先のエントリでは、「想いやり生乳」を飲んで「感じたこと」を書いたが、きょうは、「思ったこと」を書きます。ちなみに、冷蔵庫の中の次の1本はまだ飲んでない。
「母乳は、乳房の中では血液で、乳首から外へ出る直前に母乳になるんです」
私が偶然居合わせて聞いた、想いやりファーム・長谷川氏の話だ。つまり、母乳とは血液のようなものだというお話。先のエントリで私は、「想いやり生乳」を飲んだ感想として、「体液のように身体の隅々に染み込んでいくよう」と書いたが、その体液(栄養)とは、血液のようなものなのだ。
「身体の隅々に染み込んでいく」
私は塩を作っているが、塩でも「身体の隅々に染み込んでいく」ような感覚がある。私にとって、おいしい塩とは、まさにその感覚がある塩で、身体が欲しがっているものを摂って喜ぶおいしさだ。だから、身体が感じる「身体の隅々に染み込んでいく」感覚にはとても興味がある。
しかし、「身体の隅々に染み込んでいく」と言っても、塩と乳(または血液)ではレベルが違う。何と言っても、乳には「生っぽさ」、または生きている「動的」な感じがあり、塩はいたって「静的」だ。もっと言えば、乳は生物で、塩は無生物な感覚がある。塩は無機物(=ミネラル)だけが成分で、母乳または血液は、様々な無機物とともに様々な有機物の栄養素の集まりだ。
数年前、コップに搾ってもらったカミさんの母乳を飲んだとき、何となくドキドキしたことを憶えている。その一種の興奮とも言える心境は、その母乳がとても「生々しいもの」に感じたからだった。例えば、生きてる魚介類を食べたときのような興奮。生きてる白魚やエビが口の中で暴れて感じるような興奮。この手の興奮があると、その味が分かりにくくなるものだ。乳の「生っぽさ」っていうのは、それにも似た気がする。
そして「生っぽさ」は通常、腐敗する。しかし、長谷川氏曰く、
「1日の瓶詰め作業は、機械の組み立てなどの準備に1時間、瓶詰めに2時間、そして機械を分解しての掃除に6時間なんです」
これで、「想いやり生乳」は、いけない菌(大腸菌群など)が入り込まずに、生のまま瓶詰めされる。「ただ、乳酸菌はいるので、そのまま置いて置くと、ヨーグルトにはなりますが」とのこと。「ふっ、へー」。裏返せば、通常の牛乳が、加熱殺菌せねばならない理由はここにある。そして加熱されることで、様々な成分も変わっちゃうということだ。それは飲めば分かる。
つまりは、です。
簡単に言って、「想いやり生乳」って、「しゃぶりつき生乳」、つまり母牛の乳首にしゃぶりついて飲むようなことなんじゃないか。母牛の体温があるかないかの違いはあれど、外から雑菌が入らないように、直接乳首にしゃぶりついて、非加熱の乳を飲むということなんじゃないか。
それにしても、「乳を飲む」ということはどういうことなんだろう? 子どもは、「乳飲み子」から、いつしか「乳離れ」する。そして一度「乳離れ」した後は、拒絶するものだ。しかし、大人になっても、牛乳や乳製品を飲み食べ続ける・・・・。
改めて考えさせられる。
★関連エントリ: 「想いやり生乳」と母乳(2013年10月8日)
★関連エントリ: 「乳を飲む」ということ(2013年11月11日)
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