2014年3月18日火曜日

タンソンニャットのタクシー

先週一週間、ベトナムへ出張に行ってた。目的地は、仕事場であるカンホアの塩田なのだが、成田から乗った飛行機は、まずはベトナムの玄関口、ホーチミン市のタンソンニャット空港に到着する。町の中心までおよそ1時間のところだ。私がベトナムに通い始めて16年ぐらいたったが、国内線を含め年に2〜6回この空港に降り立つ。

ベトナムは私が知るこの16年の間、実にいろんなことが変わった。その変わった中のひとつ。この空港のタクシーのことを書いてみようと思う。

1.平和なタクシー時代

初めてベトナムを訪れた際、このタンソンニャット空港から町中までの交通機関はタクシーだけだった。だから空港を出たら迷わずタクシー乗り場へ。2〜3年は普通にメーターで行ってくれた記憶がある。ちなみにこの頃のタンソンニャット国際空港は、現在国内線用として使われている空港だった。

2.ぼったくり全盛時代

その後、新しい国際空港が隣の敷地に建設された。その頃には「普通にメーターで」は、夢物語になった。何となく、タクシーに乗るときから雰囲気の違いは感じつつも、町中の目的地へ着いて料金を払うとき、通常価格(町中で普通に走るとき)の10〜20倍など法外な料金をふっかけられた。タクシーメーターのことを言っても、「これは壊れている」など、とりつく島もない。さすがに10〜20倍となると、こっちも「なめんなよー」と腹が立った。タクシーの運ちゃんと喧嘩腰の言い合いになり、何とか3〜5倍ぐらいで「仕方ないかー」と折り合いをつけ、それはそれは疲れ切った上に嫌〜な気分になったものだ。そしてそれがその後何度か続いた。

3.タクシー・チケット時代

「この空港のタクシーは、この国の鬼門だな」と思い始めた頃、タンソンニャット空港の出口直前に、タクシーチケットのブースが設けられた。それが今から10年ぐらい前か。そのブースでは、町中へのタクシーチケットなるものを販売していた。ただし料金は通常価格の2倍ほど。ブースのお姉さんは、「これを買いさえすれば、あとはチップも要りませんよ」と売る気満々。購入すると、「この人について行って」と別のお姉さんが登場し、人混みの中を抜けて、契約している一台のタクシーまで先導してくれた。

タクシーの運ちゃんと頑張って喧嘩して何とか3〜5倍の料金を払って憔悴するより、2倍の料金を払ってでも穏やかに目的地に着いた方が、私にとって断然よかった。だから、それから何年かは、そのタクシーチケットを買って、町中へ向かった。

ここでひとつ断っておくが、これは何も不慣れな外国人だけがカモにされてたという話ではない。地元サイゴン在住のベトナム人だって、20倍とは言わなくとも、5倍、10倍は当たり前のようにふっかけられていて、サイゴン市民の中でも悪評高かった。お迎えの車などがある場合以外、他に交通機関がない。経済学では、「需要と供給で価格が決まる」という古典的な考え方があるが、まさしくここのタクシーは、売り手寡占市場になっていた。しかし、時と共に、公共の路線バスが走り始めたのもこの頃だった。ただ、大きな荷物を持っての路線バスはちと厳しい。

4.適正価格時代の到来

それで、です。つい先週のこと。いつものように、空港出口でタクシーチケットを買おうと思ったら、そのブースが消えていた。近くにいたホテルのインフォメーションのお姉さんにそのことを尋ねると、「タクシー乗り場へ行きなさい。メーターで行ってくれるから」と言われた。私はあっけにとられたが、「タクシーチケットもないことだし、騙されたと思ってタクシー乗り場へ行ってみるかー」と行ってみて、乗ったタクシーの中で撮ったのが冒頭の写真なのだ。

そのタクシー乗り場には、5〜6社のタクシーが一台ずつ一列に並んでいた。そして、ある会社のタクシーが一台出発すると、同じ場所に同じ会社の次の一台がやってきた。空港出口から一番近い場所には、昔から悪名高い「Saigon Airport Taxi」などが並び、一番遠い場所には、私がいつも利用する“Mai Linh”や“Vinasun”の乗り場があった。当然、私は客引きをくぐりながら遠く(と言っても20メートルほど)の乗り場の“Mai Linh”タクシーに乗った。

“Mai Linh”の乗り場脇には、緑色の“Mai Linh”の制服を着たお姉さんがいて、「このタクシーにどうぞ」と促してくれつつ、乗り込むにあたって、そのタクシーの番号と日付などを走り書きしたカードを手渡してくれた。この写真のは、タクシー番号が1183で、日付が3月8日。このカードは、例えば、「運ちゃんの態度が悪い」ぐらいも含めた苦情一切をタクシー会社に言うとき、また忘れ物をした際にも使う。

以上、大きく変わったと思いませんか? たったと言えばたった16年の間に、タクシーひとつがこうも変わった。これは人々の生活スタイルの急変、そして経済の急成長がもたらしてきたベトナムの変化のひとかけらだ。ぼったくりなどの金銭主義、常識や理性の感覚、交通インフラの整備など公の政策など諸々がもたらした現実そのものだったと思う。

タンソンニャットからタクシーに乗るのが楽になった。でもそれはひとかけらの現実だ。時を同じくして、町中の市場は徐々にスーパーマーケットに変わってゆき、路上のカフェもエアコン完備のカフェへと様変わりしてきた。全てはこの国の人たちが決めることだが、世の中、あまりきっちり整備されても人間味が薄れて面白くないんだけどな。そんなの、よそ者の戯言(たわごと)に過ぎないのは重々承知しているのだが。

私は、この緑のカードを手にしてタクシーに乗り込んだとき、運ちゃんとしたくもない喧嘩をしてた頃を思い出し、個人的に感慨ひとしおな気分になった。そして思わず記念撮影までしまった。まぁー、サイゴンへ行かれる方の参考程度にはなったかな。

※追記
およそこの10ヶ月後、私は成田からタンソンニャット空港へ降り立った。一年足らずのうちに、事情は変わっていました。その模様は、こちらまで。
●タンソンニャットのタクシー、2015年

2014年3月7日金曜日

ガスコンロの部品交換

上の写真、何の変哲もないガスコンロに見える。

元々このガスコンロは10年ほど前に購入したものだった。まぁ、10年も使ってきたせいで、徐々にガタが来て、最近使いにくくなった。例えば、フライパンに油を敷き、油が熱くなるのを待っていると、だんだん油が手前側に片寄ってしまう。つまり、水平でなくなった。ソテーをするとき、とても困る。餃子を焼くとき、とても困る。その原因は、五徳の下の汁受け皿が腐食してボロくなったこと、またコンロの上部を覆う天板(写真ではグレイ色)の五徳を載せる部分がボロくなったりしたことだ。中華鍋もよく使うので、どうしてもその重みでその部分がポロくなったのだと思う。

平らでなくなったのが気になり始めた頃は、ガスコンロの足に厚紙を挟んだりしてごまかしながら、使っていたが、それも何年かすると、どーにもならなくなった。

「買い換えか?」と思いきや、困ったことがあった。それは、最近のガスコンロには、温度センサーが2口ともについていることだ。ちょっと調べてみたら、どうも数年前にそれが法律で義務づけられたらしい。ということは、「買い替え」は、「センサーは2口両方になること」を意味する。

10年ほど前のガスコンロは、写真でも分かるとおり、(右側の)片方だけだ。例えば、ミルクパンで、少量を火に掛けるとき、その軽さのせいで、温度センサーが引っ込まず、そのミルクパンは傾いてしまう。また、我が家では、七輪を多用するが、炭に火を付ける際、鍋の底に穴が開いたような型の火起こし器を使う。当然ながら、火を起こすまでは通常の空焚き以上に温度が上がるため、温度センサーが働いてガスが止まってしまう。無水鍋もしかり。

どー、しよー。

と思い悩みながら、ホームセンターに寄ったついでに、ガスコンロ売り場を見に行った。センサーが両方についたガスコンロがズラリと並んだ脇に、ガスコンロの部品売り場があった。それまで、ガスコンロの部品交換なんて考えもしなかったのだが、あるんですね〜。その部品売り場には、我が家のコンロに合うものはなかったが、帰宅後、調べてみると、結構しっかり交換部品が揃っている。しかし、決して安くはない。

ちなみに、我が家のはリンナイ製。
リンナイの交換部品販売のサイトは、以下。
http://www.rinnai-style.jp/

パロマさんの方もちょっと見てみただけだけど、ありました。
http://www.paloma-plus.jp/

そして、実際に私が注文したリンナイさんの部品とその価格は、以下で、合計6.300円也。

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  商 品 名    : トッププレート<フッ素コート>※排気口カバーが取り外せるタイプです。
  商品コード   : 001-977-000
  金  額    : 2,730円 × 1個=2,730円

  商 品 名    : しる受けカップ【左右共通】
  商品コード   : 009-252-000
  金  額    : 630円 × 1個=630円

  商 品 名    : ごとく(五徳)【左右共通】(グレー)
  商品コード   : 010-275-000
  金  額    : 1,050円 × 2個=2,100円

  商 品 名    : グリル焼き網
  商品コード   : 071-033-000
  金  額    : 840円 × 1個=840円
  ―――――――――――――――――――――――
  小  計    : 6,300円
  送  料    : 0円
  ―――――――――――――――――――――――
  総 合 計   : 6,300円
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6,300円が高いか安いかは人による。でも、先に書いたとおり、温度センサーが片方だけにしかついていないタイプの価値がとても高い我が家にとっては、安かった。これでほとんど新品のような気分。もちろん、フライパンに敷いた油も片寄ることはなく、火起こしも出来るし、ミルクパンはセンサーのない側で火に掛ければいい。グリルの焼き網も替えたから、魚の皮が網にへばりつくことも(当分の間は)なくなった。

あ〜、快適、快適。同じ悩みを持ってる人にはオススメです。極めて少数だろうけど。

2014年2月27日木曜日

プラネタリウムで寝る

こないだ、東京・八王子にあるサイエンスドームへ家族で行った。子供向けの体験型科学遊具もあったが、メインはプラネタリウム。

私は、むか〜し、渋谷の五島プラネタリウムに行って以来のプラネタリウムだった。むか〜し、たぶん40年ほど前のプラネタリウムは、ドーム型のスクリーンに星座などが映し出され、「これがオリオン座で、これが乙女座・・・・」みたいなナレーションで、星座や星にまつわる逸話を聞かせてもらうようなことだったが、今どきのはすごかった。

宇宙空間の景色がシンプルだからだろうか、CGとは分かっていても、もー、とってもリアル。例えば宇宙船に乗って、星の近くを通り過ぎるシーンなんかは、本当に宇宙船に乗っているかのようだった。ついこの間、ディズニー・シーで、メガネをかけての3D映像を見たが、あんなもんじゃない。プラネタリムはメガネは要らないし、空間を包むようなでっかいドーム型のスクリーンに映し出された映像は、圧巻だった。

冒頭の写真が、その映写機。球状で、穴がいくつも開いてる。これで、どんな風に投影してあんな映像になるんだろう?

それでね。

ここまでその映像を絶賛してきましたが、実際には全体の半分も観ていない。でもまぁ、半分近くは観てるので、その映像のリアルさが色褪せるものでは決してありません。

ただただ、すっごい眠くなるんです。

すぐに眠りに落ちる。それも非常に快適な眠りに。かなりの快感だった。隣に座った娘が、時折、気持ちよーく寝ている私をつついて「なに寝てんのよー」と起こすので、「おっ、寝てたな」とか言って、起きて観る。しかし、すぐさま睡魔が・・・・。起きていようと思っていても、1分も経たぬうちに眠りに落ちる。そして、(たぶん)10分ぐらいすると、娘が・・・・。これを3〜4回は繰り返したろうか。

眠っちゃいけない状況で眠くなるのは、辛さと快感が同居している。学校の授業中に眠くなるのもそうかも知れない。または、学校の朝礼で、真面目な話をする校長先生の「社会の窓」が開いていたとしよう。笑っちゃいけない状況で、笑いをこらえなくちゃならない。こういうのも、辛さと笑い(快感)が同居しているように思う。だから、娘が私を起こすのも、それがあったからこその眠り快感があったかも知れない。

さて、「もー、起こすなよー」という言葉を抑え、投影時間の60分間が終わった。この感覚、前にも経験したことを思い出した。むか〜し行った五島プラネタリウムだった。中学生頃だったろうか。そのときは誰も起こす人がいなかったので、ほとんどあの著名なお話(語り)を聞くことなく、ぐっすり寝ていた。そして、それが非常に気持ちよかった。

真っ暗な中、静かに星を見る。それはほとんど夜。だから眠くなるのかな。今度はひとりで、「寝ること」を目的に行ってみようかと思っている。ただイビキが心配だな。

2014年2月18日火曜日

チリトリの雪かき

この冬二度目の大雪に見舞われた東京。金曜日が降雪のピークで、上の写真はその翌日土曜日の東京・立川近郊だ。当日、私は電車で一駅の立川で待ち合わせしていたのだが、その電車が動かず、立川まで1時間歩いた。私だけでなく、多くの人が繋がって黙々と歩いていた。

歩道は雪で埋まってたので、車がほとんど走らない車道の轍(わだち)を歩く。ときどき私と逆方向に歩いている人とすれ違わねばならぬが、そんなときは、まずはお互いの靴を見る。私は長靴だから、相手が革靴だと私が積もった雪に除けて道を譲る。お互い長靴だと、年配の方や女性、子供には譲る。逆に、相手が長靴を履いた若い男性だと、譲ってもらう。立川まで歩いた1時間、そうした暗黙のルールが静かにキッチリ働いていて、微笑ましくも可笑しかった。

さて、それから2時間も経った頃だろうか、私は待ち合わせしていた人とようやく会えた。彼は札幌の人で、2日前に上京していた。

「東京は除雪車がないし、こうなっちゃうと大変です。しかし、(東京では)チリトリで雪かきしてるの見ました? スゴイですよね?」

と言うと、

「もうそれは、事件です。土産話が出来ました」

と応えた。
私は、学生のとき、スキー場で4シーズン(1〜2ヶ月ずつ)アルバイトをしていたことがあり、雪かきは雪国レベルの経験がある。「事件です」には思わず笑った。スコップがないのは分かる。ホームセンターでも売り切れなのも分かる。でも、同じ状況でも雪国の人は、決してチリトリでは雪かきしない。

では何でするか。たぶん、板きれなんかを探してきてやるだろうなー、と思う。そして、チリトリしかない場合は雪かきしないだろう。

「北海道の雪は、こんなベトベトじゃなくてサラサラ。まぁ、春先はこういうときもあるけど、ほんの短い間です」

何人もの北海道の人から聞いたことがあるフレーズだった。
雪国の人のささやかなプライドに触れた気がした。

2014年2月3日月曜日

子供の靴を揃える

この間、自宅の玄関で、息子の靴が散らばってたのが気になった。私はそれがいつも気になるほど几帳面ではないのだが、そのときは気になったので、揃えた。そしてその行儀よく揃った靴を見たとき、一瞬、息子が襟を正したような錯覚に陥った。

おそらく、彼は、私が靴を揃えたことなどには気がつかず、揃えられた靴を無造作に履いていくことだろう。

ただ、それが何度も何度も続いたとしたら・・・・、とふと考えた。

そして、いつか靴を履こうとしたとき、それも特に急いでいるとき、「揃ってない靴」を足下に持ってきて履くとき(それはほんの些細なことだけれど)、ちょっとでも面倒だと感じたら、それまで靴を揃えてもらっていたことに気づくかも知れない。

子育てなんてそんなものかも知れない、と思った。私だって、似たようなことを親からしてもらっていた。今頃になって気づくのだが、そのおぼろげな記憶は、今の私を後押しする。

いつもとはいかないだろう。でも、気がついたら、いや、気になったら、その気持ちに素直に従って、子供たちの靴を揃えようと思う。そうしたら、もしかしたら、子供たちも誰かの靴を揃えるようになるかも知れない。

2014年1月30日木曜日

ドブロクのススメ

今年もドブロクの季節がやってきたぁ〜。
上の写真は、今朝の仕込みが終わった状態。三段仕込みの初添えが終わったところ。

何せ素人だから、一番雑菌が繁殖しにくい、一番寒いときが造りやすい。今ですね。プロの酒蔵でもこの時期が中心だが、素人に空調はない。すでに十数年続いていて、それなりの進歩もあるから、「素人じゃない」とおだてる知人もいるが、酒造りはそんなに甘くはない。いくら十数年進化をとげたドブロクも、市販の旨い酒にはとてもかなわない。でも、市販のおいしくない酒よりはおいしい。自分で造ると愛着も湧くから、そのせいもあろうが、やっぱりおいしくない酒よりはずっとおいしいと思う。

そして、ドブロクを造り始めてから何より思うことは、売ってる酒を飲むときの意識が変わることだ。

十数年前に、私はドブロクを造り始めたが、好みの酒を懸命に探し始めたのもちょうど同じ頃だった。自分でドブロクを造ると、酒を造っている人たちへ思いを馳せる。玄人さんが使う酒の原材料と素人が使うドブロクの原材料はどれひとつ同じものはないが、「米のデンプンを麹が糖化し酵母菌がアルコールと炭酸ガスを発生させる」という基本原理は一緒だから、ドブロク仕込んでるときも、「こういうとき、玄人さんはどうしてるんだろうなー」など、素人なりにいろいろ想像もする。そうすることで、酒やドブロクをよりじっくり味わうことになり、酒を飲むときの意識が変わる。そう思っている。

現代は、何でも「買う」ことが当たり前になってますね。便利って言えば便利だけれど、本当は、「自分で作る」がまずありきで、「自分で作れないもの」を「買う」ということだと思う。

何でも「買う」が当たり前の世界では、「自分で作る」イメージは存在しない。もし、少しでも「自分で作る」イメージが残っていれば、自分では作れないからこそ「買う」という気持ちになれる。それがあれば、同じものを買うんでも、謙虚になれるし、その商品の「ありがたみ」とともに自然と感謝の気持ちも湧くものだ。つまり私がドブロク造るのは、市販のお酒に敬意を表するためでもある。

ドブロクのススメ。

それは造る楽しみとともに、自分流のおいしいドブロクが飲める幸せだけじゃない。市販のお酒を飲んで、「あー、旨いな〜。このお酒(そして造り手)と同じ時を生きてて幸せだなー」としみじみ思えること。これら両方の幸せが故の、ススメなのです。

関連エントリ:
●natural salt cafe: 冬はドブロク(2010年1月29日)

2014年1月24日金曜日

「いいわねぇ〜、東京の木は」

久しぶりのブログの更新。毎月3回の更新を目指していたが、この2ヶ月はバタバタで、心の余裕がなかった。気がついたら大寒も過ぎ、そろそろドブロク仕込まなきゃ、とあせってきたが、そんな心境の中、いつもは車通勤のところ、久しぶりに電車に乗って仕事場へ向かった。

上の写真は、今朝、その出勤途中に撮った公園のケヤキ。場所は、東京の福生(ふっさ)。高さは、30メートルぐらいありそうな大木だ。今は葉が落ちていて、その枝振りがよく分かる。

これ見て思い出したことがある。私が二十歳の頃、つきあっていたガールフレンドの言葉だ。「いいわねぇ〜、東京の木は」。彼女は、東京の大学へ通うために愛媛から東京へ出てきていた。私は東京生まれの東京育ちで、お互い大学生。その冬、私たちは東京の新宿御苑をデートしていた。二人は大木が何本も立ち並ぶ広場のベンチに座った。

「いいわねぇ〜、東京の木は」と彼女。

「なんで? 東京の木より田舎の木の方が自然じゃない?」と不思議がる私。

「こういう公園は東京みたいな大きな町だからあるのよ。田舎は、少し行けば森や林があるから、こういう公園は要らないの」

「それで何で東京の木はいいわけ?」

「だって、こんなにノビノビ大きくなってるじゃない。森の木は、必ずいろんな木と隣り合ってるから、いつもせめぎ合い。こんなに自分の好きなように枝を張って大きくなりはしないのよ。だから田舎の木は、こういう東京の木を羨ましく思ってると思うわよ」

「なるほど・・・・」

私は、東京の下町で生まれ育ち、当時もそこに住んでいた。そして、ずぅーっと、狭いところに人がたくさん住んでいて、常々窮屈だと思っていた。彼女の話を聞いて、都会の自分と田舎の木が同じような境遇のような気がして、不思議な気持ちになった記憶がある。

私の両親は二人とも、田舎で生まれ、東京に出てきた。でも今は「もう、とても田舎には住めない」と言う。一方、都会に生まれ育った私にとって、田舎暮らしは憧れだった。そして20代の頃、私は一日中車の音が聞こえないほどの田舎に暮らしもした。でも、それも馴染めず、結局は東京に住んでいる。東京と言っても、今度は都会ではなく西のはずれ、都会でもなく田舎でもないところだ。

冒頭の写真のような東京の公園の木の自由さ、そしてその不自然さと寂しさ。田舎の木の窮屈さ、そしてその自然さと賑わい。自由の中には常に窮屈さがあり、窮屈さの中にこそ自由さがある。このケヤキのように、公園でノビノビ枝を張っている大木を見ると、いつもそれを想う。