上の画像は、ドリアンの房。7月にベトナムへ行った際、あるご家庭でご馳走になったもの。濃厚なドリアンを満喫すると、表れ出るでっかい種が下の画像。種の方がカサあるんじゃないかと思うほど。
「ドリアンの種ってでっかいよなー」と私が呟くと、「それ、食べられるよ」とその家の方に言われた。湯がくと、芋のようらしい。日本帰国直前だったので、この種を数個持ち帰って、東京の自宅で湯がいてみたのが下の画像。塩を少し振って食べてみると、たしかに芋のような、はたまた栗のような・・・・。ん、昔食べた菱(ひし)の実が一番似ているか。断面からも察しがつくと思うが、ベニハルカのようなネットリ感はほとんどなく、サッパリとした食感と味。まー、オッケー。ところで、私はそれ程ではないが、「ドリアン好きな人」という人がいる。やや依存症気味に「ドリアンを食べる幸せ」が止められないという人だ。でも、この種を特別好きな人はほとんどいないだろう、と思った。
話は変わります。
昔、35年ぐらい前、関西の山の中に住んでいて、ヤマゴボウと呼ばれる植物が目に付いた。都会育ちの私は、当時、まだ名前も知らなかったヤマゴボウの垂れ下がった紫色の実が、ベリー系の実のようにも感じ、「これ食べられるんじゃないか(うまいんじゃないか)」と思った。そして、やや心躍りながらその実を集め、ザルで粗く漉し、ボウルに集めた紫色の汁をやや慎重に口に含んだ。舌の上に広がった汁は、ちっとも旨くなく、少し後にはピリピリする感覚もあり、すぐに吐き出した。何日かして、地元の知人にその話をすると、「あれは毒だっていうよ。あなた大丈夫だった?」と驚かれた。幸い飲み込んではいなかったが、危なかった。今なら、まずはネットで調べて・・・・、というところだろうが、それもない時代だったし。
さて、「ヤマゴボウ」と聞いて、本来私が連想するのは、その味噌(または醤油)漬けだ。
碓氷峠の名物で「おぎのや」の釜飯がある。子供の頃、東京から親父の実家がある長野へときどき連れてってもらったが、その途中、横川駅で必ずその釜飯(弁当)を買った。当時の急行・特急列車は、横川駅で乗客が釜飯を買う時間のために、通常の停車時間より長く停まった。10分ぐらいだったか。そのぐらい人気の釜飯だったのだが、蓋を開けたときに立ち上る香りを私はあまり好きになれなかった。しかし、その釜飯に必ず付いていた、「香の物」の薄い木の小箱に入ったヤマゴボウの味噌漬けは、大好きだった。
紛らわしいが、私が35年前、山の中で口にした毒のあるヤマゴボウとそれは別物だ。それから10年か20年か後になって、そのおいしい方のヤマゴボウは、ゴボウ(牛蒡)ではなく、「モリアザミの根」であると知った。
時が飛んで、今年の春。
我が家の庭に、どこからか飛んで来た種で、突然アザミが芽を出した。「もしかすると、モリアザミかも知れない」と、味噌漬けのイメージも湧いていた私は、成長を見守った。ある程度大きくなると、トゲが痛かった。今だからネットで検索だ。「モリアザミ」ではなく「ノアザミ」だった。それでも諦めきれなかった私は、花も咲き大きくなったそのノアザミの根を掘り起こした。それが下の画像。
実は、このノアザミさん、庭の敷石の隙間から生えていたこともあり、引っこ抜くのに苦労した。味噌漬けのイメージ故に、自然薯のように何とか根っこを切らずにそのまま掘り出したかったからだ。・・・さあ掘り出した。触ってみると、かなり固い。「こりゃ味噌漬けは無理だな、やっぱりモリアザミでないとダメか・・・・」、と落胆していたら、カミさんが、繊維を短く刻んでキンピラはどうかとの進言。しかし、残念ながら、ノアザミの根は、繊維が太くひたすら固い。味も旨いとは言えず、ほとんど食べられなかった。
言うまでもなく、現在の食は、先人たちが、いろんなものを試食し、料理法も考えてきた結果の集大成だ。私を含めた現代人は、その事実をすっかり忘れてしまっていないかと、ふと思った。その綿々と続いてきた過程では、具合が悪くなったり、ときには命を落とした人もいただろうとさえ思う。また、飢え故に未知のものを食べたということもあったかも知れない。それ故に、味覚は現代の私たちよりも鋭かったに違いないし、その試食の経験は自分のためだけでなく、周り(社会)の人のためにもなった。そして、今に至る。現代では、山菜採りやキノコ狩りで、たまに事故があるが、それは試みたというより、(トリカブトとモミジガサのように)単に見間違えが多いのではなかろうか。もしかすると命がけになったかも知れない状況の下での未知のものの試食。それを思うと、「あー、旨い」、「不味い」と気軽に言う私たちの味覚は、ただの「お遊び」に思えてくる。
私のように(毒のある)ヤマゴボウの実を試食した人は必ずいたと思うし、ノアザミの根を、試食した人がいて、紆余曲折の末、それを味噌漬けにした人がいたからこそ、私の好物のヤマゴボウの味噌漬けがある。未知のものの試食にはリスクを伴いもするが、数多の中から「これはいけそうだな」と感じたものを選んだだろうから、私が毒のあるヤマゴボウを試食したときのようなワクワク感もあったはずだ。
今回私は、モリアザミと同類だからと理屈っぽくノアザミの根を試食しただけだけど、少しだけ、先人たちの心意気と味覚を想像した。
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