2018年11月19日月曜日

タンドールへの道・その10(終わりに)


 先週の金曜日、近くまで行ったこともあり、ランチしに立川のムガルキッチンを再訪。「タンドールへの道・その1」でも書いたように、今回、モバイル・タンドールを作るにあたり、タンドールを見学させてもらったレストランだ。金曜日は、バイキング・スタイルとのことで(1,080円)、カウンターに白飯から3種類のカレー、スイーツまでがずらりと並んでいる。12時まで20分ぐらいあったせいか、客は私一人。ちょうどいいと思って、話かけた。

「こないだ、1〜2ヶ月前、タンドールを見せてもらった者ですが・・・・」

「あー、ナンね。もう少し待って」

「・・・・そうですか。えーと、1ヶ月前、私、キッチンの中に入れてもらって、タンドールを見せてもらったんですが・・・・」

「あー、タンドリーチキンね。もーちょっと待ってねー」

バイキング・スタイルのランチ時間が、まだ始まったばかりのタイミング。焼きたてがおいしい、ナンやタンドリーチキンは、最後にバイキング皿にのせるようで、私が催促してると解釈されたようだった。私が期待したように「あ〜、あのときの人ね」とはなかなかならず、料理中でもあるし仕方ない。入店後、私はすぐにタンドールに目が行ったが、やはり「巾着パンチ」が脇にあった。直径20〜25センチぐらいか。タンドールが大きい→ナンも大きい→「巾着パンチ」も大きい。

バイキングの料理を皿にとり、テーブルについて食べ始めた。やはり、ここの料理はおいしい。味付けや料理法に感じるデリカシー。3種類のカレーは各々特徴があって、何気に切られているチキンや野菜(ナス・じゃがいも)の大きさもちょうどいい。町中にインド料理店は増えたが、よくある店とは一線を画している。スイーツも食べ終わった頃、ナンやタンドリーチキンを出し終えたシェフのお兄さんが話しかけてきた。

「あー、思い出した。あなた、来たよね。きょうも来てくれてありがと」

「あー、思い出してくれましたか。よかったー。あのときは、タンドールを見せてくれて、ありがとうございました。近くで見せてもらったおかげで、私、このぐらいの小さいのですが、タンドールを作りました。それに、ここの料理をまた食べられて嬉しいです。とてもおいしい」

「そーですか」

と、微笑んでくれた。ただ、「私がタンドールを作った」ということについて、彼はピンと来てない様子。いくらモバイルだからと言って、ここへ持ってくるまでもないので、まあ仕方がない。最初は諦めかけたが、思い出してもらったおかげで、お礼も言えて、私個人的にはホッとした。

会計を済ました後、カウンター越しにキッチン内のタンドールの写真を撮らせてもらった。それが冒頭の写真。下の開閉式の空気孔も見える。「巾着パンチ」がタンドール左側に置いてある。お客さんも私の他に一人だったので、気になってたことをきいてみた。

「ナンを焼く前、脂を手に塗りますか?」

「ん〜、そうね」

「(打ち粉の)粉は?」

「粉、付けるよ」

「粉を付けると、タンドールから剥がれませんか?」

「そう、だから粉は片面だけ、ほんのちょっとね」

ちなみに、バイキングに出ていたナンは、生地自体に結構脂が含まれている。ナンというよりは、パラータに近い。これだけ脂が入っていれば、生地が手にひっつくようなこともないだろうし、もしかしたら、この脂ゆえに、タンドールから剥がれることもあるかも知れない。さすがにこれ以上詳しくはきけなかったが、2〜3ヶ月、彼に付いて研修(修業)させてもらえたら、きっと面白いだろうななどと、ふと思ったりもする。

また、上の写真は、シークを撮った。十数本が、換気扇のフード(向こう側)のフチに掛けてある。シークの片方の先っちょは、私がやったように尖らせてあるが、逆側は、「J」を逆さにした形に曲げてある。焼き上がったチキンが刺さったシークをタンドールから出すと、最初に「J」字の箇所を流水で冷やした後、換気扇のフード(手前側)に掛けた状態で、チキンを抜き取っていた。なるほど、これは抜きやすい。また、シークの太さは、私が作ったシーク(9mm)よりやや細かった。たぶん5〜6mmほど。

ところで、今さらながら、「タンドール」をwikiってみた。その「起源」の欄には、

タンドールの最古の例は古代インダス文明のハラッパーとモヘンジョ・ダロの遺跡に見られる。・・・(中略)・・・現在の形のタンドールはアフガニスタンで発生し、ムガル帝国のインド征服とともにインドに伝わった。 

とある。この記述を鵜呑みにすると、元々はインダス文明の産物で、インドへはムガル帝国のアーリア人が伝えたということになる。すると、チャパティは、ドラヴィタ文化のものなのか。インド北部からヨーロッパまでの地域の主食は小麦だと思うが、タンドールは現在、インド北部から中東までで使われているらしい。おそらく、タンドール(窯)がアフガニスタンから西に伝わっていく過程で、オーブンという天火の窯に変わっていったのだと思う。トルコあたりでは、普通にオーブン(天火)が使われている。

ところで、wikipedia「タンドール」には、下記のような記述も。

大きさは家庭用の小さなものから、人間の背丈より深い業務用の大きなものまで様々であり、・・・・

おっと、そっかー、「家庭用の小さなもの」もずいぶん昔からあるみたいだ。私が考えるぐらいだから、それもそうだよな。これじゃ、家庭用モバイル型タンドールをインドで販売という私の妄想は、やっぱり妄想に過ぎない。

閑話休題。

気がつけば、「タンドールへの道」のエントリも今回で「その10」を数えてしまった。この間、何度も書いているが、今回タンドールを作って使ってみて、つくづくタンドールってすごいなと思うのは、

「こんなに簡単に作れて、こんなに少ない燃料(炭)で、こんなにもおいしく焼ける」

ということだ。この根本には洗練されたシンプルで素直な構造にある。これが熱効率の良さ、施工のしやすさ、そしておいしさを生んでいる。ハラッパーやモヘンジョ・ダロの時代から今に至るまで、小麦を主食とする地域で使われ続けている理由はここにあると思う。

例えば、数十年前に考案された電子レンジは、百年後に存在しているだろうか? と、ふと想う。電子レンジではなくとも、きっとこれまでの長い間に、いろんな窯が考案されてきたことと思うが、タンドールは今でも使われ続けている。便利なもの、手軽なものはいつの時代でも人気があるのだが、それらとは異なるところで、何千年も役に立ち続けるものもある。ここに私はそこはかとない価値を感じてしまう。

1〜2時間前に点火しておかねばならないタンドールは、1分間のチンよりも時間がかかる。しかし、そのおいしさの違いは言うまでもない。何でもそうだが、おいしさには必要な時間があるものだ。また、分単位の時間に追われる暮らしの方が便利なはずもない。よーく考えてみると、電子レンジよりもタンドールの方が、本当は便利なんじゃないかと思えてくる。こういうものを考え出し、作り使い続けることが、今の私たちに最も必要なことなんじゃないかと、タンドールは私に語りかけているように感じる。

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