2012年4月9日月曜日

ベトナム・ニャチャンのロシア料理レストラン


きょうのエントリも、3月下旬のベトナム出張時のときのこと。

私の出張は、主に「カンホアの塩」の生産現場、つまりはカンホアにある塩田なんだけど、そこは田舎で交通の便が悪いので、途中で必ずニャチャンという中型の町に立ち寄る。ニャチャンは、カンホア・プロヴィンスのキャピタルシティでもある。

ニャチャンは、町でありながら、ベトナムで有数のビーチ・リゾート。カンカン照りの下、ベトナム人は日陰に逃げるが、欧米人は甲羅干しに余念がない。冒頭の写真はニャチャンの町中のビーチだ。で、この1〜2年、その「欧米人」に大きな変化がある。

ロシア人が急激に増えているのだ。聞くところによると、ロシアからこのニャチャンまで毎日直行便が飛び始めているらしい。ロシアの3月はまだ寒いだろうから、きっと「暑さ」を求めてやってくるんだと思う。この20〜30年で世の中ずいぶん変わったが、ロシア経済・ベトナム経済の変化、また両国とも社会主義仲間だから、そのコネクションもあってのことだろう。

私のニャチャンの常宿は、外国人ツーリストが多い地域にある。ちょっと歩くと、もーロシア語の看板がズラズラで、英語に迫る勢いだ。(ちなみに日本語はまるでない) ・・・・というぐらいだから、本格的なロシア料理レストランも登場している。「本格的」とは、高級という意味ではない。ちゃんとロシア人が経営し、料理し、お客さんもロシア人であふれかえっているレストランだ。

このブログをお読みになっている方は、ちょっと思いつくことがあろうかと思いますが、先月、東京・新宿のロシア料理レストラン「スンガリー」のことを書いたばかり。(→3月6日:写真教室とボルシチ) どうも最近、ロシア料理に縁がある。

私はロシアへ行ったことはない。が、私にとってロシアは、何となく分かっていそうで分かってない、もっと知りたい国なのだ。例えばロシア料理といっても、ボルシチ、ピロシキ、ビーフストロガノフというベタな料理しか浮かばない。また、レーニン、トルストイ、ホロヴィッツをも育んだ大国だ。「もっと知っててもいいはずだ」という感覚は常にあるものの、なかなか東京にいてロシアの人と接する機会もない。

それに、戦後生まれの日本人である私は、知らず知らずのうちに、いわゆる旧西側諸国の価値観に偏っているかも知れない。そしてその裏側には、ロシアなど旧東側諸国の人たちが持ってる、私の知らない何か大事な感覚が存在するかも知れない。そして私にはそれが欠如しているかも知れない、という薄っすらとした思いもある。もしかしたらあるかも知れないその欠如を補うために、私が興味あるのは、生身のロシアの人たちの感覚だ。書物などで知るロシアもあろうが、直接のコミュニケーションの中で、体温を感じるようにそれを感じたいと思っている。

でまぁ、ニャチャンで、ロシア料理レストランがあると聞き、行ってみた。この1ヶ月で、「スンガリー」に続き2つめのロシア料理レストラン。続くときは続くものだ。

まずは外観から。下の写真は店の看板だが、全てロシア語。きっと店の料理のことが書いてあるんだろうが、忘れちゃいけない、ここはベトナムだ。ロシアではない。それも外国人ツーリストが多い地域なんだから、せめて「Russian Restaurant」ぐらい隅っこにかいてあってもよさそうなものだ。しかしながら、「ロシア人にだけ分かればいい」という何とも強いポリシーだ。こうこられると私の好奇心は、かえって刺激され、ゾクゾクしてしまう。


そして、下の写真が、きっとお店の名前。「P」のような文字と三角形みたいなロシア文字。どんな意味なんだろう? お店の名前でこんなに短くていいのか、と余計なことを考えてしまう。んで、面白いのは、その下にある、「14-20」。最初は番地かと思ったが、営業時間だった。20時閉店は分かるにしても、14時開店とはどういうことなのだろう? ロシア語は分からないが、この「14-20」という表示の仕方にさり気なさを感じる。店内は5〜6テーブル。木製の椅子とテーブルが見える。


上の写真は開店前(14時前)だったが、その日の夜に行ってみた。店に入ると、当然のようにロシア人で賑わってて、ラッキーにもテーブル席がひとつだけ空いて座れた。賑わってはいるものの、満席にしては話し声などどこか静けさを感じた。これもロシアなことなのか?

そして注文したのが下の写真。


右上がボルシチ。ベトナムでもたくさんあるディルがたっぷりのっている。左がポテトサラダのようなもの。手前がキュウリの漬物だ。ここまでを前菜にして、次の写真がメイン料理。


そう、ロールキャベツ。右上にちょこっと写ってるけど、パンはライ麦パンじゃなくてベトナムのバインミー(バゲット)だった。私にとっては、先のエントリで書いた、新宿の「スンガリー」での料理の記憶が新しかったので、ついついその線で注文し、比べてみたくなった。

で、そのお味はというと、新宿「スンガリー」同様、ほんとうに素朴で家庭的な味なんですねー。「スンガリー」の方が、やや味つけは繊細だったが、誰が食べてもおいしいって感じの、安心出来るような、心温まるようなお味でした。まだ2軒しか経験ないが、この素朴さがロシア料理の特徴のように思える。

ところで、写真にもあったように、この店、20時閉店なんだけど、私たちがメインのロールキャベツを食べ終わったのがちょうど20時頃だった。その10分前ぐらいになると、60歳ぐらいのロシア人男性店主は、従業員に片付けを指示し始め、私たちのテーブルの上の皿やグラスは淡々とどんどんかたづけられちゃった。「うちは20時に閉店なんだから」と念を押されるように。これも社会主義の名残りなのか? ただ、それがちょっと強引に感じたので、私が驚いた仕草をすると、隣のテーブルの若いロシア人カップルの女性の方が、クスクス笑ってた。もちろん、自分たちだって閉店間際までいる、私たちの仲間なんだけど。仕方なく「早く会計して店を出よう」って雰囲気になって、一緒に店を出た。

まぁ、その店主のぶっきらぼうな態度も、このレストランの味のうち。サービスが悪いとかじゃなく、きっとそんなもんなんだろう。決まった時間になれば、閉店して、従業員を帰らせるという、やさしいオジサンとも言える。隣のテーブルの女の子がクスクス笑ってくれたのには、ホッとさせられた。私たちも「そんなに悪いことをしている訳ではない」と思えたので。ん〜、何とも楽しい探検、いや食事でした。

先に書いたとおり、この店の名は「P」と「三角」の文字。
住所は、ニャチャンの、14A Hung Vuong通り。

もしかしたら、10年後には、ベトナムのどこかに、リトル・モスクワみたいなものがあるかも知れない。

2012年3月27日火曜日

続・オシャレな新しいベトナム人


前回のエントリに続いて、オシャレな新しいベトナム人。

まずは冒頭の写真、カッコイー!
1954年製のベスパだ。このややグレイがかった水色。40〜50年前の日本の車の塗装にも似た色があった。たしかマツダのオート三輪にもあったような。この色の塗装を見ると、懐かしさとともに「いい色だな〜」との思いがじ〜んと湧いてくる。下の写真、スピードメーターの書体もかわいい。黄みがかったプラスチックの風合いもいい味だ。(メーターはすでに壊れてて、針は動かないらしい)


さて、このベスパ。ベトナムはサイゴンのとあるレストランの入口を入ったところに、さりげなく置いてあった。それはベトナム中部・ホイアン料理のレストランで、先のエントリに出てきた“CUC GACH QUAN”というレストランのすぐ近く。そして、下が、ここで注文したホイアン名物汁麺、カオラウだ。


ぶっかけうどん風で、汁が少ない。フォーと同じ米粉。小麦粉ではない。一番印象的だったのは、この麺の食感だ。フォー麺とは大きく違う。ザラザラした舌触り。そして少しコシがある。コシといっても小麦粉のようなグルテンのコシではなくムニっとした独特のコシ。そのせいか、食事感覚というよりスナック菓子感覚が強い感じ。スナック菓子とはいえ、甘い汁な訳じゃない。(カップ・ヌードルというよりはカップ・スターって感じ。分かるかなぁ?) また、私はホイアンには行ったことがないが、このレストランの料理は化学調味料をあまり感じなかった。入ってないか、入ってても極少量だ。これはベトナムでは珍しい。その点、前回のエントリのレストラン、“CUC GACH QUAN”と共通した感がある。決してギラギラしてなくて、素朴なおいしさだ。

店主にこの麺についてきいたところ、「“古い”米粉を使っている」とのこと。“古い”ってどういう意味だぁ〜? それ以上突っ込んできかなかったが、フォーの麺とは明らかに違う。

で、先のペスパ、店主のものだった。彼の写真は撮らなかったが、やはり「オシャレな新しいベトナム人」。小さめの黒縁のメガネをかけ、後ろで小さく結ばれたやや長めの髪、きれいに刈り揃えた口ひげ、東京にいても全く違和感のないこざっぱりした服装。私たちの帰り際、お昼時のピークが終わって、ベスパに話を振ったら、嬉しそうに笑顔で応じてくれた。

こうした「オシャレな新しいベトナム人」に会って感じるのは、この10年〜20年のベトナムの経済発展による社会の成熟さ、そして同時に、格差社会の予兆にも感じてしまう。

2012年3月23日金曜日

オシャレな新しいベトナム人

先週、ベトナムへ行ってた。15年ほどベトナムに通っているが、この15年のめまぐるしい変化を動的だとすると、今回は新しい静的な変化をしみじみと感じた。

ベトナムへ通い始めた頃は、さほど慣れていなかったということもあろうが、どんどん変わるモノや経済に目を奪われた。例えば、どんどん新しい大きなビルが建ち、どんどん新しいオートバイが増え、自動車も増え、道はよくなり、しゃれたカフェ、豪華なレストランも増えていった。そして、その頃お目にかかったお金持ちの人々は(町ですれ違うぐらいの人も含め)商売で成功したようなギラギラした成金的な人たちがほとんどだった。次に越僑さん(海外在住のベトナム人)かフランス人。この両者は物静かで決してギラギラしてない。越僑は主に海外で稼いだカネを地盤としていて、フランス人は仏領時代の名残りもあって、いまだにヴィラなどを持っていたりする。

でも最近は違う。


上の写真は、最近サイゴンで流行りのレストランのテーブル。天板のきれいなアンティーク・テーブル。陶器は全てソンベー焼、箸はココナツの木製、ブリキ製の箸立て、栓抜きは氷割りの形(ベトナムで古くから使われているアルミ製の氷割りを模したもの)。一般的なベトナム人が見たら、「(サイゴンで流行りのレストランなのに)何でこんな古くさいの使うの?」と目が点になること間違いなしだ。おまけにツマヨウジの器は、見てそれとすぐ分かるよう大きく欠けていた。店内のインテリアも古いモノばかり。テーブルが並んだ部屋へは、かがまないと通れないぐらい低い、仕切り壁の開口を通るつくりだ。従業員は英語で注文をとりにくるが、メニューはベトナム語。客は、抑えの利いたオシャレな服装で、控えめの声量の英語とベトナム語のチャンポンで会話していたりする。ちなみに料理の値段は通常の3倍ぐらいする。

てっきり経営者はフランス人か越僑さんかと思ったら、生粋のベトナム人だった。今の一般の日本人に、この感覚はなかなか分からないだろうが、生粋のベトナム人がこの感覚で商売する、そしてその類の(ギラギラしてない)ベトナム人がたくさん来店し、繁盛している・・・・私には10年前は想像すら出来なかったことだ。もちろん、これはほんの一握りのベトナム人だが、10年前は一握りのこの手のベトナム人に私はお目に掛かる機会さえなかった。今は、いわゆる富裕層が厚みを増してきたのだと実感する。


上の写真は、私たちが食べた料理。何の変哲もないベトナム料理だ。しかし、調理が丁寧で、優しい味つけが印象的。化学調味料も使ってないかも知れない。奥に見えるジュースのストローは、太めの空心菜の茎。(←これも一般のベトナム人にはかなりショックだろう) 写真を拡大してみよう。手前の豚肉のスライスが盛られたソンベー焼の皿は、ボロボロとフチが欠けてる。このソンベー焼は最近のと違い形がしっかりしている。10年以上前のものだ。もー、一般的なベトナム人は、驚いて椅子から転げ落ちるか、気が狂うかも知れない・・・・それは言い過ぎとしても、黙って言葉を失うだろう。


このレストランのコンセプトは、現代の在ベトナムのフランス人のセンスに寄るところが大きいと思う。一部のフランス人は、郊外のいいところにコロニアル風のヴィラを建て、ベトナムの昔のモノを活かしたインテリアや道具とともに暮らしている。それに似ているから。

日本で例えてみよう。そうだな、1960年代、破れたジーパンが初めて若者の間で流行ったときがある。それを見たほとんどの年配者たちは、「なぜ、わざわざボロをはく?」って、ビックリしたと思う。それのもっと極端なものかな。

下の写真がこのレストランの入口だ。重厚な木戸が半開きになっていて、最初、「営業しているのかな?」と思いながら恐る恐る中に入ると、店内はお客さんで大賑わいだった。もちろんこの扉の半開き加減もこの店の演出だ。


生活スタイルが画一的に変わっていくと、必ずと言っていいほど、そのアンチテーゼのようなスタイルが登場するのだ。ベトナムも例外ではなかった。15年前の私には、それが想像できなかっただけかも知れないが、今回この静かな驚きは私の心にしみじみと染みいった。

下記が、このレストランのインフォメーション。サイゴンの中心地に近いが、ポッカリと静かな裏路地沿いにある。もー、いい歳こいたおっさんの私は、ビックリだぁ〜。

CUC GACH QUAN
10 Dang Tat, Tan Dinh, Quan 1
Sai Gon
tel. 08-38 480 144

★「オシャレな新しいベトナム人」、続編もあります。

2012年3月6日火曜日

写真教室とボルシチ

「カンホアの塩」のサイトでは、カノウユミコさんの塩料理レシピを定期的にアップしている。そこで使っている写真はすべて私が撮ったもの。決していい写真とは言えないが、始めてもう5年たった。始めた当初は、「レシピとして伝われば・・・・」ぐらいの気持ちだったが、続けているうちに欲が出てきて、「もっと思うとおりに撮れないかな〜」と思うようになった。そう思い始めると、自分が撮った写真がとてもヘタクソに見えてくる。

そこで、カノウユミコさんのお誘いを受けて、去年の秋から月一回ぐらいのペースで、写真教室に通い始めた。実は昨日もあったのだが、教室の主催は、彼女のお店・仙。先生は久間昌史さん。nobuや菊乃井といった大御所の料理本の写真を撮った方でもある。

とまぁ、そんなこと始めると、何かとカメラ関連品が必要になってくる。その関係から、新宿西口のヨドバシカメラに何度か通うことになった。

先週末も修理が終わったフラッシュをとりに新宿へ。用事が済むと、その日はちょうど昼時だった。「どっかこのへんで昼飯っつったらどこかな〜」と、まだ寒さの残る空を見上げたら、30年ほど前に行ったロシア料理のレストランを思い出した。1回か2回しか行ってないが、おいしかった記憶があって、「また行きたいな」と淡く思いつつ30年が過ぎていた。それにしても、30年たって思い出すレストランってのも、そうはない。

とはいうものの、しつこいけど30年ぶり。「まだあるかな〜」と半信半疑だった。当時すでに老舗だったと思う。富士重工のビルだったのは憶えていたので、まずはそのビルの案内板を見た。

地下1階と2階、店名までなく、「スバル名店街」としかない。どれどれと歩き進むと、マクドナルドと大戸屋がドーンとあった。「この様子だと、もうなくなってるかな〜」と思いきや、ありましたー!

「ロシアレストラン スンガリー」

この入り口のイメージも、30年前当時のまま。30年前に1〜2度会っただけだけど、とても気のあった知人に再会したかのような気持ちになって、とっても嬉しかった。

そしてこれが外にあったメニュー。

木製の扉を開けて入ると、満席・・・・のように見えたが、「カウンターならお一人分あります」と、運良く座れた。

グルジア産の赤ワインをグラスで注文。すぐさま出てきたのがこのボルシチ。やさしい味で、ホッとする感じ。ディルがやんわり効いてる、ビーツがベースのスープだ。これに黒パンがついてくる。

私個人的には、30年ぶりの嬉しさも手伝って、ワインも黒パンもおかわりして、次のロールキャベツのオーブン煮込みを迎える。(おかわりはどっちも有料でーす)こっちもディルがほんのり効いてた気がする。あとはアニスかな(不確か)、何しろおいしゅうございました。(岸朝子さん風)

最後に、甘ーい何種類かのベリー系ジャムを口に含みながらすするルシアンティー。ほろ酔い気分で、新宿西口の雑踏も気にならず、帰路についた。

写真教室に通ってなかったら・・・・、ヨドバシカメラが昼時じゃなかったら・・・・、お店がなくなってたら・・・・、カウンターの1席が空いてなかったら・・・・、いろんな偶然が重なって、30年ぶりに再会したこのボルシチは身も心も温まるおいしさだった。

2012年3月2日金曜日

東京の雪、雪国の雪


一昨日の早朝から半日、私の住む東京に雪が降った。1ヶ月ほど前も雪降りの日があったが、そのときは氷点下の中降ったから、東京の雪としては珍しくサラサラで、雪ダルマが作れなかった。

昨日の雪は東京らしい牡丹雪。2℃ぐらいの中の雪だったから、ベタベタ雪で簡単に雪ダルマができた。前夜から予想できたので、いつもより1時間早く起きて、子供2人と雪ダルマを作った。ベタベタ雪で、手袋やヤッケはビショビショになったが、子供たちは興奮して雪を重ねた。

東京生まれ東京育ちの私も、子供の頃、「雪→雪ダルマ」という発想だった。雪が降っても雪ダルマを作れなきゃおもしろくない。雪ダルマが作れるほどの雪は、東京では何年かに1度のチャンスだから、いろんな不具合は全く気にならず、楽しみが上回る。

これはもちろん雪の少ない地域だからこその話。雪の日、東京の道ばたの雪ダルマの数は、雪国に比べ、断然多い。

二十歳頃、スキー場のロッジで何シーズンか泊まり込みのアルバイトをしていた。親しくなった同じ年頃のそこの息子さんが、2月の終わり頃のゲレンデで、遠目に見える山をストックで指して私に話してくれたことを思い出す。

「山が黒くなったろー。(針葉樹の葉に積もった雪が落ち、その濃い色の葉が露出して黒く見える) あとひと月ぐらいすると、今度は(ずぅーっと雪に覆われてた足下の)地面の土が、少しだけ見えるときがあるんだ。それが嬉しいんだよ。分かる?」

そこはスキー場だったから、雪が消えることはスキー客がいなくなることを意味する。私は、それって寂しいことじゃないかなと思っていたから、とても意外な話だった。

さて、東京の雪は、2月〜3月が多い。一昨日が2月29日だったから、もう一度ぐらい降るかも知れない。12月〜2月の東京は、晴天の下の放射冷却で、肌を刺すような乾燥した北風が寒いが、2月〜3月になると少しずつその西高東低の気圧配置が崩れ始める。そして、雲が発生し、雪や雨が降る。この三寒四温の候、「寒」のときに雪が降る。雪国と違い、東京の雪は、「春はもうすぐだよ」と告げているのだ。

東京の子供たち、そして朝起きてカーテン開けると広がる一面の雪景色を楽しんでいる大人たちにとって、東京の雪は、歳時記上「春」であり、その訪れを喜んでいるように感じる。

一昨日の雪降りから一転、昨日は暖かな一日だった。冒頭の写真の雪ダルマもすっかり姿を変えてしまったが、子供たちはそれを悲しむことはない。

2012年2月22日水曜日

静かな春を

上の写真は、我が家の隣家の敷地のムクロジという木。大きな木で、高さは15メートルぐらい。昔は石鹸にも使われたという小さな丸い実がたわわになったまま、葉が落ちてスカスカになっている。この実は垣根を越えて、うちの庭にもいっぱい落ちてくる。上の写真、落ちたてのムクロジの黄色い実。と、そのとなりには、秋に落ちて朽ちた2つの実もある。

スカスカの枝振りを眺めていると寒々感じるが、秋に落ちた実も、いつのまにか朽ちているように、春は我が家の庭に訪れ始めている。例えば、つぼみを持った水仙。白く色づいているのもある。そして、「木」へんに「春」と書く「椿」。これは今満開。これは侘助だが、1月から咲き始め、上奥に見える花はすでに枯れ始めている。枯れ始めて春を感じる花もなかなかない。
そして、去年初めて植えたクロッカスの黄色い花。木苺の新芽は、すでに緑の葉をつけ始めた。
今朝も我が家の睡蓮鉢には1センチの氷が張っている。ここ東京・昭島はまだまだ寒い。ヒートテックのパッチと肌着は離せない。でも、心の中では少しずつだけど春への感覚が湧いてきている。それを外の世界にも確かめてみたくなって、3日前の日曜日、庭を見て回り、写真を撮った。

そして人の会話も春めいてきている。
「いつまでこんな寒いんだろうね〜」
「早く暖かくなんないかな〜」

自分の中で湧いてきているこの感覚を自分自身が感じとることで、自分が自然の一部であることを感じる。

月曜日は、二十四節気の雨水だった。「農耕の準備を始める目安」らしい。

急に「春だー」と感じると、浮き足立ってしまう。でも、植物や空の色を通して感じる春や自分の中の感覚としての春は、少しずつ訪れているのだから、それらを少しずつ感じることで、この春を静かにしっかりと受け止められたらと願っている。

日曜日から3日経ったきょう水曜日の朝。つぼみだった水仙が花開いていた。やっぱ、これ見ちゃうと、浮き足立つなー。

2012年2月16日木曜日

唐辛子とコショウ


この2つは全くもって紛らわしい。上の写真は、南イタリアで撮った“peperoni"、赤唐辛子だ。

30年ほど前、私はサンフランシスコの郊外にあるサウサリートという小さな町のピザ屋にいた。当時私は、1ヶ月の英語のサーマースクールで、サンフランシスコにある語学学校に来ていて、その滞在中のことだった。

クラスで仲良くなったイタリア人とスイス人(ドイツ語圏)の友人と一緒に、3人でそのピザ屋に入った。昼時だった。テーブルにつき、メニューを見ながら「さぁ、何を注文しようか?」。ピザ屋のメニューだから、トッピングを何にするか、ということだ。

私は、メニューの“peperoni(ペペローニ)"というのが気になって、二人にきいた。「この“peperoni"って何よ?」。一人は何てったってビザの本場のイタリア人だし、もう一人のスイス人は3人の中で一番年上で、「オレに任しとけ」って感じだった。

すると、二人は口を揃えて、「“pepper”、つまり唐辛子のようなものだ。辛くない場合も多い」と答えてくれた。私の中の日本的感覚では、「シシトウまたはピーマン。もしかしたら青唐辛子」という理解になって、「じゃオレ、それにする。1枚はそれでいい?」となり、“peperoni"を注文した。

しばらくして、テーブルに運ばれた“peperoni"のピザは、唐辛子のようなものは全くのってなくて、サラミのスライスがたくさんのっていた。私は、「あれ、これが“peperoni"なの? 唐辛子らしきものが全然のってないじゃん」と、ちょっと不満顔をみせると、イタリア人とスイス人の二人は、ピザ屋のお姉さんにクレームした。

「おい、これは間違ってるぞ。私たちは“peperoni"を注文したんだ。pepperがのってないじゃないか」。

しかし、お姉さんはいたって毅然とした態度で私たちに向かって言った。「これは“peperoni"です」。おいおい冗談じゃないよーと、やや笑みを浮かべながら私の友人二人は、「いや、違う。違うってばー」。

すると、お姉さんは、キッチンに消えたかと思うと、ポリ袋を手にして戻ってきた。そして、私たちにそのポリ袋のラベルを見せながら、言った。「ここにちゃんと“peperoni"と書いてあるでしょ」。そう言いながら、彼女は袋の中に入ったサラミのスライスを見せてくれた。たしかにそのラベルには、“peperoni"と印字されていて、袋の中には目の前のピザにトッピングされたのと同じサラミのスライスが入っている。

「だからこれは間違いなく“peperoni"であって、私は決して間違っていない」と、彼女はダメを押すように主張した。(余談:こういう裁判のような主張の仕方に、当時まだ若かった私は世界を感じたものでした)

そこまでされては、さすがに私たちもそれ以上文句は言えず、サラミがたくさんのったピザを食べた。元々は、私が「“peperoni"って何?」ときいたのがキッカケだったということもあるから、私は二人に「まぁ、これだって旨いじゃん」などとなだめたが、二人はサラミのピザを頬張りながら、ブツブツ「これは違う・・・」と納得していない。

翌朝、学校に着くなり、二人は(英語の)先生(イギリス人)にまくしたてるように前の日の出来事を話した。そして「“peperoni"とは、pepperでしょ?」と質問。するとそのイギリス人の先生は、「いや違う、“peperoni"とは、ソーセージのようなもの。サラミって分かる? そんなようなものだよ」。すると、二人は、「あっ、昨日のピザ屋のお姉さんと同じこと言ってる。まったく英語圏の人間は分かってないなー」。当然二人は、「スイスでは・・・・」、「イタリアでは・・・・」と主張した。

“peperoni"は、その音からして明らかにイタリア語だから、私としてはイタリア人の友人の主張を認めたい。それもピザ屋での話だし。でも、ここアメリカでピザ屋に入って、好きなものを注文して食べたいという観点からは、「郷に入れば、郷に従え」と言えなくもない。たとえ意味は間違っていても、英語の「外来語」として。

イギリス人の先生は、「実は、あのサラミの中には“black pepper"が入っている。それが“peperoni"という名前の由来だと思う」と、その理由まで説明してくれ、一応話は落ち着いた。

閑話休題。

これは30年前の出来事だが、こういう風に、同じ言葉でも場所が変わると違う意味になることはしばしばある。特にこの唐辛子とコショウは、世界中で紛らわしい。世界とまで言わずもがな、この狭い日本国内だって、例えば長野では、唐辛子のことを「コショウ」と呼ぶ。ついでに「黒・白コショウ」のことも「コショウ」と呼ぶ。九州の「柚子こしょう」の「こしょう」にしたって、青唐辛子のことである。ってことは、ヨーロッパぐらい広いと、ドーバー海峡を境に意味が変わっても、ちっともおかしくないとも言える。

ちょっと、wikiってみた。

唐辛子の原産地は、中南米。ナス科トウガラシ属。
コショウの原産地は、インド。コショウ科コショウ属。

このように植物学的には全く違うものだ。しかし、英語では、例えば赤唐辛子のことは、“red pepper"で、黒コショウのことは、“black pepper"だ。私はインドに1年ほどいたが、ヒンディー語で、赤唐辛子は、“ラル・ミルチー"、黒コショウは、“カロ・ミルチー"。ラルは赤、カロは黒だから、英語のpepperとミルチーは同義語になる。ということは、コショウの原産地であるインドに唐辛子が伝来しても、インド人たちは唐辛子をコショウと同じミルチー(pepper)と呼んだことになる。それともイギリスの植民地時代にこの言葉がインドに広まったのか・・・・。謎は深まるばかり。

「唐辛子」をwikiると、「名称」の欄に下記のような記述がある。

英語では「レッド・ペッパー (red pepper)」と言う。胡椒とは関係が無いにも関わらず「ペッパー」と呼ばれている理由は、ヨーロッパに唐辛子を伝来させたクリストファー・コロンブスがインドと勘違いしてアメリカ大陸に到達した際、唐辛子をインドで栽培されている胡椒の一種と見なしたためである。それ以来、トウガラシ属の実は全て「ペッパー」と呼ばれるようになった。

ヘンテコなオチだけど、こうして私が思い悩んでいるのは、どうやらコロンブスの勘違いがキッカケで、その勘違いが訂正されずそのまま今日に至っていると。んー、そう聞いても、私はまだまだ釈然としない。ホンマかいなー。