2015年6月29日月曜日

上履きのデザイン

どこにでもある小学生の上履き。これは2年生の息子のものだ。この「足の甲に幅広ゴム」のデザインは私が子供の頃から変わらない。今から4年前、息子のお姉ちゃんの小学校入学当時、久しぶりにこの上履きを見てふと思ったことあった。

「あー、今でも小学生の上履きのデザインは変わらないんだ。でも、何で、昔からこのデザインなんだろう?」

その答えとして、当初、私が思ったのは、「このデザインが一番履きやすいからだろう」だった。確かにそれは間違いないだろう。でも、毎週のように、この上履きを洗い続けて4年ぐらい経った一ヶ月ほど前、突然、別の理由に気がついた。

上履きに限らず、スニーカーなど靴を洗うときは、写真のような、柄の付いた靴洗い用のブラシで洗うのだが、子供の上履きは一週間毎日履くしとても汚れる。その汚れをゴシゴシ洗っていると、靴内部のつま先部分は洗えるのだが、どうしても足のカカトの部分、靴のカカトではなく、足のカカトが踏む靴の中の底の部分が洗いにくく、その部分の汚れがどうしても残った。ブラシ先端の狭い部分を靴のその部分にあて、ブラシを立てて擦るのだが、うまく擦れないのだった。

軽いストレスを感じながら、「しょうがないな」と思い、4年が経った。

そして一ヶ月前のあるとき、気がついた。ブラシを反対向きにして、つまりつま先の方から幅広ゴムの下を通して、カカト方向に向かってブラシを擦ればいいんだー、と。それが冒頭の写真である。こうすると、ブラシの広い部分を使いながら、足のカカトが踏む部分を容易に擦ることが出来た。

もう50年も前からこの上履きを見てきて、この上履きのデザインの意味を初めて知った思いがした。先述のとおり、履きやすさもあろう。でもそれはこのデザインの半分で、もう半分は、洗いやすさだったんだ、と思った。

思えば、私が小学生の頃は、上履きを含め、自分で靴を洗うようなことは一度もなく、親に洗ってもらっていた。数十年後、今度は自分が子供の靴を洗うようになって、その汚れに苦労している。その段になって初めて、洗い方を考え、ハッとあるとき、「なんだ、こうすればいいじゃないか」と気がつく。そして、改めてこの上履きのデザインを眺めてみると、別なモノに見えてくるから不思議だ。「よーく、考えられているなー」と、今さらながら感心した。

この上履きのデザインの場合、何年か洗い続けたことがキッカケで気がついているのだが、何年も洗い続けるまで気がつかなかった自分がいるのも事実だ。そう思うと、こういうことって身の回りにたくさんあるような気がしてきた。昔から身近で見慣れたようなものながら、それまでその意味や価値に気がつかずに、または部分的にしか気づかずに、長い時間が経過してしまうことって。それに気がつくだけで、便利や、ときには幸福感まで享受できるというのに‥‥。

気づいていないことに気づくこと。それは難しい。人間にとって、気づいていないことは無に近いからだ。「近い」というのは、潜在的には、「きっと気がつく」という希望的観測から。だから、ただの「無」なのかも知れない。

下の子が、小学校を卒業するまでに、あと5年。上履きを洗う度に、自分に問いかけてみる。「ここにブラシを突っ込んで洗うことに、何年も気がつかないぐらいなんだから‥‥」、身の回りに、保護色になって見えないことはないのだろうかと。未だに気がついていないだけで、必ず、あるんだと思う。

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