2013年2月12日火曜日

ヌクマムと飛行機搭乗・その2

このエントリは、前回の「ヌクマムと飛行機搭乗・その1」の続き。ヌクマムをベトナムの飛行機でいかに無事に運ぶことが出来るか。それがテーマです。

上の写真は、先月のベトナム・ニャチャン空港(=カムラン空港)。この空港の入口を入ったところに、この写真のお兄さんはいました。元々ヌクマムの入っていたガラス瓶から、ミネラルウォーターのペットボトルに、ヌクマムを移してるところです。

先月ベトナムへ行ったとき、ニャチャンのヌクマム会社の社長さんと話をする機会があって、そのとき私は「ヌクマムは飛行機で運べないじゃない?」と質問したら、「いやいや、今は(ニャチャンの)空港の入口で、発砲スチロールの箱に詰めてもらえるから(有料)、運べるよ」と教わりました。

どれどれと空港へ着いたら、いました。いました。それが写真のヌクマムの梱包屋さん。早速、カバンに入ってたヌクマムを梱包してもらいました。値段は忘れたけど、箱代込みで人の足下見るような金額ではありませんでした。先のエントリでも触れたとおり、通常、ヌクマムは手荷物でも預ける荷物でも飛行機にはのせられない。しかし、先月初めて知ったのだが、公に認められている方法として、

・ガラス瓶ではなく、ペットボトル入り(キャップはガムテープでしっかり封)
・さらにそのペットボトルが発砲スチロールの箱入り(フタもガムテープでしっかり封)

この2つが条件で、堂々と手荷物検査が受けられる。もちろん、このお兄さんに梱包してもらわなくても、自分で同じことをやっていれば大丈夫です。このお兄さんは、何もニャチャン空港公認の梱包屋さんというワケではないので。

「ヌクマムをベトナムの飛行機でいかに無事に運ぶことが出来るか」

その答えとして、まず上記のような方法があります。しかし、これはニャチャン空港での話で、他の空港、ましてや日本への国際便が飛ぶ、サイゴンやハノイの空港では未確認です。少なくとも、先月のタンソンニャット(サイゴン)空港の入口には、このような梱包屋さんは見かけませんでした。

でも、先月私は、ヌクマムを日本へ持ち帰っている。

それは上記のような胸を張って検査を受けられるような方法ではないが、「何となく、こうしておけば大丈夫なんじゃないかな」という程度の認識があって、それが成功に結びついていたのです。

まず最初に、一番ヤバイ、つまり必ずと言っていいほど、ダメなことから。

よくベトナムの町中でも売っている、小さめのガラス瓶(100ccぐらい)に入ってて、それが5〜6本、シュリンクフィルムで包まれてるのがあるが、これは絶対ダメ。小さい瓶がまとまってるし、瓶もちょっと変わった形をしているから、お土産にちょうどいいと思うところなんだが、これはX線を通したとき、「絶対ヌクマム」と分かるので、即絶対ダメになる。私はこれで2度没収になった経験があります、はい。

この小瓶のように、ヌクマムはしばしばちょっと形の変わったガラス瓶に入っていることが多い。例えば、冒頭の写真にあるヌクマムの瓶(赤いラベル)の形は、エッフェル塔や東京タワーのような四角錐。例えて言うなら、イタリアのグラッパなんかもちょっと変わった形の瓶に入ってますね。あんな感じ。サイズはいろいろあれど、この変わったガラス瓶の形は「これはヌクマムです」と主張しているので、X線を通すとばれやすい。私は大きめの変わった形のガラス瓶でダメになった経験が1度あります、はい。

そして、その後、ある人から次のようなアドバイスをもらった。

「ヌクマムでも、ちょうどワインぐらい(750cc)のサイズのガラス瓶またはペットボトルで、変わった形ではなく、プレーンな形なら大丈夫」

ベトナムではワインも作られています(主にダラット産)。そのワインは問題ないのだから、その瓶の形に似ていれば大丈夫なのではないか、というのがその理由でした。私は、そんな形の瓶に入ったヌクマムを(手荷物ではなく)預ける荷物にこっそり入れて、タンソンニャット→成田の便に5回は乗りましたが、全ておとがめナシでした。

まとめてみましょう。

●鉄則●
変わった形のガラス瓶に入ったヌクマムは避ける。特に小瓶入りは絶対ダメ。

●オススメ●
ワイン瓶の形のような瓶に入ったヌクマム、できたら容量も750cc程度。またはそんな瓶に移したヌクマムを、(手荷物ではなく)預ける荷物に入れる。

●ニャチャン空港での新情報●
タンソンニャットでは試してないが、もしも堂々と胸を張って手荷物のX線を通したければ、ヌクマムをペットボトルに入れ、キャップをテープで封をし、さらに発砲スチロールの箱に入れて封をする。ここまでやれば、たぶんだけどタンソンニャットでも通用する。

だいたい以上になりますが、上記の●オススメ●は「オススメ」というだけで、特別それで公認されているワケではありません。「預けた荷物の中に、ヌクマムが入っているのですが、大丈夫ですよね?」なんて、くれぐれも航空会社の人や空港の職員に質問しないこと。もしそこまで質問して100%大丈夫の確信を得たい人は、●ニャチャン空港での新情報●を元に、自己責任の下、果敢にトライしてみてください。そして、私にその結果を報告して頂けると、私はそのときのエントリにアップいたします。

さらにもっと安全性の高い方法を見つけ出していくためには、情報収集とあわせて自分でもいろんな方法を試してみないとなりません。情報として、曖昧さがずいぶんありますし。過去に私は何度も没収にあってますが、それは本当に無知だった頃のこと。それ以降は、確信まではないながら、●オススメ●の方法で100%くぐり抜けてきてます。そうなると、どうしてもリスクを冒してまでいろんな方法を試したくなくなってきており、自力でさらにいい方法を開拓するまでには至っておりません。

まぁー、ですね。

決して悪いことをしているんではないんですよ。没収される理由は、先のエントリのとおり、こぼれたときの「臭い」ということだから、飛行機に載せたヌクマムが実際にこぼれちゃったりしたら、悪いことになるんでしょうが・・・・。

要は、絶対に漏れないような手を施した上で、ヌクマムを荷物に詰める。これが一番大事なことです。あとは運を天に任せましょう。ときには人間そんなことも必要だ、と私は思っています。Good Luck!

2013年2月7日木曜日

ヌクマムと飛行機搭乗・その1

上の写真は、ベトナムはニャチャンで作られているヌクマム。
ベトナムへ旅行に行って、このヌクマムをお土産に買う。
これは何の変哲のないことのように思う、でしょ。日本に旅行に来た外国人が醤油をお土産に買うようなもの・・・・と。

だが、それはそんな単純なことではないと、飛行機の搭乗にあたって思い知らされる。

事実、私はそんな経験が何度もあったので、最新情報を含めここで紹介しようと思う。

私がベトナムへ通い始めた1998年頃、それは「何も変哲のないこと」だった。普通にお店で買ったヌクマムの瓶を(割れやすいので)手荷物のカバンに詰めて、サイゴンで飛行機に搭乗し、日本へ飛んだ。

しかし、その数年後、それ以前と同じように手荷物のカバンに詰めてたら、X線を通した際、「このカバンを開けろ」と言われ、開けて出てきたヌクマムの瓶が取り出され、「これは何だ?」「ヌクマムだ」と短い会話の後、「これは飛行機に持ち込んではいけないことになっている」と有無を言わさず没収になった。

そしてその翌年頃、「手荷物だったからいけなかったんだ」と軽く解釈した私は、今度は預ける荷物の中に、ヌクマムの瓶を入れ搭乗した。すると、いざ搭乗するというとき、搭乗券の半券を切りますね、そのとき「あなたは私についてきてください」と、私の預けた荷物のところへ連れて行かれ、「このカバンを開けろ」と言われ、前年の手荷物のときと同様に、没収された。そのときは搭乗直前だったので、私にもやや焦りがあり、「え、え、え・・・・」と、不満を抱きながらも承諾し、搭乗した。

さらにその次の渡越時、私は果敢にも、再びヌクマムを持っての搭乗を試みた。当然、没収は覚悟してたので、その分、心に余裕もあり、検査官に直接質問した。

「ヌクマムは、ベトナムではどこにでもあるこの国特有の代表的なすばらしい調味料だ。何も危険はないにも関わらず、手荷物にも、預ける荷物にもそれを入れられない、つまりはベトナムから外に持ち出せないというのはおかしな話ではないかと思います。それは何故ですか?」

すると検査官は、こう応じた。

「あたなはヌクマムが好きで、ベトナム人もヌクマムは好きだ。しかし、一部だけれど、外国人でヌクマムのこの臭いを非常に嫌がる人たちがいる。もしも瓶が割れたり漏れたりすることによって、その人たちに迷惑がかかってはいけないので、預ける荷物でも手荷物でも飛行機へのせることは禁止となっているのです」

つまり、問題はこの「臭い」だと。検査官は、“flavor”ではなく“smell”という言葉を使っていた。あくまで想像だが、これまでに割れたり漏れたりの事故が度々あってクレームが相次いだのかも知れない。タイのナプラーでは、(少なくとも私は)こういう話は聞いたことがない。もちろん、この検査官が決めた規則ではないので、これ以上議論しても何も変わらない。

この状況は、概ね今も大きくは変わっていない。しかし、先月、2013年1月、私はベトナムへ行き、ヌクマムを日本へ持って帰ってきている。それにはある程度、相手を知り、こちらも準備することが必要だ。長くなったので、その方法論は、次回のエントリに。

もったいぶってるようで、すみません。そろそろ仕事に戻らないといけないのです。

2013年1月31日木曜日

生の蓮の実を食す

2週間前のこと、サイゴンの町の中心あたりを歩いていたら、上の写真のおばちゃんがいました。生の蓮の実の露天商さんである。ベトナムに通い始めて15年経つが、初めてだった。あんまり珍しいんで、迷わず買った。

きょうのエントリでは、この生の蓮の実の食べ方など、詳しくレポートしようと思います、って役に立たないだろうけど、何しろ、珍しいので。忘れないように自分のメモ替わりでもあります、はい。

でまぁ、このおばちゃん、ここで売ってるのだけど、お客さん待ちながら、このきれいな緑色の蓮の実の皮を小さなナイフを使って、見事な手さばきできれいに剥いていました。それが下の写真。
そしておばちゃんの商品はというと、下の写真。
 
まず、シャワーの口のような蓮がありますね。その外側の殻を剥いて出てくる、オリーブの実のような緑色の粒がポリ袋に入って積まれてます。さっきの写真では、おばちゃんはその緑色の皮を剥いていて、剥くとその手前にあるポリ袋の白い粒になるのです。右側にはもう1袋出来上がりそうな口の開いた袋があります。さらに、その白くなった実をさらに剥くと中心に芯があるんです。その芯を乾燥させたものが、さらに手前の深緑のポリ袋です。これは蓮茶になる。

でまぁ、緑色した皮を剥くおばちゃんの見事な手運びをしばらく観察させてもらい、緑色の蓮の実のポリ袋を買いました。おばちゃん曰く、「(その緑色の蓮の実は)3日ぐらい日持ちするよ」とのことでした。私は、ちょうどその日の夜の飛行機で日本へ帰る予定だったので、日本に持ち帰って食べることが出来ました。

さて、こっからは日本で撮った写真。改めて、蓮の実です。よく見ると、ラグビーボールのような形。長い方の直径が2センチぐらい。ここからスタートして、おばちゃんのやっていた剥き方を紹介します。
まず、長い方の直径の上部と下部の皮をちょっとだけナイフで切ります。片方は、中身の白さが見えるだけですが、もう片方は、やや茶色。この種はこっから発芽するのでしょう。その上下を変えて撮った写真が下。
そして、皮の上下が切り取られた胴体部分を縦方向にナイフで皮を剥きます。そうすると、緑の皮がポロッと剥けて、中の白い部分が露出します。それが下の写真。
次に、さっき、「やや茶色」と書いた部分だけをナイフで切り取ります。その切り口には種の中心部の芯(緑色)がちょこっと顔を出します。
それで、この白い実。実は白い薄皮があります。この薄皮を、ペロペロっと剥きます。(下の写真)
薄皮をむき終わったところが、下の写真。
以上、ここまでが、私が観察させて頂いたサイゴンのおばちゃんの手さばき。おばちゃんからは、「この中にある芯はちょっと苦いから、食べない方がいいよ」と言われました。なので、「これで終わり」と言いたいところだけど、もう一工程。

薄皮を剥いた後の実を指で軽くつぶすと、繊維に沿って縦に2つに割れます。すると中心にある芯がポロっと取れます。下の写真の右側が2つに割ったままの状態で、左側がその芯をポロッと取った状態です。
これで、やっと、やっと、やーーーーっと、このちっちゃい白い実を食べるのです。あー、味のことに全く触れてないことに気が付きました。

香りはほとんどなく、味も淡ーい苦味と、若干のエグ味。ナッツ類のような旨みはないけど、食感は茹でた落花生に似てる。まぁ、乙な味とでも言うのかな。でも、蓮の実を生で食すというのは、ちょっと特別な気がするから、気のせい的な「乙な味」なのかも知れない。

さて、緑の芯は乾かしてお茶・・・・というのが、冒頭のおばちゃんの商品でもありましたが、こんなに小さな芯にもかかわらず、手元に残った数が少なかったので、今回私は諦めました。たくさんある方は是非乾燥させてお茶にしてみてください。

最後に、まぁ、こっちは生よりはあるだろう乾燥させた蓮の実。
お粥なんかのトッピングにあったような・・・・。ちょうど2つに割れたのがあったので、その断面をコッチに向けてみました。ちゃんと中の芯が残ってるの、分かりますか? ただ、この乾燥蓮の実。めちゃくちゃ外側のこげ茶の皮が硬い。かじると歯が折れそうなぐらい硬いので、(ほとんどないことでしょうが)気をつけてください。

何しろ、手間暇かかる割には食べるところが少ない生の蓮の実。サイゴンのおばちゃんのことを思い出します。しかし、とうとう買ってきた1袋を全部食べられないまま、2週間が過ぎてしまった。鮮やかな緑色だった外皮は徐々に枯れ始め、茶色いボツボツが・・・・。こうなったら、このまま全部茶色になるまで放っておいて、春になったら、種として睡蓮鉢の泥に植えてみようかと考え中。

どこまで続くんだ、蓮の実よ〜。

2013年1月26日土曜日

ココナツジュース、ベンチェー流

昔、二十数年前、場所はタイ南部のパンガン島の浜。ココナツの木の下の木陰で気持ちよ〜く昼寝をしていた私は、突然、ある若い白人男性に「お前、なんてところで寝てるんだ! 早く起きろ!」と肩を揺さぶられ起こされた。

私は旅行者。彼も旅行者。お互い見ず知らずの間柄だったので、私はとても驚いた。当然のことながら、「お前こそ、どうしたんだ。せっかく気持ちよく昼寝しているところを起こしやがって」と、私は応じた。

彼によく理由を聞くと、「上のココナツの実が落ちてきたら、お前はイチコロだ。こんな危ないところからは即刻逃げなきゃならない」ということ。つまり彼は人助けで、昼寝中の見ず知らずの私を緊急に起こしたという訳だ。

すっかり目が覚め、ココナツの木から離れたところに移動した私に、彼は別れの言葉の代わりに「気をつけろよ」と言い残し、去って行った。その背中には、正義感と達成感がほとばしっているようだった。私は、ひとつため息をついた。

それ以来、ココナツの実が下にいる人間に落ちてきて事故になるってことが、本当にあるのかどうか、ずうっと疑問だった。少なくとも私は、その彼以外からは聞いたことがない。このパンガン島の地元の人たちを見ていても、そんな感覚は全くと言っていいほど感じない。

もしそれが本当なら、ココナツ林を歩くことは、時限爆弾地帯を歩くようなものなのか。それは極端にしても、少なくともココナツの木の下は通らない方が無難、ということになるだろう。だから、その下でのんびり昼寝なんてのは、もっての外と。

そんな長年の疑問に答えてくれた人と一週間前に会った。場所はベトナム・サイゴン。先週一週間「カンホアの塩」の出張でベトナムにいっていた。そのココナツの先生は、ベトナム・ベンチェー出身。ベンチェーは、サイゴンから車で西に3時間ぐらいのところにある、メコンデルタの町で、ベトナム随一のココナツの名産地だ。ベトナム人に、連想ゲームで「ベンチェー」と言うと、きっと9割以上は「ココナツ」と答えるだろう。

その先生に、ココナツ落下事故についてきいてみた。

「それはない。なぜなら、ココナツの実は持ち主によって管理されており、落ちる前に落とされるから」

とのこと。まぁ、持ち主が誰かに頼むこともあるだろう。その先生は、「そんなことより、ベンチェーのココナツを飲まないか」と冷蔵庫でしっかり冷えたココナツをすすめてくれた。「もちろん、頂きます」と答えると、冒頭の写真のココナツを私に差し出した。

「ストローで飲むことが多いけど、ベンチェーではこうして実に大きめの穴を開けて、口をつけて飲むのさ。これがベンチェー流だ」

大概は、お店に置いてあるのものでも、採りたてのものでも、ナタでカツカツやって小さな穴を開けて、そこにストローを刺して飲む。ストローがなくてもその小さな穴に口をつけて飲む。でも、こうしてわざわざきれいに大きく穴を開けたものは飲んだことがなかった。

口を縁につけたとたんに、その違いに気づいた。香りの立ち上がり方が全く違う。私は手のひらを鼻の前であおる仕草をして、先生にそれを主張した。すると先生は、

「ワインのグラスと同じような形だろ。あれもこれも香りを楽しむための形なのさ」

と補足してくれた。ん〜、納得。

しかし、それは香りだけではない。写真で気がつくだろうか。このココナツはやや小ぶりだ。先生曰く、

「ココナツは大きい品種と小ぶりの品種があって、大きい品種の方が大多数。小ぶりの方は数が少ない。そして大きい方はだいたい出荷用。買う人は大きいのを喜ぶんだ。そして、少ない小ぶりの方は家族で飲む。それをこないだベンチェーの実家から持ってきたのがこれなんだ。中身のジュースは、小ぶりの方が味がいいんだぜ」

とのこと。
私からもつたない補足をさせてもらうと、小ぶりだと冷蔵庫に入りやすい。

それで肝心の味。

このベンチェーの小ぶりなココナツのジュースは、よくある青臭いようなクセがほとんどなく、何ともスムーズ。感じるか感じないかの僅かな酸味と、さわやかな甘さ。芳醇な香りがその味を印象づけるのは言うまでもない。おいしくて、私は、朝夕、2つ飲ませてもらい、その味と香りに浸った。

こうなると、ココナツの落下事故のことはどうでもよくなった。あの彼に、このココナツジュースを飲ませてあげたいな。もちろんベンチェー流で。

2013年1月21日月曜日

正月の凧揚げ

一月の最初の日曜日、久しぶりに凧を揚げた。

自分ちの子供2人と、我が家に遊びに来ていたそのお友達2人、計4人の子供を連れて近所の公園へ行った。家を出るときは吹いてた風が、公園に着いたらピタッと止まった。「困ったなぁ〜」と風を待ってたら、風のない中、子供たちは走りながら凧を引っ張って揚げようとする。「そんなんじゃダメだよ。風が吹くまで待とうよー」と言ったが、すぐに飽きてしまった子供たちは、そそくさと私の家へ帰っていってしまった。

一人取り残された、さみし〜い私。

30分ほど待ったら、風が吹き出した。凧はどんどん高く揚がっていく。一人で待ってた分、気合いが入っちゃったせいか、誰も止める人がいなかったせいか、一つ目の凧糸が最後まで揚がった後も、もっと揚げたくなった。最初は5人で揚げようと思ってたから、凧を2つ持って行ってた。二つ目の凧から糸をはずし、一つ目の凧糸の最後に結んだ。「よーし」とばかり、更に凧は揚がっていった。

そこでポケットから携帯電話を取り出し、家にいるカミさんへ電話した。

「今、やっと風が吹いてきてね。どんどん揚がっているよ。年に一度ぐらいのことだから、子供に宣伝して寄こしてよ」

しばらくして、4人の子供たちが到着した。すでに二つ目の凧糸も目一杯になっていた。天にほんの小さくしか見えない凧を、子供たちはすぐに見つけられない。「見つけられた人いるかなー?」とちょっと自慢げな私は、携帯のカメラで何枚か写真をあてずっぽに撮った。携帯の画面では写っているかいないか分からないのだ。

このぐらい上がると、揚げ続けるにもそれなりの力がいる。それを子供たちに感じてもらいたくて、一人一人交代で糸を引っ張らせた。「重〜い」と嬉しそう。私も嬉しい。

寒空だけど、気持ちがいい。
年の初めに凧揚げってのは、何となく縁起がいいことのように感じた。

2012年12月26日水曜日

暮れの銀杏処理


先週末、久しぶりに銀杏の処理をした。20年ぶりぐらいだ。

私が住む「東京都の木」ってのはイチョウというだけあって、季節になると近所の公園には銀杏が山ほど落ちてる。風の強い日の翌日など、「あ〜、でっかいのがいっぱい落ちてるな〜」と横目で見ながら踏んづけないように通り過ぎることはあっても、拾うことはなかった、銀杏は好物にも関わらず・・・・。無論、処理が面倒だからだ。

ところが、先日、その公園に遊びに行ってた8歳の娘が、興奮気味に息を切らして家へ帰って来た。

「袋ちょうだい!」
「どうしたの?」
「銀杏拾ってるおばさんから、一緒に拾わない?って言われたの。いっぱいあるから私も拾おうと思って」
「そっかー、分かった」

この時点で、私が20年ぶりに銀杏の処理をすることが概ね決まったと言っていい。1時間後、彼女が抱えてきたレジ袋には、バケツ一杯ほどの銀杏がギッシリ。サイズも結構でっかい。「ん、これだけ粒ぞろいならやる価値あり」と、腹をくくった。

その2週間後の先週末、暮れの掃除や年賀状書きと気ぜわしい休日だったが、天気がよかったので、ふと空いた時間に意を決してゴム手袋を買いに走った。

ゴム手袋をした手で、外皮から種の銀杏をひとつずつプルッと出していく。大きなポリ袋をかぶせたバケツにぬるま湯を入れ、そこにひとつずつポチャン、ポチャン・・・・。いい天気とはいえ、その音が、北風の中で小さく響き、だんだんと寂しい気分に浸っていく。縁側から窓越しに暖かい部屋で子供たちが友だちを連れてきて遊んでいるのが見える。最初の30分は、「いつになったら終わるんだろう?」と不安になった。

ギッシリと銀杏が入ったレジ袋の上の方は確かにでっかいのばかりだったが、その下は小さいのが結構混じってた。一緒に拾ってたおばさんに、最後にでっかいのを入れてもらったらしい。せっかくのおばさんのご厚意だったが、上げ底みたいでちょっと騙された気分にもなった。2〜3度の小休止を入れ、黙々と2時間半。「銀杏去って、また銀杏だな」なんて言葉が出始めた頃、やっと種を全部出し終えた。バケツの湯を替えながらザバザバ洗い、ザルで干した。それが冒頭の写真。

どんなに忙しくたって、どんなに急いだって、どんなことでも、ひとつずつ。ステップ・バイ・ステップ。ワン・バイ・ワン。それでしか物事は進まない。

正月は銀杏食べよっと。

2012年12月18日火曜日

おでんの東西


昔、京都で暮らしていたとき、揚げた練り物を「天ぷら」と呼ぶのを初めて知った。そして関東で言う「おでん」のことを「関東煮(かんとうだき)」と呼ぶことも。当初、東京出身の私は、それらの意味が全く分からなかったし、意味を知ってからも違和感を持った記憶がある。

さて、うちのカミさんは、鳥取の出身。彼女の親御さんも鳥取。そして私は東京。私の親は、長野と秋田だ。まぁ、大きく分けて、カミさんは西日本の人間で、私は東日本の人間だ。こんな組み合わせの場合、おでんの鍋をつつきながらの話題は事欠かない。

まずはそのつゆ。

「最近は東京のおでん屋さんでも、こーゆー薄口醤油っぽくて昆布だしが効いた関西系のつゆの店が増えたよね。醤油の濃いのより、オレはこういう方が好きだよ」

「立ち食いのうどんもそうだけど、醤油の濃いつゆだと具に色が付いて汚れた感じじゃない? こっち(東京)の感覚って、全く理解出来ないわ」

「東京の立ち食い蕎麦屋のうどんのつゆはね、蕎麦のためのものなんだよ。蕎麦を頼む人の方が断然多いからね。限られたスペースで、2種類のつゆを仕込むのは大変なんだ。それにね。おでんはまた別だな。醤油の色が奥の方まで染み込んだ卵や大根を好むのさ。だからあの色は汚れというよりアメ色と表現して欲しいな。濃口醤油があんまり主張するのは確かにジャンクなところがあるけど、あの色には(煮込んだ)時間が表れているんだ。つまり『じっくり煮込まれた』時間を感じながら食べる。そーゆーこと」

おでんの東西の違いはつゆだけはない。

「だいたいアタシ東京来て初めて知ったけど、こっちで言うスジっていうのがあるでしょ? なんか練り物みたいの。これも信じられない。おでんでスジっていったら、牛スジに決まってるじゃない」

「んー、そーだな。スジ、最近ほんとんど見ないな。子供の頃、おでん屋さんでよく食べたんだけど。ちょっと魚の骨っぽさが残った練り物だったな。だいたい斜めにスライスされておでん種になってた。オレもあれを何でスジって呼ぶのか子供心に不思議に思ってた。でも言葉からして、東京のスジは、牛スジの代用品だったかも知れないな。つみれと似てるけど、つみれよりちょっと肉っぽさがあったような記憶があるから。牛スジじゃないけど、あれはあれでおいしかったよ」

「おっとー、きょうも里芋かー。おでんの芋つったらやっぱジャガイモでしょ〜。メークインじゃなくて、男爵系ね。」

「何言ってんのよ。おでんで芋と言えば、絶対里芋よー。この食感がいいじゃないのー」

「オレ、里芋は好物だよ。ただ、おでんの里芋はオレにとって新感覚よ。ジャガイモとは違うもの。ジャガイモに箸入れて切ると、ふわっ〜とジャガイモの香りが立ち上るのさ。それから煮崩れたジャガイモの破片がつゆに溶けかけたところにカラシを少し溶かして、一緒にズルズル吸うのもまたオツなものさ」

「きょうはチクワブ入れたから。でも、なんでちくわという立派なおでん種があるのに、わざわざニセモノ使うんだろうね。ちくわの麩という意味だろうけど、麩じゃなくてうどん粉の固まりじゃないの」

「え〜、それはチクワブに対して失礼だなー。チクワブはちくわのニセモノではないんだよ。落語の『時蕎麦』では、そんな風に語る噺家さんもいるけど、このちくわに似せた形には意味があるのさ。穴開けたり周りを波打たせたりしてその表面積を稼いでいるんだ。そうしてつゆの味を染みこみやすくしているのさ。あとこの形にはちょっとした洒落っ気もあると思うけどね。だからオレはさ、チクワブをこうして円柱状に輪切りにするんじゃなくて、斜(ハス)に切ってもらいたいんだよなー。そうすると、先っちょが薄くて段々厚くなるでしょ。つまり、ちょっと反り返った先っちょにはしっかりつゆが染み込んでて、厚くなるにつれて段々すいとんのようなモッチリした小麦のおいしさにグラデーションで変わっていくのだよー。分かるかなー」

「あれー、はんぺんないじゃん」

「あーあの、白くてフワフワしてるやつね。東京では入れるみたいねぇ〜」

こうして私は批判を受けると文句を交えながら言い訳もする。「ガタガタ言わずに黙って食え」と言われればそれまでだが、これらの違いは面白い。そんなあんなで、おでんの鍋をつつきながら、「まっ、文化が違うんだなー」ということになるのだけど、大事なことは、異文化を交えながら、「より旨い」と思う方向へ進むことだ。おいしさに決まり事はない。