2009年10月13日火曜日

奥多摩の柚子


10日(土)は子供の運動会で、翌11日(日)は雨天順延時の予備日だった。先週は台風が来てたけど、私の住む東京はピークが木曜日だったので、その時点で10日(土)は降りそうにないことが分かった。つまり、とっておいた11日(日)がフリーな休日になった。こういう日は、プレゼントされた一日のようで気持ちにも余裕がある。

木曜日、「何をしようか」と思案してたら、以前から誘ってくれてた知人の奥多摩の別荘を思い出した。早速電話したら、家族での訪問を快諾してもらえて決定。奥多摩は東京の西端で、「東京都」とは言うものの、かなりの山の中だ。当日、そこへの道すがら、近所の酒屋さんへ手みやげのお酒を買いに行った。お店に入ってすぐに目に入ったのは、店頭に並んだ柚子酒。最近は、(焼酎でなく)日本酒(原酒)に梅を漬けた梅酒をよく見かけるようになったが、この柚子酒はその柚子版。私にとってお酒は、その中の酸味も重要なので、柚子酒はちょっと引く感じ。ごめんなさいね。でもお店の方と話してたら、「私も昔はよく奥多摩へ山歩きに行ったのよ。奥多摩には野生の柚子の木がたくさんあったものよ」とのお話。「へぇ〜、柚子って四国あたりのイメージがあるけど、奥多摩にも自生してたんですかぁ」とちょっと驚き、お酒(柚子酒ではなかったが)を1本携えて、再び車に乗った。

その別荘は、奥多摩の日原というところにある。有名な鍾乳洞の手前の狭く急な山道を車で5分ほどのぼると、10軒ほどの集落に着いた。どの家も急な勾配の土地に建ってるから、その集落を見渡すことは出来ない。たぶんほんの数人が住んでるぐらいの集落だが、車で通るとやたらと視線を感じた。何度も言うが、急斜面に家々や道があるので、どの家からも道が見下ろせる。見慣れない私の車が道を通ると、各家の窓がいっせいに開いて、みんな「誰だぁ〜」って感じで視線を送るのだ。さて、知人より早く到着した。私は車を停めて、送ってもらった地図を片手に、細い道を登る。「ここかな」という家の隣家の前には、さっきまで窓から見ていた人が仁王立ちしてコッチを見ている。「こんにちは〜。○○さんちはこのへんですか?」「あぁ、そこの家だよ。ウチでお茶でも飲んでいくかい?」。ん〜、ちょっと驚くも、「いや〜、もうすぐ待ち合わせした時間なので、(○○さんも)すぐ着くと思います。ありがとうございます」。社交辞令とは言うものの、なかなか強烈だ。

と、そうこうしているうちに、知人到着。手みやげのお酒を渡しつつ、酒屋さんの柚子の話をしたら、「柚子の木だったら、ウチの敷地内にも2本あります。よかったら持っていってください」と、有難いお言葉。それで持って帰ったのが、上の写真である。この家だけでなく、この集落には柚子の木が多いらしい。彼は1年半前にその家と土地を買ったばかりなので、昔のことはハッキリしないが、元々は自生していた柚子の木だったのかも知れない。だとすると、有名ではないが、奥多摩は、実は柚子の里だったことも考えられる。

この家(別荘)はいろいろな面で面白いので、この後、ご本人の承諾を得られたら、もっと具体的にその面白さを書こうと思う。

2009年9月24日木曜日

ニャチャンのフォー


写真は、ベトナムの代表的な麺、汁麺のフォー。ご存じの方も多いと思う。米粉の麺が塩味のスープに浸っている。でも、この写真を見て、「これはフォーじゃねぇーだろ」と言われる貴方。ん〜、ベトナム通ですね。でも、フォーなんです。きょうはちょっとマニアックなフォーの話。

ベトナムの麺のいろいろについては、詳しく説明してくれている本やサイトがあると思います。また、その食べ方にも多少の流儀はある。それはそれとして、「例外のない例はない」とはよく言ったもので、このフォーもそれが当てはまる。

まず、フォーはベトナム全土、「フォー・ガー(鶏)」か「フォー・ボー(牛)」の2種類と決まってる。なぜか豚のフォーはない。それをベトナム人に尋ねると、「昔からそーゆーものだ」とか言われる。だからと言って、豚の汁麺がないわけではない。例えば、ベトナム南部のサイゴンでは豚の汁麺となると、「フー・ティウ」という米粉の麺がある。ただし、この「フー・ティウ」はフォーと違い、半分乾燥させた半透明の麺で、朝鮮半島の冷麺の半分ぐらいのコシがある。フォーの麺は、白くてコシのない麺だ。つまりは、「フォーの麺には鶏か牛が、そしてフー・ティウの麺には豚が合う」ということだと思う。

しかーし

これがサイゴンから飛行機で1時間離れた、ベトナム中南部の海沿いの町、ニャチャンに行って、フォーを注文すると、サイゴンで「フー・ティウ」と呼ばれる米麺とそっくりの麺で出てくる。先に書いたとおり、フォーは「フォー・ガー(鶏)」か「フォー・ボー(牛)」の2種類と決まってることに変わりはないから、フー・ティウの麺で鶏か牛のフォーを食すことになる。上の写真は、「フォー・ガー(鶏)」だが、ニャチャンの「フォー・ガー」である。麺の様子が見えるように、あえて麺を汁の中から引っ張り出している。

まぁ、どうだっていいことか。そもそも日本にだって、生醤油で食べる「讃岐うどん」もあれば、肉汁に浸かった「武蔵野うどん」もあるし。

でもどうだってよくないことは、「ベトナムの麺=フォー」と言われる中、私はニャチャンのフォーまたはサイゴンのフー・ティウの麺の方が好きだということ。どーも、あのフニャフニャの麺をすすんで食べる気にあまりならない。

そろそろ話をまとめます。
ベトナムへ旅行へ行って、サイゴンでフォーがイマイチだと感じても、もしその後ニャチャンへ行ったら、もう一度フォーを頼んでみてください。そーゆーことです。そんな人がひとりでもいてくれたら、これを書いた意味があるかなぁ。

2009年9月8日火曜日

火炎樹とサルスベリ


写真は火炎樹。カンホアの塩田近くにある事務所の庭に植えられている。地面に花びらが落ちた様も素敵だ。南国では定番の木だが、ベトナムでその存在は、少しだけ日本の桜に似ている。

それは、ベトナムでは毎年学校の学年が終わる6月に咲くため、「卒業の花」とも言われるからだ。ちなみに6月、カンホアは一番暑い。暑さで頭がボォーっとしてても、この炎のような鮮烈な色の花を見ると目が覚める思いになる。桜は花だけで咲くが、ご覧のとおり火炎樹の花は緑の葉っぱとともに咲く。補色のコントラストがこの鮮やかさを増している。この下で卒業生同士が写真を撮ったりするんだろうな。そう言えば、ベトナムの小学生の制服で白いシャツに赤いスカーフ、ネイビーブルーのズボンまたはスカートっていうのがあった。火炎樹の赤は、あのスカーフの赤と似つかわしい。


ところで私の中で、日本で一番暑いときに咲く花と言えば、サルスベリだ。サルスベリの花は、白や淡いピンク、また紫がかったのもあるが、この写真のピンクが一番一般的だろう。サルスベリさんにはちょっと悪いが、どうもこのピンク色を見ると暑苦しく感じてしまう。いつも暑い中で見るから、単なる条件反射なのかも知れない。では、なぜ火炎樹を見て暑苦しく感じず「目が覚める思いになる」のだろう。サルスベリの花も緑の葉っぱと共に咲く。花の茂り具合や真っ赤とピンクの違いか。またカラッとしたベトナムの暑さと湿気のある日本の暑さの違いか。日本で真夏に咲く花は比較的珍しいから目に付きやすいのかな。写真は7月末に撮ったものだが、9月になった今は、ほとんど葉っぱだけになっている。

「美しさ」は「おいしさ」同様、主観的な問題だ。そしてあまりに見慣れたもの食べ慣れたものは、何となくその人の主観的な価値を下げがちな傾向がある。しかし、慣れたもの身近なものほど大事だったりする。桜は毎年咲くが「早く散るからいい」と言う。ベトナムの人がピンクのサルスベリを見たら、どう見えるだろう? 「涼しげだね〜」とか言われたら、私の主観も変わるかな。こういう主観はどんどんブレていい。

2009年9月1日火曜日

ブノワトン 高橋幸夫氏 逝去


(後記:写真は、9月28日行われた偲ぶ会のもの。麦の穂を捧げた。)

ブノワトンの高橋幸夫氏が8月1日に逝去されたことを、先週知った。彼はご家族とともに、日本におけるパンの新しい世界と可能性を見せてくれた。

それはおいしいパンというだけに留まらない。一見とてもパン屋さんとは見えない店構えのブノワトン(神奈川・伊勢原)の中に入ると、眺めているだけでもおいしさが伝わってくる様々なパンたち。「もー最初は大変でしたよ。バゲット切ったら中に穴が開いてるってクレームになってたんですから」というところから始まり、その後は東京から買いに来るお客さんも珍しくなくなった。次のお店は和の佇まい、足柄麦師をオープン。そして「神奈川でパンを作っているのだから、神奈川の小麦を使いたい」と、自分で粉屋まで始めた。その小麦は「湘南小麦」と名付けられた。功績はとても語り尽くせない。

去年の夏、高橋さんと話す機会があった。彼は家庭でパンを手軽に作れる「手作りパンキット」のようなものを考えていて、「そのキットの塩として100〜200gぐらいの小さいカンホアの塩【石臼挽き】を作らないか? また(小さい方が)お店でもお客さんは買いやすいですよ。パッケージのデザインは・・・・」と提案された。お店で使ってもらっているのは20kg、小さいのは500gしかなかった。それまで考えはしていても実行にちっとも移ってなかったが、その声で背中を押された私は実行に移り、今年の春、それが発売になった。だから、カンホアの塩【石臼挽き】の150gは私なりに思い出深い。

初めてお会いしたとき、「カンホアの塩、おいしいです。オッケーです」とニコッと微笑みながら言われたときは嬉しかった。私は「ブノワトンのパン、おいしいです」とは思っていても、とてもそれを言えるようなタマじゃない。いろいろな思いを胸にギュッと詰めて、私は私なりに進んでいくしかない。

ゆっくり休んでください。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
合掌

2009年8月21日金曜日

梅干しが教えてくれるもの


やっと昨日、梅干しの土用干しが終わった。私は東京在住。今年の「梅雨明け宣言」はたしか7月末頃あったが、それは名ばかりだった。8月になってもどんよりとした曇り空の日が続き、ときには熱帯のスコールのような雨も降った。いつになったら「土用干し出来るのだろう」と心配し始めたお盆も過ぎた今週、やっと真夏らしくお天道様がギラギラした。このときとばかりに3日間土用干し。今、一安心したところです。

梅干しを仕込む人は多くはないと思うので、ざっとその工程を書いてみます。

  1. 梅を塩漬けにする・・・梅から出た汁(梅酢)が上がってくる

  2. 塩もみした赤シソを加える・・・汁と梅が赤く染まる

  3. 土用干しする・・・直射日光に当てて干す

  4. 取り込んで1年ぐらい寝かせる


梅が熟すのが6月中旬から末、赤ジソの収穫時が7月初旬、梅雨が明けるのが7月下旬。この自然のリズムをなぞるように次々と工程を踏んでいき、梅干しは出来上がる。自然と共に暮らしていた昔の人の知恵。すばらしいですね。

毎年梅干しを作り始めて10年ぐらいたった。塩は手前塩のカンホアの塩で同じだが、毎年違う梅、シソを使い、天気も毎年違う。「梅干し作り」というと、とてもシンプルに聞こえるかも知れないが、実は毎年いろいろ違い、いろいろなことがある。

今年の特徴は、現実的な梅雨明けが遅かったこと。土用干しするのが、いつもより3週間ぐらい遅くなった。なかなか土用干し出来なかったため、梅漬けの時間が長くなり、カビが生えた。「なかなか梅雨明けしない」ということは、同時にその間「高温多湿の日々を過ごす」ということ。よってカビが生えやすくなる。カビは梅から出た汁(梅酢)に浮き草ようにポツポツ生える。この10年で、カビが生えたことは1〜2度あったが、カビはほんのちょっとから始まるから、軽症なうちにスプーンですくえば問題ない。しかし、今年はお盆も過ぎたせいで、チェックを怠った。おかげで、カビは軽症とは言えなくなり、初めて梅酢を加熱した。その詳細は、新たに「正統派・梅干しレシピ」に載せた。梅酢の加熱は何となく抵抗があったが、思いの外うまくいった。つまりおいしい梅干しになりそうだ。

思いの外うまくいったのは、同時進行で梅干しを仕込んでたうちのカミさんの助けがあったからだった。助けと言っても、作業を手伝ったくれた訳ではない。私に比べ、彼女は大ざっぱな性格なので、例えば、梅を仕込む前に容器などを熱湯消毒するが、容器はしても重石はしてなかったりする。「そんなんじゃ意味ねぇ〜じゃん」と言うと、「いいの、いいの、だいたい(消毒)したから」と言う。だから、私よりもずっと早くにカビが生え始める。いつもだと、土用干しまで私のはカビが生えず、生えても軽症で事なきに終わる。

でも、今年は違った。7月中旬に彼女の梅酢は早速カビ始めた。「それ言ったことか」と全くカビの生えてない自分の梅を誇らしげに言う私。しかし、彼女は涼しい顔をしてその翌日ぐらいに加熱消毒した。そして、梅雨の明けない日が続き、8月も1週間過ぎると私の梅もちょっとずつカビ始めた。最初は「軽症、軽症」とちっちゃなカビを取ってたが、お盆がらみでカビは増殖。立場は一気に逆転し、彼女のは全くカビなしなのに、私のはカビカビになってしまった。彼女のは、およそ1ヶ月も前の加熱にもかかわらず、カビは再発生していない。そこで彼女にご指南頂き、私は初めて梅酢の加熱を経験し、うまくいった。梅酢の加熱はひとつの非常手段なので、出来たらしたくないが、加熱しても思ったより梅干しの仕上がりに影響しないことが分かった。

カビがちょっと多めになったと思ったら、即思い切って加熱してしまった方がいい。そして、加熱すれば1ヶ月はカビが生えない。もう土用干しを終えた人も多いだろうから、来年の話になるけど、参考にしてください。そして、なかなかこの世に「正解」というものがないことも。

2009年8月10日月曜日

真夏の夜の酒


暑い。
こう暑い日が続くと、胃腸も疲れ気味になるのが分かる。ビールが進む、ということもあるが、どうもそれだけでは心身共に落ち着かない。そんな真夏の夜の、私の密かな楽しい時間は、就寝前の15分にある。家族が寝静まった、だいたい夜10時前後。洗濯機のタイマーを翌朝にセットし、歯も磨いた後だ。

築40年は楽に越えてる愛すべき我が文化住宅的借家には、自作の月見台がある。畳2枚弱の、板張りの小さなスペースにちゃぶ台を置き、60ワットの電球にスイッチを入れる。それまで意識の向かなかった虫の音が響き始め、遠音に電車の音がときどき聞こえる。その音源の多摩川にかかる鉄橋は2kmほど離れているが、この時間になると風向き次第で聞こえてくる。まさに静寂を演出する音だ。これに少しの風がそよぎ、風鈴がちょっと音を立ててくれば「とてもいい夜」になる。隣の家の夫婦喧嘩もご愛嬌、と思っていたら・・・おっと〜、蚊取り線香つけるの忘れてた。

さて、ここでの主役は、酒だ。肴は雰囲気だけでいい。冬場はここで酒を飲むことはないが、春秋は焼酎・ウィスキー・ブランデーなど蒸留酒を主にストレートで味わう。コテっと寝る前の一杯だ。しかし、この2〜3年の夏場は胃腸の疲れを考えて、日本酒を飲むことが多い。酒は秋から春までのお燗もいいが、こんな真夏の夜は、涼しめのときで常温、暑いときはロックにしたり(上の写真)、疲れているときはさらにソーダで割ったりする。

私は、普段から酒は純米酒しか飲まないが、特にこうして氷やソーダで薄まるときは味のシッカリした純米酒がいい。いや、そうでないとダメだ。上品な端麗タイプやいわゆる「きれいなお酒」は、たとえ純米酒であってもこの飲み方にはそぐわない。純米吟醸は芳しいが、食中はかえってただの純米酒かせいぜい特別純米止まりの方が、食べ物とのバランスがよく、食が進む。だから、普段純米吟醸はあまり買い置きしない。したがって、こうして一人静かに酒を楽しむときも特別純米止まりになる。純米酒だって香りがない訳じゃない。こういうときはかえってその微妙な香りがいとおしく思えたりもするものだ。

これを書いてて、「たまにはこの時間のために、純米吟醸を1本買ってみるか」と思い立った。あまり買わないので、酒屋さんで迷いそうだ。そんなこと思ってたら長い針が下を向いている。おやすみなさーい。

2009年8月5日水曜日

夜の訪問者


夕べのこと、網戸も開けてた我が家にカブトムシ(メス)が飛んできた。場所は、東京の西の方、昭島市。最初、カミさんが「何か飛んできた」とシャウトした。辺りを探しても何も見つからず、そのときは「?」。それから30分ぐらいした後、私のTシャツの中で何かがゴソゴソ動いているのに気がつき、シャツをまくってみると、あ〜らカブトムシさん。私は東京生まれの東京育ちだから、こんな経験は多くない。子供と一緒に喜びを分かち合った。意外とツルツルしてる背中をなでてみたり、お顔をよーく拝見してみたり、腕にはわせてみたり。最後は網戸にとまってもらって記念撮影。子供と「もういいな」と最終確認した後、外に投げたら飛んでいった。

・・・とここまでは、よくある話だと思う。

実は、このカブトムシさんの1時間ほど前、別の訪問者がいた。カミさんが「テンだ! イタチだ!」と庭を指さし、やはりシャウトした。スーパーマンでも来たかと思ったが、かなり慌てた声にあおられ、私も慌てて庭をみた。庭には部屋から4mぐらい離れたところに、昔からよくある高さ1.5mほどのコンクリートの塀がある。その塀の上を3匹繋がって、何とハクビシンが歩いていた。「小走り」の方が近いかな。外は真っ暗で、部屋の電球にうっすらと照らされたその鼻筋にハッキリと白い線が見えた。それは薄ら明かりに咲くドクダミの花のように真っ白に見えた。それを見た私は、瞬間的にハクビシンだと思った。それまで特にハクビシンに興味があった訳では全くない。ただ、発作的にハクビシンだと思ったから不思議だ。

その白い線の残像が脳裏に残っているうち、早速ネットで調べたら、紛れもなくハクビシンだった。漢字だと「白鼻芯」。ん〜、そのものだ。wikipediaには、「人家近くに生息して屋根裏でも繁殖する」とあった。何だそんなものか。また「植物食中心の雑食性で、果実、種子、小動物、鳥、鳥の卵などをたべる。なかでも果実を好む」。3匹は20〜30m先にある梨畑へと続く塀の上を立ち去って行った。そろそろ梨が実をつけ始める頃かぁ。

「いそうでいない」というより「いなそうでいる」夜の訪問者たち。残念ながら、夕べの最初の訪問者の写真を撮る余裕はなかった。