2026年2月3日火曜日

隣んちの白梅


今朝、自宅の隣んちの白梅が咲いてた。この1-2年、ここは空き家だけど、毎年「あっ、梅が咲いた」と思わせてくれる。何せ隣だから、私は無責任。枝打ちもせずに、ただ楽しませてもらってる。これが住宅街に住むメリットかな。空き家ってことで、ふと思い出す、菅原道真の歌。

東風(こち)吹かば、にほひをこせよ、梅の花

主(あるじ)なしとて春を忘るな

「主なし」でも、「にほいをこす」のは、あと1〜2週間先かな。うちは隣だから難なく届く。

2025年11月13日木曜日

ローズマリーの防虫剤

数年前から我が家の駐車場の入口角に植わっているローズマリーが、年々少しずつ大きくなって、いつのまにか車の出入りで擦るようになった。寒くなってきて、植物も水を吸わなくなっているだろうとの推測の下、思いっきり枝打ちした。刈ったローズマリーの山が冒頭の写真。何しろローズマリーは逞しい。幅70〜80cmはあろうかという量だ。このブログで以前、防虫剤を、もらってきた楠から自分ちのローズマリーに変えたことを書いた。このときは防虫剤用にと控えめにローズマリーを刈ったが、今回は車を擦らないようにと、結果的にたっぷりとなった。

自家製・防虫剤いろいろ(2024年11月19日)

意識していなかったが、ちょうど去年の今頃だ。この季節になるとローズマリーを刈りたくなるのか。枝より葉の方がスースーする成分が多い気がするので、枝から葉を手でしごいて、葉だけにした。
カミさんが調べたところ、この葉をあえて乾燥させた方が防虫剤としていいという。でも、刈ったばかりのローズマリーの香りは強く、このまま衣装ケースに入れても、どうせ中で乾燥するんじゃなかろうか、とも思った。私が調べてみると、「生のままでOK」という説と「一週間乾燥させてから」という説の両方あって、どうも結論が出ない。何でもネットの情報に頼るのもよくない。2つの説は、「自分でやってみて判断せよ」というメッセージを受け取ったと思っている。

さて、日本で楠は、昔から「樟脳」として使われているから、防虫効果はローズマリーより高いような気がするが、ローズマリーの防虫剤は、ほとんど臭いが気にならない。昔あったナフタリンは、樟脳を強烈にしたような臭いだ。樟脳自体はナチュラルな感じではあるが、どうもナフタリンを連想してしまう。結果的にローズマリーで虫に食われることもなかったので、身近にある「アルモンデ」何とかするでいい。防虫剤にはお茶パックを使う。これはカミさんのナイスなアイデアだ。今回は日付も入れて。毎年、この時季に衣装ケースの防虫剤を、ローズマリーで作る。これが定番化しそうだ。そうそう、今年は乾燥後に使い始めたが、来年は生のままお茶パックに詰めてみようと思う。


 

2025年10月24日金曜日

雨の日の段ボール

私が住む地域は、ゴミの段ボールを捨てる日が3週間に一度の水曜日と決まっている。なのだが、その日に限って、雨降りだったりする。気のせいだと思うのだけど、「まーた、段ボールの日、雨だね」とカミさんと何回会話したことか。冒頭の画像は、我が家の出した段ボール。最近は、宅配便で届く荷物が多くなり、その量が増える一方だ。

だいたいゴミ収集車が来てくれるのは、昼過ぎか。しかしこちらの事情として、朝、家を出る前に出しておかないといけない。「あ〜、収集係の人が取りに来てくれる頃には、段ボールがずぶ濡れで、収集しにくくなってるだろうなー」と憂う。

そしてその日の朝、我が家より早く出してるご近所さんの段ボールにふと目を移すと、
こちらのお家は丁寧そのもの。そんじょそこらじゃ売ってないであろう大きなポリ袋に入れてある。(雨の日のために、あらかじめ購入してたのだろうか?) この気持ちはよーく分かる。ただ、段ボール収集日に、(プラスチック・ゴミの)ポリ袋が一緒になっているのは、どうなんだろう? と一抹の憂いが残る。
そしてもう一軒。こちらは、縛りもせず、ただ立てかけてある。ルール違反ではないのかも知れないが、「これだと、収集車に運ぶときに運びづらいだろうなー、ましてや雨なのに」と、やっぱり憂う。

きっといろんな理由でいろんな出し方がある。
それにしても、雨の日の段ボール。このAIの時代に、何とかならないもだろうか。
 

2025年10月13日月曜日

絶望の後の奇跡

 つい先日の投稿、「満点の星」(2025年9月29日)にて、応援している横浜ベイスターズがジャイアンツに絶望的な負け方をしたことを書いた。9回表ににダメ押しの2ランで4点差にして、クローザー(伊勢選手)投入の最終回に、5点取られてサヨナラ負けというショッキングな負け方だった。(それで満点の星を見に行った)

しかしだ、昨日のクライマックスシリーズ第二戦、同じジャイアンツに、初回に5点取られて、その裏に2ラン+3ランホームランで5点取ってで驚き、2回から延長10回まで両チームとも好守備もあって、両方ずっとゼロ。11回表ジャイアンツが、しぶとく1点。しかしその得点後の1アウト満塁を坂本投手がゼロに抑え、迎えた11回裏。2アウト・ランナー無し、ノーボール・2ストライクから、7番石上がしぶとい内野安打。

その直後がポイント。

ジャイアンツからしたら、2アウト1塁は、打者を討ち取ってアウト一つ取れればそれでいい場面。バッテリーは1塁ランナーを気にしない。そこをついて、初回同点3ランの石上は初球、ピッチャーが打者に投げる前にスタートを切って盗塁成功→2アウト2塁。

点を絶対に取られたくないジャイアンツは前進守備の外野3人。そこに8番林が3塁手の頭を越す流し打ちでレフトへヒット、前進してたが故にレフトは下がってそれをキャッチ、身体の向きが後ろになって、2塁ランナー石上は余裕のヘッドスライディングで、同点ホームイン。続くピッチャー坂本に代わって代打・度会。強く振り切ってのファーストの頭をワンバウンドで越すライト前ヒットで、1-3塁。続く1番蝦名がこの日3本目、三遊間へのクリーンヒットで、サ・ヨ・ナ・ラ。

まー、スゴイ試合。

そして、実を言うと、きょう月曜日、横浜スタジアムのS席を娘と2席取っていた。が、その試合が観れなったのだが、光栄の勝ちだった。明日は私はゆっくりでいいし、娘も立て込んだ学校の課題に集中出来て、昨日はグッスリ眠れた。こーいうことってあるものなんだ。絶望したからって諦めることはないんだ。 

2025年10月9日木曜日

拍手のウェーブ

 

先月、国立競技場に、世界陸上を観に行った。上の画像は、女子5000m予選。ゴール前の第4コーナー。分かりにくいが、この画像では田中希実選手が3番目あたりを走っている。国立競技場の雰囲気は、世界一の運動会。自分や子供の運動会を、思いっきり世界レベルにした風の、お祭りのような盛り上がりだった。

さて、こうした長めのトラック競技は、レース終盤になるまで、選手たちは概ね、ひとかたまりの集団を成しながら走っている。観客は、その集団が自分の近くになると拍手を始め、自分から遠くなると拍手を止める。私もだが、これを7万人もの観客の多くがする。

すり鉢状になった楕円形の観客席の万人単位の拍手が、まるで波のように移動する様には興奮した〜。スポーツ観戦で、立ち上がって腕を上げるウェーブってのがあるが、それが拍手の音でのウェーブなのだ。

選手たちは、常に右からの大きな拍手を感じながら走っていることになる。例えば、5000mだと12周半、ずうっーと鳴り響く拍手の中を走っている。その中で、競技に集中しながら走っている選手たちの心境は、いったいどんなものなのだろう。それこそ幸せのような気がするが、そう甘くもないか。

2025年9月29日月曜日

満天の星

先週土曜日、私と娘が応援している横浜ベイスターズが、デーゲームで巨人に絶望的な負け方をした。(その翌日、三浦監督は辞意を表明&球団は受入。監督の仕事は大変だなぁとつくずく思う、お疲れさまでした) 選手はベストを尽くしているのは分かるものの、私たちはちょっとショックだった。それで、私は夜の9時頃、「気晴らしに、夜のドライブにでも行くか」と娘に提案。私はすでに酒を飲んでいたので、「ドライブ=彼女の運転」だったが、有り難くも、「じゃあ、人家の灯りや街灯のない奥多摩へ行って満天の星を見よう」となり、我が家のある東京・昭島から夜10時に出発して、奥多摩湖へドライブとあいなった。片道約1時間半の道のりだ。

出発前、昭島の夜空を見上げると、7-8割方晴れていたので、迷わず出発。満天の星を目指して、すいてる道をどんどん走り、灯りのない真っ暗な奥多摩湖畔に着いた。気温は18℃。肌寒い。さてさてと夜空を見上げると、何と星がほとんどない。雨雲レーダーを見ても奥多摩湖はもちろん、雨雲は日本国中ほとんどなかったが、無論、雲は雨雲だけではない。「えー、せっかくここまで来たのに・・・・」と私たちは、立ちすくんだ。そのとき、私のiPhone12miniで取った画像が冒頭。何とか数個の星が見え隠れしていた。

こうなると、「その白い雲が晴れるのをどのくらい待つか」が問題になる。彼女は、「衛星画像で、リアルタイムの雲が見れないかな?」と検索し始め、「Windy」というアプリを見つけてダウンロード。おっさんは、今どきはスゴイことになってるなと驚くことしきりだったが、残念なことに、1時間待っても夜空に広がっている雲は晴れそうにないことが分かった。

すると、駐車していた広めの駐車場の他の車のヘッドライトが私たちの足下を照らした。私は、「眩しいな」とヘッドライトから目をそらし、地面に視線を移した。するとそこには満天の星のような画が広がっていて、ビックリ。思わずシャッターを押したのが、下の画像。デコボコしたアスファルトが妙な反射をしていた。私は苦し紛れに、「空に星は見えないけど、地面にあったってことで・・・・」。彼女は苦笑い。
プロ野球の試合もそうだけど、普段の生活の中でも、物事なかなか思うようにいかないときが必ずある。そんなときは、無理に現実を曲げないで、そこにある現実に従いつつ、ほんの小さな幸せでもあれば、めっけもの。なけりゃないでも仕方ない。真っ暗な奥多摩湖畔で、私はそんなことを彼女に呟いたが、彼女はどう思っただろうか。

「じゃあ、ラーメンでも食べに行こう」

私たちはガラガラの下り坂を滑るように下りていった。
今度、こういうときは、出発前にその「Windy」というアプリでチェックしてから出発しなきゃね。
 

2025年9月10日水曜日

思い違いの「美しさ」

映画「国宝」、坂東玉三郎がモデルと聞いて、興味が湧いて観に行った。

序盤で、長崎で幅を利かすヤクザの親分が登場し、玉三郎はその息子。背中いっぱいに大きなフクロウだかミミズクの入れ墨を十代半ばぐらいに入れてて、その入れ墨が、その後もシンボリックに描かれている。

「へー、玉三郎って長崎出身で、ヤクザの息子で、背中にでっかい入れ墨入れてんだ」

と、観ててちょっと驚いたが、後から調べてみると、それらは全てフィクションとのこと。だから、「坂東玉三郎がモデル」は私の早とちりで、他の部分も含めて、玉三郎の半生を描いたというものではなく、「玉三郎を連想させる」ぐらいの原作の小説があっての映画みたいだ。夜8時からの3時間の上映だったので、眠くなるのが心配だったが、全くの杞憂。見応え十分のエンタメでした。

さて、40年ぐらい前、銀座の歌舞伎座で、玉三郎一人の舞(まい)の幕(無論下座音楽はアリ)を観たことがある。一幕見で、長い階段を上った三階席の奥から観てたのだけど、30分ぐらいのその幕で、連続したその動き・所作・表情はもちろん、指先・足先まで行き届いたその舞を観て、「こんな美しさがあるのか」と驚いた。ジェンダー的に、性別を言うのも変だけど、当時二十歳そこそこの私にとって、それは「女性に感じたことのない、女性の美しさ」だった。それが今でも忘れられない。

そして不思議なことに、私の中の、その舞の記憶は、舞台に向かって花道の左側の客席から、花道で舞っている黒っぽい着物を纏った玉三郎を見上げるように観ていたものとして残っている。歌舞伎を一幕見でしか観たことがない人間が、花道脇から観た記憶がある訳がない。後から、寝てる間に見た夢の記憶と入れ違ってしまったのだろうか。

でも、でもです。まぁ、これはこれでいいかと思ってる。一番遠い一幕見の席から、その舞に吸い込まれるように観ていた私は、まるで花道脇から観ていたかのような錯覚に囚われ、その錯覚が現実にまさって、あたかも花道脇から観ていたように記憶されたのかも知れない。そうだとすると、それはそれでいいんじゃないかと思えるのだ。いずれにせよ、私の中で、その40年前の、その舞の「美しさ」は変わらない。

調べてみると、今や玉三郎さんご自身は公演をされておらず、若手へ役を継承しているとのこと。もう生(なま)で観るのは難しそうだ。「国宝」は映画として楽しめたが、それがキッカケで、(玉三郎でなくても)歌舞伎に興味を持った方には、「生は全然違いますよ」と言いたい。たとえ一幕見でも。

2025年8月25日月曜日

小心地滑

カミさんと娘とで、お盆休みに、香港へ三泊四日の旅行へ行った。食をはじめ、いろいろあったけど、小さなことを少し。

香港の町の至るところに、「小心地滑」のサインがあった。小心者の私は他人事とは思えず、興味を惹いた。感覚的にだが、最初は「小心者が地滑りする」みたいなイメージが広がって、「何じゃこれ?」と思った。それも束の間、だいたいイラストもついてるし、英語でも表記(CAUTION WET FLOORなど)もあるので、すぐにその意味は分かった。亜熱帯気候で海に面した香港は雨が多い。年間の降雨量は、約2,400mm。(ちなみに東京で約1,600mm) まぁ、「小心地滑」のサインは、室内(特にトイレなど)でももよく見かけたので、その場合は、頻繁にトイレの床を、水を流して掃除することが多いのか。それは不確か。

ただ、この「小心地滑」のサイン。同じものはないぐらい、いろんなデザインがあった。ひとつひとつ誰かがデザインしている。徐々に面白いなと思うようになり、最後の半日ぐらいで、数枚の写真を撮った。そして、帰国後、「小心」の意味を調べた。(岩波国語辞典 第七版 新版)

気が小さくて、臆病(おくびょう)なこと。小胆なこと。

の次に、下記。

もと、慎み深い、注意深い意。

ちゃんとあるではないか。無論、漢字なので、元々は中国から伝わった言葉だ。小心者の私の気の小ささは、「慎み深い」、「注意深い」との解釈もあると。元々は、これなんだと思うと、少し気が楽になった。




 

2025年7月24日木曜日

母親の自然

ちょうど一年ぐらい前に、当時92歳の母親(2024年11月逝去)の介護や家事をしながら、話しをしていたときのこと。「こんなになっちゃって。でもこれが自然だから」と彼女は言った。「こんなにって、こんなもんじゃないの〜」と私。

かかりつけの医者からは、「痴呆も少しずつ進んでますね」と言われていたが、彼女が言った「こんなに」の意味は、「身体が思うように動かない」ということだ。戦後の高度経済成長期を、どっぷり行動的に生きた彼女には、頭はまだしっかりしているという自負も感じられた。手すりや壁に頼りながら、ゆっくりとゆっくりと何とかひとりで歩いていたが、ちょうどこの頃から車椅子を使うようになっていた。普段一緒に住んでない私にとって、ひとりで過ごす時間が長い彼女の状態を知りたいという思いがあって、あえて少しは、ひとりで歩いてもらっていた。

「こんなになっちゃって。でもこれが自然だから」

この「自然」という言葉がとても気になった。歳をとって、身体が思うように動かなくなっていく。それは自然なんだということだが、そこには、「どうしても、自分そして(医療を含む)自分の周りの努力があってもなお・・・・」という「どうにもならない感」があった。またそれには、どこかで何かを諦めているような脱力感も感じた。自分が生まれ育って体力も増し、経験が増えていくことも「自然」だが、老いて身体が思うように動かなくなっていくことも「自然」だ。若い頃は、諦めないことが様々な経験を積むことになるが、老いてくると、諦めた方がいいと判断することが増えてくる。だから、いわば「自然な意識」の中で、自分主導的に「諦める」。

現在63歳の私は、一年前の母親のように諦める意識はまだ薄いものの、日常生活の中に、こまごまとした「諦めるべきこと」があるような気がしてならない。30代ぐらいまでのうちは、自分が意図したことは出来るだけ諦めないことを目指してきたが、今は諦めた方が、結局は自分にとって「いいこと」に繋がることもあると思えるようになった。そして、むしろ適格な諦めが必要だと感じることが多くなった。例えば、子育てだって、ある程度大きくなった子らには、親の干渉は最小限がいいし、仕事だって、やり過ぎてもいいことはない。何か私はその「分水嶺」の周辺にいるような気がしている。

分水嶺を越えると、「霧が晴れるように、新しい景色が見えてくる」なんてことをついつい望む私がいる。しかし、それは欲張りだ。母親が、そこまで言い及んでなかったのは、全くもってその欲がなく自然だったのだ。彼女のその心境にまだ追いつけていない。ただただ生き続ける。それがいい。

2025年7月23日水曜日

この案山子の効能

先週、滋賀県内の国道367号線沿いにあった、案山子(かかし)。柵の中は田んぼ。こんなリアルなのは初めてだ。これが目に入ったとき、瞬間的にホンモノと思った。イノシシや鹿にも、それが伝わるような気がするのは、邪推か?


2025年7月17日木曜日

宇宙開発の目的

上の画像は、うちの近所のガソリンスタンドのシャッターに描かれたPR広告。

「ずっと地球で暮らそう。」

これを見て、「えー、いつか地球で暮らせない日が来るの?」と少し怖くなった。おそらくガソリンスタンド側の意図としては、ずっと地球で暮らすために、地球環境を大事にしましょう、といったことだと思う。または、ガソリンを供給するその会社は、地球の環境問題に取り組んでいます、という主張も含まれているのかも知れない。さて、私はこのシャッターを見て、数年前に読んだ本を思い出した。 
私は生命誕生の謎についてはとても興味があるので、この本を手に取った。しかし、一番印象に残っているのは、「火星に移住するとしたら」の章だった。この対談スタイルの本で、そのひとりの著者・高井研氏が、宇宙飛行士の若田光一さんとかつて直接話をした機会があり、「なるほどな」と納得したと書かれている。その若田さんの話とは以下。

「いつか地球に小惑星が衝突するといったカタストロフィー(破滅的危機)が訪れたとき、人類という種が生き残るためには地球外惑星への移住しかない。有人探査を行う理由の一つはそのための基盤技術を構築するためです」

高井氏は、上記の若田さんの話を聞いたときのことを、下記のように書いている。

「人類が生き残るためには、そうした事態まで想定しておかなければいけない。有人を含めた宇宙探査は、単なる夢とロマンと科学技術の進歩だけではないということを悟りましたね。」

つまり宇宙開発の目的は、(漠然とした)夢、ロマン、科学技術の進歩だけでなく、「人類という種が生き残るため」という極めて重大な「実用性」があるんだという主張だと思う。そしてその実用化のために、今は少しずつでも、「基盤技術を構築する」必要があると。

ちなみに、移住先が火星と仮定されている理由は、比較的地球から近く、水や二酸化炭素がありそうな条件も他の近場の惑星に比べると、環境的にも地球に近いからということだ。

将来、仮に火星移住が現実的になったとする。そして仮に若田さんが例に挙げたような、小惑星の地球衝突が、その100年後に起こると予測が出来たとする。この場合、時間をかけて徐々にでも、火星に移住なんてことがあるのか? あると仮定した場合、いったい何人が火星へ移住するのだろうか? または出来るのだろうか? 仮に、1000人が移住する場合、その1000人をどうやって決めるのか? 技術的・経験的に、宇宙開発の研究者が多く移住ということになるのか? まさか途方もない大金を積んだ者だけが火星へ移住出来るなんてことが起こるんだろうか? 様々な疑問が湧いてくる。

あるとしてもそれはずっと先のことで私は生きてないだろうが、もしも小惑星の地球衝突前に、ある程度の安全性が保証された火星移住の一般募集があった場合、私は手を挙げるだろうか? 挙げないとすると、それは小惑星の衝突を地球で待つことになる。その「衝突までを待っている時間」とは、いったいどんなものなのだろう?

「ずっと地球で暮らそう。」

地球で人類が暮らせなくなる原因は、環境問題だけに限らず、核戦争や小惑星(または大惑星)の衝突などがあるにはある。その衝突で地球が木っ端微塵にならなくても、地軸が変わって、大きな環境の変化が起こるだろう。その地球で、何とか生きる術を見つけようと努力することしか私には想像出来ない。または、その末に死んでしまうのならそれはそれで仕方ないとも思える。

いずれかの理由で、人類という種が絶滅する場合、微生物を含む全ての生物が絶滅するようなことは考えにくい。そしてそこからまた新たな進化が始まる。その進化が進む先に、人類のような生物が果たして生まれてくるのだろうか。

2025年1月29日水曜日

手首の痛み

自宅近くの東京・立川に、浅田真央さんの名前を冠した「マオ・リンク(Mao Rink)」というのが出来たというんで、2ヶ月半前(11月下旬)、二十歳の娘とスケートしに行った。上の画像は、そのサブリンク。(公式競技も出来るメインリンクもある) 私は、二十歳ぐらいまで、遊びでアイススケートはときどきやってて、スイスイ滑ってたので、娘にも「教えてあげる」なんて言うぐらい、その調子で出来ると思っていた。昔、晴海でモーターショーがあったが、そこは元々スケートリンクで、友だちとよく行った。こけて服が濡れると炬燵で暖まった。懐かしい。さて、数十年の時を経て、いざ氷の上に立ってみると・・・・、全く動けない。

「えー、こんなはずじゃ・・・、嘘だろ・・・」

スゴいショック。それでも10分ぐらいして、何とかゆっくり滑り始めた。と、その途端に、派手に転倒。ほとんど、ひとりバックドロップで、後頭部を強打した。転んだ瞬間はほとんど記憶がなく、気がついたら、氷の上で倒れていた。氷に乗るまでは自信があったので、ヘルメットを被っていなかった。すかさず、係の人が寄ってきて「しばらく座って休んだ方がいいですよ」と声をかけて頂き、言われるまま、氷から降りて、ベンチに30分ぐらい座った。「年寄りの冷や水」とは、まさにこれ。(現63歳)

気を取り直して、備え付けのヘルメットを被ったのは当然のこととして、再び少しずつ滑り始めると、左手首が痛いのに気がついた。転倒時は、頭のことばかりが気になって、左手首は少しひねったかなぐらいの感覚だったが、徐々にその痛みは増していき、帰宅した頃には、左手は使えないぐらいの症状になっていた。(頭は、その2日後に、脳外科でMRIを撮ってもらい、問題なかった)

その一週間後、自宅から車で1〜2時間のところで、私の妹と同居しているお袋のところへ行った。歩くのもおぼつかなくなってきてたので、本格的に車椅子を使い始めたところだった。その日は、いい天気で風もない気持ちのいい小春日和。私は車椅子を押しながら、近くの公園を2時間程散歩した。とても穏やかな散歩だった。たまに「きょうは気持ちのいい陽気だね〜」、「そ〜だね〜」なんて言いながら、ほとんど会話はなく、二人ともその穏やかさを満喫しているかのようだった。

転倒から一週間たっても全く回復しない私の左手首。レントゲンは撮ってないが、「この痛さは骨折だな」と思った。お袋を車椅子に乗せたり降ろしたり、トイレやベッドに座らせたり立ち上がらせたりが、しんどかった。「ゴメン、今さ、手首が痛いんで、しっかり抱きかかえられないや」なんて言いながら、少々自分に苛立つ私。

その一週間後、お袋は亡くなった。(享年92歳)

死に顔を見て、「本当に死んじゃったんだ」と思った。そして、つい一週間前の穏やかな散歩を思い出した。実は7年前、親父が亡くなる一ヶ月ぐらい前の小春日和の12月に、親父と病院の眺めのいい部屋で、ほとんど会話なく、穏やかな時間を過ごしたことがあった。その「穏やかさ」は、ふたつとも酷似していて、何とも言い表せないとてもいい時間だった。特別、何を話すでもなく、時間が過ぎていった。

お袋が亡くなっても、左手首は痛かった。車椅子に乗せたときに感じた痛みが、死後も同じように痛いことを不思議に感じた。この痛みが、お袋の生前と死後にわたって地続きになっている。痛みは変わってないのに、お袋は生きていたし、死んでもいる。「何かがおかしいんじゃないか」と思った。

四十九日が終わり3週間たった今も(ひとりバックドロップから2ヶ月余り)、手首に力がかかると、まだ若干痛い。でも、この手首が完治すると、その不思議さもなくなるんだろうと思っている。お袋が死んで、私はショックに打ちひしがれているということもなく、日々を過ごせている。そんな風に死んでいったお袋と親父に、改めて感謝したい。
 

2025年1月17日金曜日

続く歯磨き粉の旅

 

2012年1月に、「手作り歯磨き粉と私
2017年12月に、「歯磨き粉の旅

というタイトルのエントリを書いた。私の幼少の頃からの、歯磨き粉(またはペースト)の遍歴を書いたのだが、幼少時のデンターライオンから始まって、20〜30年前ぐらいから手作りのナチュラル系歯磨き粉になっていった。その変化の一番の原動力は、気に入った味のものを使いたいということ。また出来たら添加物など不自然なものは使いたくない。特に夜寝る前に使う歯磨き粉は、口の中がその味で一日が終わる気がして、「一日を気持ちよく終われる味」を求めている。

そして、最近、私が使う歯磨き粉が、またまた変わった。

シュミテクト。

非常にポピュラーなものだが、私にとって決して「一日を気持ちよく終われる味」ではない。このミント味は、50年前のデンターライオンに戻ったかのようだ。変化のキッカケは、1年程前。歯痛が酷かった時期があり、私はてっきり虫歯かと思って歯医者へ行ったのだが、知覚過敏の診察を受けた。

それで思い出したのは30〜40年前ぐらいのこと。当時かかっていた歯科医から、「あなたは、夜中に歯ぎしりとかしてませんか?」ときかれた。その自覚はなかったので、「いや〜、心当たりはないですね」と答えてそれで終わった。だが、その歯科医の見立ては間違ってはいなかった。知覚過敏は、加齢による歯茎の後退もあるが、歯ぎしりなどで歯が削れることでも歯痛になることもあるようだから。歯ぎしりの自覚は今でもないのだが、上下の歯が当たっている箇所が極端に削れている画像を見ると、意識せずとも歯ぎしりまたは強く噛んでいるんだと思う。

知覚過敏の治療としては、歯のエナメル質を補う塗料のようなものを塗ったり、寝ている間の装着用として、マウスピースを作ったりということになった。知覚過敏による歯痛というのは、全く不思議なのだが、痛いときは強烈に痛いのだが、その治療をした後、あるときを境に、それまでの痛みが嘘のようにピタッと痛くなくなった。

その治療の最終日、歯科医は、シュミテクトを薦めた。(サンプルの小さなシュミテクトをもらった) 「これは研磨剤が、ほぼほぼ無しなので、知覚過敏が起こりにくい」とのこと。あの痛さは記憶に鮮明なので、その後は言われるままにシュミテクトを使い続けた。だがしかし、このミント味、うがいの後も口の中がミント味一色になってしまう。私が作ってきた手作りのナチュラル系歯磨き粉には、研磨剤になり得る重曹などが含まれていたので、いっそのことニームパウダーだけの歯磨き粉を使えばいい。そう思ってしばらくシュミテクトをいったん止めて、ニームパウダーだけを使っていたら、歯茎にでき物が出来た。その後シュミテクトに再び戻すと、そのでき物はなくなったので、結局シュミテクトを使い続けることになった。シュミテクトにはそれなりの洗浄力が備わっているんだと思う。そのでき物とニームとの因果関係はどのくらいあるのか。インドでは大勢の人たちが、ニームの枝の先をかじって歯磨きしているし、私自身シュミテクトの前は、10年以上ニームパウダー入りの歯磨き粉を使っていたのだから、ニームとは別の理由でのでき物だったのかも知れない。

何しろ、シュミテクトだとその強いミント味が好きになれず、ニームパウダーだとでき物が出来るかも知れないという板挟みになった。

ところで、たまたま娘が「ミント香料」のアレルギー持ちなので(ミントの葉を鼻の穴に突っ込んでも症状は出ない)、ミント味以外の歯磨きペーストを探したことがあるが、これがなかなかないのだ。世の中のほとんどの人々は、このミント味が好きなのか・・・・。私が探した範囲内では、ヴェレダのフェンネル(茴香)味というのとインドのマサラ系味の2つしかなかった。ヴェレダのフェンネル(茴香)味を購入し、私もたまに使ったが、苦いニームの方が私の好みだった。

冒頭のリンク「手作り歯磨き粉と私」のエントリでも書いてるが、私の歯磨き粉・ペースト遍歴は以下。

●幼少の頃●
○デンターライオン
○田舎の歯磨き粉

●20代の頃●
○シヴァナンダの歯磨き粉
○ニームの木の枝

●30代の頃●
○ナス黒の歯磨き粉
○ねんどのハミガキ

●40代以降●
○自分で作る歯磨き粉(ニームパウダー・重曹・塩・ねんどの粉入り)

デンターライオン、田舎の歯磨き粉、そしてシュミテクト以外は、界面活性剤は使われていない。歯磨き粉、つまり水を含まない粉モノに変わってきたのは、(水分があると含まれる)防腐剤を避ける意識があるから。

味として、私が好きなニームパウダーは、口に入れた瞬間は苦いが、うがいをすると苦くなくなり、口の中が何事もなかったかのようにスッキリする。そして、慣れてくると、口に入れた瞬間も差ほど苦いとは感じなくなる。一方、ミント味は、うがいの後も、口の中にその味がしっかり残る。それが好きな人はそれでいいのだが、「何事もなかったかのようにスッキリ」とは、スッキリさが全く異なる。

さて、先述のとおり、しばらくシュミテクトを使い続けたものの、そのミント味一色に耐えられず、今はシュミテクトに、ニームパウダーと塩(カンホアの塩【石窯 焼き塩】)の合わせ技で歯磨きしている。いわばハイブリッド型。いったん歯ブラシにシュミテクトを少量絞って乗せ、その上に、「ニームパウダー」+「塩」のミックスパウダーを付ける。ニームパウダーと塩の割合は、概ね3対1。これだと、ミント味がグッと抑えられ、抵抗感が少なくなった。冒頭の画像は、そのシュミテクトと「ニームパウダー」+「塩」のミックスパウダー。下の画像が歯ブラシにのった、シュミテクトと「ニームパウダー」+「塩」。

私の「歯磨き粉の旅」はまだまだ続きそうだ。


 

2024年11月28日木曜日

ロケットストーブ

 

並べてみた。晩秋。

2024年11月19日火曜日

自家製・防虫剤いろいろ

先週末、夏物衣類を仕舞って、冬物を出した。つい一ヶ月前の東京は、30℃の日もあったような気がする。どうも最近は春秋が短くなって、衣替えのタイミングが難しくなってきた。

春に冬物衣装ケースに仕込んだ防虫剤が出てきた。お茶パックの中に楠の葉が入っている。

5年ぐらい前、息子が通ってた小学校の前をたまたま通りかかったら、正門を入ってすぐの大きな楠の枝打ちをしていた。葉が付いた楠の枝が、たくさん散らばっているのを見て、私は「何かに使えそう」と思った。そこで、その造園屋さんから、自転車に乗りながら持てる枝一本をもらい、居間の隅に置いといた。その後、葉はカラカラになって床に落ちるようになり、どうにかしないとと思いついたのが、防虫剤。お茶パックに入れた。

その後、何度か冬物・夏物の入れ替えをしてきたが、冬物の衣装ケースの楠の葉は乾燥してはいるものの、改めて手でクシャクシャすると、再び楠(樟脳)の香りが立った。「これならまだ使えるな」と、何回か使い続けた。だが先週末、そのお茶パックをクシャクシャしても、もうほんの少ししか香りがしない。流石に5年も経つと・・・・。あの楠の枝打ちはいつの時期だったか、憶えていない。どうにかしないと。

と、困っていたら、庭先のローズマリーが目に入った。これでいい。ローズマリーは、結構茂る。たまには枝打ちしてあげないと思いつつも、面倒でしてこなかったが、この葉を、楠の代わりに使えばいいと思った。

という訳で、今回の衣替えから、我が家の防虫剤は、楠(樟脳)からローズマリーに変わった。昔のナフタリンと違って、最近の防虫剤は、「自然派」と称するものもときどき見かけるが、不要になった楠やローズマリーの葉があれば、断然これの方がいい。

また我が家は「アレッポの石鹸」という石鹸を使っているが、その原材料には月桂樹オイルが含まれるが故に、石鹸自体をタンスに入れれば防虫剤になると聞いたことがある。まあ石鹸でなくても、不要になった月桂樹の葉があれば、それも使えるだろう。スパイス売り場の月桂樹の葉を防虫剤に使う訳にもいかないし。

35年程前に住んでいたアパートの窓の外に月桂樹の木があった。窓から手が届く距離だったので、そのときは料理で月桂樹の葉を使うとき、窓を開けて葉を2-3枚むしって使っていた。そのときは気がつかなかったが、防虫剤にもなったんだなと、今ふと思う。

この月桂樹の葉にしても、ローズマリーにしても、いくら身の回りで余っていても、気がついてないと、自分の中では「無いもの」も同然。必要なモノ・欲しいモノは「買う」習慣が身についてしまうと、その便利さと引換にずいぶんと損もしてるんだなと思う。
 

2024年9月13日金曜日

エスカレータの片側 〜 その2


 上の写真は、東京駅の中央線のホームに通じるエスカレータ。つい先週末にこれを撮影した私は、左側の上りに乗っている。下りが右側にあって、電車を降りたばかりの人でビッシリ詰まってるが、私が乗ってる上りのエスカレータ内の右側は、見事にスッポリ空いている。ちょうど10年前、私は、下記のエントリを書いた。

エスカレータの片側(2014年10月15日)

そのエントリにもあるとおり、エスカレータの片側を、急ぐ人のために空けることを、いいアイデアだなと、若かりし私は思った。しかし、それは40年も前のこと。今は、ときどき「エスカレータでは、歩かない」と警告のシールが、エスカレータの側面にときどき貼ってある。つまり、この写真で言えば、「空いてる右側は(歩かずに)立ってなさい」ということ。しかし東京駅の中央線、スゴイ人にもかかわらず、上りエスカレータの右側は立ってる人なんかはいなくて、スッポリ空いている。

私は最近、92歳の母親の手を引きながらエスカレータに乗るときがある。そんなときは、横に並んで、つまり私は右側に立って、左に立つ彼女の腕を掴みながら乗りたくなる。しかし、そのスッポリ空いた右側に、ポツンと自分だけ立っていると、後ろから上ってくる人がいないか気になってしかたない。だから、左側に立っている母親の一段後ろの左側に立って、前の母親の腕を掴んで支える。

今の私に右側を「歩く」選択肢はないものの、かといって、(隣に母親がいようがいまいが)右側に堂々と「立つ」立つ勇気が出ない。こういう両方の現実を、きっと多くの人が感じている結果として、冒頭の写真のように、わんさか人がいる東京駅でさえ、右側はスッポリ空き、左側に立とうという人の列がエスカレータ下に長く出来るという、何とも奇妙な状況になってるのではないか。ただ、これも10年経たないうちに変わるんだろうな、きっと。

2024年9月9日月曜日

草の根元に土寄せ、の不思議

つい先週のこと。我が家の庭に敷いてあるレンガの隙間から生えてる草の根元に、こんもりと土が円錐状に寄せられていた。ひとつだけでなく、その辺りの4〜5本もの草の根元に同じように、草の元を覆うように寄せられた円錐状の土。不思議でならない。ひとつをもっとアップした写真が下。高さは7〜8cm。雨上がりだったように思う。

誰の仕業ですか?

蟻?

ミミズ?


何者かによって作られたいくつもの円錐状の土が並んだ様子を見ていると、今の季節、千葉・八街のボッチ(落花生の草を積んで乾燥させてる山)を思い起こす。大げさに言えば、ストーンヘンジのような不思議さがある。一体、誰がどんな目的でこんなことしたんだろうか? 分かる方がいらしたら、教えて欲しい。

2024年7月1日月曜日

インド料理店のサラダ

 

3月の先のエントリに続き、再びインド関係のエントリになった。

暑かったので、週末インド料理店へランチしに行った。今や日本ではありふれたとも言える大衆的なインド料理店だが、ずっと前から、どうにかならないものだろうかと思っていることがある。付け合わせに、必ずと言っていいほどついてくるベビーリーフ・ミックスみたいな葉物サラダとそのドレッシングだ。

私がインドに滞在していたのは、今から三十数年前だが、少なくとも当時、生の葉物野菜を食す習慣自体がインドにはなかった。(おそらく今でも変わらないと思うのだが) インド料理でサラダ的なものはというと、ライタが代表例だと思う。スパイス(クミンなど)に塩を利かせたヨーグルトソースに絡まった、野菜料理だ。カレーにとてもよく合う。そのときの野菜に葉物はなく、大概は、トマトや人参など根菜、瓜の類だったように思う。

だから、いくら日本だからとは言え、インド料理店という看板の店で、そもそもベビーリーフ・ミックスのサラダはおかしいだろーと思う。さらに、それにかかっている業務用っぽいドレッシング。私は、この手のドレッシングが苦手だ。でも、嫌々ながら、出されるとつい残すのがもったいなくて食べてしまう。先日行ったインド料理店は、数ある大衆的な店の中でも、料理はおいしいのだが、口の中に、このドレッシングの味が残って、残念だった。そして、これまでそれを何度となく繰り返してきた。

このサラダは、インド料理店が増え始めた20〜30年前から、日本にあるインド料理店では定番化している感があるが、おそらくそれは日本だけのことなのではないかと思う。

全くの想像だが、その昔、日本でインド料理店が増え始めた頃、メニューを考えていた人は、「日本人は、葉物の生野菜サラダが好きだ。ドレッシングはフツーの業務用のが日本ではポピュラーだ」と思い立ち、今やそれが定番化しているように思う。そもそも、日本で、生野菜を食べる習慣が始まったのは、戦後のことだと思う。そこにも一抹の疑問があるのだが。

スパイシーなインド料理の中で、あの葉物サラダとドレッシングは、箸休め的な意味で、元々は日本在住者の好みに合わせたという、いわば好意だったと思う。だがしかし、私からすると、それはその当初の思い込みであって、今やライタの方が、私以外の客もきっと喜ぶだろうし、何とかあの業務用ドレッシングはやめて欲しいと思う。でも、現状、特にランチプレートなんかの場合、これだけ定番化しているベビーリーフ・ミックスのサラダに替えてライタというのは、ややハードルが高そうなので、何か現実的な作戦を考えねばと思った。

「サラダには、ドレッシングなしで」

次の注文時には、さしあたり、こう注文しようと思っている。単純に「ドレッシング無し」なら、店側も難しくないだろう。塩味が足りなければ、シンプルに塩をかけた方がよっぽどいい。これまで何度も出てきたサラダを前にしてこう思ってきたのだが、不覚にも次の注文時(おそらく2〜3ヶ月後)につい言うのを忘れてしまってきた。よ〜し次回からは忘れないようにしよう。そう自戒の念を込めて、きょうのエントリを書いている。

念のため付け加えるが、ちゃんとした(?)インド料理店では、ライタは出ても、ベビーリーフミックスのサラダは決して出ない。しかし、これだけ大衆的なインド料理店がポピュラーになった今の日本だ。一見同じように見えるインド料理店を「選ぶ」時代になってきてる。その差別化の意味でも、ベビーリーフ・ミックスのサラダとそのドレッシングの代わりに、ライタが出てくる日は、来るのだろうか。

2024年3月13日水曜日

私の「インド人のこういうところ好き」

 インドの人口は、今や14億人とも言われ、近いうちに中国を抜くとも予想されている。そんな大国インドには、様々な人がいる。ただ、三十数年も前のことながら、私は今でも忘れられない、こんなインド人と接したことがあったという話。無論、インド人みんながこういう人な訳ではないし、日本では「たぶんなさそうなことかなー」と思うので。


インドではどこにでもある、露天のチャイ屋(ストール)。そこの長椅子に腰掛けてチャイを飲んでいたら、隣に同年代ぐらいのインド人男性が腰掛けた。面識はない。しばし、二人横並びでチャイをすすることとなった。少しして、彼は私に話しかけてきた。


「お前さん、いい腕時計しているな」と、私の左腕の時計(一般的なもの)をのぞき込みながら言う。

「そーお、褒めてくれてうれしいよ」と軽く受け応える私。すると、

「それとても気に入ったんだ。俺にくれないか?」と彼。

私は少したじろぎながらも、「あなたが気に入ってくれていることは分かったが、私だって気に入ってるんだから、あげることは出来ないな〜」と、何とか応じる私。

「そっか」と、チャイを飲み干した彼は、何事もなかったかのように立ち去った。

私は、チラッと彼の後ろ姿を見て、残りのチャイを飲み干した。彼は振り向く素振りもない。


この会話だけだと、彼は何と図々しいヤツだな〜と思うかも知れない。しかし、そのとき、私は全くそうは感じなかった。不快というより、むしろ爽快に感じた。マナーや事の善悪云々とは別次元で、「人間は自由だ」ということを私は彼から感じたからだ。特別な感情もなく立ち去った彼の後ろ姿を見て、私は自分の身体が少し軽くなった気になった。


上記の会話を、私は今でも覚えているものの、その腕時計がどんなものだったかを実は思い出せない。そのときは、それなりに私も気に入ってたんだろうが、それは後になって忘れてしまう程度だったのだ。もしかすると、あのときの彼の方が、私より「気に入り度」が高かったかも知れない。さらに、彼との会話を、私はこうして三十数年経った今でも忘れられないでいるし、私が彼から受けた爽快感の方が、陳腐な私の「気に入り度」よりも価値があるようにも思える。


インドには喜捨(バクシーシ)という習慣がある。何かを「施す」ということは、ときに「喜び」にもなり得るのだ。あのとき私は彼に腕時計をあげるのが正解だったと、今は思う。そうしていたら、私の人生はその後、もっと自由になったかも知れないと。

2024年1月15日月曜日

「ムクドリの万両栽培説」の未練

 

上の写真は、我が家の庭の植え込み。すっかり冬になっているこの折、少しの草の上に敷いてある藁の間に、小さな赤い実が、いくつも落ちている。万両の実だ。万両は、右隣の家に植わっていて、しばしば数羽のムクドリがホバリングしながら、たわわになった実をついばんでいるのを見かけていた。この万両はきっと、その万両に違いないと思った。

また、最近、その万両の庭の反対側(左側)二軒先の家の二階の戸袋に、ムクドリの巣があることに、私は気がついていた。ムクドリはきっと、そのムクドリに違いないと思った。そのムクドリの巣と右隣の万両の木のちょうど間に、我が家の庭がある。

この2つのことを繋げると、左二軒先の戸袋に巣があるムクドリが、右隣の庭の万両の実を、うちの庭に落としていった、となる。「え〜、どうしてだろう?」とその理由を想った私は、もしかしたらムクドリが「故意に」ここに落としていったんじゃないかと思い至った。もしも、巣に持ち帰る途中で、誤って落としたとしたら、拾っていったはずだ。

植物は我が身をもって、鳥や昆虫に、食料を供給しつつも、その種や花粉を遠くに運んでもらうという共存の関係にある、なんてことがよく言われる。でも、ムクドリが、偶然ではなく「故意に」、万両の実をうちの庭に落としていったとしたら、それは「栽培」なんじゃないかとふと思い、ちょっと興奮した。

右隣の万両の木を覗き見ると、つい2週間ぐらいまで、タワワになっていた真っ赤な実がひとつもなくなっている。せっかくムクドリが種まきしただろう万両だが、我が家としては、借家のここに万両の木が根付くのはちょっとマズいという事情がある。ムクドリがこの実を欲しくなったときは、持っていくだろう。しばらくこのままにしておくことにした。そして、数日間、その状態は続いた。

その2〜3日後、カミさんが一週間の出張から帰宅した。私は、その「ムクドリの万両栽培説」を、「どうだ」とばかりに彼女に唱えた。すると、「その万両は、私が(飾りに)料理で使ったものよ。使い終わった実を庭に撒いておいただけ」とのお答え。一瞬にして、私の「ムクドリの万両栽培説」は否定された。そして、改めて庭の植え込みを見ると、藁の上にあった真っ赤な万両の実は、何事もなかったかのように、すっかりなくなっていた。彼女曰く「あ〜、落ちてるのに気がついて、持っていったのね〜」。

すっかり私の思い違いだったのだけど、「稀にでも、鳥って栽培しないのかな〜」と、私はまだ捨て切れないでいる。