先週末、ベトナムからの来客があり、お土産に「カフェ・チョン」を頂いた。ベトナム語のチョンは、日本語ではジャコウネコ。この「ジャコウネコ・コーヒー」ついて、ベトナムで語られる有名な話しがあるので、ちょっと説明します。
まず、(野生の)ジャコウネコは、コーヒーの実を「選んで」食べる。その実はやがてウンチになるが、硬いコーヒーの種は未消化のまま。コーヒー園の中に落ちているその未消化のコーヒーの種を集め、洗って乾燥させる。そのコーヒーの種だけを焙煎したコーヒーということだ。ベトナム人に「カフェ・チョン」のことを質問すると、人によってディテールが微妙に違うのだが、だいたいこういうこと。
だから、「カフェ・チョン」には独特のおいしさがあり、大変希少なコーヒーということになっている。17〜18年前だったか、私がこの話しを初めて聞いた当時でも、町中のコーヒー豆屋さんには高価だが「カフェ・チョン」がさほど珍しくなく売られていた。
ところでベトナムには、この手のストーリーがときどきある。どの鳥だったかは忘れたが、ある特定の鳥が食べた唐辛子(チリ)の糞から集めた種を育てた唐辛子、とかね。その唐辛子を生でかじったことがあるが、外見は小ぶりで、青唐辛子の緑色とともにうっすら赤味がかったものもあった。かじると他のベトナムの唐辛子よりやや鋭い辛さだった記憶がある。
なんかね、こういう動物にまつわるストーリーは、人間至上主義ではなく、動物へのリスペクトにもとれるところがいい。(でも、現実はそんな甘〜くはない。その話は後で)
さて、そんな「カフェ・チョン」なんだが、今年3月、ベトナムへ行ったとき、空港でも売っていた。ジャコウネコのイラストがパッケージにあったので、写真に撮った。
ちなみにこの写真の箱入りの「カフェ・チョン」は、200g入りでVND550,000。およそUS$25。決して安くないが、空港価格だし、「そんな希少なカフェ・チョンが」と思うと安くも感じる値段だ。
で、お土産に頂いた「カフェ・チョン」は、ダラット周辺にあるコーヒー園で直接購入されたものだった。ベトナム最大のコーヒーの産地は、バンメトート周辺。客人は、ダラットとバンメトート両方の、今どきの「カフェ・チョン」の違いを説明してくれた。
バンメトートの方は、広いゲージの中にジャコウネコが何匹も放し飼いにされていて、そのジャコウネコにコーヒーの実の餌を与え、糞を収穫する。広いゲージだし、ジャコウネコはある程度は、コーヒーの実を選ぶことが出来る。一方、ダラットの方は、小さなゲージでジャコウネコを一匹一匹飼育していて、各ジャコウネコには、それぞれ特定のコーヒー種(アラビカ種、ロブスタ種など)の実だけを与える。だからジャコウネコは食べ残す以外に実を選ぶことが出来ないが、「カフェ・チョン」を、はっきりとコーヒー種別に得られるということだ。
いずれにしてもジャコウネコは商業ベースで、ゲージの中で飼育されているのだから、ジャコウネコからしたら、リスペクトなどという甘〜い話しなんかではない。
さて、頂いた「カフェ・チョン」をまずは袋から出してみる。
多くのベトナムのコーヒーのように深煎りで、豆の表面が浸み出した油なのかテカテカしている。そして粒の大きさがずいぶんとバラバラだ。コーヒー店によっては、粒のサイズを揃えるために一粒一粒選別するが、そんな店からしたら、怒られそうなバラバラさだ。そして、この「カフェ・チョン」はダラット産なので、品種が特定されている。「Cherry種」というちょっと珍しい品種。リベリカ種系の品種らしい。
いつもより丁寧にこの豆のコーヒーを入れた。
ジャコウの香りがするわけではなかったが、朽ちた木のような香りがする。決して悪い意味ではなく。そして深煎りの苦味の後味にうっすらと独特の酸味がある。この香り・味がジャコウネコの体内を通過したせいなのか、それとも「Cherry種」という珍しい品種のせいかのかは分からない。この土産を持ってきてくれた客人は、この香り・味をクセと感じていて、あまり好みではないらしかった。ただ、私にとってそれらは、好みのもので、おいしゅうございました。
最後に、ジャコウネコのウンチから採るコーヒー豆のことをネットで調べてみたら、世界では差ほど珍しくないと分かってしまった。残念。代表的なのは、インドネシアの「コピ・ルアク」。インドネシア語で、コピはコーヒーで、ルアクはマレージャコウネコ。そう言われると、そんなのあったなーという気になった。
そして、wikipediaの「コピ・ルアク」には、こんな記述も。
かつて、ベトナムでは同種のジャコウネコによるものが「タヌキコーヒー」(英語ではやはり Weasel coffee)と呼ばれて市場に出ていたが、現在は流通経路に乗る機会が乏しくなり、人為的に豆を発酵させたものが「タヌキコーヒー」と称して販売されている。
「人為的に豆を発酵させた」・・・・だましているからタヌキなのか? まさか。しかし「タヌキコーヒー」には思い当たるフシがある。私に初めて「カフェ・チョン」の話しをしてくれた日本語通訳のベトナム人の人は、チョンのことをタヌキと訳していた。単なる誤訳だと思うのだが。空港で売られていた「カフェ・チョン」の箱をよく見ると、“Weasel coffee”と書いてあるのに気がついた。“Weasel”を辞書で引くと「イタチ」となっている。また、俗に「ずるい人」の意もあり、苦笑い。それにしても、「人為的に発酵」だとー。ジャコウネコが食ってもいないのか。この土産の「カフェ・チョン」は、ダラットのコーヒー農園まで行って買ったものだから、いくらなんでもそれはないと思うが・・・・。ジャコウネコ、タヌキ、イタチと、もう何が何だか分からない。(笑)
wikipediaで、このインドネシアの「コピ・ルアク」のページを読んでいると、ベトナムの「カフェ・チョン」のストーリーは、インドネシアから渡ってきたものと思えなくもないが、ベトナムの場合は、ジャコウネコが「実を選ぶ」という点が加わっている。まさかベトナムが先なんてこともあるのかなぁ?
さらに、wikipediaの「コピ・ルアク」のページには、下記の記述も。
好き嫌いがはっきりと分かれやすい。豊かな香りと味のこくを高く評価する向きもある反面、「ウンチコーヒー」("poo coffee")と茶化す向きもある。
「おいしい・おいしくない」は、あくまで個々の問題だ。それは幸せもしかり。幸せならそれでいい。なんてことを改めて思わせてくれる「カフェ・チョン」でした。
2016年7月6日水曜日
梅の塩漬け・失敗の巻
毎年梅干しを仕込み始めてから、18年たつが、これほどの失敗は初めて。(赤ジソを加えた後の)本漬け時に、若干のカビが生えたことは2〜3度あったが、今回は仕込んだ梅の半分がダメになってしまったので、規模が違った。「正統派・梅干しレシピ」なんてのを書いてる者としては、何とも格好悪く、ショッキングな出来事ではあるが、こういう事ほどネットに上げておかねばと思い、パソコンのキーを叩く。
どんな失敗かというと、梅の塩漬けの段階で、梅酢がなかなか上がらず(2〜3日で上がって欲しいところ一週間かかってしまった)、その間に重石と自重で梅が傷み、カビが生えてしまったのだった。
しかし、大事なこととして、2点。まず無農薬の「完熟梅」というちょっと珍しい梅を使ったということ。もうひとつは、「せっかく無農薬なのだから」ということで、「水洗いせずに塩漬け」をしたということがある。私としては、チャレンジの意味もあった。とは言うものの、2年前には「水洗いせずに塩漬け」で成功していたので、今回は軽い気持ちのチャレンジであった。
さて、2年前の梅干しに関するエントリで、以下を書いた。
●洗わない「完熟手もぎ梅」(2014年6月16日)
で、今年も、希少品である「完熟梅」で仕込んだ。ただし今年のは、2年前購入した大分の菊の助さんの「完熟手もぎ梅」ではなく、他の農家さんの(手もぎかどうかは不明な)「完熟梅」。どちらも無農薬だ。この「完熟梅」も以前2度使ったことがあるし、仕込むときに、「手もぎ」との大きな違い(主に見た目と香り)は感じなかった。が、今思い返すと、菊の助さんの「完熟手もぎ梅」は、送られて来た箱の中で、すでに数個の梅が使えないぐらい傷んでいた記憶がある。一方、今年の「完熟梅」はそれがなく、全部使えた。・・・・ということは、同じ完熟梅でも、「手もぎ」か否かだけでなく、厳密にはその完熟度に違いがあったかも知れない。
そしてもうひとつの大きなポイントは、「水洗い」工程の有無。ここで誤解してもらっては困るのは、「水洗い」するときれいになる、ということではなく、私の考えでは、「水洗い」することで、塩の浸透圧を促せるという点だ。
この「水洗い」を少し説明しよう。
梅干しの最初の段階で、通常は、主にアク抜きのために、塩漬け前に一度水に浸す。あんまり熟してない青みがかった梅は3〜5時間、完熟ものは浸しても1〜2時間、浸さず水洗いして陸上げでもいいと思う。いずれにしても、水を通すことになるので、(ある場合は)農薬や汚れもある程度落とすことにもなるのだが、それよりも大きなことがあると思っている。
我が「カンホアの塩」の「正統派・梅干しレシピ」では、こうして水に浸して水切りした後、「まだ梅の表面が乾かぬうちに塩をまぶす」と書いている。これはその表面に残った水分が呼び水になって、塩が梅に絡みやすくなるからだ。こうすることで浸透圧がより促され、梅酢が出やすくなり、傷んだりカビたりしにくくなる。
したがって、逆に「水洗いせず」の場合、塩が梅に行き渡りにくくなり、梅酢が上がるのにより時間がかかる。2年前の「完熟手もぎ梅」もそれを心配しながらだったのだが、3日目に梅酢が上がり、「あー、なんだー、心配するほどじゃなかったなー」と思った経緯があった。それで、今年も「まー、完熟なら大丈夫だろう」と高をくくっていた。
ところがドッコイ。
今年の「完熟梅」は3日たっても一向に梅酢が上がってこない。「あれ〜?」とは思ったものの、3日目まで来て今さら塩にまみれた梅を水洗いすることも出来ずに、時間は過ぎていった。そして、ちょうど一週間後(7日後)、ようやく梅酢が上がった。さらに一週間、不安はあったものの、赤ジソの入手までそのまま放置。(この時点で一度重石をはずして梅をチェックした方がカビは少なかっただろう) そして赤ジソの塩もみが終わったところで、恐る恐る重石を外して梅酢に漬かった梅を瓶から取り出した。それが、下の写真。左側が傷んでしまったりカビが生えたりしてしまった梅で、右側が辛うじて救出した梅。あー、ショックです。18年目にして初めてだし。これを育てて、完熟するまで待って収穫してくれた農家さん、ごめんなさい。半分になってしまいました。
決していい見た目ではないが、傷みカビが生えた方の写真をアップで撮ったものがこれだ。
さー、ここから気を取り直して、現実的に、次は何をすべきかだ。
まず、梅酢自体、やや濁っていたので、茶漉しで漉した。コーヒーフィルタの方がより漉せたが、気持ちに余裕がなかったな。また、カビは確実に梅酢の中に混じっているので、茶漉しで漉した梅酢を、火に掛けた。ゆらゆらと湯気が立って、沸騰する前に火を止めた。(温度計を差すのを忘れたが、だいたい70〜80℃ぐらいだったと思う) そして、一晩置いて冷ました後、通常の梅干しの工程に戻り、塩もみしたシソの葉を挟みながら、残った梅を本漬けした。現在、それから10日ほど経過したが、カビは発生していない。
そして、つい2〜3日前、同じ「完熟梅」をハチミツに漬けたのに若干だがカビが発生しているのに気がついた。ハチミツ漬けにカビが生えたのは初めてだった。ハチミツに漬けたのは(ドサッと塩を撒いて)塩漬けしたのと同じタイミング。んー、やはりこの梅自体が、「完熟手もぎ梅」よりもカビが生えやすかったということが言えるかも知れない。同じ「完熟梅」でも、これが「手もぎ」か否かの違いなのか。
1.(手もぎではない)「完熟梅」の場合は、(手もぎと違い)水洗いした方がいいようである。ただし、完熟なので、時間は短めに。
→見た目は概ね同じだが、2年前に一度だけだが、「手もぎ」は「水洗い」しなくてもよかったので、(手もぎではない)「完熟梅」の場合は、それが無難そうだ。くどいようだが、それは洗浄の意味ではなく、呼び水という意味だ。
2.厳密な完熟度が影響している可能性
→今年の「完熟梅」だって、見た目は完熟だった。一年をまたいで厳密に比べることは難しいが、完熟度が高いほど、梅酢が上がるのは早いハズだ。今回のカビの原因は、この点も大きく影響したように思っている。
3.品種・産地の違いはあるのか?
→梅の見た目からして、それはないように思っている。
来年は、改めてもう一度、菊の助さんの「完熟手もぎ梅」で、あえて「水洗いせず」にやってみようと思う。
2016年6月23日木曜日
外国人技能実習生の光と影
私がベトナムで塩を作り始めて18年ほど経つ。毎年1〜2度はベトナムを訪れるので、とても親しみのある国だ。そして、こうしてベトナムで仕事をしてこれた理由の一つに、ベトナム人が持つ日本のイメージのよさがあると思っている。ベトナムから見た日本は、「戦後、焼け野原だったところから見事に復興、そして経済発展を成し遂げ、今や世界でも有数の豊かな国」といったものだ。
そんなベトナムも、昨今の経済発展は著しく、毎年多くのベトナム人が来日しているのだが、その中で、「外国人技能実習生(研修生)」というのがある。詳しくは下記のサイト。
●公益財団法人・国際研修協力機構(JITCO)
この外国人技能実習生(研修生)という制度とは、国をあげて日本が行っている事業で、その趣旨は、「諸外国(主に発展途上国)の青壮年労働者を一定期間産業界に受け入れて、産業上の技能等を修得してもらう」というもの。しかし受け入れ側の日本にとっては、労働力不足(特に、建築業・農業)を補うことに使われているのが現実だ。
それがうまくマッチして、実習生は帰国後、日本で得た技能を発揮してうまくいっているケースもあるが、そうでないケースもある。その後者が、冒頭の新聞記事だ。(2016年5月7日朝刊、東京新聞)クリックすると拡大されます。
そして、それからおよそひと月後、下記の記事が同じ東京新聞に載っていた。これもクリックすると大きくなります。その実習生はおそらく先の記事の人と同一人物のようだ。経緯が酷似している。(2016年6月1日夕刊、東京新聞) 記事の中の専門家のコメントで、「(法務省の)極めて画期的な判断だ。・・・・」とあるが、本当にそう思う。
それにしてもこの問題はとても複雑だ。
現実的に、深刻な労働力不足を補わなくてはならない日本側。中には、最初の記事にあるようなヒドイ業者もいるのだが、一方、実習生の中には、日本入国だけを目してこの制度を使う人もいると聞く。実習生の賃金は一般より安い。その手の人たちは、入国後、(極端な場合はその空港で)逃亡し、不法滞在しながらカネを稼ぐ。いくらこの制度があっても、自費は必要だ。例えば最初の記事で取材に応じているグエン・チー・タンさんの場合は、「60万円」とある。多くの場合、(親御さん含め)借金してその費用を捻出しているから、そう簡単には帰国出来ない事情もある。さらに、日本の業者と実習生を繋ぐ存在として、その国のブローカー(斡旋業者)がいる。最初の記事の中に「(グエン・チー・タンさんは)ベトナムの送り出し団体に手数料60万円を支払って来日した」とあるが、「ベトナムの送り出し団体」がブローカー(斡旋業者)であり、無論ビジネスとして行っている。
冒頭に書いたとおり、ベトナム人が持つ日本のイメージはとてもいい。これは私の仕事に限らずとても大切なことだと思う。何とかそれが悪い方向に進まないようにせつに願っている。例えば、ベトナムには日本で技能を習得したい人が多くいるだろう。そして、日本には人手不足に悩む建築業・農業の業者が多くいるだろう。でも、こうしてこの制度を悪用する日本人・ベトナム人もいる。この絡まった状況が続くと、両国にとってよくない。この外国人技能実習生の制度をもっと現実に即すように、変えていかなくてはならないと思うのだが・・・・。
そんなベトナムも、昨今の経済発展は著しく、毎年多くのベトナム人が来日しているのだが、その中で、「外国人技能実習生(研修生)」というのがある。詳しくは下記のサイト。
●公益財団法人・国際研修協力機構(JITCO)
この外国人技能実習生(研修生)という制度とは、国をあげて日本が行っている事業で、その趣旨は、「諸外国(主に発展途上国)の青壮年労働者を一定期間産業界に受け入れて、産業上の技能等を修得してもらう」というもの。しかし受け入れ側の日本にとっては、労働力不足(特に、建築業・農業)を補うことに使われているのが現実だ。
それがうまくマッチして、実習生は帰国後、日本で得た技能を発揮してうまくいっているケースもあるが、そうでないケースもある。その後者が、冒頭の新聞記事だ。(2016年5月7日朝刊、東京新聞)クリックすると拡大されます。
そして、それからおよそひと月後、下記の記事が同じ東京新聞に載っていた。これもクリックすると大きくなります。その実習生はおそらく先の記事の人と同一人物のようだ。経緯が酷似している。(2016年6月1日夕刊、東京新聞) 記事の中の専門家のコメントで、「(法務省の)極めて画期的な判断だ。・・・・」とあるが、本当にそう思う。
それにしてもこの問題はとても複雑だ。
現実的に、深刻な労働力不足を補わなくてはならない日本側。中には、最初の記事にあるようなヒドイ業者もいるのだが、一方、実習生の中には、日本入国だけを目してこの制度を使う人もいると聞く。実習生の賃金は一般より安い。その手の人たちは、入国後、(極端な場合はその空港で)逃亡し、不法滞在しながらカネを稼ぐ。いくらこの制度があっても、自費は必要だ。例えば最初の記事で取材に応じているグエン・チー・タンさんの場合は、「60万円」とある。多くの場合、(親御さん含め)借金してその費用を捻出しているから、そう簡単には帰国出来ない事情もある。さらに、日本の業者と実習生を繋ぐ存在として、その国のブローカー(斡旋業者)がいる。最初の記事の中に「(グエン・チー・タンさんは)ベトナムの送り出し団体に手数料60万円を支払って来日した」とあるが、「ベトナムの送り出し団体」がブローカー(斡旋業者)であり、無論ビジネスとして行っている。
冒頭に書いたとおり、ベトナム人が持つ日本のイメージはとてもいい。これは私の仕事に限らずとても大切なことだと思う。何とかそれが悪い方向に進まないようにせつに願っている。例えば、ベトナムには日本で技能を習得したい人が多くいるだろう。そして、日本には人手不足に悩む建築業・農業の業者が多くいるだろう。でも、こうしてこの制度を悪用する日本人・ベトナム人もいる。この絡まった状況が続くと、両国にとってよくない。この外国人技能実習生の制度をもっと現実に即すように、変えていかなくてはならないと思うのだが・・・・。
2016年5月24日火曜日
ホーチミン日本町の「同じようなもの」と「同じもの」
上の写真は、この3月、ベトナムへ出張した際に撮ったもの。この紫色と赤色のライトを基調とした雰囲気に包まれた私は、何となく、昔みた「ブレード・ランナー」という映画の中に出てきた、未来のアジアの繁華街のシーンを連想した。
ここは、ホーチミン市、レタントン通りから南側に一本露地を入ったところ。この界隈は、日本人ビジネスマンが多く居住していて、日本の食材店が何軒もあったり、日本の漫画喫茶があったりと、日本人向けの店がたくさんある特異なエリアだ。この照明の色のせいか、何となく「子供は来ちゃいけませんよ」的な、怪しげな雰囲気がいい。ぶら下がっている提灯をアップで見ると、
この日本人が書いたものではない「日本町」の文字が、異国情緒をさらに醸し出している。実際、日本にはこんなところはないんだけど、このベトナム人が作ったと思われる日本のイメージが、私には新鮮で、ここにしかないというオリジナリティを感じる。
このあたりがこんな風になったのは、ここ何年かのことだと思う。私も日本人ビジネスマンといえばそうなのだが、日本人ばっかりのところに行っても面白くないなと、ずうっと思っていて、これまであまりこの界隈に立ち寄ることはなかった。でも今はこんな風に不思議な空間になっていて、最近になって、行くようになった。
さて、この界隈の焼き鳥屋さんに入った。5〜6人いる店員さんは、全てベトナム人の若い女性。注文したり会計したりなど、無論日本語が通じる。座ったカウンター席はちょうど炭火で焼くところの前。炭火で熱い中、丁寧なその仕事ぶりは、さすがベトナム人という感じだ。
日本のブロイラーの鶏よりおいしい。そして店内の様子はというと、
メニューはもちろん日本語で、客は仕事帰りの日本人ビジネスマンばかり。時間は7時か8時ぐらいだった。すっかり新橋あたりの焼き鳥屋さんに迷い込んだような雰囲気だ。この焼き鳥屋さんで一杯やった後、次にラーメン店に入った。注文したラーメンはこれ。
去年行った台北のラーメン店もそうだが、ここサイゴンのラーメン店も豚骨が圧倒的だ。日本のチェーン店の豚骨ラーメンよりおいしい。
このラーメン店の客も日本人ばかりかと思いきや、若いベトナム人女性の二人連れ客もいた。二人で一つのラーメンや料理を注文していて、各品を二人の真ん中に置いて吟味しながら食べていた。若い人たちの間では、世界中で、日本モノが結構もてはやされているみたいだが、これもその一つなんだろうか、と思ったりする。
この界隈のこの雰囲気の中にいると、「これはいつの時代なのか? またここはどこなのか?」と、時間と空間の感覚がゴッチャになってしまう。日本のようでもありベトナムのようでもあり、現代のようであり一昔前のような、そして未来のような気もする独特なものだ。それが何とも不思議で刺激的。そして「このゴッチャになった感覚はいったい何だろう?」とふと思った。
グローバル化と言うが、だんだん世界中が混じり合っているんだと思う。それは、浸透圧の実験のように、国境という名の膜で仕切られたコップの中に濃い液体と薄い液体があるようなものだ。それは平衡状態になるまで混じり合う。
豚骨ラーメンは、日本の地方の国道沿いのラーメン店でも食べられるが、ホーチミンでも、ニューヨークでも食べられる。ちょっと前までは、ベトナムで(日本の)ラーメン店に入るのは、日本人ぐらいだったと思うが、今やベトナムの若い人たちも気軽に食べに来る。ちなみに、上の写真のラーメンは、8万ドン(400円ぐらい)。たぶん、東京で食べると600円ぐらいかな。そんなに大きな差ではない。一方、日本の百均ショップでは、ベトナム製陶器がいっぱいあり、「あっ、これベトナムの市場で見たことある」ということも珍しくない。ネットや交通・運搬手段がどんどん世界中で普及して、どんどん世界中が混じり合っている。近い将来は、世界中のどこでもだいたい「同じような」ものが食べられ、「同じような」サービスが受けられるようになるような気さえする。
ただそれらは「同じような」であり、「同じ」にはなり得ない。そこに見直されるべき価値がある気がする。「同じような」ものは、珍しくなく世界中にあるようになるのだから。
どこにでもある「同じようなもの」と、ここにしかない「同じもの」。
この2つは今でも身の回りにたくさんあるが、混じり合うことがもっと進み、「同じような」が多くなればなるほど、「同じ」の希少価値が高まるのだ。ただこれは、単純に「同じような」の価値が下がる訳ではない。「同じような」の中から、新しい個性を持った「同じような」も生まれると思うからだ。
紫と赤のライトに包まれたサイゴンの裏露地を歩いていて思った。
ここは、ホーチミン市、レタントン通りから南側に一本露地を入ったところ。この界隈は、日本人ビジネスマンが多く居住していて、日本の食材店が何軒もあったり、日本の漫画喫茶があったりと、日本人向けの店がたくさんある特異なエリアだ。この照明の色のせいか、何となく「子供は来ちゃいけませんよ」的な、怪しげな雰囲気がいい。ぶら下がっている提灯をアップで見ると、
この日本人が書いたものではない「日本町」の文字が、異国情緒をさらに醸し出している。実際、日本にはこんなところはないんだけど、このベトナム人が作ったと思われる日本のイメージが、私には新鮮で、ここにしかないというオリジナリティを感じる。
このあたりがこんな風になったのは、ここ何年かのことだと思う。私も日本人ビジネスマンといえばそうなのだが、日本人ばっかりのところに行っても面白くないなと、ずうっと思っていて、これまであまりこの界隈に立ち寄ることはなかった。でも今はこんな風に不思議な空間になっていて、最近になって、行くようになった。
さて、この界隈の焼き鳥屋さんに入った。5〜6人いる店員さんは、全てベトナム人の若い女性。注文したり会計したりなど、無論日本語が通じる。座ったカウンター席はちょうど炭火で焼くところの前。炭火で熱い中、丁寧なその仕事ぶりは、さすがベトナム人という感じだ。
日本のブロイラーの鶏よりおいしい。そして店内の様子はというと、
メニューはもちろん日本語で、客は仕事帰りの日本人ビジネスマンばかり。時間は7時か8時ぐらいだった。すっかり新橋あたりの焼き鳥屋さんに迷い込んだような雰囲気だ。この焼き鳥屋さんで一杯やった後、次にラーメン店に入った。注文したラーメンはこれ。
去年行った台北のラーメン店もそうだが、ここサイゴンのラーメン店も豚骨が圧倒的だ。日本のチェーン店の豚骨ラーメンよりおいしい。
このラーメン店の客も日本人ばかりかと思いきや、若いベトナム人女性の二人連れ客もいた。二人で一つのラーメンや料理を注文していて、各品を二人の真ん中に置いて吟味しながら食べていた。若い人たちの間では、世界中で、日本モノが結構もてはやされているみたいだが、これもその一つなんだろうか、と思ったりする。
この界隈のこの雰囲気の中にいると、「これはいつの時代なのか? またここはどこなのか?」と、時間と空間の感覚がゴッチャになってしまう。日本のようでもありベトナムのようでもあり、現代のようであり一昔前のような、そして未来のような気もする独特なものだ。それが何とも不思議で刺激的。そして「このゴッチャになった感覚はいったい何だろう?」とふと思った。
グローバル化と言うが、だんだん世界中が混じり合っているんだと思う。それは、浸透圧の実験のように、国境という名の膜で仕切られたコップの中に濃い液体と薄い液体があるようなものだ。それは平衡状態になるまで混じり合う。
豚骨ラーメンは、日本の地方の国道沿いのラーメン店でも食べられるが、ホーチミンでも、ニューヨークでも食べられる。ちょっと前までは、ベトナムで(日本の)ラーメン店に入るのは、日本人ぐらいだったと思うが、今やベトナムの若い人たちも気軽に食べに来る。ちなみに、上の写真のラーメンは、8万ドン(400円ぐらい)。たぶん、東京で食べると600円ぐらいかな。そんなに大きな差ではない。一方、日本の百均ショップでは、ベトナム製陶器がいっぱいあり、「あっ、これベトナムの市場で見たことある」ということも珍しくない。ネットや交通・運搬手段がどんどん世界中で普及して、どんどん世界中が混じり合っている。近い将来は、世界中のどこでもだいたい「同じような」ものが食べられ、「同じような」サービスが受けられるようになるような気さえする。
ただそれらは「同じような」であり、「同じ」にはなり得ない。そこに見直されるべき価値がある気がする。「同じような」ものは、珍しくなく世界中にあるようになるのだから。
どこにでもある「同じようなもの」と、ここにしかない「同じもの」。
この2つは今でも身の回りにたくさんあるが、混じり合うことがもっと進み、「同じような」が多くなればなるほど、「同じ」の希少価値が高まるのだ。ただこれは、単純に「同じような」の価値が下がる訳ではない。「同じような」の中から、新しい個性を持った「同じような」も生まれると思うからだ。
紫と赤のライトに包まれたサイゴンの裏露地を歩いていて思った。
2016年5月13日金曜日
サイゴン・マジェスティックホテル 103号室
上の写真は、ベトナムはサイゴン(現・ホーチミン)の老舗ホテル、マジェスティックホテルの103号室の入口。ドアの左側に金色のプレートが掛かっている。それをアップで見ると・・・・。
暗いところでフラッシュ焚かずに撮ったので、ちょっと読みにくい。文字打ちしてしまおう。
日本の作家開高健は一九六四年末から六五年までサイゴンに
滞在して、開高健はマジェスティック・ホテル一〇三号室に滞在していました。
(現ホーチミン市)毎週、開高健は 週刊朝日にいろいろな記事を
よく送りました。また ベトナム戦記について書きました。
(この日本語の下にベトナム語)
開高健を知らない若い人たちに誤解のないよう付け加えるが、彼はこの部屋に閉じこもっていた訳ではない。命がけで戦場に足を運び、そのルポルタージュの原稿をこの部屋で書いた。「(ベトナム全土の戦争だから)このホテルさえも戦場になり得る」といった下りもあるらしいが。
それにしてもこのプレートの日本語、いくら開高健の記録とは言え、この短い文章の中に「開高健」が3回も出てくるし、全体的にちょっとおかしな日本語だ。日本語の上手なベトナム人が書いたのかなという感じがする。
この写真は、2013年、(単に私の出張ではなく)食の学校のツアーで、このホテルの他の部屋に泊まった際に撮ったものだ。まー、そんな機会でもない限り、私が泊まるようなホテルではないので、ミーハー心でこの103号室の前まで行ってみたのだった。この部屋に泊まるためには、ずいぶん前から予約を取らねばならないと聞いたことがある。
でまぁ、今改めて読んでみても、やはり変な日本語だ。
・・・・でだ。
ついこのあいだベトナムへ出張した際、偶然にもこのこのプレートの代替え品に出会った。正確には、代替え候補品なのだが。このマジェスティックホテルのプレートを見て、「もっとちゃんとしたい」と思った開高健の関係者が、日本で新たに作り直したものだった。そのお気持ち、よく分かる。それが下の写真。縁取りのデザインは踏襲されていている。四隅のねじ穴もキッチリ測って開けられているはずだ。
こちらはさすがにちゃんとした日本語だ。(読みにくいと感じたら画像をクリックしてください。大きくなります) ただひとつ、ベトナム語がなくなっちゃったのはちょっと残念。やはり現地言語は尊重したいという気持ちが私にはある。ねじ穴でサイズが限定され、日本語と英語で、スペースがいっぱいになってしまった、ということかなぁとは思うが。
でも、英語の最後。“....wrote a series of historic Vietnam War reportages that spurred antiwar movement in Japan.”の下りには、胸を打たれる。日本は今、当時に比べ、確実に平和ボケしていることを、“antiwar movement in Japan”という言葉から感じとれる。また、「この部分が日本語になっていないのはどういうことだろう?」と深読みしたくなってしまう。まっ、それはそれとして、「ベトナム戦記」まだ読んでないので読まなくちゃ。
さて、先に、このプレートは代替え候補品と書いた。私がこの写真を撮ったのは3月末。事前に代替え品の話はしているらしいのだが、この後マジェスティックホテルは現物をチェックし、承認を得られたら、掛け替えとなるらしい。この写真を撮ってから一ヶ月半が過ぎた今頃は、103号室の脇に掛けられているだろうか。
暗いところでフラッシュ焚かずに撮ったので、ちょっと読みにくい。文字打ちしてしまおう。
日本の作家開高健は一九六四年末から六五年までサイゴンに
滞在して、開高健はマジェスティック・ホテル一〇三号室に滞在していました。
(現ホーチミン市)毎週、開高健は 週刊朝日にいろいろな記事を
よく送りました。また ベトナム戦記について書きました。
(この日本語の下にベトナム語)
開高健を知らない若い人たちに誤解のないよう付け加えるが、彼はこの部屋に閉じこもっていた訳ではない。命がけで戦場に足を運び、そのルポルタージュの原稿をこの部屋で書いた。「(ベトナム全土の戦争だから)このホテルさえも戦場になり得る」といった下りもあるらしいが。
それにしてもこのプレートの日本語、いくら開高健の記録とは言え、この短い文章の中に「開高健」が3回も出てくるし、全体的にちょっとおかしな日本語だ。日本語の上手なベトナム人が書いたのかなという感じがする。
この写真は、2013年、(単に私の出張ではなく)食の学校のツアーで、このホテルの他の部屋に泊まった際に撮ったものだ。まー、そんな機会でもない限り、私が泊まるようなホテルではないので、ミーハー心でこの103号室の前まで行ってみたのだった。この部屋に泊まるためには、ずいぶん前から予約を取らねばならないと聞いたことがある。
でまぁ、今改めて読んでみても、やはり変な日本語だ。
・・・・でだ。
ついこのあいだベトナムへ出張した際、偶然にもこのこのプレートの代替え品に出会った。正確には、代替え候補品なのだが。このマジェスティックホテルのプレートを見て、「もっとちゃんとしたい」と思った開高健の関係者が、日本で新たに作り直したものだった。そのお気持ち、よく分かる。それが下の写真。縁取りのデザインは踏襲されていている。四隅のねじ穴もキッチリ測って開けられているはずだ。
こちらはさすがにちゃんとした日本語だ。(読みにくいと感じたら画像をクリックしてください。大きくなります) ただひとつ、ベトナム語がなくなっちゃったのはちょっと残念。やはり現地言語は尊重したいという気持ちが私にはある。ねじ穴でサイズが限定され、日本語と英語で、スペースがいっぱいになってしまった、ということかなぁとは思うが。
でも、英語の最後。“....wrote a series of historic Vietnam War reportages that spurred antiwar movement in Japan.”の下りには、胸を打たれる。日本は今、当時に比べ、確実に平和ボケしていることを、“antiwar movement in Japan”という言葉から感じとれる。また、「この部分が日本語になっていないのはどういうことだろう?」と深読みしたくなってしまう。まっ、それはそれとして、「ベトナム戦記」まだ読んでないので読まなくちゃ。
さて、先に、このプレートは代替え候補品と書いた。私がこの写真を撮ったのは3月末。事前に代替え品の話はしているらしいのだが、この後マジェスティックホテルは現物をチェックし、承認を得られたら、掛け替えとなるらしい。この写真を撮ってから一ヶ月半が過ぎた今頃は、103号室の脇に掛けられているだろうか。
2016年5月9日月曜日
自前の船で、醤油搾り
今年の新しいことは、何と言っても、船(搾り器)が自前になったこと。
いつもモロミを管理してくれている埼玉・秩父の黒澤氏が、昨冬、秩父の大きな古い農家にある蔵の整理を手伝っていたら、その蔵の中から、昔使っていた醤油の船(搾り器)が出てきたというのだ。おそらく何十年も使われていなかったので、復活にあたり、やや直しが必要なところがあったものの、十分に使えた。秩父には、「おなめ」と呼ばれる醤油のモロミに砂糖を加えて甘くした発酵保存食品が今でもある。モロミを食す食習慣が秩父にはあるのだが、私が想像するに、昔はそのモロミを搾って醤油を作っていたのではないかということ。しかし、搾るのは手間なので、今では簡単にそのモロミを甘くするなどして食されている、なーんて思うのだ。
そして、ビックリしちゃうが、古い蔵から醤油の船(搾り器)が出てきて、それを譲り受けたという同じような話しが、やはり埼玉・比企郡の川上氏にも今年あり、彼も今年は、自前の船(搾り器)で醤油を搾ったという。川上氏は、この3月10日の黒澤氏の搾りに、見学を兼ねて参加していた。
たまたま同じようなタイミングで、昔の船(搾り器)が2つも出てきて復活したということだが、こんな偶然ってあるんだろうか? と不思議な気分。そもそも自分たちで醤油を搾っていて、それを必要とする人たちが何人いるのか? 数十年も前に使われていた醤油の船(搾り器)が今一体いくつ残っているのか? 等々、考えれば考えるほど、不思議な出来事だと思う。しかし、数十年前までは、いろんな場所・地域で、醤油搾りが行われていたということは、言える。今のように、「醤油は買うモノ」が常識になったのは、この何十年かであって、その前までは、各地で(自分たちで)搾っていたのだ。それを私たちは忘れてしまっている。
以前、ドブロクについてのエントリで、私は下記のように書いた。
現代は、何でも「買う」ことが当たり前になってますね。便利って言えば便利だけれど、本当は、「自分で作る」がまずありきで、「自分で作れないもの」を「買う」ということだと思う。
●natural salt cafe: ドブロクのススメ(2014年1月30日)
さて、自前の船(搾り器)の復活デビューが一番の新しいことだったが、もう一つ、(今年の搾りのための)去年の仕込み直後に、温室のような醤油小屋を作ったことも以前のエントリで書いた。それがどのくらいの効果をもたらすかも、今回の搾りの注目点だった。
●natural salt cafe: 醤油小屋(2015年6月22日)
この醤油小屋は、去年お願いした搾り師の天野次郎氏のアドバイス「夏場の温度上昇が足りないのではないか?」を頂いて、作ったものだった。それまでは、吹きっさらしの軒下(南向き)にモロミの樽を置いていたのだが、それを温室に入れて、夏場の温度上昇を促した。結果、旨みが増した。色は、去年のゴールデンから濃いアメ色に変わった。香りも一段とよくなった気がしている。今年、天野搾り師に搾りをお願いしないのはやや負い目があるが、船(搾り器)を入手してしまっては仕方がないかと思う。
下の写真は、今年の搾り始め。
そして、搾り終わる頃は、
ちっとカメラのアングルが違うので分かりにくいが、去年と同様に、搾り終わりの頃の方が、透明度が増し、旨み・香りが増し、おいしい。去年の搾り時のエントリは、以下。
●natural salt cafe: 搾り師の醤油搾り(2015年3月17日)
やはり、ギューっと搾って、大豆の中心部からしみ出てくる醤油の方がうまいということか。「一番搾り」を珍重するオリーブの搾りとは反対なのだ。オリーブオイルはいわば、果実をそのまま搾ったジュースだけど、発酵・熟成したモロミ(大豆・小麦・塩)が搾られた醤油は、「最終搾り」がうまい。「一番搾り」というキレイに聞こえる言葉の響きに囚われてはいけない。
さてさて、搾りたての醤油は、当日少量もらってきたが、火入れ後の醤油を取りに秩父へいかなくちゃ。我が家は、この連休中、引っ越ししてバタバタ。なかなか行けないでいるのが気がかりだ。我が家の醤油が切れてきた。
2016年4月26日火曜日
活きタケノコかぶりつきの夢
先のエントリで、「大根おろし法」という簡単なタケノコのアク抜き方法を書いたが、きょうもタケノコの話。
長年、私にはタケノコにまつわる夢がある。夜見る夢でなく、「夢見る乙女」の方の夢だ。冒頭の写真は、我が家(東京・昭島市)の近所の竹藪(真竹)だが、所有者は不明。町に住むとなかなか私の夢の実現は難しい。
先のエントリでも触れたとおり、下記の先人の言葉は、いつも私の心の奥底で静かに息づいている。
「タケノコ掘りに行くときは、台所で湯を沸かしながら、行くものだ」
「タケノコは、掘った(根から切り離した)とたんに、アクが出てくる」
そして、つい先日、サムライ菊の助さんのブログで、
「タケノコは、掘ってから30分以内にゆで始めなければならないのである」
とのお言葉。
つまりは、「掘ってから、出来るだけ短い時間にアク抜きするといい」ということだ。
・・・・ならばだ。
その「出来るだけ短い時間」や「30分」をいっそのこと「ゼロ」にしたらいいではないか! つまりは、生えてるタケノコにかぶりついたらいいいいではないか! と、20〜30年ぐらい前に思いついた。これが私の「活きタケノコかぶりつきの夢」だ。
この夢を思いついたキッカケは、30年ほど前の5月、紀州の山の中にある友人宅に泊まっていたときのこと。私は、窓越しに竹林がある部屋に寝ていたのだが、深夜未明、突然「バリバリ、バリバリ」と窓を隔てた竹林でスゴイ音がした。怪獣がビルを叩き壊すような音。私は真っ暗の中、飛び起きた。耳をひそめると、何か大きな動物が、竹林の中を少し歩いては「バリバリ、バリバリ」と数回繰り返した。30分もすると、音がしなくなったので、私は再び眠りについた。翌朝、友人にその話をすると、「あー、そりゃ、イノシシだ」とのことだった。「バリバリ、バリバリ」は、イノシシがタケノコをかじっていた音だったのだ。そしてその竹林に行ってみると、イノシシの背丈ぐらいにのびたタケノコが数カ所、荒々しく食べられていた。「イノシシって、タケノコ食うんだー」と思った。
それ以来、何度か(アク抜きした)タケノコを食す機会があったが、その度毎にあの「バリバリ、バリバリ」を思い出す。そして、「あのイノシシが食っていたタケノコは、アクはなかったんだろうか?」とも思った。そして、もしかしたら、「生えたままのタケノコは、アクがない(またはほとんどない)」ということかも知れない、と思い至ったのだった。先に書いたの先人の言葉と繋がった。
先のエントリでも書いたとおり、タケノコは、適度なアクがあった方がいい。でも、たとえ掘って30分でも、アク抜きが必要なタケノコを、生えたままかぶりついたらどんな味がするのかを、死ぬまでに一度は確かめてみたいのだ。あのイノシシだって、真夜中とはいえ、リスクをおかして人家に近づいて次から次へとバリバリ食べていたのだから、それはそれはおいしいものなのかも知れない。
まだ実現はしてないものの、そこまで思っているので、私の中でシミュレーションはかなり出来上がっている。
冒頭に書いたとおり、現在私は町に住んでいて、なかなかその機会はない。田舎に住む知人の中には、近所の竹林でタケノコ掘りが出来る人がいよう。その人に頼めばいい。だが、こういうのって不思議なのだけど、本当にやってしまったら、夢が終わっちゃうんじゃないかという寂しさへの不安も同時にあって、ずうっと20〜30年やれずにいる。普段は忘れているだけど、毎年、この時期になると、思い出すのだ。
きっと「そのとき」は、自然とやって来るものだと思っている。
長年、私にはタケノコにまつわる夢がある。夜見る夢でなく、「夢見る乙女」の方の夢だ。冒頭の写真は、我が家(東京・昭島市)の近所の竹藪(真竹)だが、所有者は不明。町に住むとなかなか私の夢の実現は難しい。
先のエントリでも触れたとおり、下記の先人の言葉は、いつも私の心の奥底で静かに息づいている。
「タケノコ掘りに行くときは、台所で湯を沸かしながら、行くものだ」
「タケノコは、掘った(根から切り離した)とたんに、アクが出てくる」
そして、つい先日、サムライ菊の助さんのブログで、
「タケノコは、掘ってから30分以内にゆで始めなければならないのである」
とのお言葉。
つまりは、「掘ってから、出来るだけ短い時間にアク抜きするといい」ということだ。
・・・・ならばだ。
その「出来るだけ短い時間」や「30分」をいっそのこと「ゼロ」にしたらいいではないか! つまりは、生えてるタケノコにかぶりついたらいいいいではないか! と、20〜30年ぐらい前に思いついた。これが私の「活きタケノコかぶりつきの夢」だ。
この夢を思いついたキッカケは、30年ほど前の5月、紀州の山の中にある友人宅に泊まっていたときのこと。私は、窓越しに竹林がある部屋に寝ていたのだが、深夜未明、突然「バリバリ、バリバリ」と窓を隔てた竹林でスゴイ音がした。怪獣がビルを叩き壊すような音。私は真っ暗の中、飛び起きた。耳をひそめると、何か大きな動物が、竹林の中を少し歩いては「バリバリ、バリバリ」と数回繰り返した。30分もすると、音がしなくなったので、私は再び眠りについた。翌朝、友人にその話をすると、「あー、そりゃ、イノシシだ」とのことだった。「バリバリ、バリバリ」は、イノシシがタケノコをかじっていた音だったのだ。そしてその竹林に行ってみると、イノシシの背丈ぐらいにのびたタケノコが数カ所、荒々しく食べられていた。「イノシシって、タケノコ食うんだー」と思った。
それ以来、何度か(アク抜きした)タケノコを食す機会があったが、その度毎にあの「バリバリ、バリバリ」を思い出す。そして、「あのイノシシが食っていたタケノコは、アクはなかったんだろうか?」とも思った。そして、もしかしたら、「生えたままのタケノコは、アクがない(またはほとんどない)」ということかも知れない、と思い至ったのだった。先に書いたの先人の言葉と繋がった。
先のエントリでも書いたとおり、タケノコは、適度なアクがあった方がいい。でも、たとえ掘って30分でも、アク抜きが必要なタケノコを、生えたままかぶりついたらどんな味がするのかを、死ぬまでに一度は確かめてみたいのだ。あのイノシシだって、真夜中とはいえ、リスクをおかして人家に近づいて次から次へとバリバリ食べていたのだから、それはそれはおいしいものなのかも知れない。
まだ実現はしてないものの、そこまで思っているので、私の中でシミュレーションはかなり出来上がっている。
- 天気のいい4月中旬から5月中旬、長靴を履いて竹林へ(出来たら孟宗竹)行く。持ち物は、小さなスコップ・ナイフ・お醤油・塩・山椒の葉。
- 少し土の盛り上がった食べ頃のタケノコさんの周りの土をスコップで軽く掘り、表れる皮をナイフで剥き、柔らかな先っちょ(7〜8センチ)を露出させる。(たぶんそれは地面よりも低い位置になるだろうから、先っちょの周りの土を大きめのドーナツ型に掘ることになろう)
- 腕立て伏せをするように、両手をその先っちょの左右両側につき、(イノシシのように)露出した先っちょに、まずはかぶりつく。
- 味をみて、調味料が欲しいようなら、別の露出した先っちょに塩をかけたり、お醤油を垂らしたり、山椒の葉を少しのせたりして、改めてかぶりつく。
- 次に、また別のタケノコの先っちょだけをナイフですっと切って、即、口に入れる。これは「掘って(切って)から3秒ぐらい」になろうか。もちろん、オプションで調味料類。
冒頭に書いたとおり、現在私は町に住んでいて、なかなかその機会はない。田舎に住む知人の中には、近所の竹林でタケノコ掘りが出来る人がいよう。その人に頼めばいい。だが、こういうのって不思議なのだけど、本当にやってしまったら、夢が終わっちゃうんじゃないかという寂しさへの不安も同時にあって、ずうっと20〜30年やれずにいる。普段は忘れているだけど、毎年、この時期になると、思い出すのだ。
きっと「そのとき」は、自然とやって来るものだと思っている。
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