2016年5月13日金曜日

サイゴン・マジェスティックホテル 103号室

 上の写真は、ベトナムはサイゴン(現・ホーチミン)の老舗ホテル、マジェスティックホテルの103号室の入口。ドアの左側に金色のプレートが掛かっている。それをアップで見ると・・・・。
 暗いところでフラッシュ焚かずに撮ったので、ちょっと読みにくい。文字打ちしてしまおう。

日本の作家開高健は一九六四年末から六五年までサイゴンに
滞在して、開高健はマジェスティック・ホテル一〇三号室に滞在していました。
(現ホーチミン市)毎週、開高健は 週刊朝日にいろいろな記事を
よく送りました。また ベトナム戦記について書きました。

(この日本語の下にベトナム語)


開高健を知らない若い人たちに誤解のないよう付け加えるが、彼はこの部屋に閉じこもっていた訳ではない。命がけで戦場に足を運び、そのルポルタージュの原稿をこの部屋で書いた。「(ベトナム全土の戦争だから)このホテルさえも戦場になり得る」といった下りもあるらしいが。

それにしてもこのプレートの日本語、いくら開高健の記録とは言え、この短い文章の中に「開高健」が3回も出てくるし、全体的にちょっとおかしな日本語だ。日本語の上手なベトナム人が書いたのかなという感じがする。

この写真は、2013年、(単に私の出張ではなく)食の学校のツアーで、このホテルの他の部屋に泊まった際に撮ったものだ。まー、そんな機会でもない限り、私が泊まるようなホテルではないので、ミーハー心でこの103号室の前まで行ってみたのだった。この部屋に泊まるためには、ずいぶん前から予約を取らねばならないと聞いたことがある。

でまぁ、今改めて読んでみても、やはり変な日本語だ。

・・・・でだ。
ついこのあいだベトナムへ出張した際、偶然にもこのこのプレートの代替え品に出会った。正確には、代替え候補品なのだが。このマジェスティックホテルのプレートを見て、「もっとちゃんとしたい」と思った開高健の関係者が、日本で新たに作り直したものだった。そのお気持ち、よく分かる。それが下の写真。縁取りのデザインは踏襲されていている。四隅のねじ穴もキッチリ測って開けられているはずだ。
こちらはさすがにちゃんとした日本語だ。(読みにくいと感じたら画像をクリックしてください。大きくなります) ただひとつ、ベトナム語がなくなっちゃったのはちょっと残念。やはり現地言語は尊重したいという気持ちが私にはある。ねじ穴でサイズが限定され、日本語と英語で、スペースがいっぱいになってしまった、ということかなぁとは思うが。

でも、英語の最後。“....wrote a series of historic Vietnam War reportages that spurred antiwar movement in Japan.”の下りには、胸を打たれる。日本は今、当時に比べ、確実に平和ボケしていることを、“antiwar movement in Japan”という言葉から感じとれる。また、「この部分が日本語になっていないのはどういうことだろう?」と深読みしたくなってしまう。まっ、それはそれとして、「ベトナム戦記」まだ読んでないので読まなくちゃ。

さて、先に、このプレートは代替え候補品と書いた。私がこの写真を撮ったのは3月末。事前に代替え品の話はしているらしいのだが、この後マジェスティックホテルは現物をチェックし、承認を得られたら、掛け替えとなるらしい。この写真を撮ってから一ヶ月半が過ぎた今頃は、103号室の脇に掛けられているだろうか。

0 件のコメント: