2016年4月26日火曜日

活きタケノコかぶりつきの夢

先のエントリで、「大根おろし法」という簡単なタケノコのアク抜き方法を書いたが、きょうもタケノコの話。

長年、私にはタケノコにまつわる夢がある。夜見る夢でなく、「夢見る乙女」の方の夢だ。冒頭の写真は、我が家(東京・昭島市)の近所の竹藪(真竹)だが、所有者は不明。町に住むとなかなか私の夢の実現は難しい。

先のエントリでも触れたとおり、下記の先人の言葉は、いつも私の心の奥底で静かに息づいている。

「タケノコ掘りに行くときは、台所で湯を沸かしながら、行くものだ」
「タケノコは、掘った(根から切り離した)とたんに、アクが出てくる」

そして、つい先日、サムライ菊の助さんのブログで、

「タケノコは、掘ってから30分以内にゆで始めなければならないのである」

とのお言葉。
つまりは、「掘ってから、出来るだけ短い時間にアク抜きするといい」ということだ。

・・・・ならばだ。

その「出来るだけ短い時間」や「30分」をいっそのこと「ゼロ」にしたらいいではないか! つまりは、生えてるタケノコにかぶりついたらいいいいではないか! と、20〜30年ぐらい前に思いついた。これが私の「活きタケノコかぶりつきの夢」だ。

この夢を思いついたキッカケは、30年ほど前の5月、紀州の山の中にある友人宅に泊まっていたときのこと。私は、窓越しに竹林がある部屋に寝ていたのだが、深夜未明、突然「バリバリ、バリバリ」と窓を隔てた竹林でスゴイ音がした。怪獣がビルを叩き壊すような音。私は真っ暗の中、飛び起きた。耳をひそめると、何か大きな動物が、竹林の中を少し歩いては「バリバリ、バリバリ」と数回繰り返した。30分もすると、音がしなくなったので、私は再び眠りについた。翌朝、友人にその話をすると、「あー、そりゃ、イノシシだ」とのことだった。「バリバリ、バリバリ」は、イノシシがタケノコをかじっていた音だったのだ。そしてその竹林に行ってみると、イノシシの背丈ぐらいにのびたタケノコが数カ所、荒々しく食べられていた。「イノシシって、タケノコ食うんだー」と思った。

それ以来、何度か(アク抜きした)タケノコを食す機会があったが、その度毎にあの「バリバリ、バリバリ」を思い出す。そして、「あのイノシシが食っていたタケノコは、アクはなかったんだろうか?」とも思った。そして、もしかしたら、「生えたままのタケノコは、アクがない(またはほとんどない)」ということかも知れない、と思い至ったのだった。先に書いたの先人の言葉と繋がった。

先のエントリでも書いたとおり、タケノコは、適度なアクがあった方がいい。でも、たとえ掘って30分でも、アク抜きが必要なタケノコを、生えたままかぶりついたらどんな味がするのかを、死ぬまでに一度は確かめてみたいのだ。あのイノシシだって、真夜中とはいえ、リスクをおかして人家に近づいて次から次へとバリバリ食べていたのだから、それはそれはおいしいものなのかも知れない。

まだ実現はしてないものの、そこまで思っているので、私の中でシミュレーションはかなり出来上がっている。
  1. 天気のいい4月中旬から5月中旬、長靴を履いて竹林へ(出来たら孟宗竹)行く。持ち物は、小さなスコップ・ナイフ・お醤油・塩・山椒の葉。
  2. 少し土の盛り上がった食べ頃のタケノコさんの周りの土をスコップで軽く掘り、表れる皮をナイフで剥き、柔らかな先っちょ(7〜8センチ)を露出させる。(たぶんそれは地面よりも低い位置になるだろうから、先っちょの周りの土を大きめのドーナツ型に掘ることになろう)
  3. 腕立て伏せをするように、両手をその先っちょの左右両側につき、(イノシシのように)露出した先っちょに、まずはかぶりつく。
  4. 味をみて、調味料が欲しいようなら、別の露出した先っちょに塩をかけたり、お醤油を垂らしたり、山椒の葉を少しのせたりして、改めてかぶりつく。
  5. 次に、また別のタケノコの先っちょだけをナイフですっと切って、即、口に入れる。これは「掘って(切って)から3秒ぐらい」になろうか。もちろん、オプションで調味料類。
「先っちょだけ食べちゃって、その下がもったいないぞ」、「それでその竹は成長出来ないじゃないか(いやいや、今や荒れている竹林が多い)」、または「そんな(イノシシみたいで)お下品な!」など、異論も多いと思うが、大地にまだくっついている植物を直接食す。イノシシがそうしてタケノコを食すように、自分が動物に近づけるような気がして、想像しただけでゾクゾクする感覚がある。これまで、活きた白魚やエビのお造りを食べたが、口の中で動くと、妙な気持ちになったものだ。タケノコは動かずとも、どうなんだろう? 果物や野菜類は何となく想像がつくが、この活きタケノコは想像がつかない。

冒頭に書いたとおり、現在私は町に住んでいて、なかなかその機会はない。田舎に住む知人の中には、近所の竹林でタケノコ掘りが出来る人がいよう。その人に頼めばいい。だが、こういうのって不思議なのだけど、本当にやってしまったら、夢が終わっちゃうんじゃないかという寂しさへの不安も同時にあって、ずうっと20〜30年やれずにいる。普段は忘れているだけど、毎年、この時期になると、思い出すのだ。

きっと「そのとき」は、自然とやって来るものだと思っている。

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