2ヶ月ほど前、東京・立川市と昭島市の境にある我が家から数十メートルのところで撮影したものだ。(2017年7月26日撮影)住宅街である。タヌキだ。それも4匹。家族のように見える。写真ではわかりにくいが、肉眼では、左の2匹が親で、右の2匹が子供のように見えた。
この春先から、ときどきうちの子供たちが「小さいタヌキがいた」と目撃証言をしていた。その後、私も近所の猫が背中の毛を逆立てて何かに向かって大声で威嚇している声を何度か聞いた。そんな声がしたあるとき、窓越しに外を見たら、そのお相手は1匹の小さな小タヌキでだった。その小タヌキは、しばらくじぃーっとしていたが、怖がっている様子もなく、少しずつ動いて私の視界から消えた。そのとぼけたような表情からは、背中の毛を逆立てている猫を恐れているようには見えず、むしろ「うるさい猫だな」とあきれているように、私には見えた。
そして、冒頭の写真のとき、私は偶然にもカメラをカバンの中に持っていたので、慌てて撮った。あんまりハッキリした画像ではないが、これはどう見てもタヌキだろう。そのとき、私が向かっていた方向がタヌキがいる方だったので、ゆっくり近づくことになったのだが、ある程度距離が縮まると、4匹のタヌキは、すぐそばにある道路の側溝の蓋と蓋の隙間に入っていった。(上の写真の左側に電信柱があるが、隙間はすぐその裏にある) 雨、特に大雨が降ったら、雨水はこの側溝にジャンジャン流れ込んでいくのだがら、この側溝自体がお家になってるとは考えにくい。この隙間は単なる門みたいなもので、この隙間を通っていった先のどこかに、お家があるのだろうか。そう思うと、この側溝の蓋を剥がしてみたくもなったが、それは「やっちゃいけないこと」のように思えて、しないことにした。
以前、このあたりで、夜中にハクビシンが3匹連なって塀の上を歩いていたのを見たことがあって、数年前のエントリに書いたことがあった。
●夜の訪問者(2009年8月5日)
こんな町にも結構暮らしているのだ、タヌキやハクビシン。そう思って、少し調べてみると、日経の電子版に下記のような記事を発見。東京23区だけでタヌキは1000匹いるっていうんだからビックリ。このへんにいてもちっともおかしくない訳だ。
●1000匹が23区に 東京でタヌキが暮らせる理由(2011/8/16付け)
「大手町のビルの自動ドアからタヌキが入った」っていうのは、漫画みたいで笑っちゃう。
この記事に出てくる「東京タヌキ探検隊!」のサイトが面白い。
http://tokyotanuki.jp/
まず、タヌキは東京がこんなになる前から、この地に暮らしていたということ。(おそらく、江戸時代以前は、人間よりも数多く暮らしていたのではなかろうか) そして、現在の東京でも、タヌキにとって、生息し続けられる環境があるからこそ、野生動物として生息している。だから、そんなタヌキを見守ろうと、このサイトの主、宮本拓海氏は訴えている。そして、その生態を探ろうと、目撃情報などを募集している。
また例えば、「タヌキに出会ったならば」のページには、「3つの原則」として、下記を掲げている。
・近づかない
・騒がない
・食べ物を与えない
また、「タヌキに限らず野生の哺乳類・鳥類を許可なく捕獲することは鳥獣保護法違反です」とも。
「人間は何事もなかったように普段通りにするのが一番です」、「タヌキにとって一番良いのは、現在の環境をできるだけ維持してあげることです」という。大事なこととして、保護が目的ではない。いたずらに生息数を増やしても、タヌキにとっても人間にとってもいいことではない。今の東京の環境とタヌキの生息数にはそれなりのバランスが保たれている。そんなタヌキは、どんなふうに暮らしているのか、それを知ることで、お互い無理なく仲良く暮らしていきましょう、という感じ。
なんかね。いいと思うんです。タヌキと共存していると思うだけで、ホッコリ出来る自分がいる。都会には、反自然的な殺伐としたイメージがつきまとうけど、そんな中にも、こうして暮らしている野生動物がいて、お互いに適度な距離を保ちながら共存している。ただ、うちの近所には、梨畑があって、今収穫の時季。その農家にとっては、タヌキは加害者かも知れない。そのへんお互いうまく折り合いがつくといいのだけど・・・・。
思えば、スズメ、そして広くは昆虫類も、似たようなことなんだろうが、タヌキやハクビシンなど、陸上の野生の哺乳類が住宅街で暮らしているとなると、また格別な感がある。同じ陸上の哺乳類である猫や犬は、人間社会に取り込まれて暮らしているが、タヌキは、人間になつかない。そして、人間社会の近くではあるが、外側で暮らしているように思う。それは昔タヌキが里山で暮らしていたことと重なる。だから、民話などでタヌキはしばしば登場するのだ。絶妙とも言えるこの距離感が実にいいではないか。「今の東京の環境とタヌキの生息数にはそれなりのバランスが保たれている」というのは、何か大切なことのように思える。
春先には、タヌキといがみあっていた我が家の周りの猫たちだったけど、最近は猫が毛を逆立てて威嚇するようなことはすっかりなくなった。タヌキたちは、この周辺の猫たちと「折り合い」をつけたかのようにも見える。これまでも取っ組み合いの喧嘩をすることもなかったので、この地の先輩である猫たちも、自分たちにとって悪いことではないと思い始めたのかも知れない。
冒頭の写真から約2ヶ月後(8月29日)が、下の写真。今度は、少し望遠がきくカメラで撮った。3匹写っている。少なくとも1匹は小タヌキのハズだが、もう大人のタヌキと同じような大きさになっている。
2017年8月21日月曜日
梅酢ドリンク
毎日、雨、雨、そして雨の東京。もう3週間ぐらいになるだろうか。おかげで、洗濯物はスッキリ乾かないし、ちょっとした晴れ間に半日干した梅干しも、ザルの上ですっかり湿気てしまった。
先のエントリでも「きょうしかない、梅干し土用干し」というタイトルで鼻息荒く書いたものの、その日の午後には降りだし、結果的にちっとも「きょうしかない」ではなかった。まー、私の個人的な梅干しの都合は別として、このまま夏が終わってしまってはどうも寂しい。物足りない。次の季節の訪れの前に、もう一度、カンカンの陽差しを浴びてみたいと思う。暑いけど、夏は夏らしい経験をしたい。
さてさて、とは言うものの、7月には37℃のうだるような暑い日もあった。そんな日はもちろん、3週間も湿気ムンムンの日が続いて、うんざりとしたきょうみたいな日にも、オススメしたい飲み物。それが、この「梅酢ドリンク」だ。
梅干しを作る人には、すんなり分かる話だが、梅干しを作るとその副産物として梅酢が出来る。その梅酢の使い途は、私が作る「カンホアの塩」のサイトでも、「梅酢ご飯」、「紅生姜」を紹介している。だがしかし、ここ数年、私の梅酢の用途でダントツなのが、この「梅酢ドリンク」なのだ。(早いとこ「梅酢ドリンク」も紹介しないと・・・・)
何のことはない。梅酢を水で割るだけ。たまには、炭酸水で割るのもいいだろう。冒頭の写真のように氷を入れて冷やしてもおいしいが、「冷たいのはお腹にゴロゴロ」の方は、お湯で割ってもいいだろう。もちろん味は、ほぼ梅干し。それを水で割って薄くして、ほんのり酸っぱ塩っぱい、涼を呼ぶ飲み物になる。酸っぱいのは、梅のクエン酸、そして塩っぱいのは、梅干しに使った塩、きれいなピンク色は、赤ジソの色素だ。酸っぱ塩っぱい梅干しは一粒でも刺激的だが、水で割る「梅酢ドリンク」は、いくらでも自分で濃い薄いを調整出来る。
最近は、「経口補水液」という、スポーツドリンクに塩を足したような味の飲み物が、熱中症対策として流行りだが、概ね、そんなような役割にもなる。たぶん大きな違いは、「経口補水液」には糖分が含まれているが「梅酢ドリンク」には含まれていないこと。そして、「梅酢ドリンク」にはクエン酸が多く含まれているが「経口補水液」にはそれほど含まれていないこと。単純に味として、「経口補水液」は甘さを感じるが、「梅酢ドリンク」は感じない。また、「梅酢ドリンク」は酸っぱいが、「経口補水液」は、酸っぱくはない。
スポーツドリンクや「経口補水液」は、私には、甘すぎる。飲んだ後、水を欲しくなっちゃうのだ。でも、糖分のない「梅酢ドリンク」の飲んだ後は、スッキリそのもの。夏場の外出時、私は水筒に氷、少しの梅酢、水を注いで持ち歩く。
それに、どうもスポーツドリンクや「経口補水液」は、化学的に作られている印象が強い。化学的が悪いとは思わないが、梅、それも無農薬栽培の梅(サムライ菊の助さんちの梅)、そして、NaClだけでなく、海を感じられるような塩で出来た「梅酢ドリンク」の方が、私にはおいしい。それも、飲んだ後のスッキリ感に繋がっているように思う。
梅酢を水で割るだけ。
至って簡単だが、あとは、どんな割合で割るかだ。最初は薄めでお試しあれ。ちなみに、とある「経口補水液」の塩分濃度を調べたら、0.3%弱だった。お吸い物は約0.9%なので、それのだいたい3分の1にあたる。塩分も濃すぎると喉が渇くので、カジュアルに(ちょっと喉が渇いたからぐらいで)飲むにはもっと薄い方がいいように思う。また、焼酎の梅干し割みたいのが居酒屋さんのメニューにあるが、梅干しの代わりにこの梅酢をちょっと加えても、同じようなものになる。
梅干しを作らない大多数の人にとって梅酢は、ちょっと遠い存在かも知れないが(市販されている梅酢もある)、梅干しを作ってて、梅酢が余っているような人にとっては、もー、必ず試してもらいたい、夏の必須アイテムです。
先のエントリでも「きょうしかない、梅干し土用干し」というタイトルで鼻息荒く書いたものの、その日の午後には降りだし、結果的にちっとも「きょうしかない」ではなかった。まー、私の個人的な梅干しの都合は別として、このまま夏が終わってしまってはどうも寂しい。物足りない。次の季節の訪れの前に、もう一度、カンカンの陽差しを浴びてみたいと思う。暑いけど、夏は夏らしい経験をしたい。
さてさて、とは言うものの、7月には37℃のうだるような暑い日もあった。そんな日はもちろん、3週間も湿気ムンムンの日が続いて、うんざりとしたきょうみたいな日にも、オススメしたい飲み物。それが、この「梅酢ドリンク」だ。
梅干しを作る人には、すんなり分かる話だが、梅干しを作るとその副産物として梅酢が出来る。その梅酢の使い途は、私が作る「カンホアの塩」のサイトでも、「梅酢ご飯」、「紅生姜」を紹介している。だがしかし、ここ数年、私の梅酢の用途でダントツなのが、この「梅酢ドリンク」なのだ。(早いとこ「梅酢ドリンク」も紹介しないと・・・・)
何のことはない。梅酢を水で割るだけ。たまには、炭酸水で割るのもいいだろう。冒頭の写真のように氷を入れて冷やしてもおいしいが、「冷たいのはお腹にゴロゴロ」の方は、お湯で割ってもいいだろう。もちろん味は、ほぼ梅干し。それを水で割って薄くして、ほんのり酸っぱ塩っぱい、涼を呼ぶ飲み物になる。酸っぱいのは、梅のクエン酸、そして塩っぱいのは、梅干しに使った塩、きれいなピンク色は、赤ジソの色素だ。酸っぱ塩っぱい梅干しは一粒でも刺激的だが、水で割る「梅酢ドリンク」は、いくらでも自分で濃い薄いを調整出来る。
最近は、「経口補水液」という、スポーツドリンクに塩を足したような味の飲み物が、熱中症対策として流行りだが、概ね、そんなような役割にもなる。たぶん大きな違いは、「経口補水液」には糖分が含まれているが「梅酢ドリンク」には含まれていないこと。そして、「梅酢ドリンク」にはクエン酸が多く含まれているが「経口補水液」にはそれほど含まれていないこと。単純に味として、「経口補水液」は甘さを感じるが、「梅酢ドリンク」は感じない。また、「梅酢ドリンク」は酸っぱいが、「経口補水液」は、酸っぱくはない。
スポーツドリンクや「経口補水液」は、私には、甘すぎる。飲んだ後、水を欲しくなっちゃうのだ。でも、糖分のない「梅酢ドリンク」の飲んだ後は、スッキリそのもの。夏場の外出時、私は水筒に氷、少しの梅酢、水を注いで持ち歩く。
それに、どうもスポーツドリンクや「経口補水液」は、化学的に作られている印象が強い。化学的が悪いとは思わないが、梅、それも無農薬栽培の梅(サムライ菊の助さんちの梅)、そして、NaClだけでなく、海を感じられるような塩で出来た「梅酢ドリンク」の方が、私にはおいしい。それも、飲んだ後のスッキリ感に繋がっているように思う。
梅酢を水で割るだけ。
至って簡単だが、あとは、どんな割合で割るかだ。最初は薄めでお試しあれ。ちなみに、とある「経口補水液」の塩分濃度を調べたら、0.3%弱だった。お吸い物は約0.9%なので、それのだいたい3分の1にあたる。塩分も濃すぎると喉が渇くので、カジュアルに(ちょっと喉が渇いたからぐらいで)飲むにはもっと薄い方がいいように思う。また、焼酎の梅干し割みたいのが居酒屋さんのメニューにあるが、梅干しの代わりにこの梅酢をちょっと加えても、同じようなものになる。
梅干しを作らない大多数の人にとって梅酢は、ちょっと遠い存在かも知れないが(市販されている梅酢もある)、梅干しを作ってて、梅酢が余っているような人にとっては、もー、必ず試してもらいたい、夏の必須アイテムです。
2017年8月9日水曜日
きょうしかない、梅干し土用干し
台風一過のきょう、私の会社のある東京・福生の予想最高気温は、35℃。たぶんきょうが一年中で一番暑い。「きょうしかない」と、朝、梅干しを干した。冒頭の写真は、私の仕事場の駐車場。車の屋根に新聞紙を敷いて、木っ端のゲタを履かせた上に、梅干しのザルがのっている。風通しがいいところに、カンカンな陽差しが照りつけるのがいい。
気温35℃の猛暑は、プールや海で遊ぶ子供の他は、一般的には辛いものだろうが、待ちに待った梅を干す日なので、決して辛くは感じない。「やっと干せる〜」という感覚は、むしろその猛暑に涼を呼ぶようなものでもあり、スッキリとした快感だ。もしかしたら、長らく梅干しを仕込んでいるのは、自分で作る梅干しを好きなのが半分あるとして、残り半分は、その涼のような快感のためかも知れないと思ったりもする。
ところで、もう20年ぐらい毎年梅干しの土用干しをしているので、この時季の天気は印象に残る。ここ何年かの東京は、7月初旬にピーカンの暑い日が何日か続くのだが、7月初旬だと、土用干しにはちょっと早すぎる(赤ジソを加えたばかりで、本漬け日数がちょっと足りない)。そして、ちょうどいい7月下旬から8月にかけては、曇りや雨の日が多く、なかなか三日続けてのピーカンがない。数年前には、ずるずると8月末になってしまったこともあった。異常気象、天候不順と騒がれる昨今だが、現在55歳の私にとって、経験上の記憶はたかだか40〜50年間ぐらいのものだ。それで「昔は、○○だった」と、今が正常か異常かをはかっていいのだろうかと、ときどき疑わしく思う。
まぁ、何しろ梅干しの土用干しは、三日間やりたいので、きょうみたいな日が三日間続くのが理想だ。だから、7月半ばを過ぎた頃、そのタイミングを1〜2週間先の天気予報で探す。実は、昨日一昨日の予報では、きょうからちょうど三日間、暑いピーカン続きだったのだが、今朝発表の予報をみると、明日の午後は「弱雨」になっちゃってた。ただ、その後は仕事は5日間のお盆休み入るので、その休み中の1〜2日間、自宅で足りない土用干しを補えばいいということで、やはりきょうから土用干しをスタートすることとした。梅の土用干しは、初日には梅を並べ、一日一度梅を裏返すこと、3日目最終日の取り込みが主な作業だが、他はただ干しているだけで、お日様が仕事をしてくれる。だからといって、気を抜いてはいけない。この時季は、つい一時間前はピーカンだったのに、急に豪雨なんてことも少なくない。干している間は突然の雨をいつも心の隅に置いておくというのは、意外と重要なポイントだ。
以下、実況中継モード。(当日)
「突然の雨をいつも心の隅に置いておく」と書いてるそばから、本当に雨が降り始めた。今、14時半ぐらい。本当に1時間前はピーカンだった。あわてて梅を仕舞った。「きょうしかない、梅干し土用干し」というのは、結果的に、そうではなかった。まー、思い込み(または自分に都合のいい考え)とはいい加減なものだ。
そして後日談(8月14日)、結局、お盆休み中は毎日どんよりした曇り空、ときどき雨。一日たりとも土用干しできなかった。むしろ、せっかく半日干したが、その後の湿気が梅干し余計に湿気らせた。こんなときは仕方ないので、「9月になってもいいや」ぐらいの覚悟を持って、8月後半に期待する。やはり、ここんところの夏はなかなかピーカンが続かない。梅干し土用干しにはやっかいだ。
それにしても、今朝、真っ赤に染まった梅たちをザルに並べ終わると、写真を撮りたくなった。今年の梅は、サムライ菊の助さんの「完熟手もぎ梅」。ぷくぷくに完熟した果肉が柔らかな梅。皮は程よく薄めでちょうどいい。あんまり薄過ぎると扱う際に破けやすい。その皮に包まれたネットリした果肉が、お日様のエネルギーを浴びながらその粘度を増す。そう、お日様のエネルギー。科学的には分からないが、粘度を増す(=水分蒸発)だけでなく、そのエネルギーを梅干しに染み込ませることが、この土用干しの意味のような気がしてならない。そして、その後数ヶ月かけて、この真っ赤な色が落ち着いていきながら、塩慣れが進み、一年後には・・・・。あー、ツバが溜まってきた。
気温35℃の猛暑は、プールや海で遊ぶ子供の他は、一般的には辛いものだろうが、待ちに待った梅を干す日なので、決して辛くは感じない。「やっと干せる〜」という感覚は、むしろその猛暑に涼を呼ぶようなものでもあり、スッキリとした快感だ。もしかしたら、長らく梅干しを仕込んでいるのは、自分で作る梅干しを好きなのが半分あるとして、残り半分は、その涼のような快感のためかも知れないと思ったりもする。
ところで、もう20年ぐらい毎年梅干しの土用干しをしているので、この時季の天気は印象に残る。ここ何年かの東京は、7月初旬にピーカンの暑い日が何日か続くのだが、7月初旬だと、土用干しにはちょっと早すぎる(赤ジソを加えたばかりで、本漬け日数がちょっと足りない)。そして、ちょうどいい7月下旬から8月にかけては、曇りや雨の日が多く、なかなか三日続けてのピーカンがない。数年前には、ずるずると8月末になってしまったこともあった。異常気象、天候不順と騒がれる昨今だが、現在55歳の私にとって、経験上の記憶はたかだか40〜50年間ぐらいのものだ。それで「昔は、○○だった」と、今が正常か異常かをはかっていいのだろうかと、ときどき疑わしく思う。
まぁ、何しろ梅干しの土用干しは、三日間やりたいので、きょうみたいな日が三日間続くのが理想だ。だから、7月半ばを過ぎた頃、そのタイミングを1〜2週間先の天気予報で探す。実は、昨日一昨日の予報では、きょうからちょうど三日間、暑いピーカン続きだったのだが、今朝発表の予報をみると、明日の午後は「弱雨」になっちゃってた。ただ、その後は仕事は5日間のお盆休み入るので、その休み中の1〜2日間、自宅で足りない土用干しを補えばいいということで、やはりきょうから土用干しをスタートすることとした。梅の土用干しは、初日には梅を並べ、一日一度梅を裏返すこと、3日目最終日の取り込みが主な作業だが、他はただ干しているだけで、お日様が仕事をしてくれる。だからといって、気を抜いてはいけない。この時季は、つい一時間前はピーカンだったのに、急に豪雨なんてことも少なくない。干している間は突然の雨をいつも心の隅に置いておくというのは、意外と重要なポイントだ。
以下、実況中継モード。(当日)
「突然の雨をいつも心の隅に置いておく」と書いてるそばから、本当に雨が降り始めた。今、14時半ぐらい。本当に1時間前はピーカンだった。あわてて梅を仕舞った。「きょうしかない、梅干し土用干し」というのは、結果的に、そうではなかった。まー、思い込み(または自分に都合のいい考え)とはいい加減なものだ。
そして後日談(8月14日)、結局、お盆休み中は毎日どんよりした曇り空、ときどき雨。一日たりとも土用干しできなかった。むしろ、せっかく半日干したが、その後の湿気が梅干し余計に湿気らせた。こんなときは仕方ないので、「9月になってもいいや」ぐらいの覚悟を持って、8月後半に期待する。やはり、ここんところの夏はなかなかピーカンが続かない。梅干し土用干しにはやっかいだ。
それにしても、今朝、真っ赤に染まった梅たちをザルに並べ終わると、写真を撮りたくなった。今年の梅は、サムライ菊の助さんの「完熟手もぎ梅」。ぷくぷくに完熟した果肉が柔らかな梅。皮は程よく薄めでちょうどいい。あんまり薄過ぎると扱う際に破けやすい。その皮に包まれたネットリした果肉が、お日様のエネルギーを浴びながらその粘度を増す。そう、お日様のエネルギー。科学的には分からないが、粘度を増す(=水分蒸発)だけでなく、そのエネルギーを梅干しに染み込ませることが、この土用干しの意味のような気がしてならない。そして、その後数ヶ月かけて、この真っ赤な色が落ち着いていきながら、塩慣れが進み、一年後には・・・・。あー、ツバが溜まってきた。
2017年8月7日月曜日
華やかなガーデニングの裏側
さて、一年と3ヶ月ぐらい前に、現在の借家に越してきた。その引っ越し前、この物件の見学で訪れたときのこと。
家屋の南側に、「駐車2台可」のスペースがあり、いわゆる再生ガラと呼ばれる2〜3センチ大のコンクリートやアスファルトの破片が混じったのが一面平らに敷かれていた。その再生ガラを試しに5〜10センチほど手で掘ってみると、黒い防草シートが敷かれていた。さらにそれを剥がしてみると、土が見えた。我が家の車は1台なので、もう1台分を庭として花壇や小さな畑にしようと思った。オーナーさんに「ここ、このガラをどかして庭にしてもいいですか?」ときいたら、「現状復帰を条件に、オーケー」とのこと。元々、カミさんとともに庭いじりが好きで、小さな家庭菜園や季節の植物を楽しめる庭のある家が引っ越しの必須条件だったので、「それなら」と入居の契約をした。
当時私が抱いたイメージは、表面の再生ガラを土嚢袋に入れてどかし、防草シートを剥がして土を少し入れれば庭になる、といったものだった。どかした土嚢袋は家の裏にでも積んでおいて、退去時に、それを戻せばいいと思った。
契約後、5〜10センチ厚みの再生ガラを本格的にどけて、防草シートを剥がしてみた。当初、土に見えていたその層は、実際は土というより、10センチ大ぐらいの砕石(自然石)が土にからまっている層で、つまりはほとんど砕石で、厚みが10〜20センチぐらいもあった。「えー、これじゃぁ、何も植えられない」。弱った私は、少し考えた後、決意し、再生ガラと砕石を別々に土嚢袋に入れて、家の裏に別々に積み始めた。ホームセンターで買った一輪車は意外と安かったのがたったひとつの光で、それはそれは終わりを感じられないほど大変な手作業だった。再生ガラの方の量は想像出来たが、その下に埋まった砕石はどのくらいの量なのか想像しにくかったので、「掘っても掘っても出てくる」という気分で作業が続いた。また当然、砕石をどかした分だけ土は減ったので、さらに土を調達せねばならなかった。その土木工事を、引っ越し前の早朝や夕方、休日に一ヶ月かけて行った。へとへとに疲れた。繰り返すが、この家は自分の持ち物ではない。いずれ出て行く借家なのだ。
そうして、再生ガラと予想外に出た砕石が家の裏にうず高く積まれた。これらは退去時には戻す予定のものだが、思いの外、山が高く、特に重い砕石の方はこのままでは危なく感じた。子どもたちには、「危ないから近寄るな」と言った。しかし、この砕石を処分してしまうと現状復帰時にはどうするかという問題が残った。前の家ではピザ窯に使っていた煉瓦が余ってたので、それを処分せずに、庭のスペースの半分に敷き詰め、ちょっと洋風な地面になった。退去時には砕石の代わりに、この煉瓦を敷き、防草シートを敷いて、最後に再生ガラを表面に敷こうと予定を変更した。引っ越し前に何とかそこまで出来たが、疲れ果てた私は砕石の処分までには至らず、一年が過ぎた。
そして今から1ヶ月ほど前のある日。「ドスン!」と鈍い嫌な音が家の近くで聞こえた。そのときは分からなかったが、その音から一週間後ぐらいに、たまたま家の裏を見たら、積んでいた砕石入りの土嚢袋が崩れていた。「あ、これだったのかー」と思ったと同時に、このままじゃまいずいと危機感を持った。
いざ調べてみると、大量の砕石を処分するのはなかなか難しい。やっとこさ片道30分の処理業者を見つけ、つい先週末、処分した。2トンダンプを頼んで持って行ってもらう量だったが、結構高くつきそうだったので、自家用車でピストンして運ぶことにした。当初は、だいたい1トンぐらいかなと高をくくっていたが、処分した際、計ってもらったら、実際は3.26トンもあった。
結果的に3回に分けて、1500ccの2ボックスカーの自家用車で運んだ。通常、トラックやダンプは、最大積載量という数字が荷台に貼ってあるものだが、乗用車にはそれがない。車検証を見ても、乗れる人数は載ってても、最大積載量の数字は見あたらない。言うまでもなく、一度にたくさん積む方が運ぶ回数が減る。最初の1回目は、「まー、だいたいこのぐらいなら大丈夫かな」と勘を頼りに積んだら、サスペンションが“キー”と3回ぐらい鳴った。用心してゆっくり運転。無事、30分の道のりを走れた。それが、0.97トン。2回目は少し増やして、1.13トン。最後の3回目は、1.16トン。それで合計、3.26トン。処理代は、トン単価2,500円で、8,802円。計算が合わないが、細かいことは分からない。
かなり無理した感は否めない。いい歳こいて。3回だと、その日に終わらすことが出来たというのが、3回に分けた理由だった。まー、結果オーライという言葉があるが、決して人様にはすすめられない。
今にして思えば、入居を決める前、再生ガラのほんの一部だけを掘ってみて、その下が土だと楽観的に、または自分に都合がいいように思い込んだのがこの悲劇の始まりだった。
そして今でも、もうひとつの山、再生ガラが家の裏に積まれている(上の写真)。ご覧のとおり、一年経って、新たな問題が発生している。入れていた土嚢袋が劣化して破れ、中身がこぼれ始めているのだ。1トンはあるだろう。土嚢袋でおよそ40〜50。このままだと、この山の崩壊は時間の問題だ。この再生ガラを入れた土嚢袋は、正確には2種類。ひとつはベージュ色で「ガラ袋」という名で売られていたもの。もうひとつは、よくある白色の「土嚢袋」。2種類が混じって積まれているが、ベージュの方が破れが著しい。「ガラ袋」、「土嚢袋」の破けた穴から、中身がまるで砂時計のように、日々こぼれている。
指をくわえて見ているわけにはいかない。
同じ袋に入れ替えて積み上げたところで、一年経てば、同じことになる。そこで、ネットで検索してみると、ちょっと高いが黒色のUVカットタイプの土嚢袋を見つけた。一枚あたり100円ちょっと。
今度のお盆休みにでも、一度新しい白色の土嚢袋に入れ替えて、それをさらに黒色UVカットタイプの土嚢袋に入れ、つまり二重にして、積み直ししようと思う。一枚100円ちょっともする土嚢袋を40〜50枚も使うのは贅沢とも言えるが、それで1年でも長く持つのなら、その価値は十分だ。
最近流行りのガーデニング。以前、そんなブームに警告するように、京都のベニシアさんがNHKの番組で、「ガーデニングは、ほとんど土木作業ですよ」と言ってたのを思い出す。土は重い。さらに、煉瓦も重い。そして、石はもっと重い。
2017年7月25日火曜日
厄介者の不自由さ
上の写真は、昨日朝の我が家の庭。アブラゼミだろうか。半透明の羽に葉脈のような黄色の筋。その生々しさに眠気が覚めた。
そして下の写真は、一週間ぐらい前に撮った、塀の上で羽を休めるツマグロヒョウモン。初めてこの蝶を知ったのは、10年ぐらい前。その頃は、南方系の外来種ということで珍しい印象だったが、今や、東京・昭島にあるうちの庭に飛んでくる蝶は、モンシロチョウ、アゲハの類を凌いでこのツマグロヒョウモンが圧倒的に多い。
鳥では、春には、ウグイスを凌いでガビチョウがよくさえずる。この鳥も外来種だが、さっきwikiってみると、
外来生物法で特定外来生物に指定されており、日本の侵略的外来種ワースト100選定種にもなっている。
とある。「侵略的外来種ワースト100選定種」というずいぶんネガティブなレッテルが貼られているが、高らかなさえずりのガビチョウはそれを知りもしない。植物の世界でも同じようなことがあるだろう。
かく言う私たち人間の世界でも、日本には、外国人が年々増えている。情報はネットでどんどん広がる。こうして、浸透圧の実験のように、刻々と変化していく。
そう考えてみると、「外来種」と人間に呼ばれない海の生き物は自由だなと一瞬思ってしまうが、それこそ人間だけのことで、海の生き物たちはそんなこと意にも介していない。
「外来種」の場合、在来種保護の観点から、規制は必要ながら、浸透圧は進んで行く。
先日の新聞記事で、「梅雨明けしたとみられると発表があった」というの。わざわざ「・・・とみられる」と言い足さなければならないところに、何とも不自由な感じがあるのだが、それは気象庁の梅雨明け宣言後、クレームを訴えた人が少なからずいて、それに気象庁が反応したということだろうか。クレームを訴える自由と、「・・・とみられる」と聞いたときの不自由さ。なんて、人間は厄介な生き物なんだろう。
そして下の写真は、一週間ぐらい前に撮った、塀の上で羽を休めるツマグロヒョウモン。初めてこの蝶を知ったのは、10年ぐらい前。その頃は、南方系の外来種ということで珍しい印象だったが、今や、東京・昭島にあるうちの庭に飛んでくる蝶は、モンシロチョウ、アゲハの類を凌いでこのツマグロヒョウモンが圧倒的に多い。
鳥では、春には、ウグイスを凌いでガビチョウがよくさえずる。この鳥も外来種だが、さっきwikiってみると、
外来生物法で特定外来生物に指定されており、日本の侵略的外来種ワースト100選定種にもなっている。
とある。「侵略的外来種ワースト100選定種」というずいぶんネガティブなレッテルが貼られているが、高らかなさえずりのガビチョウはそれを知りもしない。植物の世界でも同じようなことがあるだろう。
かく言う私たち人間の世界でも、日本には、外国人が年々増えている。情報はネットでどんどん広がる。こうして、浸透圧の実験のように、刻々と変化していく。
そう考えてみると、「外来種」と人間に呼ばれない海の生き物は自由だなと一瞬思ってしまうが、それこそ人間だけのことで、海の生き物たちはそんなこと意にも介していない。
「外来種」の場合、在来種保護の観点から、規制は必要ながら、浸透圧は進んで行く。
先日の新聞記事で、「梅雨明けしたとみられると発表があった」というの。わざわざ「・・・とみられる」と言い足さなければならないところに、何とも不自由な感じがあるのだが、それは気象庁の梅雨明け宣言後、クレームを訴えた人が少なからずいて、それに気象庁が反応したということだろうか。クレームを訴える自由と、「・・・とみられる」と聞いたときの不自由さ。なんて、人間は厄介な生き物なんだろう。
2017年7月12日水曜日
新技・トマトの支柱〜経過と対策
前のエントリの続きで、「トライアングル・ピラミッド型スパイラル方式」(TPS方式)、日本語だと「三角錐型螺旋方式」。プロレスの新技・・・・じゃなくてトマトの支柱の立て方と茎の伸ばし方。狭ーい畑にオススメの方法かも知れない。
前のエントリ冒頭の写真は、発案当時、一ヶ月前のもので、このページ冒頭の写真は、つい昨日の朝のもの。ここまで来ると、スパイラルなのがよく分かると思う。2本の茎自体は、地面から長さ2メートル近くになってるが、高さは50センチに満たない。これは発案の目的どおり。これは功を奏しているように見える。
しかし、いいことばかりではない。上の写真をご覧になれば分かると思うが、葉っぱが混みすぎちゃーいないかい? いかにも風通しが悪そう。トマトの実はすでに出来始めているが、チラッと見える赤いトマトは葉っぱに埋もれているも同然だ。こんなんでいいのだろうか?と、素人ながら気になってしまう。そもそもこの発想は、「狭い場所を出来るだけ有効に使う」ところから来ている。それは、狭い場所にたくさん詰め込むとこういうことでもあるのだ。ちなみに、この三角錐の内部には、トマトのパートナープランツであるバジルを育てている。ポットで育った苗を移植したのだが、最初はよかったものの、トマトが育ってくると、茂った葉っぱが込み入ってきてバジルに日が当たらなくなって、育たなくなっちゃった。スパイラルだから、その内側のトマトの葉っぱは何層にも重なってくる。この三角錐からはずれた場所のバジルやシソはしっかり育っているのだが、それにしてもやはり狭いんだな。窮屈だぁ。
狭いながらも楽しい我が家。
東京下町生まれ育ちの私は、どうも昔から、狭っ苦しい環境下でいかに少しでもうまく暮らしていけるかを考えるのがクセになっている。
でもまぁ、これから夏本番を迎えるこのトマトさんは、バジルやシソより背が高くなって、少なくとも上部の風通しは、今よりはよくなるだろう。しばらくはいっぱい収穫出来そうな気がする。
とは言いながら、来年は少し変えてみようかとすでに考え始めた。何事もそうだが、あまり欲張ってはいけないのだ。物事には程度というものがあって、狭さ故の限界というものもあるハズなのだから、来年はその点に注意を払ってやってみたい。
来年もこの「TPS方式」をやってみようと思っているが、次は茎を1本にして(ツインでなく、シングル・スパイラル)、最初に出来始めるトマトの房2〜3本は、花が咲く前に切り取ってしまい、ある程度の高さから実をつけるようにし、葉っぱに埋もれないようにしてみるのはどうか。こうすることで、この混み混み状態の改善を図る。トマトの収穫数は減るかも知れないが、その方がトマトが健康的なような気がする。バジルは三角錐を囲むように周りに植える。そんなことを想像しながら、まずは今年、お盆の頃まで様子を見てみようと思う。
とまぁ、猫の額の家庭菜園主でも、1本のトマトの苗で、いろいろ考える訳だが、農家の人たちは、もっともっと毎年いろんなことを考えながらやっているんだろうなーと思いを馳せるのであった。
前のエントリ冒頭の写真は、発案当時、一ヶ月前のもので、このページ冒頭の写真は、つい昨日の朝のもの。ここまで来ると、スパイラルなのがよく分かると思う。2本の茎自体は、地面から長さ2メートル近くになってるが、高さは50センチに満たない。これは発案の目的どおり。これは功を奏しているように見える。
しかし、いいことばかりではない。上の写真をご覧になれば分かると思うが、葉っぱが混みすぎちゃーいないかい? いかにも風通しが悪そう。トマトの実はすでに出来始めているが、チラッと見える赤いトマトは葉っぱに埋もれているも同然だ。こんなんでいいのだろうか?と、素人ながら気になってしまう。そもそもこの発想は、「狭い場所を出来るだけ有効に使う」ところから来ている。それは、狭い場所にたくさん詰め込むとこういうことでもあるのだ。ちなみに、この三角錐の内部には、トマトのパートナープランツであるバジルを育てている。ポットで育った苗を移植したのだが、最初はよかったものの、トマトが育ってくると、茂った葉っぱが込み入ってきてバジルに日が当たらなくなって、育たなくなっちゃった。スパイラルだから、その内側のトマトの葉っぱは何層にも重なってくる。この三角錐からはずれた場所のバジルやシソはしっかり育っているのだが、それにしてもやはり狭いんだな。窮屈だぁ。
狭いながらも楽しい我が家。
東京下町生まれ育ちの私は、どうも昔から、狭っ苦しい環境下でいかに少しでもうまく暮らしていけるかを考えるのがクセになっている。
でもまぁ、これから夏本番を迎えるこのトマトさんは、バジルやシソより背が高くなって、少なくとも上部の風通しは、今よりはよくなるだろう。しばらくはいっぱい収穫出来そうな気がする。
とは言いながら、来年は少し変えてみようかとすでに考え始めた。何事もそうだが、あまり欲張ってはいけないのだ。物事には程度というものがあって、狭さ故の限界というものもあるハズなのだから、来年はその点に注意を払ってやってみたい。
来年もこの「TPS方式」をやってみようと思っているが、次は茎を1本にして(ツインでなく、シングル・スパイラル)、最初に出来始めるトマトの房2〜3本は、花が咲く前に切り取ってしまい、ある程度の高さから実をつけるようにし、葉っぱに埋もれないようにしてみるのはどうか。こうすることで、この混み混み状態の改善を図る。トマトの収穫数は減るかも知れないが、その方がトマトが健康的なような気がする。バジルは三角錐を囲むように周りに植える。そんなことを想像しながら、まずは今年、お盆の頃まで様子を見てみようと思う。
とまぁ、猫の額の家庭菜園主でも、1本のトマトの苗で、いろいろ考える訳だが、農家の人たちは、もっともっと毎年いろんなことを考えながらやっているんだろうなーと思いを馳せるのであった。
2017年7月11日火曜日
新技・トマトの支柱〜その発想
毎年、庭でトマトを育てている。在来種でもなく、園芸屋さんから(F1種であろう)苗を買ってきて植えてるだけだが、10年以上もやってると、毎年いろいろ考えもする。以前、「自家製トマトジュース」(2012年8月8日)というエントリを書いたが、それもそのひとつ。
何せ我が家の庭は狭いから、1本か2本の苗を育てるだけだ。しかし、そんな環境・条件の中で、出来るだけおいしく、出来るだけ収量を増やせないものか。さらに、庭なので、ある程度の見栄えを気にしながら・・・・。
トマトは、ノビノビ野放しに育てると、たとえ1本の苗木でも広い場所が必要になるので、芽かきしながら、支柱を立てて、茎を1本ないしは2本にして立体的に育てる。どこでもよくある手法だ。ただ、このときの問題点は、どんどん伸びて、あっという間に背丈より高くなって、とても支柱では支えきれなくなってしまうことだ。あまりに高くなったところは、仕方なく切ってしまう。
何とか、狭ーい家庭菜園で、茎を1〜2本にしたトマトを、コンパクトに支柱で支えながら長く収穫出来ないものか?
数年前、あるプロの有機農家のトマト畑を見学したとき、2本にしたトマトの茎を、小まめに麻紐で支柱に縛りながら、ジグザグに伸びるようにして育てていた。直線よりもジグザグの方が長さを稼げるという訳だ。いいアイデアと思い、翌年自分ちでもやってみたが、これがなかなか難しい。茎が細くて柔らかい最初のうちは、難なく出来るが、茎が太くて堅くなる7月頃になると、ちょっと曲げただけで茎がポキッと折れてしまうのだ。せっかく育った茎がポキッと折れると、心もポキッと折れてしまう感覚に囚われる。1〜2度ならまだしも、3度4度となると、たまったものじゃない。
そこで今年の春、考えた手法が、「三角錐型螺旋方式」だ。英語っぽくすると、「トライアングル・ピラミッド型スパイラル方式」。何でも横文字にすりゃあいいってもんじゃないが、長いので、略して「TPS方式」。
まずは支柱の立て方。通常、トマトの支柱は、屋根型に組まれるが、我が家の家庭菜園はそんなに広かぁない。苗も1本だけ。だからと言って、支柱をただ1本立てただけでは、倒れやすい。2本でも倒れるが、3本立てれば大丈夫。ということで、三角錐状に支柱を立てる。これが「トライアングル・ピラミッド型」。最少本数の支柱ということになるだろう。
支柱として倒れなければ、3本のうち1本だけ(残り2本は支柱の支えとして)使えばいいのだが、それじゃあ、先述のようにあっという間に背丈を超してしまう。そこで考えたのがこの「スパイラル方式」だ。三角錐型の支柱の外周に茎を巻きつけながら、螺旋(らせん)状に伸ばしていく。ジグザグではなく、螺旋状にすることで長さを稼ぐ。ジグザグより螺旋状の方が茎のカーブが緩やかなため、折れにくい。これを思いついたときは、「何で今まで思いつかなかったんだろう。狭いところには、コレだ」とワクワクした。
今年は1本の苗の茎を2本にして、育てている。だから、「トライアングル・ピラミッド型ツイン・スパイラル方式」ということになる。もう横文字はくどい。でも昔のプロレスの技名のようで面白くはないですか。「フィギュア・フォー・レッグ・ロック(四の字固め)」とか、「ダブル・アーム・スープレックス」みたいで。
さて、苗を植えたのが4月中旬。植えた苗を眺めながら、この「TPS方式」を思いついて5月に設置。冒頭の写真が6月中旬。ここまでは、それなりによかったのだが、7月になった最近、いいことばかりではない現実を学ぶことになる。
この続きは、また改めて。
何せ我が家の庭は狭いから、1本か2本の苗を育てるだけだ。しかし、そんな環境・条件の中で、出来るだけおいしく、出来るだけ収量を増やせないものか。さらに、庭なので、ある程度の見栄えを気にしながら・・・・。
トマトは、ノビノビ野放しに育てると、たとえ1本の苗木でも広い場所が必要になるので、芽かきしながら、支柱を立てて、茎を1本ないしは2本にして立体的に育てる。どこでもよくある手法だ。ただ、このときの問題点は、どんどん伸びて、あっという間に背丈より高くなって、とても支柱では支えきれなくなってしまうことだ。あまりに高くなったところは、仕方なく切ってしまう。
何とか、狭ーい家庭菜園で、茎を1〜2本にしたトマトを、コンパクトに支柱で支えながら長く収穫出来ないものか?
数年前、あるプロの有機農家のトマト畑を見学したとき、2本にしたトマトの茎を、小まめに麻紐で支柱に縛りながら、ジグザグに伸びるようにして育てていた。直線よりもジグザグの方が長さを稼げるという訳だ。いいアイデアと思い、翌年自分ちでもやってみたが、これがなかなか難しい。茎が細くて柔らかい最初のうちは、難なく出来るが、茎が太くて堅くなる7月頃になると、ちょっと曲げただけで茎がポキッと折れてしまうのだ。せっかく育った茎がポキッと折れると、心もポキッと折れてしまう感覚に囚われる。1〜2度ならまだしも、3度4度となると、たまったものじゃない。
そこで今年の春、考えた手法が、「三角錐型螺旋方式」だ。英語っぽくすると、「トライアングル・ピラミッド型スパイラル方式」。何でも横文字にすりゃあいいってもんじゃないが、長いので、略して「TPS方式」。
まずは支柱の立て方。通常、トマトの支柱は、屋根型に組まれるが、我が家の家庭菜園はそんなに広かぁない。苗も1本だけ。だからと言って、支柱をただ1本立てただけでは、倒れやすい。2本でも倒れるが、3本立てれば大丈夫。ということで、三角錐状に支柱を立てる。これが「トライアングル・ピラミッド型」。最少本数の支柱ということになるだろう。
支柱として倒れなければ、3本のうち1本だけ(残り2本は支柱の支えとして)使えばいいのだが、それじゃあ、先述のようにあっという間に背丈を超してしまう。そこで考えたのがこの「スパイラル方式」だ。三角錐型の支柱の外周に茎を巻きつけながら、螺旋(らせん)状に伸ばしていく。ジグザグではなく、螺旋状にすることで長さを稼ぐ。ジグザグより螺旋状の方が茎のカーブが緩やかなため、折れにくい。これを思いついたときは、「何で今まで思いつかなかったんだろう。狭いところには、コレだ」とワクワクした。
今年は1本の苗の茎を2本にして、育てている。だから、「トライアングル・ピラミッド型ツイン・スパイラル方式」ということになる。もう横文字はくどい。でも昔のプロレスの技名のようで面白くはないですか。「フィギュア・フォー・レッグ・ロック(四の字固め)」とか、「ダブル・アーム・スープレックス」みたいで。
さて、苗を植えたのが4月中旬。植えた苗を眺めながら、この「TPS方式」を思いついて5月に設置。冒頭の写真が6月中旬。ここまでは、それなりによかったのだが、7月になった最近、いいことばかりではない現実を学ぶことになる。
この続きは、また改めて。
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