2016年1月8日金曜日

ホヤ(海鞘)とマンゴー

台湾のことを書く予定だったが、予定を変更して、この正月休みのこと。

この正月休みに、ホヤを「大根おろし+醤油+かぼす汁」で食べたら、マンゴーの味がしたんで、それを書きたくなった。写真は、あと2切れだけホヤが残った皿。

その前に、もっと重要なこととして、燗酒がとてもよく合い、幸せな気分に浸ったことに触れなくてはならないのだが、一度「あっ、この味マンゴーだ」と思ってしまったら、その後は、ひと箸ずつ、「ん、やっぱりマンゴーだ」、「何でマンゴーの味がするんだろう?」、「あー、(いつかベトナムで、若いマンゴーをたくさんくれた)あの人を思い出すなー」と、マンゴーのことが頭から離れなくなってしまった。

「燗酒にマンゴー?」と疑問を抱く人もいるだろうが、そのマンゴーは、熟れたマンゴーではない。まだ若く外側が緑色で、中が(やや黄みがかったものもあるが)白色をしたマンゴーだ。(外側が緑色でも中はオレンジ色に熟れているものもあるから、外の緑色だけでは判断出来ないが、触感と香りで分かる) 大ざっぱにナイフで細長く切り、塩をちょんと付けて食べる。ややしなる青リンゴのようなパリパリとした食感。甘味はあるかないかぐらいで、酸味とマンゴー独特のクセのようなものを伴う。ホヤとマンゴー、共通点のキモは、このクセだと思う。これに塩を付けて食べるマンゴーの味に似ているのだ。ホヤを「大根おろし+醤油+かぼす汁」で食べるとね。

知ってる人も多いだろうが、マンゴーの木はでかい。最初は小さいのだから、「でかくなる」と言った方が正確なんだろうが、そのでかいマンゴーの木には、その季節になると、実が「えー」と思うほどたわわになる。だから、現地でマンゴーは高級なフルーツではない気がする。また、「マンゴーの木が庭にあると、食うに困らない」という話しをベトナムで聞いたこともある。さて、多くのマンゴーは、熟したものだけでなく、こうして若いのに塩を付けてパリパリ食される。熟したのよりコッチの方が好きという人もたくさんいるぐらいだ。これは熟したマンゴーを食べるのとはまた違った趣向なのだ。

日本では、そういう食べ方はされないが、インドや東南アジアではよくある食べ方だ。塩に赤唐辛子が混じっていることもしばしばある。東南アジアではこの食べ方のマンゴーをアテにしてビールを飲むことだってある。マンゴーが出回る時期は、だいたい「これから暑くなるぞー」という頃だ。南国でもより暑さを感じるときに、このパリパリした若いマンゴーに塩を付けて食べる。何ともサッパリとした味わいなのだ。

昔、「プリンに醤油をかけると雲丹の味がする」と聞いて、試した私は納得出来なかったが、ホヤを「大根おろし+醤油+かぼす汁(柑橘類なら何でもいいと思う)」で食べて(若い)マンゴーの味がするの方が、断然「する」と思う。そして、ホヤが好きな人は、是非とも南国で若いマンゴーを塩で食べてみてくださ〜い。

2015年12月28日月曜日

日本モノにあふれる台北

2週間前、「カノウユミコさんと行く台北素食の旅」という2泊3日のツアーに参加した。「素食」がテーマだ。中国語の発音では「スーシー」に近いが、ベジタリアン料理である。

たまたま今、開高健の「最後の晩餐」という本を読んでいるが、その中で、多くの一流と言われる中華の料理人(主に中国本土だろう)は、「素食」料理にも長けているといった内容のことが書かれている。「素食」の中華料理は日本では珍しいが、ガイドさんの話によると、台湾ではおよそ1割の人が「素食」を食すベジタリアンとのこと。そのせいで、台湾には「素食」のレストランが町のあちこちに珍しくなくある。

冒頭の写真は、このツアーで入った素食レストランの入口。「蓮香齋」、日本語読みすると「レンコウサイ」となる。ビュッフェスタイルの素食料理だったのだが、何しろスゴイ規模。数百人の客がひしめいていた。そしてその料理の種類の多さも圧巻だった。

まー何から何まである感じ。肉モドキ、エビもどきなど、モドキものも多いのだが、モドキものではなく、普通の野菜料理もたくさんある。いや、普通の野菜料理の方がたくさんある。ビュッフェスタイルなので、下の写真は、私が取りにいった最初の皿。
そしてこれは、フカヒレもどきだねー。
でまぁ、一番ビックリしたのは、下の写真。
(日本の)お刺身モドキなのである。何もお刺身モドキだからビックリしたのではなく、その完成度に驚いた。マグロモドキには、赤身と中トロがあり、サーモンにはスジが入っていて、マグロモドキよりも、ややざらついた食感になっている。そして、奥にあるイカモドキは、モンゴイカの食感。ちょっとナタデココの食感にも似ている。海苔巻きまであるし。これらを中国醤油ではなく、日本風の醤油で食べるのです。

台湾へ行ったことのある日本人は多いと思うので、多くの人が知ってることなんだろうが、町には日本モノがいっぱい。写真を撮る気にはならなかったが、もーいろーんな日本のファミレス系のレストランはいっぱいあるし、台北中心部には、50メートル毎ぐらいにあるセブンイレブンには、日本のお菓子メーカーのものが並び、おにぎりもあるし、おでんまであって、開いた口がふさがらなかった。このツアーに参加した、私の11歳の娘は「外国にいる気がしない」と言っていたが、ホントだ。

泊まったホテル周辺の路地裏には、「和風伽哩」の看板。先述したとても多くの日本モノとは、主に大資本系のものだが、路地裏にこんな小さなカレー屋さんもあるのだ。日本のカレー、分かりやすく言えば、ハウスバーモントカレーのような、日本独特のルーを使ったカレーが海外でも人気が出てきているとは聞いたことがあるが、こんな規模でも町にしみ入っていることに驚いた。1台湾元は、約4円。

素食料理のツアーながら、一番の印象は、「台北の町には、日本モノがいっぱいあふれている」ということ。素食のお刺身や海苔巻きは、それを反映してのことなのだ。とは言え、無論、そればかりではないので、次のエントリでは少し気を取り直して、台湾らしいと感じたことを書こうと思う。

2015年11月27日金曜日

小豆島の新物オリーブ

私が住む東京・昭島の近所の友人に、小豆島出身の人がいる。彼女は、年に一度、帰省するのだが、そのタイミングがまちまちだ。私が彼女の帰省のタイミングに気を揉むには訳がある。

今年は、ちょうど一ヶ月ほど前の10月中旬から下旬だった。この時期がいい。冒頭の写真は、小豆島のオリーブの実の塩水漬けだ。こいつが小豆島で売っているのは、毎年、ほんのこの一ヶ月ぐらいの間らしいのだ。(要冷蔵で、賞味期限は一ヶ月だけ)

数年前、同じものを初めてお土産にもらったのだけど、いたくおいしくて、それを伝えたら、「だからって、そのために帰省のタイミングは決められなよ」とのお言葉。もっともなことだ。それで数年待った今年、タイミングがピッタリと合い、めでたくも我が家の食卓に上った。数年ぶりの再会ながら、

あー、やっぱりおいしい。

地中海地方のオリーブの実の漬物と違い、この小豆島のオリーブの塩水漬けは、アッサリ味。私は、ほんわかしたこの旨みがとっても好きなのだ。それがデリケートにひいた昆布出汁のようにも感じられ、何とも日本っぽく感じるから不思議だ。それに使っている原材料が塩(と水)のみ。そのまま食べておいしい塩分にすると、この「賞味期限一ヶ月」ということになり、この時季ならではということになるんだろう。

地中海地方のオリーブの実の瓶詰めはよく売ってるが、それらは旨みがとても強くオイリーな味だ。オリーブの品種も違うのだろうけど、原材料(調味料)が塩だけというのはあまりない。たぶん、産地へ行けば、塩だけのものもあるのかも知れない。それで思い出したのが、5年前の11月(オリーブの収穫時期)に、イタリアはプーリアへ行ったときのこと(下記エントリ参照)。木から落ちた生のオリーブの実をそのまま食べたことがある。舌がしびれるようでまずかった。オリーブオイルは、簡単に言えば、この実を絞ったジュースの上澄みの油を集めたもの。きっと食べるための実の場合は、梅の実のように一旦塩漬けにするのだろう。この小豆島のオリーブは、どうしているんだろう。もしかすると、その加工の工程にこの実のおいしさの秘密があるかも知れない。

●プーリア州のオリーブ収穫 (2010年11月18日)

まー何しろ、今年は小豆島のオリーブの実の塩水漬けが食べられた、実にめでたい(愛でたいとも言える)年であった。あー、来年もこの時期に帰省してねー。

2015年11月20日金曜日

蕎麦の一期一会

先のエントリで、月島のもんじゃのことを書いたが、もんじゃを食べた日の夕方、立川・無庵へ知り合いと訪れた。狙いはズバリ在来の新蕎麦だ。4〜5日前に予約の電話を入れたが、コース料理は定員オーバーということで、アラカルトのみの注文となった。それにしてもおいしい蕎麦だった。あんまりおいしかったので、書きたくなった。同席した連れが、出てきた料理を逐一スマホで撮影してたので、私もつられて写真を撮った。料理も写真付きで順番に紹介します。ホワイトバランスが狂った写真がいくつかあるけど、ご勘弁のほどを。

1.やきみそ
淡い味のぬかごが、食感とともにアクセント。柚子のきき方がとても穏やかで差ほど塩辛くない上品なお味と風味。
2.だし巻玉子
ミルフィーユのような玉子の層、出しのきき方に抑えがきいてて玉子自体もおいしく感じる。付け合わせの野沢菜のおひたしは、丈が半分ぐらいに育ったところを収穫した野沢菜のものだ。この11月ならでは。育ちきったものより、葉の味が淡く、独特のシャキシャキ感がいい。
3.三種のおひたし
この店のご主人(狭山湖の方らしい)がご自分の畑で育てたという無農薬の葉物たちのおひたし。(←先の野沢菜もそうだった) 左からイタリアンパセリ、広島菜、白たい菜(と店の女の子が言ってたが、しゃくし菜のよう)。パセリのおひたしは、以前このブログでも書いたことがあるが、こうして3種が並んでいると、イタリアンパセリの個性が際立つ。ただしどれも淡い味付けが嬉しい。こういうシンプルな味付けにこそお店の色が出ると思う。
4.里芋の田舎煮
箸休め的に頼んだ。よくこの上に柚子がのってるのがあるが、見てのとおり、これは至ってシンプルなのが潔い。やはりご主人が育てた里芋らしい。やや甘い味付けながら、お袋の味的な心地よさがある。しっかり染み込んだ味と煮崩れる直前さがいい。関西の人にこの感じが分かるだろうか。
5.三度豆と四角豆の天ぷら
三度豆とはインゲン豆。年に三回収穫出来るとか。四角豆は断面が四角の南方系のサヤ付き豆。帰宅後「四角豆なんての食べたよ」とカミさんに言ったら、「去年、ウチ(の食卓)でも出したの忘れたの?」なんて言われた。おー恐わ。
6.合鴨のロースト
野趣あふれるというよりは、柔らか〜くてクセの少ない鴨。添え物の果物は、生の柿と薄くスライスされた半乾燥のラ・フランス。蕎麦のかえしとともに。クルミがのってる様は、最初のやきみそのときのムカゴのよう。柔らかな鴨の食感にメリハリがついている。鴨にフルーツは定番だが、柿とラ・フランスは初めて。柑橘類のような刺激がないので、やさしく上品なコントラストだ。
7.白貝のかき揚げ
正直言って、こんへんになると酔ってきていて詳しくは忘れてしまった。


8.せいろ(小)
ん、うまい。この蕎麦で酔いが醒めた。
9.碾きぐるみ
せいろで酔いが醒めた私は、この「碾きぐるみ」で、心を奪われた。蕎麦が出てくると、いつも一箸目はつゆにつけずにそのまま食すのだが、その瞬間、世界が変わった。口の中から鼻へと伝わる感動するほどの豊かな香りと舌の奥へ広がるほのかな蕎麦の甘味。その感覚は翌日まで口の中に残っていて、思い出す度に唾液が出た。これぞ在来種。それも新蕎麦なんだ。いや、これはそれ以上のような気さえした。

蕎麦は、無論、打つ人にとって難しさはあろうが、食べる側にも難しさがある。ある蕎麦屋で、「あっ、この蕎麦うまいなー」と思って再訪しても、同じ蕎麦は食えない。この日のほんの2日前も、他店でそうだったので、あまり期待してはいけないと自分に言い聞かせていたところだった。在来種の蕎麦でもいろいろあるし、玄蕎麦の出来や鮮度にもよるだろうしと、自然に由来したいろいろな要素があるからだと思う。その点、幸い自宅にも近いこの無庵は、だいたいいつ行っても、うまい蕎麦を出してくれる。平均点が高いのだ。特に、この日の「碾きぐるみ」は、「こんなのもう食えないんではなかろうか」と思えるほどうまかった。常に変化する蕎麦だけに、とっても幸せな気分に浸れるのだ。一期一会とはこういうことなのだ。

2015年11月18日水曜日

久しぶりの、もんじゃ

先週、久しぶりに月島でもんじゃを食べた。月島のもんじゃは、20年ぶりぐらいだろうか。もんじゃを語らせたらうるさい妹と行った。彼女と二人きりで外食なんて今までなかったかも知れない(もんじゃを含めて)。特に確かめたことはないが、私たち兄妹は、普段はお互い「元気でいてくれれば、それでいい」という感覚で、あえて二人で外食なんて考えもしなかったのだが、今回は、図らずも、親父の病気のことで、この機会になった。

さて、行った店は、「いろは本店」。本店ということは、系列の店が他にもあるということだが、昔、「いろは」は、現在「月島もんじゃストリート」と呼ばれる商店街から車も入れないような露地を入った右側にひっそりと佇んでいた。妹のように頻繁に通ったわけではないが、木造2階建てぐらいの建物だったように記憶している。今は、メインストリート沿いのビルの2階で、「本店」だ。とは言え、オーソドックスなもんじゃを食べたいときはここがいいという、妹の談。

路地裏にあったときは、いかにももんじゃ屋のおばさんといった感じの人がお店を切り盛りしていたが、今の「本店」では若い男性2人と女性1人がやっていた。妹の注文は、「生イカもんじゃ。トッピングにソバ(焼きそばの生麺)とベビースターラーメンとチーズ」。私は、久しぶりのもんじゃをもう少しシンプルに食べたかったので、妹の注文から生イカとチーズを省いたもの。

私たちは、その二つを一緒にでっかく焼いて、「生イカ・チーズ」がある部分と無い部分を作ろうと思っていた。が、お店の若い男性店員は、気を使ったのか、注文した二つのもんじゃを時間差で持ってきた。最初の一つを無造作に鉄板に広げた私たちは、それがどっちだったか分からなくなってしまった。そこで、妹は「この最初のはどっち?」ときいた。そしたら、「あっ、焼き方だったら、テーブルの隅に説明書きがありますので」と、彼は勘違いして、妹が焼き方をきいていると思った。その質問は定番なのだろう。そこで妹は、きき直して、結果的にどっちだか分かったのだが、その店員が去った後、「あたしゃアイツが生まれる前からもんじゃ食べてるのに、私に焼き方を教えようとは、10年早いぜ」と私に呟いた。彼女は、そんなに喧嘩っ早い方ではないが、「下町の女だな」と感じた私は、妙に嬉しかった。

私にも、似たような経験がある。今は、すっかりチェーン店になっている、洋服屋のBeamsやSHIPSは、私は18歳頃から(つまりは35〜36年前)から通っていた。当時、Beamsは原宿の明治通り沿いに1〜2軒、SHIPSも銀座の裏通りと、渋谷の元ミドリヤのビルの裏の計2軒だけ。背伸びしたかった二十歳頃の私は、しばしば無理して5万円もするイギリス製のパーカーなど買ったものだ(今でもそれはクロゼットの中にある)。最近、そんな店でズボンを広げて見てたりしてるとき、若い店員さんに、「このパンツ(ズボン)は、お客様がお召しのようなソックス(靴下)ではなく、こういった(自分のズボンの裾をめくりながら)丈の短い(いわゆるスニーカー)ソックスを合わせてみてください」なんて言われると、「オレは、そーいう短い靴下が嫌いなんだよ。別に、(このズボンに)丈の長い靴下はいたっていいじゃねぇーか。オレは、お前さんが生まれる前から、(初期の)この店に通ってんだよ。お前さんにガタガタ言われる筋合いはねぇ。好きにやらせろ」と言いたくなる。繰り返す。「言いたくなる」のであって、言う訳ではない。アドバイスを怠らない親切な店員だ。

私たちが子供の頃(45年ぐらい前)、月島は知らないが、当時の私が知る限り、もんじゃ屋さん(専門店)というものはなかった。そして、もんじゃは子供だけの食べ物だった。私が育った江東区には(月島は中央区)、各小学校の圏内に駄菓子屋さんが2軒ほどずつあり、その駄菓子屋さんの3〜4軒に1軒ぐらいに、もんじゃを食べられる駄菓子屋さんがあった。その駄菓子屋さんの片隅にはお好み焼きの鉄板がある小さめのテーブルが大概一つだけあって、店の人にもんじゃを注文すると、小学校ではうがい用に使われていたブルーやピンクのアルマイトの取っ手付きのコップに入った具材(少量の刻んだキャベツ入り)が出てきて、それを熱い鉄板に広げた。一つ30円ぐらいだったか。大盛にすると、白いドンブリに入ってきて、50円だったような‥‥。当時の小遣いは、一日10〜20円ぐらいだったから、ちょっと貯めれば食べられた。そして、駄菓子屋さんだから、ベビースターラーメンや、よっちゃんイカなんかが近くにあって、多めのカネを持ってる子供は、オプションでそれらを加えた。もんじゃを食べ終わった後、テーブルの上のソースを鉄板に垂らして「ソースせんべい」とか言ってると、お店のおばさんに怒られたな。

実は、私たちが通った小学校の圏内にはもんじゃのテーブルがある駄菓子屋さんがなかったので、自転車でやや遠出して食べに行った。言わばよそ者だったので、たった一つのテーブルが、(特に上級生に)占領されていると、その日は諦めて、遠路を帰った苦い思い出もあるが、今の子供からしたら、羨ましいだろうなとも思う。

さて、45年の時は過ぎ、ここは月島。二つのもんじゃが時間差で出された都合上、鉄板上でも二つに分かれてしまったのだが、それらをつつきながら、妹に焼き具合の好みをきいてみた。思いの外、結構しっかり焼くのが好みだった。私は、もう少しレアな方が好きなので、それを言うと、「このソバ(焼きそばの生麺)にしっかり火が通らないとマズイでしょ。(ドロドロの)もんじゃの生地を通って、ソバに火が通るのには少し時間がかかるから、少ししっかり目に焼いた方が、私は好きなんだよね」と、もんじゃ用のコテで焼き具合を確かめながら主張した。

特に旨いもんじゃない。そして一人で食べるもんじゃない。もんじゃ用の小さなコテでアツアツのもんじゃをハフハフせっかちに食べながら、おしゃべりしてると、ゆったりコーヒーを飲みながらする話しとは別モードの楽しさがある。私にとって、今やもんじゃは、小さかった子供が大きくなって食べる大人の食いもんのように思えた。

2015年10月20日火曜日

「醤油手帖」


2ヶ月前、この「醤油手帖」を読んだ。その表紙の帯の右に小さく書かれているように、この本を知ったキッカケは、「タモリ倶楽部」だった。おそらく2年ぐらい前だったろうか、この著者である杉村啓さんが、当時自費出版していた「醤油手帖」を持って出演してて、面白く新しくも感じながら観た。そのウラ表紙には、洒落で醤油のシミが印刷されていたのを思い出す。そして2ヶ月前に、何の拍子か、私はその自費出版の「醤油手帖」のことをふと思い出し、ネットで探してみた。そうしたら、何と河出書房新社から、自費出版の小冊子3冊ぐらいをまとめたものがちゃんと出版されていて、思わず買ってしまったたのだった。

個人的な前置きはこのぐらいにして、この「醤油手帖」、決して醤油作りのことがディープに書かれている訳ではない。何が面白いかというと、完全に消費者(または醤油作りとしては素人である醤油ファン)の目線で書かれていることだ。

まず、醤油というのは、日本のどの家庭にもある身近な調味料ながら、地域によってかなりの違いがある。だから、自分では当たり前と思っていることが、他の地域では特別だったりすることが少なくない。著者は、それらを押し並べて書くことで、それらの違いと特徴を、自分がセレクトした商品説明とともに書いている。

著書から引用すると、JAS協会が定めた醤油は5種類。「濃口醤油」、「淡口(薄口)醤油」、「たまり醤油」、「さいしこみ(再仕込み)醤油」「白醤油」。例えば私は、東京生まれの東京育ちなので、どっぷり濃口醤油文化圏だが、無論、西日本の家庭には、淡口醤油がある。20代半ばに関西に2年ほどいたことがあるが、私が淡口醤油を使ったのはそのときが初めてだった。当時私の周りの人(関西人)にそれを話すと、「どの料理もみんな真っ黒になってまうやろ(私の変な関西弁)」と驚かれた。また「さいしこみ醤油」を知ったのは、うちのカミさんが中国地方出身だったことがキッカケ。これも著書からの引用だが、「さいしこみ醤油」は、防州(山口県東南部)の柳井が発祥とされていて、中国地方西部から九州北部にかけて普及しているという。なるほど。九州のあの甘く味付けされた醤油はこの「さいしこみ醤油」から派生したものなのかと想像したりする。「たまり醤油」の煎餅を初めて食べたのはいつの頃だったか。「白醤油」はちょっといい料理屋さんへ行ったときが初体験か。鰻の白焼きにも使われていたのがあった気がする。醤油は日本の代表的かつ最もポピュラーな調味料なのだが、私の場合、いざ振り返ってみると、それらを経験するのには案外と時間がかかっているのだ。これを裏返して考えると、知らず知らずのうちに、「自分は醤油のことは知っている」と思い込んでいたことに気がつく。

ところで私は、東京生まれの東京育ちながら、母は秋田出身なので、「しょっつる」は子供の頃から知っていた。ご存じ、ハタハタの魚醤だが、この河出書房新社の「醤油手帖」には、「魚醤編」という章もあり、さらに興味が湧いた。その章を見ていたら、鮎の魚醤が載っていて、「これ使って見たいなー」と思っていたら、2〜3週間前、偶然にも見つけ、思わず買ってしまった。その話しはまた次回エントリに。

私は塩作りを生業としているが、塩と並んで醤油も極身近な調味料ながら、広く知っているかと言えば、実はよく分からないこともあったりする。それが醤油であり、塩であり‥‥。私にはそんな親近感も醤油に対してあると思う。

醤油の作り手の醤油に対する愛情は、きっと自分の子に対する愛情と似ていると思う。しかし、子供というのは、親からの愛情だけで育つ訳ではない。その子の友だち、学校の先生、地域の人たち、職場の人たちなど、いろんな人の愛情を受けて育つものだ。この「醤油手帖」の著者・杉村さんの醤油に対する愛情は、常に醤油の作り手への敬意が感じられ、第三者の一歩下がった立場での愛情のように感じる。きっと醤油の作り手からしたら、物足りなくもあろう。しかし、読む側からすると、このぐらいがちょうどいいという感じもあり、その視点を新しく感じる。

醤油っていろいろあるけど、何が違うの? と素朴に思っている方。またその答えを大ざっぱにでも知りたいと思っている方、そして食いしん坊の方には、熱い親の愛情だけでなく、こんな控えめな愛情がこもった本も楽しいものです。

2015年10月8日木曜日

「安い」と「簡単」の不安

昨日の夕方4時頃、探していた透明な防水テープをamazonで見つけた。税込みで264円でありながら、送料は無料。「本当かな?」と疑いつつも購入しようと画面を進めると、「(30日間の)Amazonプライム無料体験しませんか?」と誘われ、これも「無料ならいいか」と申込み、264円の防水テープを購入すると、「翌日到着」とメールが入った。送料無料だけでも半信半疑だったが、いくらプライムっつったって、それが十数時間後に届くことにもにわかに信じられなかった。

すると、本当に今朝9時半頃に、届いた。

何と便利な世の中になったものだ。驚きというより、狐につままれたようで、まだ実感が湧かない。264円の防水テープを、昨夕ネット上で購入し、今朝届く。それも送料無料でだ。私は自分の判断で購入し、この便利さの恩恵を確かに受けている当人なのだが、どうもスッキリしない気持ちがある。

おそらくamazonは、全体で利益を上げているから、こうした細かなことを問題にしていないのだろう。そして264円という小さな購買もいずれはある程度以上の大きな購買に繋がる可能性があるという考えもあるんだろうなぁ、ということぐらいは思うのだが、どうも何かが引っかかる。

サステイナブル(持続可能な)という言葉があるが、これはサステイナブルなのだろうか。と、ふと考えてみる。これでamazonが収益を上げ、夜間のピッキングや発送作業もシフト制勤務の従業員によって行われ、環境に特別大きな負荷をかけることもなければ、サステイナブルのような気もする。防水テープが、壊れもの用のような手厚い梱包なことはやや環境負荷がある気はするが‥‥。

そんなことを思い巡らせていて、思いついたのは、30年から35年ぐらい前だったろうか。それまで高価で年に一度食えるかなあという存在だった鰻の蒲焼きが、スーパーで(主に中国産だったと思うが)一匹分が500円で売られ始めたときのことだ。当時、二十歳頃の私は、「えー、どおなってんの? 500円かよー」と最初は「?」な気持ちとともに驚いて買うものの、しばらくするとそれは「?」にも驚きにも値しなくなっていった。そしてその影響で、稚魚がいないという今の鰻事情になっていることは言うまでもない。鰻屋さんの鰻重も値上がりしたし、残念ながら質(おいしさ)が低下した店もある。

amazonのシステムの詳しいことは分からない。でも、しっかりとした段ボール箱を開けると、真ん中に、ちょこんとポリシートで梱包されているこの防水テープを見ると、何となく、「大丈夫なのかな?」と、漠然と不安になってしまう。「安いから」、「簡単だから」という理由は、とても分かりやすい。「安くて簡単なら、それでいいじゃない」と、言われそうだが、それをそう思えないのは、歳とった者のただのボヤキなのかなぁ。