2015年9月25日金曜日

セルフ、セルフ、セルフの次の未来図

写真は、一週間ほど前の羽田空港(国内線)。何と、手荷物を預けるための、セルフの機械があってビックリ。その内部を照らす青白い照明が何となく近未来的な感じがした。近未来的というと、映画「ブレードランナー」を思い起こすが、思えばその映画を観たのはもう30年ぐらい前のことだ。

少し離れたところには従来の手荷物を預けるカウンターがあった。こういうとき私は、大概、保守的に、従来の方を選ぶのだが、そのときはこっちが空いていたので、ちょっと思い切って使ってみた。とは言え、不安は拭えず、たまたま隣の機械を調整していたANAの人に、「いや〜、これ初めてなんですが、大丈夫ですかねー」と声を掛けた。「どうぞ、画面のとおりにやればいいだけですから、是非お試しくださーい」。その言葉に後押しされてやってみると。彼の言うとおり、思いの外、簡単に出来た。

ガソリンスタンドがセルフになって久しい。2〜3年前からは、ホームセンターで、セルフのレジが登場している。この調子だと、そのうちコンビニのレジもセルフになりそうな気がする。すっかり規格化しているようにも見えるコンビニでも、レジを打ってる人は、だいたいシフト制で働いているから、挨拶までしなくとも、知った顔になり、何となくの安心感も感じるものだ。その安心感も、セルフになると贅沢ということになる。

家電の量販店で、売れ筋1位の商品と2位の商品という表示があっても、「両者の違いは何?」など店員さんという人間にきいてみたくなるが、売り場にいる店員さんの数はめっきり減った。

最近、うちの子供たちに、独力で新宿駅で電車を乗り換えて、私の実家にまで行けるようになったらいいなと思い、先日、その第一歩として、説明しながら一緒に行った。乗り換えのときの道順はもちろん、どのホームの電車に乗るかとか、快速は降りる駅に停まらないなど、子供にとっては分かりにくいことが結構あるので、「分からないときは、ホームの駅員さんにきけばいいよ」と言ってみたものの、ホームで駅員さんはなかなか見つからない。「やっぱ、そのへんの人にきいてみてね」と言い直した。すると、カミさんは「今どきは、『そのへんの人』はどんな人か分からないからねー」などと言う。『そのへんの人』を選ぶ眼力も必要なのか。

それでふと思い出すのが、私の子供の頃。自宅の建てかえがあって、3ヶ月ほど都電を2本乗り継いで(つまり乗り換え1回で)親戚の家から小学校に1時間ほどかけて通っていたことがあった。4年生頃だった。今でも憶えているが、目線が低い子供にとって、通勤・通学ラッシュは、人の壁に囲まれるようなものだ。しかし同じ時間の都電に乗っていると、同じ運転手さん・車掌さんだったりして、顔見知りになる。そして、子供には満員の電車は辛かろうと、運転手さんや車掌さんのスペースに入れてくれた。

都電と言っても今は知らない人の方が多いだろうから、少し説明しよう。まず東京には昔、路面電車がたくさん走っていた。車両数は連結なしの1両で、その車両の先頭部分に運転手さんのスペースがあって、乗客のスペースとの間仕切りとして、大人の腰の高さぐらいに横方向のバーがあった。当然、最後部は車掌さんのスペースなのだが、先頭部と全く同じ計器類があって、やはり全く同じようにバーが間仕切りになっていた。反対に進むときは、運転手さんと車掌さんが入れ替わる。私が入れてもらったのは、そんな聖域とも言える運転手・車掌だけが入れるスペースだった。当然、大きな大人に押されることもなく、楽ちんだった。「おぅ、坊主。いいなー」と他の乗客から親しげな声を掛けてもらったことも憶えている。無論、その運転手さんや車掌さんは、ルール違反だったろう。でも、何も問題はなかった。そして何より、小学生の私が大人の社会に対して少し安心感とともに自信を持つことが出来た。

省人力化はますます進むだろう。しかし、大事なことは、もうすでにそれは世の中の進化とは思えなくなっていることだ。「あそこのガソリンスタンドは、セルフじゃないからちょっと高いけど、窓拭いてくれるんだよね」なんてことは実際すでにあるし、機械で成形したおにぎりより、手で握ったおにぎりの方がおいしい。

子供の頃、漫画で見た未来図は、とても豊かな雰囲気に満ちていた。だが、現実的にそんな未来図に近くなった今は、次の別の豊かな雰囲気に満ちた未来図が必要のような気がする。でも、それってどんなものなのかな?

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