今朝、自宅の隣んちの白梅が咲いてた。この1-2年、ここは空き家だけど、毎年「あっ、梅が咲いた」と思わせてくれる。何せ隣だから、私は無責任。枝打ちもせずに、ただ楽しませてもらってる。これが住宅街に住むメリットかな。空き家ってことで、ふと思い出す、菅原道真の歌。
主(あるじ)なしとて春を忘るな
「主なし」でも、「にほいをこす」のは、あと1〜2週間先かな。うちは隣だから難なく届く。
きっといろんな理由でいろんな出し方がある。
それにしても、雨の日の段ボール。このAIの時代に、何とかならないもだろうか。
つい先日の投稿、「満点の星」(2025年9月29日)にて、応援している横浜ベイスターズがジャイアンツに絶望的な負け方をしたことを書いた。9回表ににダメ押しの2ランで4点差にして、クローザー(伊勢選手)投入の最終回に、5点取られてサヨナラ負けというショッキングな負け方だった。(それで満点の星を見に行った)
しかしだ、昨日のクライマックスシリーズ第二戦、同じジャイアンツに、初回に5点取られて、その裏に2ラン+3ランホームランで5点取ってで驚き、2回から延長10回まで両チームとも好守備もあって、両方ずっとゼロ。11回表ジャイアンツが、しぶとく1点。しかしその得点後の1アウト満塁を坂本投手がゼロに抑え、迎えた11回裏。2アウト・ランナー無し、ノーボール・2ストライクから、7番石上がしぶとい内野安打。
その直後がポイント。
ジャイアンツからしたら、2アウト1塁は、打者を討ち取ってアウト一つ取れればそれでいい場面。バッテリーは1塁ランナーを気にしない。そこをついて、初回同点3ランの石上は初球、ピッチャーが打者に投げる前にスタートを切って盗塁成功→2アウト2塁。
点を絶対に取られたくないジャイアンツは前進守備の外野3人。そこに8番林が3塁手の頭を越す流し打ちでレフトへヒット、前進してたが故にレフトは下がってそれをキャッチ、身体の向きが後ろになって、2塁ランナー石上は余裕のヘッドスライディングで、同点ホームイン。続くピッチャー坂本に代わって代打・度会。強く振り切ってのファーストの頭をワンバウンドで越すライト前ヒットで、1-3塁。続く1番蝦名がこの日3本目、三遊間へのクリーンヒットで、サ・ヨ・ナ・ラ。
まー、スゴイ試合。
そして、実を言うと、きょう月曜日、横浜スタジアムのS席を娘と2席取っていた。が、その試合が観れなったのだが、光栄の勝ちだった。明日は私はゆっくりでいいし、娘も立て込んだ学校の課題に集中出来て、昨日はグッスリ眠れた。こーいうことってあるものなんだ。絶望したからって諦めることはないんだ。
先月、国立競技場に、世界陸上を観に行った。上の画像は、女子5000m予選。ゴール前の第4コーナー。分かりにくいが、この画像では田中希実選手が3番目あたりを走っている。国立競技場の雰囲気は、世界一の運動会。自分や子供の運動会を、思いっきり世界レベルにした風の、お祭りのような盛り上がりだった。
映画「国宝」、坂東玉三郎がモデルと聞いて、興味が湧いて観に行った。
序盤で、長崎で幅を利かすヤクザの親分が登場し、玉三郎はその息子。背中いっぱいに大きなフクロウだかミミズクの入れ墨を十代半ばぐらいに入れてて、その入れ墨が、その後もシンボリックに描かれている。
「へー、玉三郎って長崎出身で、ヤクザの息子で、背中にでっかい入れ墨入れてんだ」
と、観ててちょっと驚いたが、後から調べてみると、それらは全てフィクションとのこと。だから、「坂東玉三郎がモデル」は私の早とちりで、他の部分も含めて、玉三郎の半生を描いたというものではなく、「玉三郎を連想させる」ぐらいの原作の小説があっての映画みたいだ。夜8時からの3時間の上映だったので、眠くなるのが心配だったが、全くの杞憂。見応え十分のエンタメでした。
さて、40年ぐらい前、銀座の歌舞伎座で、玉三郎一人の舞(まい)の幕(無論下座音楽はアリ)を観たことがある。一幕見で、長い階段を上った三階席の奥から観てたのだけど、30分ぐらいのその幕で、連続したその動き・所作・表情はもちろん、指先・足先まで行き届いたその舞を観て、「こんな美しさがあるのか」と驚いた。ジェンダー的に、性別を言うのも変だけど、当時二十歳そこそこの私にとって、それは「女性に感じたことのない、女性の美しさ」だった。それが今でも忘れられない。
そして不思議なことに、私の中の、その舞の記憶は、舞台に向かって花道の左側の客席から、花道で舞っている黒っぽい着物を纏った玉三郎を見上げるように観ていたものとして残っている。歌舞伎を一幕見でしか観たことがない人間が、花道脇から観た記憶がある訳がない。後から、寝てる間に見た夢の記憶と入れ違ってしまったのだろうか。
でも、でもです。まぁ、これはこれでいいかと思ってる。一番遠い一幕見の席から、その舞に吸い込まれるように観ていた私は、まるで花道脇から観ていたかのような錯覚に囚われ、その錯覚が現実にまさって、あたかも花道脇から観ていたように記憶されたのかも知れない。そうだとすると、それはそれでいいんじゃないかと思えるのだ。いずれにせよ、私の中で、その40年前の、その舞の「美しさ」は変わらない。
調べてみると、今や玉三郎さんご自身は公演をされておらず、若手へ役を継承しているとのこと。もう生(なま)で観るのは難しそうだ。「国宝」は映画として楽しめたが、それがキッカケで、(玉三郎でなくても)歌舞伎に興味を持った方には、「生は全然違いますよ」と言いたい。たとえ一幕見でも。
ちょうど一年ぐらい前に、当時92歳の母親(2024年11月逝去)の介護や家事をしながら、話しをしていたときのこと。「こんなになっちゃって。でもこれが自然だから」と彼女は言った。「こんなにって、こんなもんじゃないの〜」と私。
かかりつけの医者からは、「痴呆も少しずつ進んでますね」と言われていたが、彼女が言った「こんなに」の意味は、「身体が思うように動かない」ということだ。戦後の高度経済成長期を、どっぷり行動的に生きた彼女には、頭はまだしっかりしているという自負も感じられた。手すりや壁に頼りながら、ゆっくりとゆっくりと何とかひとりで歩いていたが、ちょうどこの頃から車椅子を使うようになっていた。普段一緒に住んでない私にとって、ひとりで過ごす時間が長い彼女の状態を知りたいという思いがあって、あえて少しは、ひとりで歩いてもらっていた。
「こんなになっちゃって。でもこれが自然だから」
この「自然」という言葉がとても気になった。歳をとって、身体が思うように動かなくなっていく。それは自然なんだということだが、そこには、「どうしても、自分そして(医療を含む)自分の周りの努力があってもなお・・・・」という「どうにもならない感」があった。またそれには、どこかで何かを諦めているような脱力感も感じた。自分が生まれ育って体力も増し、経験が増えていくことも「自然」だが、老いて身体が思うように動かなくなっていくことも「自然」だ。若い頃は、諦めないことが様々な経験を積むことになるが、老いてくると、諦めた方がいいと判断することが増えてくる。だから、いわば「自然な意識」の中で、自分主導的に「諦める」。
現在63歳の私は、一年前の母親のように諦める意識はまだ薄いものの、日常生活の中に、こまごまとした「諦めるべきこと」があるような気がしてならない。30代ぐらいまでのうちは、自分が意図したことは出来るだけ諦めないことを目指してきたが、今は諦めた方が、結局は自分にとって「いいこと」に繋がることもあると思えるようになった。そして、むしろ適格な諦めが必要だと感じることが多くなった。例えば、子育てだって、ある程度大きくなった子らには、親の干渉は最小限がいいし、仕事だって、やり過ぎてもいいことはない。何か私はその「分水嶺」の周辺にいるような気がしている。
分水嶺を越えると、「霧が晴れるように、新しい景色が見えてくる」なんてことをついつい望む私がいる。しかし、それは欲張りだ。母親が、そこまで言い及んでなかったのは、全くもってその欲がなく自然だったのだ。彼女のその心境にまだ追いつけていない。ただただ生き続ける。それがいい。
いずれかの理由で、人類という種が絶滅する場合、微生物を含む全ての生物が絶滅するようなことは考えにくい。そしてそこからまた新たな進化が始まる。その進化が進む先に、人類のような生物が果たして生まれてくるのだろうか。
2012年1月に、「手作り歯磨き粉と私」
2017年12月に、「歯磨き粉の旅」
というタイトルのエントリを書いた。私の幼少の頃からの、歯磨き粉(またはペースト)の遍歴を書いたのだが、幼少時のデンターライオンから始まって、20〜30年前ぐらいから手作りのナチュラル系歯磨き粉になっていった。その変化の一番の原動力は、気に入った味のものを使いたいということ。また出来たら添加物など不自然なものは使いたくない。特に夜寝る前に使う歯磨き粉は、口の中がその味で一日が終わる気がして、「一日を気持ちよく終われる味」を求めている。
そして、最近、私が使う歯磨き粉が、またまた変わった。
シュミテクト。
非常にポピュラーなものだが、私にとって決して「一日を気持ちよく終われる味」ではない。このミント味は、50年前のデンターライオンに戻ったかのようだ。変化のキッカケは、1年程前。歯痛が酷かった時期があり、私はてっきり虫歯かと思って歯医者へ行ったのだが、知覚過敏の診察を受けた。
それで思い出したのは30〜40年前ぐらいのこと。当時かかっていた歯科医から、「あなたは、夜中に歯ぎしりとかしてませんか?」ときかれた。その自覚はなかったので、「いや〜、心当たりはないですね」と答えてそれで終わった。だが、その歯科医の見立ては間違ってはいなかった。知覚過敏は、加齢による歯茎の後退もあるが、歯ぎしりなどで歯が削れることでも歯痛になることもあるようだから。歯ぎしりの自覚は今でもないのだが、上下の歯が当たっている箇所が極端に削れている画像を見ると、意識せずとも歯ぎしりまたは強く噛んでいるんだと思う。
知覚過敏の治療としては、歯のエナメル質を補う塗料のようなものを塗ったり、寝ている間の装着用として、マウスピースを作ったりということになった。知覚過敏による歯痛というのは、全く不思議なのだが、痛いときは強烈に痛いのだが、その治療をした後、あるときを境に、それまでの痛みが嘘のようにピタッと痛くなくなった。
その治療の最終日、歯科医は、シュミテクトを薦めた。(サンプルの小さなシュミテクトをもらった) 「これは研磨剤が、ほぼほぼ無しなので、知覚過敏が起こりにくい」とのこと。あの痛さは記憶に鮮明なので、その後は言われるままにシュミテクトを使い続けた。だがしかし、このミント味、うがいの後も口の中がミント味一色になってしまう。私が作ってきた手作りのナチュラル系歯磨き粉には、研磨剤になり得る重曹などが含まれていたので、いっそのことニームパウダーだけの歯磨き粉を使えばいい。そう思ってしばらくシュミテクトをいったん止めて、ニームパウダーだけを使っていたら、歯茎にでき物が出来た。その後シュミテクトに再び戻すと、そのでき物はなくなったので、結局シュミテクトを使い続けることになった。シュミテクトにはそれなりの洗浄力が備わっているんだと思う。そのでき物とニームとの因果関係はどのくらいあるのか。インドでは大勢の人たちが、ニームの枝の先をかじって歯磨きしているし、私自身シュミテクトの前は、10年以上ニームパウダー入りの歯磨き粉を使っていたのだから、ニームとは別の理由でのでき物だったのかも知れない。
何しろ、シュミテクトだとその強いミント味が好きになれず、ニームパウダーだとでき物が出来るかも知れないという板挟みになった。
ところで、たまたま娘が「ミント香料」のアレルギー持ちなので(ミントの葉を鼻の穴に突っ込んでも症状は出ない)、ミント味以外の歯磨きペーストを探したことがあるが、これがなかなかないのだ。世の中のほとんどの人々は、このミント味が好きなのか・・・・。私が探した範囲内では、ヴェレダのフェンネル(茴香)味というのとインドのマサラ系味の2つしかなかった。ヴェレダのフェンネル(茴香)味を購入し、私もたまに使ったが、苦いニームの方が私の好みだった。
冒頭のリンク「手作り歯磨き粉と私」のエントリでも書いてるが、私の歯磨き粉・ペースト遍歴は以下。
●幼少の頃●
○デンターライオン
○田舎の歯磨き粉
●20代の頃●
○シヴァナンダの歯磨き粉
○ニームの木の枝
●30代の頃●
○ナス黒の歯磨き粉
○ねんどのハミガキ
●40代以降●
○自分で作る歯磨き粉(ニームパウダー・重曹・塩・ねんどの粉入り)
デンターライオン、田舎の歯磨き粉、そしてシュミテクト以外は、界面活性剤は使われていない。歯磨き粉、つまり水を含まない粉モノに変わってきたのは、(水分があると含まれる)防腐剤を避ける意識があるから。
味として、私が好きなニームパウダーは、口に入れた瞬間は苦いが、うがいをすると苦くなくなり、口の中が何事もなかったかのようにスッキリする。そして、慣れてくると、口に入れた瞬間も差ほど苦いとは感じなくなる。一方、ミント味は、うがいの後も、口の中にその味がしっかり残る。それが好きな人はそれでいいのだが、「何事もなかったかのようにスッキリ」とは、スッキリさが全く異なる。
さて、先述のとおり、しばらくシュミテクトを使い続けたものの、そのミント味一色に耐えられず、今はシュミテクトに、ニームパウダーと塩(カンホアの塩【石窯 焼き塩】)の合わせ技で歯磨きしている。いわばハイブリッド型。いったん歯ブラシにシュミテクトを少量絞って乗せ、その上に、「ニームパウダー」+「塩」のミックスパウダーを付ける。ニームパウダーと塩の割合は、概ね3対1。これだと、ミント味がグッと抑えられ、抵抗感が少なくなった。冒頭の画像は、そのシュミテクトと「ニームパウダー」+「塩」のミックスパウダー。下の画像が歯ブラシにのった、シュミテクトと「ニームパウダー」+「塩」。
私の「歯磨き粉の旅」はまだまだ続きそうだ。
そのエントリにもあるとおり、エスカレータの片側を、急ぐ人のために空けることを、いいアイデアだなと、若かりし私は思った。しかし、それは40年も前のこと。今は、ときどき「エスカレータでは、歩かない」と警告のシールが、エスカレータの側面にときどき貼ってある。つまり、この写真で言えば、「空いてる右側は(歩かずに)立ってなさい」ということ。しかし東京駅の中央線、スゴイ人にもかかわらず、上りエスカレータの右側は立ってる人なんかはいなくて、スッポリ空いている。
私は最近、92歳の母親の手を引きながらエスカレータに乗るときがある。そんなときは、横に並んで、つまり私は右側に立って、左に立つ彼女の腕を掴みながら乗りたくなる。しかし、そのスッポリ空いた右側に、ポツンと自分だけ立っていると、後ろから上ってくる人がいないか気になってしかたない。だから、左側に立っている母親の一段後ろの左側に立って、前の母親の腕を掴んで支える。
今の私に右側を「歩く」選択肢はないものの、かといって、(隣に母親がいようがいまいが)右側に堂々と「立つ」立つ勇気が出ない。こういう両方の現実を、きっと多くの人が感じている結果として、冒頭の写真のように、わんさか人がいる東京駅でさえ、右側はスッポリ空き、左側に立とうという人の列がエスカレータ下に長く出来るという、何とも奇妙な状況になってるのではないか。ただ、これも10年経たないうちに変わるんだろうな、きっと。
蟻?
ミミズ?
何者かによって作られたいくつもの円錐状の土が並んだ様子を見ていると、今の季節、千葉・八街のボッチ(落花生の草を積んで乾燥させてる山)を思い起こす。大げさに言えば、ストーンヘンジのような不思議さがある。一体、誰がどんな目的でこんなことしたんだろうか? 分かる方がいらしたら、教えて欲しい。
3月の先のエントリに続き、再びインド関係のエントリになった。
暑かったので、週末インド料理店へランチしに行った。今や日本ではありふれたとも言える大衆的なインド料理店だが、ずっと前から、どうにかならないものだろうかと思っていることがある。付け合わせに、必ずと言っていいほどついてくるベビーリーフ・ミックスみたいな葉物サラダとそのドレッシングだ。
私がインドに滞在していたのは、今から三十数年前だが、少なくとも当時、生の葉物野菜を食す習慣自体がインドにはなかった。(おそらく今でも変わらないと思うのだが) インド料理でサラダ的なものはというと、ライタが代表例だと思う。スパイス(クミンなど)に塩を利かせたヨーグルトソースに絡まった、野菜料理だ。カレーにとてもよく合う。そのときの野菜に葉物はなく、大概は、トマトや人参など根菜、瓜の類だったように思う。
だから、いくら日本だからとは言え、インド料理店という看板の店で、そもそもベビーリーフ・ミックスのサラダはおかしいだろーと思う。さらに、それにかかっている業務用っぽいドレッシング。私は、この手のドレッシングが苦手だ。でも、嫌々ながら、出されるとつい残すのがもったいなくて食べてしまう。先日行ったインド料理店は、数ある大衆的な店の中でも、料理はおいしいのだが、口の中に、このドレッシングの味が残って、残念だった。そして、これまでそれを何度となく繰り返してきた。
このサラダは、インド料理店が増え始めた20〜30年前から、日本にあるインド料理店では定番化している感があるが、おそらくそれは日本だけのことなのではないかと思う。
全くの想像だが、その昔、日本でインド料理店が増え始めた頃、メニューを考えていた人は、「日本人は、葉物の生野菜サラダが好きだ。ドレッシングはフツーの業務用のが日本ではポピュラーだ」と思い立ち、今やそれが定番化しているように思う。そもそも、日本で、生野菜を食べる習慣が始まったのは、戦後のことだと思う。そこにも一抹の疑問があるのだが。
スパイシーなインド料理の中で、あの葉物サラダとドレッシングは、箸休め的な意味で、元々は日本在住者の好みに合わせたという、いわば好意だったと思う。だがしかし、私からすると、それはその当初の思い込みであって、今やライタの方が、私以外の客もきっと喜ぶだろうし、何とかあの業務用ドレッシングはやめて欲しいと思う。でも、現状、特にランチプレートなんかの場合、これだけ定番化しているベビーリーフ・ミックスのサラダに替えてライタというのは、ややハードルが高そうなので、何か現実的な作戦を考えねばと思った。
「サラダには、ドレッシングなしで」
次の注文時には、さしあたり、こう注文しようと思っている。単純に「ドレッシング無し」なら、店側も難しくないだろう。塩味が足りなければ、シンプルに塩をかけた方がよっぽどいい。これまで何度も出てきたサラダを前にしてこう思ってきたのだが、不覚にも次の注文時(おそらく2〜3ヶ月後)につい言うのを忘れてしまってきた。よ〜し次回からは忘れないようにしよう。そう自戒の念を込めて、きょうのエントリを書いている。
念のため付け加えるが、ちゃんとした(?)インド料理店では、ライタは出ても、ベビーリーフミックスのサラダは決して出ない。しかし、これだけ大衆的なインド料理店がポピュラーになった今の日本だ。一見同じように見えるインド料理店を「選ぶ」時代になってきてる。その差別化の意味でも、ベビーリーフ・ミックスのサラダとそのドレッシングの代わりに、ライタが出てくる日は、来るのだろうか。
インドの人口は、今や14億人とも言われ、近いうちに中国を抜くとも予想されている。そんな大国インドには、様々な人がいる。ただ、三十数年も前のことながら、私は今でも忘れられない、こんなインド人と接したことがあったという話。無論、インド人みんながこういう人な訳ではないし、日本では「たぶんなさそうなことかなー」と思うので。
インドではどこにでもある、露天のチャイ屋(ストール)。そこの長椅子に腰掛けてチャイを飲んでいたら、隣に同年代ぐらいのインド人男性が腰掛けた。面識はない。しばし、二人横並びでチャイをすすることとなった。少しして、彼は私に話しかけてきた。
「お前さん、いい腕時計しているな」と、私の左腕の時計(一般的なもの)をのぞき込みながら言う。
「そーお、褒めてくれてうれしいよ」と軽く受け応える私。すると、
「それとても気に入ったんだ。俺にくれないか?」と彼。
私は少したじろぎながらも、「あなたが気に入ってくれていることは分かったが、私だって気に入ってるんだから、あげることは出来ないな〜」と、何とか応じる私。
「そっか」と、チャイを飲み干した彼は、何事もなかったかのように立ち去った。
私は、チラッと彼の後ろ姿を見て、残りのチャイを飲み干した。彼は振り向く素振りもない。
この会話だけだと、彼は何と図々しいヤツだな〜と思うかも知れない。しかし、そのとき、私は全くそうは感じなかった。不快というより、むしろ爽快に感じた。マナーや事の善悪云々とは別次元で、「人間は自由だ」ということを私は彼から感じたからだ。特別な感情もなく立ち去った彼の後ろ姿を見て、私は自分の身体が少し軽くなった気になった。
上記の会話を、私は今でも覚えているものの、その腕時計がどんなものだったかを実は思い出せない。そのときは、それなりに私も気に入ってたんだろうが、それは後になって忘れてしまう程度だったのだ。もしかすると、あのときの彼の方が、私より「気に入り度」が高かったかも知れない。さらに、彼との会話を、私はこうして三十数年経った今でも忘れられないでいるし、私が彼から受けた爽快感の方が、陳腐な私の「気に入り度」よりも価値があるようにも思える。
インドには喜捨(バクシーシ)という習慣がある。何かを「施す」ということは、ときに「喜び」にもなり得るのだ。あのとき私は彼に腕時計をあげるのが正解だったと、今は思う。そうしていたら、私の人生はその後、もっと自由になったかも知れないと。
上の写真は、我が家の庭の植え込み。すっかり冬になっているこの折、少しの草の上に敷いてある藁の間に、小さな赤い実が、いくつも落ちている。万両の実だ。万両は、右隣の家に植わっていて、しばしば数羽のムクドリがホバリングしながら、たわわになった実をついばんでいるのを見かけていた。この万両はきっと、その万両に違いないと思った。