楽になった。でもそれはひとかけらの現実だ。時を同じくして、町中の市場は徐々にスーパーマーケットに変わってゆき、路上のカフェもエアコン完備のカフェへと様変わりしてきた。全てはこの国の人たちが決めることだが、世の中、あまりきっちり整備されても人間味が薄れて面白くないんだけどな。そんなの、よそ者の戯言(たわごと)に過ぎないのは重々承知しているのだが。
私は、この緑のカードを手にしてタクシーに乗り込んだとき、運ちゃんとしたくもない喧嘩をしてた頃を思い出し、個人的に感慨ひとしおな気分になった。そして思わず記念撮影までしまった。まぁー、サイゴンへ行かれる方の参考程度にはなったかな。
※追記
およそこの10ヶ月後、私は成田からタンソンニャット空港へ降り立った。一年足らずのうちに、事情は変わっていました。その模様は、こちらまで。
●タンソンニャットのタクシー、2015年
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