世の中、よく分からないことがたくさんある。
上の写真は、私が住む東京・昭島市のゴミ収集車の後ろ姿。
黄色の背景で目立つ、何か貼り紙のようなものが貼ってあるのが気になった。
写真をアップにしてみると下。
文字を書き出してみる。
なくそう 食べ残し!
30・10(さんまる・いちまる)運動 実施中!
上記のヘッドコピーの下に説明書きがある。
宴会や食事会の開始から30分と終了前の10分間は 席について料理を楽しもう!
私には、この感覚が全く分からない。これってどういうこと? 余りにも分からないので、ここはひとつ歩み寄って、考え、想像してみようと思った。
その前に、ちょっと話は脱線するが、二十歳の頃、サンフランシスコでメキシコ人の友人と食事をしていたときのことを少し。彼と食事をするのはそのときで数回目だった。彼はそれまでいつも注文した料理を残して食事を終えていたので、そのとき、私は彼に質問した。
「お前さん、いつも残すけど、無駄(モッタイナイ)じゃない?」
「だって、残さないと、これを食べる人が困るじゃないか。そぉ言ゃあ、お前はいつも残さないな」
「これを食べる人?」
「そうさ、ここの皿洗いや掃除の人など、これを食べる人がいるだろ。オレはその人たちのために、いつも残すようにしているのさ」
つまり、残すのは親切だと。メキシコの彼の家で働く人たちも、雇い主が残した食事を食べるのが習慣とのことだった。子供の頃から「残さず食べなさい」と言われてきた二十歳の私にとって、ショッキングな出来事だった。そのレストランで、『これを食べる人』がいたかどうかまでは確かめてはいない。ただ、自分の質問が浅はかだったことは思い知らされた。後日、共通の友人であるイタリア人にその話をすると、「彼んちはかなり金持ちだからな。そういうことは十分あり得る。オレは残さないけどね」とのことだった。
数年前読んだ、辺見庸の著書「もの食う人々」の中で、バングラデシュで著者が食べた食事が残飯だと、口に運んだ後に知らされ、反射的に吐き出すシーンが出てくるが、それを読んだときも、このメキシコ人の友人の話を思い出した。
さて、脱線した話を戻す。ときは2018年。ところは日本、東京・昭島市だ。
「食べ残し」はよくない。これは、分かる。ただし、分かるのはここまでだ。
まず第一に、宴会や食事会で食べ残しが目立つ事実があるということだろう。食べ残しが出たら、折り詰めなどにして、持って帰ればよさそうと思えるが、最近はいわゆる衛生上の問題でそれが出来なくなっている、なんて背景もあるのだろうか。またこれは、昭島市清掃センターが作成したステッカーだろうから、その食べ残しがゴミとして大量に出されているとも読める。清掃センターの人が、その食べ残しの多さを見るに見かねて、この「30・10運動」をしようと発案したとも。
そして、分からないなりに、ちょっと私の興味を惹くのが、「開始から30分と終了前の10分間」というところだ。なんじゃ、この特定された時間帯は、いったい。
まずは前半の「開始から30分」。
宴会や食事会の開始時、大概は空腹だろう。だから、「開始から30分」にまずは食べよ、と。考えられるのは、その裏側の現実。宴会開始から、料理が並んだ自分の席を立って酒類ばかり飲んだり、「どーも、どーも」とか挨拶したり、くっちゃべっていて、料理をたいして食べない。そしてそれは最後まで続く。だから、「食べ残し」がなくならないんだ、と。私からすると、「開始から30分」でしなきゃならない挨拶などが済んだら、それ以降に食べれば、それでよさそうなものに思えてならないのだが・・・・。きっとそこには開始から30分以降は食べられなくなる何かしらの事情があるのだろう。参加型の催しなんかがあるんだろうか。そのぐらいしか私には想像出来ない。
そして、後半の「終了前の10分間」。
終了前の10分間は、最後だから、残った料理がないかを今一度確認して、あったら食べましょう、または食べるよう周りに促しましょう。たとえ宴たけなわでも、最後の10分間ぐらいは冷静になって、しっかり残さず食べるようにしましょう、と。こういうことだろうか?
「30・10運動」というほど、昭島市では、そんなにしょっちゅう、宴会や食事会が催されているのだろうか。「開始から30分」、「終了前の10分間」の特定は、誰がどんな根拠で行ったのか? もう一度触れるが、この2つの時間帯以外だって、料理を食べることは出来るはずなのに、それが難しい理由は何だろうか?
こうして公金(税金)使ってステッカーまで作っているのだから、昭島市には説明責任がある、なんて野暮なことを言っているのではない。私が知らないだけで、きっとこういうことがあるんだろうと思う。むしろ私は、このステッカーを見て、
「あー、何て昭島市は平和なんだろう」
と、思ってしまうのだが、それはマズイのか。それほど「食べ残し」が問題になるならば、用意する料理を半分にしたらいい。手間・費用も減るし、最も「食べ残し」を減らすのに効果的だ。「客人をもてなすのに、足りないがあってはマズイ」ならば、「食べ残し」は出るものだ。
私が知らないだけで、世の中にはきっといろんな事情がある。いっぱいある。そういうことの中で、縁のあることについては、まずは歩み寄りが大切と思い、いろいろ考えてみたが、やっぱり世の中、よく分からないことがたくさんある。
後記:このエントリを書いた後、ネットで調べてみると、「30・10運動」は、長野県松本市で始まったとありました。また、私が自分の食べ物が、誰が残したか分からない「食べ残し」しかなくなったときのことを想像してみる。間違えなく、その「食べ残し」を食べるだろう。最初は少しの抵抗感があるだろうが、しばらくすると慣れると思う。
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