2016年8月19日金曜日

骨付きもも肉の照り焼きと舌ビラメのムニエル

先日、小学3年生の息子の誕生日にあたって、子供たちはカミさんから「何が食べたい?」ときかれ、「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」との答えだった。傍らでそれを聞いていた私はちょっと意外だった。

なぜかというと、40〜50年前にもなる私の子供の頃も「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」に憧れがあったからだ。「こんな何十年経っても同じようなのが食べたいだなんて」とちょっと意外だったわけだ。

私の子供の頃、近所の鶏肉屋さんや焼き鳥屋さんの店先で、鶏の骨付きもも肉や鶏の丸焼きがグリルされながらゆっくりとグルグル回っていた。照り焼きだったから、照明に照らされたその表面はテカテカと赤黒く光っていた。香ばしい香りをかぎつつ、グルグル回っているその様をを眺めて、「あー、いつかこれ食べてみたいなー」という憧れの食べ物だった。また、焼き終わって並べられていたもも肉の突き出た骨の部分にはアルミホイルが巻かれていた。その鶏皮の赤黒いツヤとアルミホイルのキラキラのコントラストがたまらなかった。ただし、憧れだったので、実際のところ、子供の頃、それを食べた記憶はない。うちの子供たちにとっては、手が届くものなのだから、その点は異なるな。

また、トムとジェリーなどアメリカのアニメだったと思うが、ご馳走というと、骨付き肉。そして、手で持つところの突き出た骨の根元には赤いリボンが巻かれているイメージだ。当時の私にとって、このテレビの虚構の世界が、近所の鶏肉屋さんでグルグル回っている現実の世界に繋がっていて、単なる憧れ以上のものがあったと思う。

今の子供たちは、私のような経験はないだろうし、どうして「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」に辿り着いたのだろうか。例えば、ワンピースのルフィーが、骨付き肉をかじって「この肉、うっめー」というシーンがしばしばあるが、そのへんか。今度、子供たちにきいてみよう。

ところで、私の子供の頃の話しは、東京の下町でのことだ。鳥取の田舎で幼少の頃を過ごしたうちのカミさんは、また違う。彼女は、近所に住む祖母の家にたまに招かれ、ご馳走になった「舌平目のムニエル」が忘れられないと言うのだ。いろいろ聞いてみると、どうもそれが私の「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」に近いようだった。私のように手が届かなかったわけではなく、実際に食べた体験としての思い出としてだけど。数十年も前の田舎で、「舌平目のムニエル」とは何ともハイカラだ。それもバターをたっぷり使ってムニエルにし、仕上げに青じその千切りを散らすというのが、その祖母がお気に入りのスタイルだったらしい。青じそもハイカラぁ〜。田舎といっても海に近いので、舌平目もときどき手に入っただろう状況を付記しておく。

さて、私が初めてこの古典的な「舌平目のムニエル」を食べたのはいつの頃か。私の両親では考えつかなかっただろうから、たぶん子供の頃ではない。二十歳頃、ウェイターとしてアルバイトしていた渋谷のレストランのメニューに「舌平目のムニエル」があった。「おめぇら、知らねぇだろうが、フランス料理といやぁ、この舌平目のムニエルだぁ。ソール・ムニエルってんだー、覚えてとけ」と、私と同じ東京の下町出身のシェフの下町訛りの口癖だった。私はお客さんにいつもサーブしていたものの、そこでは一度も食べたことがなかった。しかし同じ頃、表参道の交差点際にあった「Fish Market」というレストランに入ったとき、メニューに「舌平目のムニエル」があり、ここぞとばかりに思わず注文した記憶がある。味は覚えていないものの、レストランの名前・場所を覚えているのが不思議だが、だぶんそれだけ特別なものだったのだろう。最近は意識したことはないが、今どきのフランス料理のレストランではもうメニューにないのではなかろうか。

さてさて、息子の誕生日に話しを戻す。

子供たちには「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」、自分と私には、青じそを散らした「舌平目のムニエル」を、カミさんは料理してくれた。冒頭の写真は、私の皿の「舌平目のムニエル」がそろそろ食べ終わるところ。縁側は小骨が多くて食べにくく思っていて、最後に片側だけ残ってしまった。それを見たカミさんは「この縁側がパリパリしてうまいのよー」との年季の入ったアドバイス。言われるままに、残った縁側を食べると、魔法がかかったように、小骨も気にならず、うまかった。この「舌平目のムニエル」はバターたっぷりで、縁側の小骨もパリパリなのだ。

そんなわけで、子供たちの「鶏の骨付きもも肉の照り焼き」の骨には、私はアルミホイルを巻き、その上に去年のクリスマスで余った赤いリボンを結んでみた。

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