2011年9月21日水曜日

蛇のはなし〜その1:蛇の根回し


上の写真は、10日ほど前、東京・昭島にある自宅の近所の道ばたの蛇。おそらく車にひかれたんだと思うが、死んでしまっている。動かなかった。つまんで草むらに投げた。そんなことのあった1週間後、友人から電話があった。

「友だちからマムシが送られて来たんだよ。一緒に食べないか?」

他の用件もあったので、主にそっちの話をして、マムシのお誘い話にはお茶を濁して電話を切った。

もう20年ぐらい前のこと。マムシを含め、蛇を「特別な生き物」と思わされた出来事が2〜3あった。場所は、滋賀県の朽木村。その村の谷の一番奥から少し上ったところにある友人の山小屋に、私は春から半年ほど住み込んでいた。

その近くにも別の友人が住んでいて、ある日、彼の田んぼの草取りを私ひとりですることがあった。無農薬、除草剤を使わない田んぼなので、クレソンなどがどんどん生えてくる。裸足で田んぼに入り、膝下ぐらいが水面になる。前かがみになって、軍手をした手で田んぼの床に根ざした草を鷲づかみにし、根こそぎ取っていく。

やや汗ばむぐらいの初夏の陽差しの下、ひとりで話し相手もいなかったせいか、草取りに集中した。前かがみの姿勢なので、ときどき身体を起こして腰を真っ直ぐにするぐらいが、ちょっとした息抜きだった。

前かがみになって、目の前の草取りに没頭していた、そのとき。

私の右足のスネに何か触るものがあって、ハッとした。黒く細長い蛇だった。体長は50センチぐらい。その蛇は、自分の頭から尻尾の先まで、つまりは身体全体を丁寧にこすりながら、私の右足のスネを1周し、次に左足のスネも全く同様に身体全体をスネにこすりながら律儀に1周した。こすりながらとはいえ、水面を動いているのだから、とても正確に泳いでいたということだ。私は、身体を起こしてその蛇の行動をただ見てるのが精一杯で、田んぼに肩幅に突っ込まれた両足は動かせない。

「この後はどうなるんだろう?」

と思った瞬間。その蛇は私の両足のちょうど間で鎌首を上げ、頭を私の顔に向けてきた。しばし私とにらめっこ状態になり、「えっ、それで?」と思ったら、今度は口を180度に大きく開いて、先が2つに割れた細長い舌を思いきり私の顔に向かって伸ばしながら、「シャー、シャー」と5秒ほど威嚇するような声をあげた。私はただそれを見ているだけだが、不思議とそれが怖くない。私は、この蛇が右足に触ってからは、全身の力が抜けたOFFの状態で、完全に観念していたからだ。だから、私が何かをするというよりは、この蛇様に畏敬の念を抱いていて、「何かお気に召されぬことでもありましたか?」という心境だった。「シャー、シャー」が終わると、何事もなかったかのように、スイスイと田んぼの水面を泳ぎ去っていった。

少しの間、ボォーっとした後、私は草取りを再開した。再開して30分ぐらいした頃だろうか、そのときの私は前よりは周りが見えてた。私の先10メートルぐらいのところにその蛇がいた。ジィーッとしてるので、どうしたのかと思ったら、その蛇の4〜5メートル先にカエルがいた。

カエルも動かない。が、たまにピョンと動く。その1度のピョンと動いた短い時間の間だけ、蛇も素早く動き、カエルとの距離を縮める。そしてまた静寂の時間に入る。しばらくしてまた、カエルはピョンと動く。蛇も動き、徐々にカエルに近づいていく。もー完全に私は(観客として)蛇の虜になった。その決定的瞬間を思うとワクワクし、その狩猟に見入った。しかし蛇は私が思った以上にずっと慎重だった。「さー次だな(食いつくな)」と私が思ってから食いつくまで5度はあったと思う。最初の1〜2度の「さー次だな」にはかなりの興奮があったが、5度目ぐらいになるとその興奮もやや冷めていて、「(そこまで近づいたら)そりゃ成功するよな。石橋たたき過ぎなんじゃないの」なんて気分にもなった。でも、それが自然の厳しさなのだ。

その蛇が最初わざわざ私の両足に絡まり、鎌首上げて大きな口の中から舌出して「シャー、シャー」やったのも、「これからカエル捕まえるんだから、お前ちゃんと周りを見ながら草取りしろよ。それでオレが狩猟モードになったら、くれぐれも邪魔してくれるなよ」という、カエルを捕まえるための根回しのようなものだったのか。だとしたら、それは大成功だし、決して石橋をたたくようなことではなく、至って正攻法だ。

そう思うと、ますます蛇への畏敬の念は深まるばかりだった。

この20年前の、朽木村での蛇の話にはまだ続きがある。次はマムシ編だ。改めてこの次に書きたい。

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